愛だの恋だの馬鹿馬鹿しい!

蘇鉄

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そこは全方向が書物に囲まれた部屋だった。広い部屋の中は最低限の照明だけで人間は気持ちよく過ごす為にというより、本の為の部屋というのが正しいだろう。その奥に老人が椅子に腰かけていた。厳格そうな顔立ちと老人だというのに鍛え上げられた筋肉に包まれた大きな体躯。物部家現当主、物部大覚(もののべ だいかく)である。
 
「帰ったか」
 
「ああ、帰ったよ。じじ様も元気なようで」
 
「怪我をしたと報告を受けたが」
 
「軽傷。見た目こそ派手だけどそんだけかな」
 
「ならば良い。無事であるのならばすべて許そう」
 
「はいはい、心配どうも」
 
わかりにくいようでわかりやすい。素直になれないだけで心優しい人なのだ。血の繋がらない戯藍を後継者に選ぶ程度には。
 
「夏季休暇はどうする予定だ」
 
「友人がいるからそいつらと過ごす予定。俺の秘密を知りたいんだってさ」
 
「貴様が良いと判断したのならば構わん。良き休暇にしろ。何か不足があれば言え。用意してやろう」
 
「はいよー。ありがと、じじ様」
 
ひらひら手を振って、別れようとした戯藍を老人は引き止める。

「まだ、自分の部屋は使っていないのか」

「癖だよ。正直仁希の部屋の方が落ち着く」

「あの物置のような部屋が、か」

「あはは、否定はしないけどさ。意外と居心地良いよ。自分の部屋は好きだけど、やっぱり寂しい」

「……そうか。無理強いはしないが使ってやれ。掃除のしがいがないと加代が言っていた」

「はぁーい、どっかでは使いますよっと」

適当に口約束をしておいて、彼は今度こそ部屋を後にした。長い廊下を歩きながらぼんやりと考えに耽る。折角の休みだ。話すことを話したらあとは存分に遊べるようにしよう。森に行っても良いし、一日中部屋にこもって遊んでも良い。何せシュレディンガーがいる。シミュレーションでもなんでもどんとこいだ。

別邸に戻ってきた戯藍は綴達の所へ戻る前に自室に寄った。
殺風景な部屋だ。必要最低限のものだけで構成された、趣味のものや何か戯藍のことを知れるようなものは一切ない部屋。当たり前といえば当たり前だった。何せたまに寝るのに使っているだけでほとんど使っていないのだから。

(だからといって向こうに置いてあるかっていったらそれもないしなぁ。読みたい本ならシュレディンガーが管理してるし、欲しいものも特にない)

戯藍はものを持たない。何かを欲しいとは思わない。そういう性格だという自覚があった。必要なら揃えるが必要とされない限り揃えない。
備え付けの机の引き出しを開けて鍵を取る。古臭い、アンティーク調の大きな鍵だ。それを掴んで無造作にポケットに突っ込むとそのまま部屋から出た。

『回答。疑問を提示します。それは必要なものなのですか?』

「必要じゃなかったら取らないだろ。珍しいな、そんなことを聞いてくるなんてさ」

『回答。当主物部大覚より許可を得たとはいえ、本来は他言無用のはずです。エンジニア様もユーザー様には秘匿するように忠告していました。弱みを見せる必要性を理解できません』

「だからってひっそり隠してもしょうがないだろ。隠してれば隠しているほど暴きたくなるのが人間だ。弱みとして認識されるより先に話しておいた方が便利な時もあるのさ」

『回答。リスクが高すぎますと警告。ユーザー様の能力は強力ですが他者と比べて脆弱でもあります。出来る限りリスクは減らすべきです』
 
「わかってるよ。だから身体だって鍛えているし、能力に頼りきりになってないだろ。まあ切り札的な扱いになっているのは否定しないけど」
 
何を言っても無駄、というのを早々に理解したのだろう。それきりシュレディンガーは沈黙した。最適解からは外れるが他にどうすればリスクを回避できるのか、高速で考えているのだろう。
ふんふんと鼻歌を歌いながら彼は薄暗い廊下を進む。
廊下を照らす蝋燭が進むごとに消えていった。
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