魔法使いと皇の剣

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3章 神の肉

仮面の男

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 ジンは静かにため息をついた。
(どうするか……)

 ミエラやガルシアが出て行った後、ジンはアジトに残り、状況を見つめ直していた。盗賊――ロスティンの動きがどうにも不可解だったのだ。

 ロスティンはレグラス王子を殺すと言った。だが、ジンから見れば、そんなことが現実的に可能とは思えなかった。ミエラがその王族を本当に連れてくるとも限らないし、仮に連れてきたとしても無事に見つかる保証などない。

(無茶だ……そんなことは、ロスティン自身も分かっているはずだ。それなのに、なぜ……)

 ジンは静かに思考を巡らせながら、ロスティンを見据えていた。その視線に気づいたロスティンは、肩をすくめて軽い笑みを浮かべる。

「まぁ、楽にしてな。俺たちも無事に事が済めばそれでいいんだ。ここで睨み合ってても仕方ないだろ?」

 ロスティンの気楽そうな態度に、ジンは何も言わずに視線を外す。だが、そのやり取りを黙って見ていられなかったのは、拘束されている竜族――アイリーンだった。

 アイリーンは青い鱗に覆われた顔を怒りに歪ませ、声を荒げた。

「だったら! アタシを離しなさいよ! 大体、王子様が狙いなら、まどろっこしいことしてないで自分たちでなんとかしなさいよ! 盗賊なんだから!」

 手足を頑丈に拘束され、首元には剣を突き立てられている。それでもアイリーンを黙らせることはなかった。

 ジンはその態度に呆れつつも、少しだけ安心していた。
(この状況で元気だな……)

 一方、盗賊たちは同じく呆れたような表情を浮かべていた。

「……まったく……」

 ロスティンは小さな声でため息をつきながら呟いた。

「だから、この状況だって俺たちの力で作ってるんだよ……」

 その言葉を聞き逃さなかったアイリーンが、すかさず反論する。

「アタシが言いたいのはね! 人様に協力させるなってことよ!」

 その怒声にロスティンは苦笑を浮かべ、ぽつりと呟いた。

「……“人”じゃないだろうが。」

「何ですって!?」

 怒りに燃えるアイリーンが再び言い返そうとした瞬間、盗賊のボスが苛立ちを隠さずに声を上げた。

「もういい! 黙れ。自分の状況が分からないなら、話せないようにするだけだぞ。」

 その冷たい言葉に、アイリーンはしばらく睨みつけていたが、舌打ちをして顔を背けた。

 ジンはそのやり取りを見ながら、胸の奥で強い不安を感じていた。
(ロスティンは何を企んでいるんだ?)

 目の前の状況は、明らかにただの盗賊団の行動とは思えなかった。

 ジンは静かに盗賊のボスを見据え、口を開いた。

「だが、アイリーンの言うことももっともだ。真の王は外部の人間……俺たちが協力していい相手なのか?」

 その言葉を聞いた瞬間、ロスティンと盗賊のボスは特に反応を示さなかったが、周囲にいた手下の盗賊たちの間にわずかな緊張が走った。それを見逃さなかったジンは、探りを入れた手応えを感じる。

 ボスは手下たちの反応に気づいたのか、嘲るように笑みを浮かべ、冷淡な声で言い放つ。

「忠告をされてすぐにやらかすのは、言葉で理解できない馬鹿だな。」

 そう言うと、ボスは手下の一人に目配せを送った。手下の盗賊は無言で頷き、ゆっくりとアイリーンの方に向かう。そして腰に下げた剣の柄に手をかけた。

「……ふざけるな……」

 アイリーンは青い鱗の顔を怒りに歪め、盗賊を睨みつけた。だが、身体を拘束されている彼女は、どうすることもできない。

 その時、ジンの冷静な声が静かに部屋に響いた。

「……後悔するぞ。」

 その言葉に宿る殺気が、部屋の空気を一瞬で凍らせた。剣を抜こうとしていた盗賊は、動きを止める。ジンの視線が鋭く盗賊を貫いた。

 盗賊は迷いの表情を浮かべ、どうするべきかボスに助けを求めるように振り返った。

 ジンはその様子を見て、さらに言葉を続けた。

「アイリーンに何かあれば、人質としての価値はなくなる。それが分からないなら、お前たちも馬鹿だ。俺は遠慮しない……彼女はお前たちの人質だ、俺のじゃない。」

 盗賊たちの間にさらに緊張が走る。

 ボスはジンを睨みつけ、嘲笑するように言い放った。

「試してみるか?」

 その挑発に、ジンはゆっくりと刀の柄に手をかけ、冷静に答えた。

「構わない。俺には俺の目的がある……アイリーンにはすまないが、盗賊は必ず切る。」

 その言葉を聞いたアイリーンは驚愕の表情を浮かべ、ジンに向かって叫んだ。

「薄情者! この裏切り者!」

 ジンはアイリーンの叫びを無視し、一歩ずつゆっくりと前へ進んだ。その動きに合わせて、盗賊たちも次々と武器を構える。部屋全体に張り詰めた緊張感が広がっていく。

 ――静寂が支配する中、やがてそれを破ったのは、ロスティンの穏やかな声だった。

「まぁまぁ、落ち着けよ。ジンもボスも……やり合うなら、今じゃなくてもいいだろう? お仲間の嬢ちゃんがどう戻るか、それを見てからでも遅くはない。」

 その軽い口調に、ジンは一瞬動きを止めた。

 ロスティンはまるで仲裁を楽しむかのように、周囲を見渡して続けた。

「さぁ、無駄に血を流す必要はないだろう? 今は様子を見る時だ。なぁ?」

 ボスは苛立ちを隠せない様子だったが、しばらくロスティンと目を合わせると、やがて不承不承ながらも武器を下ろすよう目配せをした。

 ジンもその様子を見て、ゆっくりと手を引いた。だが、視線だけはロスティンに向けられたままだった。


 ジンは静かに口を開いた。

「なら答えてもらおう。出来もしないと思う条件を出して、何がしたいんだ? ……いや、三日必要な理由を。」

 その言葉に場が一瞬静まり返る。盗賊の部下たちは特に反応を示さなかったが、盗賊のボス、ロスティン、そして栗色の髪をした青年だけが微かに表情を変えた。

 ロスティンは興味深げに笑い、肩をすくめて答える。

「なるほどな……まぁ意味なんか気にするな。ここでの会話に深い意味なんてない。ただ待てばいいんだよ。それにな」

 そう言うと、ロスティンは顎で何かを指し示した。ジンがその方向を見やると、気絶していた少女――盗賊の一員であるアイシャが身体を起こしていた。

「……うちの半端者が目を覚ましたみたいだ。面倒な対応を考えておけよ。」

 ロスティンが楽しげに言葉を続ける中、アイシャは周囲を見渡し、状況を理解したのか、ジンを鋭い目で睨みつけた。

 その目は怒りと憎しみに燃えていた。

「……敵討ち、か。」

 ジンはアイシャの視線を受けながら、内心で状況を見極めていた。アイシャは静かに短刀を構え、足を踏み出す。

 ジンは軽くため息をつき、冷静に告げた。

「敵わないのは分かってるはずだ。それでもやるなら……俺も刀を抜くしかない。」

 その言葉に、アイシャの動きが一瞬止まる。気絶していた間に冷静さを取り戻したのか、それともまだ意識が完全に覚醒していないのか、彼女は自身の命と復讐心を天秤にかけているようだった。

 盗賊たちはその様子を見ながら、囃し立てるように声を上げた。


「やっちまえ、アイシャ!」「おい、楽しい見せ物が始まるぞ!」

 彼女がどう動くか見物するかのように、誰も止めようとはしない。むしろ、退屈な時間の余興として楽しんでいる様子だった。

 ボスもロスティンもその声を止めようとせず、ただ静かに場を眺めていた。

 ジンは冷ややかな目でアイシャを見つめながら、ゆっくりと立ち位置を変えた。

(ここで引くつもりはないな……)

 一方、アイシャは短刀を握る手に力を込め、決断を迫られているようだった。部屋全体に緊張が走る中、静寂が重く漂っていた。


 アイシャが踏み込もうとした瞬間、低く静かな声が部屋中に響いた。

「……これはどういうことですか、エース殿?」

 その声に、ジンだけでなく囃し立てていた盗賊たちも一斉に沈黙した。全員が声の主を見たとき、そこには黒いローブをまとい、仮面で素顔を隠した男が立っていた。

 ジンはその姿を見て驚愕する。

(気配がまったくなかった……いつ、どうやってここに?)

 しかも男は部屋の入り口ではなく、いつの間にか盗賊のボス――エースのすぐ目の前に立っていた。男が静かにエースに視線を向ける。

 エースは顔をしかめることもなく、ただ淡々と返した。

「ちょっとした余興だ。依頼については、こちらもちゃんと動いている。」

 その言葉には、先ほどまでジンたちに向けていた威圧感はなく、どこか力の抜けた響きがあった。

 仮面の男は、エースの返答に軽く首を傾げながら静かに言葉を重ねる。

「……しかし、そうは見えませんがね。先日、七騎士バスバの殺害も失敗に終わり、レグラス王子の件でも手をこまねいているようですが?」

 その言葉にジンは息をのんだ。

(こいつ……こいつが“真の王”なのか? いや、それともその部下か……)

 一瞬で状況を悟ったジンは内心で歓喜しながら、男の言葉を注意深く聞き続けた。

 エースはしばらく沈黙していたが、やがて短く答えた。

「依頼は達成するさ。」

 その場に重い沈黙が流れる。だが、その静寂を破ったのは、アイリーンの怒声だった。


「あんたが“真の王”なの!? ふざけるんじゃないわよ! なんでアタシを狙うのか、ちゃんと説明しなさいよ!」

 アイリーンの怒りに、明らかにロスティンやエースは動揺を隠せなかった。慌てて盗賊の一人がアイリーンの口を塞ごうとしたが、アイリーンは鋭い牙を見せて威嚇する。盗賊は怯み、手を引いた。

 仮面の男はその様子を冷静に観察していたが、やがてゆっくりとアイリーンに向き直った。

「……これは失礼いたしました。運命の眷属の方でしたか。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。差し支えなければ、お名前をお聞かせいただけますか?」

 その言葉に、ジンは驚き、思わず目を見開いた。

(……アイリーンを知らない?)

 アイリーンは怒りで気づいていない様子だが、ジンにとってこれは予想外の展開だった。


「……はぁ!? アイリーンよ! アイリーン! 殺そうって相手の名前くらい、ちゃんと知っておきなさいよ!」

 男は一瞬だけ間を置き、静かに頷いた。

「なるほど……」

 そう言うと、男はエースに顔を向け、再びアイリーンに戻す。

「アイリーン殿、恐らく何か誤解があるようです。我々――いえ、私の主は、貴女の殺害を依頼した覚えはありません。運命の眷属を害するなど、愚かな行為に他なりませんので。」

 その言葉に、アイリーンは戸惑いを見せた。

「ち、違うの? でも……あんたは“真の王”なんでしょ? こいつらは真の王に依頼されたって……」

 盗賊のボスとロスティンの表情が曇り、場に不穏な空気が漂う。仮面の男は落ち着いた声で答えた。

「真の王……そう問われるならば、私はあくまで使いにすぎません。そして、我が主はアイリーン殿の殺害など依頼しておりません。」

 その言葉を受けて、アイリーンは一層困惑した様子を見せる。男はさらに言葉を続けた。

「私自身もこの状況には戸惑っています。ですので、こうしては如何でしょうか。……彼らに直接聞いてみるというのは。」


 その問いかけが、場の緊張をさらに高めた。盗賊たちはざわつくものの、誰も真実を明かそうとはしない。エースとロスティンの沈黙は、ただ場の空気をさらに重くしていった。


 仮面の男はアイリーンに向けて、あくまで丁寧な口調を崩さないまま言葉を続けた。

「私たちの主が貴方を害する意図を持っていないことは、誓って申し上げます。しかし、こうした誤解が生じている以上、私としても確認をせねばなりません。」

 男は静かに盗賊のボス――エースへと視線を向けた。

「エース殿。誤解を招かぬよう、ここで貴殿自身から説明していただければと思いますが。」

 エースは目を細め、ロスティンにちらりと視線を送る。ロスティンも無言のまま肩をすくめ、場を任せるような態度を取った。

 エースはしばらく黙っていたが、やがて低い声で口を開いた。


「……依頼は達成する。それ以上でもそれ以下でもない。」

 その言葉に、仮面の男は静かに首を傾げる。

「それでは、こちらが把握していない依頼が、裏で進められているということでしょうか?」

 ジンはそのやり取りを聞きながら、確信を深めていった。
(やはり……この仮面の男たちと盗賊団の間には食い違いがある。だが、どうしてこんな曖昧な状況に……)

 一方、アイリーンは不満げに口を開いた。

「ちょっと! アンタたち、話がややこしすぎるんだけど!? 一体誰がアタシを狙ってんのよ!? どういうつもりでここにいるのかハッキリさせなさい!」

 アイリーンの怒声に、仮面の男は一瞬だけ考えるように沈黙した後、再び冷静に言葉を紡いだ。

「アイリーン殿。私がここに来たのは、盗賊団が主から託された“特定の依頼”を遂行しているかどうかを確認するためです。しかし、貴女を狙うという話は主の知るところではありません。」

 アイリーンはその言葉に戸惑いを隠せない。

「じゃあ……アタシを狙うのは、こいつらの勝手な動きってこと……?」

 盗賊のボスとロスティンの顔には、微妙な表情の変化が現れた。ロスティンは軽く笑みを浮かべたまま、何も言わない。一方、エースは視線を逸らし、答えを濁すように沈黙する。

 仮面の男は沈黙を支配する室内で、冷たく静かな声を響かせた。

「答えていただけないようですね。しかし、猶予はありません。期限はあと三日……『誓い』を果たさなければならないことはお分かりでしょう?」

 その言葉に、エースは表情を変えることなく短く応えた。

「……わかっている。」

 ただそれだけの返答。しかし、その一言には重みがあった。室内に漂う緊張はさらに増していく。話が終わりそうな雰囲気を察したアイリーンが、たまらず声を上げた。

「ちょ、ちょっと待って! 結局、アタシを狙ってるのは誰なのよ!? 説明しなさいよ!」

 だが、仮面の男は冷静な態度を崩さず、アイリーンの問いを切り捨てるように言った。

「申し訳ありません。しかし、その件については彼ら――盗賊の方々が話す気はないようです。私としては、依頼さえ完了すれば問題ありませんので。……以降は皆様でお話しください。おおよその見当はついておりますが。」

 その言葉に、アイリーンは苛立ちを露わにする。しかし仮面の男は、どこか楽しげな微笑みを隠さず、静かに頭を下げた。まるで彼女の命運には何の興味もないと示すように。

「では、これで失礼いたします。」

 そう言うと、男はゆっくりと背を向け、立ち去ろうとする。

 一方、ジンは男とエースたちとのやり取りに引っかかりを覚えていた。三日という期限、そして“誓い”――一連の言葉が、何か大きな裏で動く計画の一部であることを示しているように感じられた。

(“誓い”……そして三日……何を果たそうとしている?)

 しかし、仮面の男がアイリーンを狙っているわけではないことが分かった以上、今は静観するべきだと判断した。だが、警戒は解かない。

 ふと気配に目を戻すと、ジンの前には短刀を構え直したアイシャが立っていた。

 彼女は先ほどの混乱の中で冷静さを取り戻したようだが、燃えるような瞳にはまだ怒りが宿っていた。

(……さて、こっちはまだ片付いていないか)

 アイシャは再び戦意を剥き出しにし、低く構えを取る。ジンは静かに刀の柄に手をかけたまま、ゆっくりと視線を合わせた。

 部屋の中には、再び張り詰めた緊張感が広がっていった。

 仮面の男は立ち去ろうとした足を止め、向き合うジンとアイシャに視線を向けた。
 その動作は滑らかで、一切の無駄がなかった。

「お邪魔をして申し訳ございません。それでは、引き続きお楽しみください。」

 穏やかな声が静かに部屋中に響き渡る。その瞬間、男の輪郭がゆらりと揺れ始めた。

(……何だ?)

 ジンは眉をひそめ、目を凝らした。だが、男の身体はまるで霧のようにぼやけていき、ゆっくりとその場から消えていった。
 影のように、音もなく、跡形もなく――。

「……消えた……だと?」

 ジンは目を見開き、信じられない光景にただ息を呑む。気配も完全に途絶えていた。まるで最初からそこに存在していなかったかのようだ。

(あれは……一体どうやった?)

 ジンは内心で動揺を抑えようとするが、異質な現象に驚きを隠せない。

 一方、アイシャは仮面の男が消えたことに不満を漏らすように舌打ちをした。

「何なのよ……消えやがった……。ふざけた真似ばっかりして!」

 部屋の中には再び静寂が訪れたが、盗賊たちはその場の異様さを理解していないのか、ざわざわと軽口を叩きながら笑い声をあげ始めた。

「おい、見たか? まるで魔法使いだな!」

「ったく、あの男がいなくなった途端、空気が楽になったぜ。」

 だが、ジンは彼らの笑い声を気にも留めず、視線をアイシャへ戻した。
 まだ短刀を構えたままの彼女と、自分に向けられたその怒りへと――。
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