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小さい頃の私
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殴り書きの人生の整頓
母子家庭で育った。
私は三人兄弟の1番上
なんで母子家庭なのか?大体父親が原因だ
父は大のギャンブル好きで父方の祖父たちから貰った金を全部溶かしてしまう程金遣いが荒かった。女遊びも好きで隠そうともせず車に知らない女とのプリクラが貼ってあった。仕事もできず、頑張ろうとするとすぐ体調を崩してしまうくらい情けない人だった。何より子供が大の苦手だった。
遊びたいけど妻子を養わなければならない。なんてこと幼稚な父親には無理だった。
小さい頃の記憶は両親が喧嘩しているところしか覚えていない。
最初はなんで喧嘩してるのか?分からなかったが、父親が母親に手を上げる度、母が泣いて私たちを守ると抱きしめる度、母を私が守らなければと思った。しかし、守れるわけもなく、見かねた祖父たちが2人の仲介に入り離婚となった。
私が小学生、2番目が幼稚園児、3番目は赤ん坊の時父親は空の雲を取ってくると言いどこかに行ってしまった。
そこから母親は子育てに加え、パートでフルタイム働いていた。母がいない間は母方の祖父母が面倒を見てくれた。それでも母はいつも大変そうだった。元々短気な性格だったが離婚してから怒りっぽくなった。というか、怒りの矛先が私たちに向くようになった。激しい性格なので手が出てくることもあった。なぜ怒られているのかなぜ不機嫌なのか理解できなかった。この時から母が怖かった。その時、私は母に迷惑をかけないこと我儘を言わないことが母親を怒らせない方法だと思った。下の子に助手席は譲る。おもちゃは欲しがらない。等子供の発想なので果たして効果があったのか分からなかったが、お利口にしてると母は褒めてくれた。それはとても嬉しかった。
私は学校、習い事ではお利口ではなかった。勉強が得意じゃなかった。運動もできなかった。忘れ物も多かったがそもそも何を持っていけばいいのか分からなかった。怒られては次持ってくるとだけ答えた。母親にバレなければいいと思っていた。
2学年の時の先生が母親に私の事を言った。容姿が醜い、運動も勉強もできない。集中力がなくずっと絵を描いていること。特に容姿が醜いと言われて母は傷ついたらしく懇談会から帰ってきた母は泣いていた。泣きながらまた守ると言ってくれた。自分も悲しくなってしまったが先生がそんなふうに思っているのも驚いてしまった。
その先生はほかの児童の親にも失礼なことを言ったらしく、次の年にはいなくなっていた。
3学年の時からは暑苦しい男の担任になっていた。調子のいい人で、クラス崩壊しかけていた私たちをどうにかすると言ってくれてたらしい。面白い人で柔軟性のある人だった。
こんな私を男の担任は優しく見てくれていた。人より遅れている私を見捨てず、面倒を見てくれた。水泳の時も1人だけ特別に教えてくれた。いつか素敵な可愛い子になると言ってもくれた。
その時母は再婚した。男側に男の子が二人いた。
5人兄弟になった。ゲーム機をたくさん持っていて、とても、楽しかった。
ただ母の負担もでかくなった。五人兄弟。そのうち2人のことは何も知らず、ゲームばかりで言う事を聞かない、作ったご飯も食べてくれないなど手をやいていた。母の怒りは2人の連れ子にぶつけられた。私じゃない誰かが怒られることに安心感を覚えてしまった。2人と比べられて言う通りに動く私が褒められるのに喜びを感じていた。ただ段々、2人が可哀想になり、耐えれず男側の祖父母たちに電話をして助けを求めた。話し合いになったが解決はしなかった。次の日になれば男のいない時間は2人は怒られてばかりだった。排泄をする時間がおかしいとかとにかく気持ち悪いなど怒っていた。私は母がおかしいのでは、と思いだした。
傍から見る母親は教育をする人間に見えなかった。ただストレスをぶつける感情のコントロールができない女にしか見えなかった。
連れ子との相性も悪かったが男とも相性が悪かった。毎日喧嘩していて、男も手を上げる人間だった。ひどい時は家の食器全て割ってしまうような人だった。喧嘩してる時は私は下の子を連れて別の部屋に行った。そこで母が殺されてしまったらどうしよう。怪我をしてしまったらどうしようと毎日考えていた。ある日、母親の叫び声が聞こえて怖くなって祖父母と男側の祖父母に電話をして助けを求めた。泣きながら話していたがすぐに駆けつけてくれて止めてくれた。そこから話はとんとんですぐに離婚した。1年もいなかった。
4年生になってから私は苗字が元に戻った。周りの子は優しいので何も言わなかったしからかわなかった。周りの大人も優しかった。他人の子供を迎えに来てくれたりお菓子を分けてくれたり礼儀マナーは友達のお母さんが教えてくれた。母とは違いこうすればいいと言ってくれるので覚えやすかった。
母は相変わらずというか離婚後更に神経質で怒りやすくなった。手を上げる事が多くなった。私は家事を沢山するようにした。学校が終わったら母親が帰ってくるまでに皿洗い、部屋の掃除、洗濯を取り込むなどした。帰ってくるまでにしないと怒られるのでとにかく頑張った。片付けができてるとその日の母は怒ることは無かった。ただカーペットが曲がっているなどするととても怒られた。私も片付け終わったあとカーペットを曲げる妹などを怒鳴り叩くようになった。私は妹に手を上げるようになった。
私は母のいない所で下の兄弟たちに怒鳴ったり手をだすようになった。母の前ではいい子にするがいない時はとにかくイライラをぶつけていた。
家庭は地獄だったが学校はそれなりに気が楽だった。しかし小六の時、男の担任が授業中股間を当ててくるようになった。最初は気のせいかと思ったが、私にだけ他の子と明らかに教え方が違う。ゾッとした。でも確信はできなかったし、恥ずかしくて誰にも言えなかった。
ある日、人のいない教室に呼ばれた。何事かと思った。担任は胸のサイズを聞いた。驚いた。
確かに自分は他の人より胸が大きかった。分からないと答えると測ってきなさいと言われた。
それを母親に言うとすぐに学校に連絡が行き校長たちが謝りに来た。担任は胸が大きくなってきたのでブラジャーをつけて欲しかったと言った。気持ち悪くて仕方なかった。
そこから先生の善意が気持ち悪く感じた。水泳の時間、私だけ1人別で体を触られて練習するのも将来綺麗になるよ!とか魅力的な女性になるとか今から楽しみだとか気にしすぎだったのかもしれないがとにかく卒業するまで気持ち悪かった。
卒業したあと知ったのだがその担任は他の学校で問題行動を起こし飛ばされてこちらに来た人だった。
中学では、先輩の不良に目をつけられいじめられた。追いかけられたり、罵られたりとまあまあ酷かった。同級生も先輩と一緒にいじめてきた。馬鹿にされるのはこんなにも恥ずかしくみじめな事だと思った。
周りに馬鹿にされているとしか思えなかった。ただ何も出来ないのは、分かってる。ただみじめで学校にいかない日が続くことがあった。
中学三年の時私はダイエットをした。3ヶ月で10キロ落ち50キロほどになった。変わりたい気持ちで食事制限と運動をした。朝、昼はしっかり食べ夜は控える。しっかり走る。登校は必ず徒歩。筋トレをした。がんばる自分が好きだった。惨めな気持ちも晴れていった。
先生たちは心配した。いきなりそんなに体重が落ちたらおかしいと、毎週体重を計られた。
母にも連絡が言った。そこからまた母親の様子がおかしくなった。無理やりご飯を食べさせるようになった。食べないと怒られた。無理やり口に押し込まれた。ただただ辛かった。食べるのがつらくなった。食後、便器で吐くようにして腹筋を沢山した。ただ見つかると殴られた。体重が少し増えた。初めて首をつった。失敗した。この頃からイライラがなくなり怒ることが亡くなった。
ある悪い先生にアルバイトをするように言われた。時給もわからない酒屋で休みの日は一日中働いた。給料は全部先生が管理した。そのうちの五千円は私のお小遣いになった。今思えば、恐ろしいことをしているなと思った。
悪い先生は高校の入学費を払えない私たちにこういった。指定の私立高校、指定の部活に入ればお金を出してあげよう。と私は高校生になったらアルバイトをしたいと断った。その高校はアルバイト禁止で私立で学費も高い。部活にも興味ないと言った
先生は、週に3回、土日はなしでどうだ。アルバイトも許可をだそうと私はそれならと話に乗った。
高校に入学してから、部活に入った。
しかしあまりほかの女の子たちと仲良くできなかった。気まずかったが誰にも相談できなかった。
しかもアルバイトできるようにしてくれる話も嘘だった。学校にはそんな決まりがないと言われてしまった。その先生はそもそも他校の教師でそんな力はない。
しかしお金がないと困るのでこっそりアルバイトをしていた。しかし段々と部活が忙しくなり土日にも部活が入るようになった。バイトに行けくなってしまった。
交通費、雑費、食事代、が払えなくなった私は、定期券を偽装した。
バレて怒られたがヘラヘラして誤魔化した。
母にお金は貸して貰えなかった。怖くて言えなかった。
母に送り迎えをして貰う時決まって文句を言われた。返事が出来ないでいると返事をしろと怒られる。泣いて謝ることしか出来なかった。
自分でどうにかしなければと思った私は部活をさぼるようにした。サボってバイトに行き、時には遊びにも言った。
そんなことをしてると例の教師にバレた。
親にもバレてしまった。私はファミレスに連れてかれた。
先生はパフェを食べていいよと出してくれた。摂食障害のけがある私にはパフェは食べれずいらないと答えた。しばらく先生は優しく食べていいよ?といった。頑なに食べない私に痺れを切らし先生が怒鳴った。人の善意も受け取れないゴミと、部活も辞めた恩知らずと。私は泣くことしか出来なかった。私は借りた金を全部返すから部活を辞めさせて欲しいと言った。怒った先生は学校を辞めせて働いて返せと言い出した。他校の教師がそんな力あるわけない。と思ったが母も何故か辞めさせるのに同意して着々と準備を進めだした。
私は高校側の教師にわけを話した。困惑していたがアルバイトはさせれないとだけ言われた。
何度目かのリン…ではなかった話し合い教師が諦めて私を退部していいと言ってくれた。その代わりお金を返していくと約束した。高校も辞めずにお金のない家庭にだけ特別にバイトをしていい制度を使わせてもらうことにした。
そこから死ぬ気で働いた。解放された気分になり遊びにも言った。しっかりお金も返した。学校も友達が出来楽しくなってきた。アルバイトも辛いけどお金のためなら頑張れた。ただ、家に帰ると母親に怒られた。わけも分からず怒られるのだけが憂鬱だった。
高校三年生の時、進路を決める時母親に話したら勝手にしろと言われた。しかし奨学金の話などしようとすると怒鳴りてしまい話にならなかった。私はどうすれば分からなかった。
周りの子が進路が決まってく中1人だけ決まらなかった。私はまた学校から逃げた。不安で仕方なかった。親に怒られるのも怖い、将来も怖い、だんだん周りの子も信用できなくなった。私はその頃、市販の薬を大量に飲み始めた。いわゆるオーバードーズというやつだ。1時間に20錠、3時間で60錠程飲むとトリップできた。今までにない幸せな気持ちになった。母と父と一緒に仲良くご飯を食べる幻想も見えた。誰かが傍で抱きしめてくれる幻想も見た。それが幸せで癖になって言った。
その時リストカットもした気持ちがよかった。
血がどくどく溢れる感覚が生きている心地がした。
ただ2日ほどで効果が切れてしまう。
そうすると一気に体調が悪くなる。一日中吐いてしまい、頭痛も酷かった。一気に死にたくなった。首も何回かつった。アルバイトの日以外は休む日が増え最後には不登校になった。
母にはなぜ休むのかきかれた。問い詰められて私は全部怖いとだけ答えた。教師に精神科を勧められて、病院に行くことになった。
母は家のことは言うなと、自分の体の症状だけ言いなさいと言った。
私は病院の女医さんと話をした。親が隣でみはっていたが家のことを少し話してしまった。母は怒った。私は泣き叫んだ。先生が止めに入ってくれた。私が泣くことしか出来ず話が出来ないのでとりあえず睡眠薬を貰った。おうちに帰りたくなかった。入院でもなんでもいいので母親から離れたかった。
今度は1人でおいでと言われたがそんな元気もなく病院を断った。
私は退学し通信制の学校に入った。週に2回だけ行った。ほかの日は全部薬を飲んで楽しんでいた。
3ヶ月だけ通って無事卒業できた。
その頃には歯が何故かボロボロになっていた。
卒業してから薬を自然と辞め仕事に就くことが出来た。母は何故か怒らなくなった。優しくはないが普通に会話が出来るようになった。
続くかも
母子家庭で育った。
私は三人兄弟の1番上
なんで母子家庭なのか?大体父親が原因だ
父は大のギャンブル好きで父方の祖父たちから貰った金を全部溶かしてしまう程金遣いが荒かった。女遊びも好きで隠そうともせず車に知らない女とのプリクラが貼ってあった。仕事もできず、頑張ろうとするとすぐ体調を崩してしまうくらい情けない人だった。何より子供が大の苦手だった。
遊びたいけど妻子を養わなければならない。なんてこと幼稚な父親には無理だった。
小さい頃の記憶は両親が喧嘩しているところしか覚えていない。
最初はなんで喧嘩してるのか?分からなかったが、父親が母親に手を上げる度、母が泣いて私たちを守ると抱きしめる度、母を私が守らなければと思った。しかし、守れるわけもなく、見かねた祖父たちが2人の仲介に入り離婚となった。
私が小学生、2番目が幼稚園児、3番目は赤ん坊の時父親は空の雲を取ってくると言いどこかに行ってしまった。
そこから母親は子育てに加え、パートでフルタイム働いていた。母がいない間は母方の祖父母が面倒を見てくれた。それでも母はいつも大変そうだった。元々短気な性格だったが離婚してから怒りっぽくなった。というか、怒りの矛先が私たちに向くようになった。激しい性格なので手が出てくることもあった。なぜ怒られているのかなぜ不機嫌なのか理解できなかった。この時から母が怖かった。その時、私は母に迷惑をかけないこと我儘を言わないことが母親を怒らせない方法だと思った。下の子に助手席は譲る。おもちゃは欲しがらない。等子供の発想なので果たして効果があったのか分からなかったが、お利口にしてると母は褒めてくれた。それはとても嬉しかった。
私は学校、習い事ではお利口ではなかった。勉強が得意じゃなかった。運動もできなかった。忘れ物も多かったがそもそも何を持っていけばいいのか分からなかった。怒られては次持ってくるとだけ答えた。母親にバレなければいいと思っていた。
2学年の時の先生が母親に私の事を言った。容姿が醜い、運動も勉強もできない。集中力がなくずっと絵を描いていること。特に容姿が醜いと言われて母は傷ついたらしく懇談会から帰ってきた母は泣いていた。泣きながらまた守ると言ってくれた。自分も悲しくなってしまったが先生がそんなふうに思っているのも驚いてしまった。
その先生はほかの児童の親にも失礼なことを言ったらしく、次の年にはいなくなっていた。
3学年の時からは暑苦しい男の担任になっていた。調子のいい人で、クラス崩壊しかけていた私たちをどうにかすると言ってくれてたらしい。面白い人で柔軟性のある人だった。
こんな私を男の担任は優しく見てくれていた。人より遅れている私を見捨てず、面倒を見てくれた。水泳の時も1人だけ特別に教えてくれた。いつか素敵な可愛い子になると言ってもくれた。
その時母は再婚した。男側に男の子が二人いた。
5人兄弟になった。ゲーム機をたくさん持っていて、とても、楽しかった。
ただ母の負担もでかくなった。五人兄弟。そのうち2人のことは何も知らず、ゲームばかりで言う事を聞かない、作ったご飯も食べてくれないなど手をやいていた。母の怒りは2人の連れ子にぶつけられた。私じゃない誰かが怒られることに安心感を覚えてしまった。2人と比べられて言う通りに動く私が褒められるのに喜びを感じていた。ただ段々、2人が可哀想になり、耐えれず男側の祖父母たちに電話をして助けを求めた。話し合いになったが解決はしなかった。次の日になれば男のいない時間は2人は怒られてばかりだった。排泄をする時間がおかしいとかとにかく気持ち悪いなど怒っていた。私は母がおかしいのでは、と思いだした。
傍から見る母親は教育をする人間に見えなかった。ただストレスをぶつける感情のコントロールができない女にしか見えなかった。
連れ子との相性も悪かったが男とも相性が悪かった。毎日喧嘩していて、男も手を上げる人間だった。ひどい時は家の食器全て割ってしまうような人だった。喧嘩してる時は私は下の子を連れて別の部屋に行った。そこで母が殺されてしまったらどうしよう。怪我をしてしまったらどうしようと毎日考えていた。ある日、母親の叫び声が聞こえて怖くなって祖父母と男側の祖父母に電話をして助けを求めた。泣きながら話していたがすぐに駆けつけてくれて止めてくれた。そこから話はとんとんですぐに離婚した。1年もいなかった。
4年生になってから私は苗字が元に戻った。周りの子は優しいので何も言わなかったしからかわなかった。周りの大人も優しかった。他人の子供を迎えに来てくれたりお菓子を分けてくれたり礼儀マナーは友達のお母さんが教えてくれた。母とは違いこうすればいいと言ってくれるので覚えやすかった。
母は相変わらずというか離婚後更に神経質で怒りやすくなった。手を上げる事が多くなった。私は家事を沢山するようにした。学校が終わったら母親が帰ってくるまでに皿洗い、部屋の掃除、洗濯を取り込むなどした。帰ってくるまでにしないと怒られるのでとにかく頑張った。片付けができてるとその日の母は怒ることは無かった。ただカーペットが曲がっているなどするととても怒られた。私も片付け終わったあとカーペットを曲げる妹などを怒鳴り叩くようになった。私は妹に手を上げるようになった。
私は母のいない所で下の兄弟たちに怒鳴ったり手をだすようになった。母の前ではいい子にするがいない時はとにかくイライラをぶつけていた。
家庭は地獄だったが学校はそれなりに気が楽だった。しかし小六の時、男の担任が授業中股間を当ててくるようになった。最初は気のせいかと思ったが、私にだけ他の子と明らかに教え方が違う。ゾッとした。でも確信はできなかったし、恥ずかしくて誰にも言えなかった。
ある日、人のいない教室に呼ばれた。何事かと思った。担任は胸のサイズを聞いた。驚いた。
確かに自分は他の人より胸が大きかった。分からないと答えると測ってきなさいと言われた。
それを母親に言うとすぐに学校に連絡が行き校長たちが謝りに来た。担任は胸が大きくなってきたのでブラジャーをつけて欲しかったと言った。気持ち悪くて仕方なかった。
そこから先生の善意が気持ち悪く感じた。水泳の時間、私だけ1人別で体を触られて練習するのも将来綺麗になるよ!とか魅力的な女性になるとか今から楽しみだとか気にしすぎだったのかもしれないがとにかく卒業するまで気持ち悪かった。
卒業したあと知ったのだがその担任は他の学校で問題行動を起こし飛ばされてこちらに来た人だった。
中学では、先輩の不良に目をつけられいじめられた。追いかけられたり、罵られたりとまあまあ酷かった。同級生も先輩と一緒にいじめてきた。馬鹿にされるのはこんなにも恥ずかしくみじめな事だと思った。
周りに馬鹿にされているとしか思えなかった。ただ何も出来ないのは、分かってる。ただみじめで学校にいかない日が続くことがあった。
中学三年の時私はダイエットをした。3ヶ月で10キロ落ち50キロほどになった。変わりたい気持ちで食事制限と運動をした。朝、昼はしっかり食べ夜は控える。しっかり走る。登校は必ず徒歩。筋トレをした。がんばる自分が好きだった。惨めな気持ちも晴れていった。
先生たちは心配した。いきなりそんなに体重が落ちたらおかしいと、毎週体重を計られた。
母にも連絡が言った。そこからまた母親の様子がおかしくなった。無理やりご飯を食べさせるようになった。食べないと怒られた。無理やり口に押し込まれた。ただただ辛かった。食べるのがつらくなった。食後、便器で吐くようにして腹筋を沢山した。ただ見つかると殴られた。体重が少し増えた。初めて首をつった。失敗した。この頃からイライラがなくなり怒ることが亡くなった。
ある悪い先生にアルバイトをするように言われた。時給もわからない酒屋で休みの日は一日中働いた。給料は全部先生が管理した。そのうちの五千円は私のお小遣いになった。今思えば、恐ろしいことをしているなと思った。
悪い先生は高校の入学費を払えない私たちにこういった。指定の私立高校、指定の部活に入ればお金を出してあげよう。と私は高校生になったらアルバイトをしたいと断った。その高校はアルバイト禁止で私立で学費も高い。部活にも興味ないと言った
先生は、週に3回、土日はなしでどうだ。アルバイトも許可をだそうと私はそれならと話に乗った。
高校に入学してから、部活に入った。
しかしあまりほかの女の子たちと仲良くできなかった。気まずかったが誰にも相談できなかった。
しかもアルバイトできるようにしてくれる話も嘘だった。学校にはそんな決まりがないと言われてしまった。その先生はそもそも他校の教師でそんな力はない。
しかしお金がないと困るのでこっそりアルバイトをしていた。しかし段々と部活が忙しくなり土日にも部活が入るようになった。バイトに行けくなってしまった。
交通費、雑費、食事代、が払えなくなった私は、定期券を偽装した。
バレて怒られたがヘラヘラして誤魔化した。
母にお金は貸して貰えなかった。怖くて言えなかった。
母に送り迎えをして貰う時決まって文句を言われた。返事が出来ないでいると返事をしろと怒られる。泣いて謝ることしか出来なかった。
自分でどうにかしなければと思った私は部活をさぼるようにした。サボってバイトに行き、時には遊びにも言った。
そんなことをしてると例の教師にバレた。
親にもバレてしまった。私はファミレスに連れてかれた。
先生はパフェを食べていいよと出してくれた。摂食障害のけがある私にはパフェは食べれずいらないと答えた。しばらく先生は優しく食べていいよ?といった。頑なに食べない私に痺れを切らし先生が怒鳴った。人の善意も受け取れないゴミと、部活も辞めた恩知らずと。私は泣くことしか出来なかった。私は借りた金を全部返すから部活を辞めさせて欲しいと言った。怒った先生は学校を辞めせて働いて返せと言い出した。他校の教師がそんな力あるわけない。と思ったが母も何故か辞めさせるのに同意して着々と準備を進めだした。
私は高校側の教師にわけを話した。困惑していたがアルバイトはさせれないとだけ言われた。
何度目かのリン…ではなかった話し合い教師が諦めて私を退部していいと言ってくれた。その代わりお金を返していくと約束した。高校も辞めずにお金のない家庭にだけ特別にバイトをしていい制度を使わせてもらうことにした。
そこから死ぬ気で働いた。解放された気分になり遊びにも言った。しっかりお金も返した。学校も友達が出来楽しくなってきた。アルバイトも辛いけどお金のためなら頑張れた。ただ、家に帰ると母親に怒られた。わけも分からず怒られるのだけが憂鬱だった。
高校三年生の時、進路を決める時母親に話したら勝手にしろと言われた。しかし奨学金の話などしようとすると怒鳴りてしまい話にならなかった。私はどうすれば分からなかった。
周りの子が進路が決まってく中1人だけ決まらなかった。私はまた学校から逃げた。不安で仕方なかった。親に怒られるのも怖い、将来も怖い、だんだん周りの子も信用できなくなった。私はその頃、市販の薬を大量に飲み始めた。いわゆるオーバードーズというやつだ。1時間に20錠、3時間で60錠程飲むとトリップできた。今までにない幸せな気持ちになった。母と父と一緒に仲良くご飯を食べる幻想も見えた。誰かが傍で抱きしめてくれる幻想も見た。それが幸せで癖になって言った。
その時リストカットもした気持ちがよかった。
血がどくどく溢れる感覚が生きている心地がした。
ただ2日ほどで効果が切れてしまう。
そうすると一気に体調が悪くなる。一日中吐いてしまい、頭痛も酷かった。一気に死にたくなった。首も何回かつった。アルバイトの日以外は休む日が増え最後には不登校になった。
母にはなぜ休むのかきかれた。問い詰められて私は全部怖いとだけ答えた。教師に精神科を勧められて、病院に行くことになった。
母は家のことは言うなと、自分の体の症状だけ言いなさいと言った。
私は病院の女医さんと話をした。親が隣でみはっていたが家のことを少し話してしまった。母は怒った。私は泣き叫んだ。先生が止めに入ってくれた。私が泣くことしか出来ず話が出来ないのでとりあえず睡眠薬を貰った。おうちに帰りたくなかった。入院でもなんでもいいので母親から離れたかった。
今度は1人でおいでと言われたがそんな元気もなく病院を断った。
私は退学し通信制の学校に入った。週に2回だけ行った。ほかの日は全部薬を飲んで楽しんでいた。
3ヶ月だけ通って無事卒業できた。
その頃には歯が何故かボロボロになっていた。
卒業してから薬を自然と辞め仕事に就くことが出来た。母は何故か怒らなくなった。優しくはないが普通に会話が出来るようになった。
続くかも
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