魔法使いと皇の剣

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1章 出会い

歪みのノストール

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 エイランリッシュ号が結界の中に突入した瞬間、ミエラを奇妙な感覚が襲った。

 何かが身体に纏わりつくような、不快でぞわぞわとした感覚が全身を駆け巡る。空を見上げると、淀んだ雲に満ちた空から奇妙な日差しが降り注いでいた。それは普通の光ではなく、まるで全てを病に染め上げるような、不気味な光だった。

 空気は濁り、海は異様に泡立っている。その景色は、この世のものでないような異常な光景だった。ここは病の神アスケラが作り出した結界――セイクリッドランド。


「……これが、アスケラの結界……。」

 ミエラは呟き、周囲を見渡した。その結界は、ただ入るだけで病を発症させ、死に至らしめる力を持っていた。しかも、その力は結界を出る者にすら及ぶという、恐ろしい領域だった。

 ミエラは自分が今のところ正常であることを確認すると、胸の奥に安堵の息をついた。自ら作り出した結界が確かに作用しており、結界内の病的な力を遮断しているのが分かったからだ。

 (これなら……少なくとも、結界を超える間だけは大丈夫。)

 そう思い、改めて周りを見た。船員たちも一見すると無事なようだった。ミエラが張った結界の効果が、確実に船全体を守っていることが分かる。

 しかし、船員たちはその安堵を味わう暇などなかった。


 エイランは人よりやや小さいほどの巨大なコウモリ型の魔物と激しく戦っていた。

 その体躯には不釣り合いなほどの綺羅びやかなロングソードを振るい、素早い斬撃で魔物を次々と切り裂いている。しかし、疲労の色は隠せなかった。

 一方、アイリーンはその鋭い爪で魔物を引き裂き、空中に跳ぶ別のコウモリ型の魔物に矢を放った。その矢は群れを貫き、次々と魔物たちを撃ち落としていく。彼女の動きはまさに獣そのもので、獲物を逃さない鋭敏さがあった。

 他の船員たちも、各々の武器を手に必死に戦っていたが、魔物の圧倒的な数に追い詰められていた。鋭い牙を持つ魔物たちが次々と船員たちに襲いかかり、肉を噛み千切られる者や、倒れた者の死体が食い荒らされる光景が広がっていた。
 

 船上には、魔物たちの咆哮と船員たちの悲鳴が入り混じり、甲板は血と絶叫の地獄絵図と化していた。

 だが、その中で――奇妙なことに、ミエラだけは一切魔物たちに襲われていなかった。

 「……杖が守ってくれているの……?」

 ミエラは手にしたレミアの杖を見つめながらそう考えた。しかし、その考えはすぐに打ち消された。

 上空を見上げた瞬間――ミエラは気づいた。

 (違う……あいつの指示だ。)

 ミエラの上空には、三つの異形の顔を持つ神――ノストールが浮かんでいた。女性の顔、虫の顔、そしてコウモリの顔。羽根に覆われたその体からは、見えない威圧感が放たれている

 ノストールの視線はミエラを捉え、その三つの顔の一つ――女性の顔が僅かに微笑むような表情を浮かべていた。それは嘲笑とも、挑発とも取れる不気味な笑みだった。

 「ノストール……!!」

 ミエラの叫びが甲板に響き渡った。その声には怒りと憎悪、そして長年抱き続けた復讐心が込められていた。

 ノストールはその声を確かに聞いたはずだった。しかし、何の反応も示さない。

 その代わり――ゆっくりと、静かに、ノストールは降下を始めた。

 まるで時間そのものが引き延ばされたかのような動きで、ノストールは徐々にミエラに向かって降りてくる。周囲の魔物たちも、まるでその動きを邪魔しないように動きを止めていくかのようだった。

 ミエラの異変に気づいたアイリーンは、自分に噛みつこうとしていた海の魔物を片手で掴み上げると、そのまま別の魔物に向かって投げ飛ばした。続けて、すかさず弓を構え、狙いを定める。

 彼女の視線の先には、上空に浮かぶノストール――あの三つの顔を持つ憎むべき存在。

 「アンタが元凶か……!」

 低く呟いたアイリーンは、息を整え、一気に弓を引き絞り、力を込めて矢を放った。

 矢はまっすぐにノストールへと飛び、そのまま直撃するかに見えた――だが、その瞬間、矢はノストールの身体に触れる直前で奇妙に弾け飛んだ。

 矢は四方八方にバラバラと飛び散り、まるで何か見えない力に引き裂かれたようだった。

 「何……!?」


 アイリーンが驚きに目を見開く間もなく、ノストールが静かに頭だけを回転させた。その三つの顔のうち、コウモリの顔がアイリーンを見つめる。その目には底知れぬ悪意が宿っていた。

 次の瞬間――ノストールは古代語で呟いた。

 《狂乱せよ》

 その言葉は、冷たく響き、周囲の空間が歪むような錯覚さえ与えた。

 「アイリーン!」

 ミエラはその呪文を聞き取ると、即座に叫んだ。

 「逃げて!」

 だがミエラの叫びは虚しく、アイリーンの身体が突然硬直したかと思うと、次の瞬間、発狂したかのように暴れ始めた。

 「あぁぁあッ!!!」
 
 アイリーンは咆哮を上げ、自らの顔や身体を鋭い爪で引っ掻き始めた。その動きは、まるで自分自身を引き裂こうとしているかのようだった。

 硬い鱗で覆われた彼女の身体には、浅いながらも傷が刻まれ、血が滲み出していた。それでもアイリーンの暴走は止まらない。

 ノストールはミエラを一瞥し、悠然と地面に降り立つと、その三つの顔のうち女性の顔をミエラに向けた。そして、透き通るような声で、再び古代語を呟く。

 《誓いを。私に身体をよこせば、今のお前の願いを叶えてやる》

 その声はどこまでも美しく、甘美で、心の奥底に入り込んでくるようだった。しかし、その言葉の裏に潜む邪悪な意図を、ミエラは感じ取っていた。

 (私の身体が欲しい……だから手を出してこないのね。そして、私の周りを惨たらしく殺しているのは――私を追い詰めるため……!)

 
 ミエラの脳裏に、周囲の惨状が蘇る。船員たちは次々と魔物に食い荒らされ、今も悲鳴と苦痛に満ちた声が響いている。アイリーンは目の前で狂乱し、傷つき、苦しんでいる。

 ノストールは全てを見透かすような表情を浮かべていた。その冷たい目には、ミエラが屈服する瞬間を楽しむかのような悪意が宿っている。


 物量の差や船員たちの戦闘への不慣れを考えれば、ノストールや魔物たちが本気を出せば、この船は一瞬で沈められるだろう。だが、あえてそれをせずにいるのは――全てこの瞬間のため。

 そう気づいたミエラは、唇を強く噛みしめた。ノストールの狙いは船を沈めることではない。この地獄を演出し、彼女を追い詰め、絶望させ、屈服させ誓わせることなのだと。

 (……今、この結界を解いて魔法を向けたとしても……)


 ミエラの頭の中に冷酷な現実が浮かぶ。たとえ結界を解いたところで、自分にはアスケラの呪いに対抗する術がない。船を覆う結界が外れれば、この場所にいる全員が病に侵されるだろう。

 そして――ノストールを完全に死に至らしめる魔法も、今の自分にはない。

 (……何もできない……私は……!)

 ミエラは憎悪に燃える目でノストールを睨みつけながらも、無力感と焦燥感に押し潰されそうになっていた。唇を噛みしめる力は次第に強くなり、やがてそこから血が滲み出た。

 その血を、ノストールは見逃さなかった。

 ゆっくりとその8本の手のうちの一本を伸ばし、ミエラの唇から流れる血を指先で拭い取る。そして――その血を女性の顔で舐め取った。

 「……っ!」

 ミエラは全身に鳥肌が立つような不快感を覚え、怒りで顔を歪めた。しかし、ノストールはそれを楽しむかのように、女性の顔で至福の表情を浮かべている。

 その異様な光景にミエラは怒りを募らせたが、周囲の悲鳴が耳に飛び込み、再び現実に引き戻された。

 アイリーンは依然として血だらけの状態で倒れており、涎を垂らして動かない。発狂したまま限界を迎えたようだった。

 エイランは懸命に剣を振るって魔物と戦い続けていたが、その肩には深い傷を負い、そこから血が滴り落ちている。1匹の巨大なコウモリ型の魔物と、2匹の海の魔物に同時に襲われ、高価そうな鎧はすでにボロボロだった。

 船員たちの悲鳴や叫び声が止むことはなく、魔物たちは次々と獲物を食い散らしている。

 (……もう駄目なの……?)

 ミエラは諦めに近い表情で周囲を見渡した。その目に、次第に失望と絶望が宿り始めていた。

 だが――その視線の先で、ミエラはあるものを見つけた。

 「……!」

 結界の外に、一隻の船があった。それは、つい先ほど結界に向かって進んでいた船だ。

 (こんなところまで追ってきたの……?)

 船を憐れむように見つめながら、ミエラは呟いた。この地獄に足を踏み入れる前に、結界の病で船は崩壊するだろう――そう思っていた。

 ミエラはノストールの顔を睨みつけると、静かに、しかし確かな覚悟を込めて告げた。

 「お前に身体を渡すくらいなら、私はここで死ぬ……!お前に魔法を叩き込んで――!」

 ミエラは結界を解き放つことを決意した。このまま屈服して命を捧げるくらいなら、せめてノストールに一矢報い、悔いのない最期を迎える。その覚悟が、彼女を動かしていた。

 周囲の船員たちはミエラの決意を察したのか、あるいは地獄のような状況に追い詰められたのか、次第にその場の空気が緊張に満ちていった。


 しかし――ミエラが結界を解き放つと同時だったのか、それともそれより前だったのか、わからない。突然、一筋の剣閃が辺りを切り裂いた。

 閃光のような鋭い一撃が、ノストールの周囲の空気を震わせる。その瞬間、ミエラはまるで何者かに後押しされたかのように感じ、全力の魔法を放った。

 「……これで!」

 ミエラが放った魔法は、圧縮された空気の塊となり、ノストールの身体を直撃して吹き飛ばした。その巨大な姿が船から弾き出され、海の上に浮遊する。

 「まだ終わりじゃない……!」

 続けてミエラは、水を刃のように変えた魔法を放ち、ノストールを追撃した。だが――。


 ノストールは、アイリーンが矢を放ったときと同じように、その魔法を何か見えない力で四散させた。そして、三つの顔のうち正面の顔を虫の顔に変える。

 ノストールの顔が変わった瞬間、船内で新たな異変が起こった。

 倒れた船員たちの死体から、小さな虫が次々と湧き出し、近くの生存者たちに群がっていく。虫たちはそのまま生存者の身体を侵し、異常な速度で肥大化していった。

 「なんてことを……!」

 ミエラは怒りに震えながら、再びノストールに向けて魔法を放とうとした。しかし、手を止めた。

 船員たちを見たとき、地獄のような状況の中にも、確かな違和感があった。


(……病で倒れている人がいない?)

 ノストールのセイクリッドランドにいるはずの船員たちは、確かに魔物に襲われて命を落とした者もいるが、結界の病で苦しんでいる様子は見られなかった。

 その事実にミエラが気を取られた瞬間――。


 「駆逐しろ!魔物すべてだ!」


 凛とした声が、船の横から響き渡った。その声は混乱の中でもはっきりと聞こえ、ミエラの耳にまで届いた。

 横付けされた海賊船から、次々と海賊たちが現れ、船に乗り込んでくる。彼らは恐れることなく魔物たちと対峙し、手慣れた様子で次々と蹴散らしていった。

 海に潜む魔物にも慣れているのか、数人の海賊は小舟で海上に出て、魔物に攻撃を加えながら奇妙な道具を海に投げ入れた。それは爆発するように音を立て、周囲の魔物を一掃していく。

 だが、そんな混乱の中でもミエラの目を奪ったのは、屈強な男たちに混じって戦う一人の女性だった。

 その女性は二本のサーベルを巧みに操り、近くの海の魔物を切り裂いたかと思えば、回転して空中のコウモリ型の魔物に風の刃を送り込む。長い茶色の髪をなびかせながら戦うその姿は、ただただ目を奪われるほど美しく、力強かった。

 (あの人は……!)

 ミエラは戦い慣れたその女性に見惚れるように目を奪われていた。だが、一瞬の隙が生まれていた。

 気づけば、海上にいたはずのノストールがいつの間にか船の上空に浮かび、女性の顔を正面に向けて魔法を放とうとしていた。

 (しまった……!)

 ミエラは心の中で叫び、ノストールの魔法を読み取ろうとした。ノストールの名が示す通り、その魔法は空間や姿を歪める力、そして精神を侵す力を持つ。さらには、アスケラから生まれた存在として、病そのものの力を操る厄介な相手だ。

 ノストールが放った魔法は、空間を歪める力を伴い、船の周囲をねじり始めた。その影響は船だけでなく周囲の海にも及び、エイランリッシュ号全体が軋むような音を立てた。

 (まずい……この船は持たない!)
 
 クラーケンの襲撃で既に損傷がひどかった船体は、この魔法に耐えられる状態ではなかった。ミエラがそう確信した瞬間、船は音を立てて崩れ始めた。

 船員たちはパニックに陥り、我先にと海賊船に向かって逃げ出した。もし船から落ちれば、海の魔物に蹂躙される運命が待っている。誰もが必死で海賊船を目指す中、ミエラは一瞬足を止めた。

 (エイラン……!アイリーン……!)

 混乱の中で、エイランが倒れたアイリーンの肩を懸命に引っ張っている姿が目に入った。アイリーンは発狂の末に力尽きたのか、ぐったりとしたまま動かない。
 
「エイラン!」

 ミエラは叫びながら、魔法を発動させた。

 「これで……全員!」

 海に向けて手を伸ばし、大きな波を発生させる。その波はミエラと船に残っていた者たちを包み込み、海賊船に向けて押し流していった。

 ミエラの魔法によって、エイランとアイリーン、そして他の残された船員たちも波に乗せられ、なんとか海賊船へと向かう。だが、その背後で崩壊する船と、なおも襲い来る魔物たちの気配が迫っていた。


 波に流され、海賊船へと投げ込まれたミエラ。その姿を見たエイランは、息も絶え絶えのまま彼女に感謝の言葉を紡いだ。

「た、助かったよ……君の魔法は、なんというか、途方もない力だ。」

 エイランは礼を言うと、すぐに戦闘態勢を整えた。海賊船の甲板には、海賊たちとわずかに生き残った船員たちがいた。しかし、彼らの顔には深い絶望が刻まれている。

 ミエラの視線は、先ほどまで自分たちが乗っていたエイランリッシュ号へと向けられた。その船体は既に大部分が海に沈み、かろうじて甲板が海面に残っているのみだった。

 濁った海の中では、多くの魔物や船員の死体が散らばり、無残にも食い荒らされている様子がはっきりと見て取れた。


 その上空では、ノストールがなおも多くの魔物を従え、魔法を放とうとしていた。

 海賊船に狙いを定めたその姿は、先ほどミエラが乗っていた船を沈めたときの余裕を思い起こさせる。ノストールは、船を沈めただけではミエラの身体を奪えないと悟り、より直接的な手段に出ようとしているようだった。

 ミエラはノストールに撃たれる前に水の魔法を放った。しかしその魔法は、ノストールに届く直前で四散し、威力を失った。同じく海賊の女性が放った刃も、ノストールの力によって弾かれてしまう。

 もはやノストールの魔法を待つしかない、絶望的な状況が迫る中、一筋の剣閃が船から放たれた。それは、先ほど目にした黒く深い輝きを纏った剣閃と同じだった。

 ノストールは、ミエラや女性の攻撃を自らの力で防ぎきっていたが、その黒い剣閃だけは別だった。彼女は、その一撃を回避せざるを得ず、攻撃の手を止めた。


 ノストールの表情は冷たく無機質なままだった。しかし、その口から発せられた言葉は、これまでミエラに誓いを求めたり、魔法を放つ際に使ったものとは異なり、まるで人間に向けた問いかけのようだった。

 《何故、人が死の力を持つ?》

 その声は古代語ではなかった。ノストールが問いを向けた先、剣閃が放たれた場所から、青年の返答が聞こえた。

 「目的のためです。」

 力強く、はっきりとした声だった。声の主である青年の姿は痛々しいほどに傷ついていた。

 彼の薄手のシャツは所々破け、血が滲み出している。手には初めて見る形状の剣を握っていた。その手だけは傷ひとつないほど綺麗だったが、肩から手にかけては包帯が巻かれ、その包帯にも血が染み込んでいた。

 足もまた似たような状態で、何か鋭利なもので切られたかのような傷があった。それでも、彼の黒い髪と精悍な顔つきは毅然とノストールに向けられ、その視線に迷いはなかった。
 
 ノストールの表情に変化はないが、今までミエラに誓いを求めるか魔法を放つ以外発しなかった問いかけを船に向けた。
 
 肩から手にかけては包帯を巻き血が滲んでいた
 
 足も似たようなものだった。まるで何かに切られたような傷でボロボロの青年は黒い髪に精悍な顔つきを真っ直ぐとノストールに向け言い放った。

 ノストールは青年の言葉を受け、一瞬の間を置いた後、静かに応えた。

 《永劫の力……死から生まれた力は人が持つべきものではない。人に渡してよい力ではない。ソルメーラは愚かだ。》

 その言葉に、ミエラの心はざわめいた。ノストールが口にした「死の力」という言葉に聞き覚えがあったからだ。

 母が語っていた、唯一神を殺すことができる力。それを持つ者こそ、この場にいる青年なのだ。そして、その力はノストールをも消し去ることができる力だ。

 青年はノストールに向き直り、再び問いかけた。

 「私も貴方にお聞きしたいことがあります。もし貴方がその存在なら話は早いのですが……私はある神を探しています。できれば、お名前を教えていただけますか?」
 
 青年の問いに対し、ノストールは返答をしなかった。だが、攻撃の姿勢を見せる様子もなく、静かに空中を漂っていた。

 魔物たちもその主に倣い、攻撃の手を止めている。不気味なほど静まり返る空間の中で、先に口を開いたのはミエラだった。

 「あれはノストール。病の神から生まれた、歪みのノストールです。」

 意外な方向から飛び出したその答えに、青年は一瞬面食らった様子で、思わず声を漏らした。

 「えっ?あ……ありがとうございます。」

 場違いとも言えるその反応に、状況の緊張感は一瞬だけ和らいだ。しかし、青年は気を取り直し、再びノストールに向き直ると、改めて問いかけを始めた。

「それなら、歪みの神ノストール様。」

 青年は毅然とした口調で続けた。
「私は貴方を生んだ神、病の神アスケラ様を探しています。居場所をご存知でしょうか?」

 その問いに、ミエラは驚きを隠せなかった。アスケラの居場所――それはつまり、アスケラがこの世界に顕現していることを意味する。

 しかし、青年が、なぜその名を知っているのか。彼はミエラと同じく、この大陸の外から来たはずだ。疑問が頭の中を渦巻きながらも、ミエラは言葉を挟むことができなかった。

 ノストールは、その問いに冷然と応じた。
 
 《誓いを立てれば答えを得られる。誓いを。》

 その静かな声は、冷たい風のように耳に刺さった。それがミエラに向けられた言葉なのか、それとも青年に向けられたものなのか、彼女には分からなかった。ただ、ノストールの口調から漂う圧力に、ミエラの胸は締め付けられるようだった。

 だが、青年はその言葉を無視するかのように、さらに質問を続けた。

 「そうですか……では最後に、神の肉をご存知でしょうか?」
 青年はその問に返答することなく質問を続けていた。
 
 その言葉を聞いた瞬間、ミエラの心臓が跳ね上がった。「神の肉」という言葉。

 それは聞き慣れない言葉だったが、その響きには明らかに禍々しい意味が込められている。だが、それに対するノストールの返答は変わらないものだった。

 《誓いを。》

 ノストールは答える意思を見せず、ただ誓いを強要するだけだった。その言葉には以前よりも明確な圧力が込められており、青年もついに押し黙った。そして、何かを思案するように目を閉じると、しばらくしてから深い息をつき、静かに口を開いた。

 「ありがとうございます。ただ、私は既に別の誓いを立てていますので、貴方の要求には応じられません。申し訳ありません。そして……私は貴方と揉めるつもりはありません。このまま行かせていただけますか?」

 青年はそんなノストールの言葉を聞き何かを思案した後、諦めたように
 
 
 青年の言葉は毅然としていたが、その声にはどこか疲労の色が滲んでいた。しかし、ノストールはその言葉に反応を見せず、ただ静かに海賊船へと近づいてきた。

 その動きに、周囲の船員たちは次々と武器を構え、緊張に包まれる。しかし、ノストールは船の手前で動きを止めると、一本の手を伸ばし、指をミエラに向けた。

 《娘が誓いを立てれば用はない。》

 その静かな言葉には、明確な威圧感があった。まるで、船にいる他の人間たちの命をすべて握っているかのような冷たい宣告だった。

 その場にいる全員の視線がミエラに集まった。彼女が誓えば、自分たちは助かる――そう思わせるノストールの言葉に、船員たちはミエラに期待の眼差しを向ける。その視線は切実であり、懇願のようでもあった。
 
 ミエラはノストールを睨みつけながら、答えを迷っていた。だが、その躊躇を断ち切るかのように、彼女の背後から血だらけの声が響いた。

 「ミエラちゃん……駄目よ……こんな奴、ぶっ飛ばしてやるわ。」

 正気を取り戻したアイリーンが、ボロボロの身体を引きずりながらミエラに語りかける。その姿にミエラは驚き、思わず声を張り上げた。

 「アイリーン! まだ動くな! いくら君でも、その傷では……!」

 エイランも心配そうに声をかけたが、アイリーンは彼の言葉を遮るように、弱々しいながらも笑みを浮かべて言い返した。
 

「エイラン、ありがとね。でも……アタシをこんな目に遭わせた奴が目の前にいるのよ?寝てらんないわ。」

 アイリーンはエイランをどかし、ゆっくりと立ち上がった。足元はふらついているが、その目はまっすぐノストールを捉えていた。

 その背中には、不屈の意志と誇りが滲んでいた。アイリーンの言葉と存在がミエラを支え、彼女の胸の中で迷いが少しずつ消え去っていった。

 ミエラは、船員たちの期待の視線を裏切る形で、毅然とした声を上げた。

 「断るわ。」

 その言葉が甲板に響き渡る。ミエラの答えを聞いたノストールは、冷たくも滑らかな声で応じた。ただし、ミエラに向けられたものではなく、周りの船員たちに向けられたものだった。

 《船を沈め、魔物にお前達を食わせる。だが、娘が誓えば皆助けてやろう。安全に大陸まで行かせてやる。戻りたいものがいるなら、安全に帰させてやろう。》

 その甘い誘惑は、まるで毒のように船員たちの心に広がった。甲板のあちこちでざわめきが起こり、次第にそれは恐怖と苛立ちに変わっていく。そして、ついに一人が叫び声を上げると、それが引き金となり声は連鎖的に大きくなった。

 「元々お前がいたから狙われたんだろ!? 誓え!」

「頼むよ! 何の誓いかは分からないが、相手は神様なんだ……悪いようにはしないはずだろう!? 神様だぞ!」

 「俺には家族がいるんだ! 頼む、誓ってくれ!」

 船員たちの声は次第にヒステリックなものへと変わり、懇願から怒声へと形を変えた。彼らの視線はミエラに集中し、次々と彼女を囲むようにして迫ってくる。その目は正気を失ったように血走り、恐怖と絶望に支配されていた。

 エイランやアイリーン、そして女性海賊が声を上げて彼らを鎮めようとしたが、船員たちの焦燥感に押し流され、止めるには至らなかった。

 ミエラに向けられる懇願と怒号が渦巻く中、心は次第に追い詰められていった。

 だが、そんな中で一人だけ、その光景を冷めた目で見つめていた者がいた。青年だ。彼は狂気じみた船員たちを一瞥すると、静かにノストールに向けて問いかけた。

 「身体を奪うのですか?」

 その声は低く穏やかだったが、確実にノストールへと届いた。ノストールはその問いに対して、感情を見せることなく応えた。

 《1つになるのだ。》

 青年とノストールのやり取りを耳にした船員たちの中には、一瞬だけ沈黙する者もいた。

 その「1つになる」という言葉の意味が何かを感じ取ったのかもしれない。だが、それでも恐怖と絶望に支配された多くの船員たちは、その意味を考える余裕もなく、ただ自分たちの生存のためにミエラに誓いを強制し続けた。

 「頼む!誓え!」「お前が誓えば済む話だろう!」「俺たちの命がかかってるんだ!」

 悲痛な叫びと怒号が船上に響き渡り、ミエラを囲む船員たちの視線は狂気じみていた。彼女の心は追い詰められ、押し寄せる圧力が容赦なく彼女を飲み込もうとする。

 だが、その騒音の中で、不思議なほどに青年の声だけが彼女の耳に明確に届いていた。その声は低く静かで、どこか鋭い冷たさを帯びていた。

 
「神の為に、人の死も厭わないか……。」

 青年はそう呟きながら、周囲の混乱と恐怖を冷ややかな目で見つめた。そして、静かに手元の刀を構えると、ノストールへとまっすぐに視線を向けた。

 その動きは余計な力が入っていない、凛としたものだった。彼の姿には、船員たちが見せるような怯えや絶望は微塵も感じられなかった。


 「貴方が死ねば、話が早い。」

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 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

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