文豪と書店員の三姉妹は、エレベーターの向こうで異世界に転生した

芝桜胡桃

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第三話 物語を食べる獣

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低い唸り声が、商店街のネオンを震わせた。

影の奥から現れたのは、黒い毛並みの巨大な獣だった。
目は赤く濁り、吐息は荒い。

「……あれは“欠乏種”だ」

妖精が呟く。

「物語不足で暴走してる」

長女が三女の肩を引き寄せる。
次女は冷静に周囲を観察している。

だが青年の足は、すくんでいた。

戦えない。
武器もない。
力もない。

あるのは――ノートだけ。

獣が一歩踏み出す。
地面が震える。

近くのスライムが震えながら後退した。

「お腹……空いてる……」

掠れた声が、獣の喉から漏れる。

三女が、前に出た。

「だめ!」

「三女!」

長女が叫ぶ。

だが彼女は、まっすぐ獣を見ていた。

「怖いけど……かわいそう」

その一言が、青年の胸を打つ。

怖い。
でも、かわいそう。

その感情は、物語の種だった。

「……俺が書く」

自分でも驚くほど、はっきり言えた。

ノートを開く。

手が震える。

だが、止まらなかった。

ペンを走らせる。

――あるところに、ひとりぼっちの獣がいました。

獣は強く、恐れられ、誰も近づきませんでした。

でも本当は、ただ寂しかったのです。

インクが紙を滑る。

獣が、わずかに動きを止める。

――ある日、小さな少女が言いました。

「あなた、さみしいの?」

獣は初めて、自分の胸の空洞に気づきました。

三女が、そっと青年の隣に立つ。

「続き、書いて」

その声は、震えていなかった。

ペンがさらに速く動く。

――少女は、獣に物語を読んであげました。

それは勇者の話でも、英雄の話でもありません。

ただ、隣にいてくれる誰かの話でした。

ノートから、柔らかな光が溢れる。

ネオンが淡く揺れる。

獣の赤い瞳が、ゆっくりと色を取り戻していく。

「……あたたかい」

低い声が、今度は穏やかに響く。

光が、獣の体を包んだ。

やがて巨大な影は、小さな黒い子犬のような姿に変わる。

商店街の空気が、ふっと緩んだ。

スライムが、ほっと息をつく。

妖精が口笛を吹いた。

「やるじゃないか、文豪」

青年は、その場に崩れ落ちた。

心臓が激しく打っている。

「……たまたまだ」

かすれた声。

三女が、しゃがみこんで顔を覗き込む。

「たまたまじゃないよ」

彼女は、やわらかく笑った。

「あなたの物語、ちゃんと届いた」

その言葉に、胸が熱くなる。

今まで誰にも言われなかった言葉。

“届いた”。

子犬になった獣が、とことこと近づき、青年の膝に鼻先を押し付ける。

「ありがとう」

青年は、そっとその頭を撫でた。

その瞬間、商店街の奥にある古いレコード屋から、針の落ちる音がした。

ざあ、とレコードが回る。

そして、どこか懐かしいメロディが流れ始める。

妖精が呟く。

「物語が増えると、町は音を取り戻す」

青年は、ゆっくりと顔を上げた。

ここは異世界。

でも――

ここには、自分の言葉が必要とされる場所がある。

三女が、小さく手を握る。

「一緒に書こう」

その手は、温かかった。

青年は初めて、自分の物語が“誰かの未来”になるかもしれないと感じた。

だが――

レコードの音が、突然歪む。

ぶつり、と針が跳ねる。

遠くの空に、黒い亀裂が走った。

妖精の顔が曇る。

「……まだ足りない」

「何が?」

「この世界の物語は、もっと深刻に減っている」

商店街のネオンが、一瞬だけ消えかける。

昭和レトロな町の奥に、静かな闇が広がっていた。

彼らの物語は、まだ始まったばかりだった。


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