お伽話 

六笠 嵩也

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第三章

3-9

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三人は庭の隅に馬を繋いだ。
この中で嘉平が名前を知っているのは風野かざのだけだ。あの夜は皆が頭巾で顔を覆っていたし、名乗る事も憚られていた。したがって残りの二人の大男の顔に見覚えは無いのだ。今日も笠を目深に被っていて顔は分からないが、体つきからしてこの二人の内のどちらかが噛付き男だ。嘉平は頭を下げたまま三人の様子を覗い見た。三人共、あの夜とは違って小袖に張りのある生地の肩衣と袴を着けている。その姿は野良着の時とは見違えるほど立派に見えた。

「嘉平殿、約束の品だ。現身様の元へと運ぼう。」

「これは、これは、ありがとうございます。御三人共、此方へどうぞ…。あの…現身様は眠っているようです。」

三人は馬の背から風呂敷包みを下ろしている。それほど大掛かりな物ではないので、おそらくは着る物だろう。嘉平は三人を屋敷の方へと促した。

「嘉平よ、本日は堂ではなく母屋でお休みになっておられるのか?余は寝顔だけでも見ておきたいのだが。」

「あぁ…いいえ…その…」

こっちが噛付き男の慈照だ。この声には聞き覚えがある。
あの夜、散々に鈴虫を傷付けて逃げ去った悪事の張本人だ。という事は、もう一人の大男が噛付き男の手を引いて逃げた共犯者の弦次郎。風野が控えているからと言って、この二人を鈴虫に会わせて良いものかどうか。考えるまでも無く、これ以上の面倒は御免被りたい。

口籠る嘉平の顔色を覗って風野が声を掛けた。

「嘉平殿、その後、現身様の御体の調子はいかがでしょうか。」

「おぉ、風野様、お気遣いありがとうございます。決して良くは御座いません。それに今はもう現身でさえ御座いません。観世音菩薩様は体を去られて普通の人間に戻りました。そして、その時の記憶も残っては御座いません。どうか来年まで静かに暮らすことをお許し下さり、お会いになる事はご遠慮願いたい。」

「私の事も覚えていないのですか?それともこちらの二人の事を覚えていないのでしょうか?あぁ、そもそも顔を見ていないからわからないか…?」

「そうですねぇ…風野様のことはどうだか分かりません。どこから記憶が消えているのか曖昧なのです。でもおそらくは観世音菩薩様の御光臨の少し前からでしょう。」

「え…そんな…それでは私と会っても分からないという事ですね…」

「まぁ、おそらくは。」

「せっかく可愛い衣をご用意したのに…」

風野がガクッと肩を落として溜息を吐く。

嘉平は苦笑いを浮かべながら頭を下げた。今の鈴虫にはどんな美しい衣装を用意しても全くの無駄。下手をすれば袖を通す前に息絶えてしまうかも知れない状態でかたくなに口を閉ざしてしまっているのだ。鈴虫が風野の事を覚えているのならば、無理やりにでも飯を食わせる手伝いをしてもらいたい。しかし、覚えていないのであれば全く何の役にも立たないだろう。であれば、高価な衣よりも鈴虫の気に入るような甘い菓子などを持参いただく方が嘉平としては有難いというのが本音だ。
それでも嘉平は愛想を振りまきながら約束の品を受け取ると、挨拶がてらお妙を呼んでこれを預けた。用が済めば早くお帰り願いたい。屋敷に上げて話し込まれても厄介だ。大人しく眠っている鈴虫をわざわざ起こして会わせたくもない。そんな事ばかりが頭を占める。

「寝顔でかまわぬのだ、一目だけでも会わせよ。決して起こして話しかけたりはせぬ。せめて…一目だけでも会わせてくれ…。」

図体ずうたいに似合わぬ心細げな声で噛付き男が頼み込んでくる。その後ろから風野が両掌を合わせて嘉平を拝み倒そうとしている。もう一人の大男と言えば…

「あっ!駄目です!!!堂に近づいてはなりません!!!そっちはいけません!!!あぁ、駄目ですってば!立ち話もなんですから、さぁ、屋敷の中へどうぞ。」

「あっ!弦次郎殿、勝手な真似はおよしなさい。嘉平殿がお困りですぞ!」

「おいっ!弦次郎、余を差し置いて抜け駆けか!?」

慌てて止めに入る三人をよそに、弦次郎は堂の階段を上ると、格子窓の方へ回り込んで中を覗き見た。

「…ん?少しばかり中を覗くだけですよ。…ぉぉっ…なんと、小さな背中を丸めて…仔猫のように愛らしいこと…」

「やめなさいよ!弦次郎殿ったら!覗き見とは悪趣味な!」

言うが早いか、風野は走り出すと、堂へと駆け上がり弦次郎に掴みかかった。体格で一回り劣る風野ではあるが、気迫と技では弦次郎を凌ぐものを持つ。風野が下から睨み上げた途端に弦次郎の体が消えた。否、消えたのではない。一瞬握り込まれた手の親指一本に関節技を入れられて堂の下へと自らの体重で引き摺り落とされたのだ。小さな関節の可動域を捉えた特殊な技である。弦次郎はまともな受け身も取れず、派手な音を立てて大きな体が地面に叩きつけられた。

「風野ッ…いたた…本気で怒るな。」

「弦次郎殿、たとえ其方であっても現身様を辱める真似は私が許しません。私と過ごした記憶を失くされたとしても誓いは消えぬ。御館様と貴方が逃げ帰られた後、私はこの現身様を身を挺してお守りするとお誓い申し上げた!」

「ほほぅ…風野、お前も現身様の虜となったか。」

「弦次郎殿、馬鹿を申せ!お主のように意志薄弱ではないわッ!」

「意志薄弱とは無礼な。上げ膳据え膳食わぬは男の恥といってだな。あの様な状況で手をつけないのは寧ろ失礼に当たるのだぞ。」

「現身様は食い物ではない!勝手申すな、この助兵衛ッ!」

堂の上と下で喧々囂々けんけんごうごう口喧嘩が始まった。あまりの語気に慈照も嘉平も気が引けて行く。もう、呆気にとられた間抜け顔で二人並んで立ち尽くすだけだ。それにしても、風野と弦次郎の両人はあんな場所で騒ぎを起こされれば鈴虫の眠りの妨げになるとは頭が回らないのだろうか。

「あの…貴方様はあの方達の主でいらっしゃいますよねぇ?」

「…いいや、まぁ、そうではあるが…余があの者達に勝てると思うか?」

「……。いやぁ、でも…貴方様が止めていただかないと…」

「風野も弦次郎も、敵に回すには恐ろしい相手である故…」

「ですから、こちらでは対処致しかねます。どうか良しなに…」

「いや、本当に無理。あの間に割って入れるとお思いか?」

「無理では御座いません。どうか、どうか、お静かにと!」

始めはボソボソと責任の擦り合いをしていた二人であったが、そのうちに慈照と嘉平も言葉に感情がこもり出すと、だんだん声が大きくなってゆく。終いには風野たちと変わらない音量で話していた。

音も無く堂の戸がスーッと開く。

それに気が付いたのは正面に居た慈照と嘉平の二人。言葉も半ばに口を開いたまま、拙い事をしてしまったと焦り出した。どうやら体調が決して良くは無いと聞き及んでいたのにも拘らず鈴虫を起こしてしまったようだ。開いた扉の影の中から黒い頭と白い手が音も無く這い出て来た。

「…だぁれ?」

一瞬にしてその場に居た全員の動ぎが止まった。
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