山皇記

百々亀

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氷華山の首領

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女性がゆっくりと近づいて来ると、その容姿が次第にはっきりしてきた。
白銀の長髪で顔は半分隠れているが、まだ若く。恐らくは自分達と同じくらいの歳の頃であろう。
片側だけ見えている瞳からは何の感情すら読み取ることができない。只々冷たい印象を受けた。
白く美しい肌の頬が赤く見えるのは今まで酒を飲んでいたからだろう。
白い襦袢のみを身に纏っているが、その襦袢は着崩れ、豊かな胸の谷間を露わにし、歩く度にしなやかな細い足が裾の合わせから膝の辺りまで出ていた。
だらしの無い服装では有るが、肌が雪のように白く、顔立ちも冷たさの中に美しさを感じさせるもので、不思議な魅力のある女性だった。

「てめーら何ぼさっとしてやがる!お頭に頭を下げやがれ!」
先程の大男が怒鳴り声を上げた。
それとほぼ同時にばりんと硝子の砕ける音がした。
「桜雅、黙れと言っただろう。」
そう言う女性の手には、先程まで持っていた大徳利の残骸が握られていて、大男の頭は酒でずぶ濡れになりドクドクと血が流れ出していた。
「申し訳ありません・・・。」
大男は流れ出す血を拭おうともせず、目を閉じて押し黙った。
荒くれ者の大男を黙らす氷華山の首領。普通ではこうは行かないだろう。
か弱い女性がここまでの荒くれ者達を束ねるには、何らかの力が必要だろう。
思い当たるのは、恐らく氷華山の首領も自分と同じ災厄の種の所有者であろうこと位である。

「災厄の種とはこの世ならざる者の力の事だ。普段は自然に発生し、人に害を成す自然災害としてこの世に存在しているが、周りより精神力、生命力の強い子供の死地に居合わせると、その体に自らを封印し、取り憑くと言われている。」
カケルは5年前にダンゾウから聞いた災厄の種の話しを思い出していた。
この話しは、初めてカケルが災厄の種の力を使ったときにダンゾウが話してくれたものだった。
当時ダンゾウの言いつけで、毎日枯れ葉を掃いていた時の事。
---こんなの風が吹いて勝手に飛んでいってくれれば楽なのになー。
そんな事をカケルが考えた時、自分を中心に突然風が巻き上がり、たちまち足元の枯れ葉が吹き飛んでしまった。
その出来事に唖然としていたカケルに、ダンゾウが教えてくれたものだった。
ダンゾウから教えられたことをまとめると、
死にかけの子供に災厄の種は取り憑く。
取り憑かれた子供はどんなに弱っていても、何事も無かったように元気になること。
災厄の種には幾つか種類があり、それぞれに応じた能力をつかえるようになる。但し能力を使うと、寿命が減ること。
そして、災厄の種の能力を持つと、他の災厄の種の能力者とまるで引き合わされるように出会うようになるという事だった。

氷華山の首領との出会いも、災厄の種の力によって引き寄せられたことなのかもしれない。

「貴様ら、何をしにこの氷華山を訪れた?」
こちらに向き直った氷華山の首領が、カケルに声をかけた。その表情は先程から何一つ変化を感じさせなかった。
過去の記憶から頭を切り離し、カケルは問いに答えた。
「紹介が遅れた。俺の名はカケル。忘却の村で首領をしている。この度は氷華山が明智光秀と事を構えるという話しを聞き、微弱ながら助太刀に参った次第だ。」
カケルは端的に、嘘を交えずに話した。
この状況での駆け引きは無用。真っ直ぐに本心を伝えた。
「ほー。見たところせいぜい30人程度で助太刀とは。随分と舐められたものだな。」
そう言うと氷華山の首領は踵を返した。
黙り込んでいた大男達の視線がギラギラと突き刺さる。
「その程度の人数ではなんの足しにもならん。忘却の村なんぞも聞いたことはない。どこぞの田舎から出てきたのか知らんがご苦労だったな。」
こちらを振り返らずに氷華山の首領は言い捨てた。
「待ってくれ、俺たちは・・・。」
ハルヒデが声を上げたときだ。
「やれ。」
氷華山の首領が小さく合図を出した。
その途端に座ったまま黙り込んでいた大男達が一斉に飛びかかってきた。
ハルヒデや後ろの仲間が腰を落とし、刀の柄に手を伸ばした。
「おらっ!観念しやがれ!」
桜雅と呼ばれた男が先頭になり、叫びながらこちらに突っ込んでくる。
「交渉は決裂だな!」
そう言うとハルヒデが刀を抜き放った。蝋燭の灯りに照らされてギラギラとした刀身が視界に入った。
ここで争う訳にはいかない、カケルは咄嗟に自身の風の能力を発動させた。
カケルが腕を横に振ると、まるでその腕から発生したように突風が吹き抜けた。
蝋燭の灯りは消え、先程まで食事をしていた茶碗等のひっくり返るガシャガシャという音がした。
目前まで飛びかかってきていた桜雅達が尻餅をついて吹き飛ばされた。
おおっ。という仲間の感嘆の声の後、部屋全体が静寂と暗闇に包まれる。
一瞬の間を置き、一本の蝋燭に火が灯された。
後ろで成り行きを見ていた氷華山の首領が手に燭台を持ってこちらを向いているのが照らし出された。
「成る程、たったそれだけの人数で助太刀しようと言うのは単なる世迷い言かと思ったがなぁ。」
氷華山の首領が呟きながらこちらに歩みを進めた。
「無論、我々は争いに来たのではない。このようなところで仲間割れをして無駄に命を落とす気はさらさら無いぞ!」
カケルが語気を強めて発言した。
倒れた桜雅達が黙り込んでいるのを見るに、災厄の種の力に驚いているのだろう。
カケルの目の前まで歩み寄った氷華山の首領が口を開く。
「確かに助太刀に来た者に対して無作法過ぎた事を詫びよう。して、貴様名前を何と言った?」
「忘却の村の首領、カケルだ。明智光秀を打倒しに来た。」
「風の災厄、カケルか。良かろう、貴様たちを仲間と認めよう。明智討伐は次の雨の日、それまではこの城で休み、しっかりと準備をするといい。」
その場での氷華山の首領の即断に対して反対の声が上がらないのを見ると、この場の氷華山の者は満場一致で賛成なのであろう。
「明智討伐までの間、分からぬことはここまで貴様等を案内した桃葵に聞くと良い。」
そう言いながら踵を返す氷華山の首領にカケルが声をかける。
「そちらの名は、まだ聞いては居なかったな。」
氷華山の首領が立ち止まり、横顔をこちらに向けて答える。
「氷華山首領、氷の災厄、咲夜だ。」
手に持つ蝋燭が下から順に凍りついていき、その先の炎までをも凍りつかせると、再び部屋全体が暗闇に包まれた。
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