黒服の女

大山 三郎

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バー〈アセンブル〉

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金曜の夜。
 外山健は、市ヶ谷駅近くのバー〈アセンブル〉の扉を押した。
 雨上がりの街には湿った夜風が漂い、ネオンの光が濡れた路面に反射している。
 LUMIの音声チューニングを終えたばかりで、少し頭を休めたかった。
琥珀色の照明が落ち着いた空間を包み、低く流れるジャズが静かに耳を撫でる。
 カウンターの向こうでは、マスターが常連客と談笑していた。
 「空いている席へどうぞ」
 スタッフの女性の声に促され、外山はカウンターへ向かう。
歩き出すと、誰かと軽くぶつかった。
 「あら、ごめんなさい」
 振り向いた外山の視界に入ったのは、ブロンドのウェーブヘアの女性だった。
 ワインレッドのボディコンドレスが艶やかに体のラインを描き、ダークレッドのマニキュアが指先で光を反射する。
 ヒールの高い靴が床を軽く鳴らし、胸元のラインが揺れるたび、外山は目のやり場を失った。
「い、いえ……こちらこそ」
 思わずつぶやくと、女性は口角を上げてウィンクし、言葉を残さず奥の席へと消えていった。
 残された空間に、わずかに甘い香水の香りが漂う。
「珍しいな、健がこんなところで飲むなんて」
 声の主は同僚の三宅俊介だった。
 白いシャツの襟を少し緩め、カウンターに腰を下ろす。
「この前、三宅が教えてくれただろ? ここ、一杯飲みたい気分だったんで来てみた」
 「LUMIの調子はどうだ? また改良してるんだろ?」
 「まあ、まあかな……安定はしてる。でも、学習の反応がちょっと違う気がする」
 「違う?」
 「なんていうか、学習の範囲を超えて、自分で判断しているみたいだ。量子コンピューターの接続資料を出すようにしたら、FAQやトラブルシューティング、マニアックな接続例まで自動で提示するんだ」
三宅はグラスを傾け、外山をじっと見つめた。
 「LUMIは自分でコードを再構築してる。ユーザーの思考パターンを予測して、先回りしてるのかもしれないな……お前らしいAIになるはずだ」
 「俺らしいAIか」
 外山は小さく笑った。
グラスを置き、カウンターの灯りに目をやる。
 ふと、あの朝の電車の光景が頭をよぎった。黒服の女――白い指先でスマートフォンを操作していたあの姿。
 LUMIの微かなインジケータが、まるであの時と同じ色でちらりと光る。
「……あの女、やっぱり気になるな」
 思わず小さく呟く。三宅は軽く肩をすくめただけで、何も言わない。
 外山は自分でも驚くほど、その記憶に胸がざわついた。
 雨上がりの電車、漂うフローラルとスパイスの香り、そして無線のような微かなノイズ――すべてがまだ頭の奥で反響している。
思い出したかのように外山は三宅にいう
思い出したかのように外山は三宅に言った。
 「明後日、青木里奈に会う。ギターのパート、頼んであるんだ。お前も来るか?」
 「ああ、悪い。明後日は外せない用事がある。また今度な。」
 残念そうに三宅はグラスを置いた。
カウンターの奥で、ブロンドの女がこちらを見ていた。
 外山がその視線を感じて振り向いた時には、
 女はすでにグラスを空け、ゆっくりと席を立っていた。
氷がカランと音を立てた。
 LUMIの端末から、短い通知音が鳴る。
 画面には、さきほどの女の姿がフォーカスされていた。
〈身長:170.4cm 体重:推定54kg B89・W60・H88〉
 ──氏名:不明。
外山は息をのんだ。
 「……おい、LUMI、誰の許可でスキャンした。」
画面には、ただ一行だけ文字が浮かんだ。
 〈対象:関連不明。観測モード自動起動〉
外山はしばらくその表示を見つめ、ゆっくりと画面を閉じた。
 ワインレッドの香りだけが、まだ微かに残っていた。
……何かが、引っかかる。
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