三枝沼 三輪は怖い

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鏡 中編

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 俺は三枝沼に負けない行動力を示すため、翌日さっそく学校で上野を捕まえることにした。目標はもちろん田町先輩について詳しく聞き出すことだ。

 ただ、いつも他の女子たちと楽しそうに輪を作っている上野に話しかけるのは、正直言って気が引ける。だが、俺は事前にラインで田町先輩の話題に触れておき、少しだけ地ならしをしていた。これならいきなり話しかけても違和感はないはずだ。

 教室の端で上野が数人の女子と話しているところに近づき、意を決して声をかける。
「上野、昨日送った田町先輩のことなんだけどさ。」

 俺がそう切り出すと、上野は「ああ!」とすぐに反応し、周りの女子たちに「ちょっと待って」と手を振って俺の方に歩み寄ってきた。

「ごめん、全然詳しいこと話してなかったよね。田町先輩のこと、何が気になるの?」

 意外にもすんなり対応してくれる上野に、俺は少しだけ安心しながら、三枝沼からもらった疑問点を確認するために質問をぶつけていくことにした。

「いや、悪いな。実はあの後、休憩室で一緒になった田町先輩の同僚が心配してさ。職場じゃなくて学校で何かあったから来てないんじゃないかって話で、向こうから頼まれたんだよ。」

 俺は適当に女性店員に頼まれたことにして話を繋げると、上野は「あー、そういうことね」と頷き、少し考え込むような表情を浮かべた。

「でもさ、正直言うと、私も田町先輩の件を詳しく知ったのは最近なんだよね。それこそバスケ部の先輩に聞いた方が早いかも。」

「バスケ部の先輩?」

 俺が聞き返すと、上野は続けて説明してくれた。
「うん。田町先輩と中学時代一緒にバスケやってた先輩がいるんだ。同じクラスで二年の渋谷早苗先輩って人なんだけど、優しいし話しやすいと思うよ。」

「渋谷早苗先輩……」

 初めて聞く名前だが、上野が太鼓判を押すほどなら、きっと話しやすい人なのだろう。

「ありがとう、ちょっとその先輩にも聞いてみるわ。」

「うん、気をつけてね。」

 上野が笑顔で見送ってくれる中、俺は次の手がかりを得た手応えを感じていた。渋谷早苗先輩――彼女から田町先輩について何か情報を聞き出せればいいが

 上級生のクラスに行くというのは、どうしてこうも緊張するのか。
 
 周りを歩く2年生たちは、たった1年早く生まれただけなのに、皆どこか大人っぽく見える。そんな中、俺は渋谷先輩がいる2年3組の教室の前にたどり着いた。

 幸い、この学校はマンモス校ではないためクラスの数も少なく、場所を迷うことはなかった。それでも、教室の中に入るのはかなりの勇気が必要だった。

 意を決して教室を覗き込むと、中にいた話しやすそうな男子生徒を捕まえ、「渋谷先輩に話があって」と伝えてみた。すると、その男子生徒は気前よく笑いながら大きな声で呼びかけてくれた。
「渋谷ー! 1年が呼んでるぞー!」

 その声にすぐ反応して、教室の奥からショートカットの黒髪をした女性が歩いてきた。気が強そうな顔立ちに、鋭い目つき――思わず「これが話しやすい先輩か?」と疑いたくなったが、彼女がこちらに近づいてきて口を開くと、その印象は一変した。

「1年生? どうしたの?」

 その声は柔らかく、親しみを込めた口調だった。俺は思わずほっとして、心の中で上野に感謝した。どうやら、外見の印象と中身はまったく違うらしい。

「えっと、少しお聞きしたいことがありまして……田町薫先輩についてなんですけど。」

 そう切り出すと、渋谷先輩は少し驚いた表情を見せた後、真剣な顔つきになった。
「田町……薫? あの田町?」

「はい、そうです。最近学校に来てないって聞いて、田町先輩の職場の人に頼まれまして……。」

 俺がそう言うと、渋谷先輩は少し考え込むように視線を落とし、しばらくして口を開いた。
「うーん、確かに薫は最近見ないね。ちょっと気になることもあるけど……詳しく話すなら場所を変えようか。このまま教室で話すのもアレだし。」

「ありがとうございます!」

 廊下の隅まで来ると、渋谷先輩は俺に向き直り、少し低い声で話し始めた。

「薫のことだっけ? 正直、私も心配してるんだよね。ラインも連絡つかないし。」

 その一言に、俺は思わず不安を口にした。
「それって……大丈夫なんですか? 学校にもバイト先にも来てなくて、連絡もつかないなんて……。」

 渋谷先輩は腕を組み、少し眉を寄せながら続けた。
「うん。でも、薫の親から学校には連絡が来てるらしいの。家にはいるみたいなんだけど、全然家から出てこないって……。なんか大変みたいで。」

「大変……?」

 その言葉に、俺はさらに疑問を抱いた。渋谷先輩の様子を見ると、明らかに言葉を選んでいるようだった。初対面の俺にどこまで話すべきか悩んでいるのが伝わってくる。

 しばらく沈黙が続き、渋谷先輩はちらりと俺の顔を見てから、意を決したように口を開いた。
「広めたりしたらダメだからね……。薫、家の窓やガラスを全部叩き割って、暴れたらしいよ。」

 その衝撃的な言葉に、俺は息を飲んだ。
「……叩き割った……って、どういうことですか?」

「私も詳しいことは聞いてない。でも、親がそう言ってたらしいの。薫はあんまり人前で感情を表に出すタイプじゃなかったし、そういう話を聞いて、正直びっくりしてる。」

 渋谷先輩は困惑した表情を浮かべ、声を少し潜めながら話を続けた。
「今は親が見てるみたいだけど、家から出てこないし、何かあったのかなって思っちゃうよね……。薫はそんなことする子じゃないから。」

 俺は言葉を失いながらも、田町先輩の状況が想像以上に深刻であることを理解した。家に閉じこもり、窓やガラスを叩き割るほど暴れる――そんな異常な行動に出た背景には、何か普通じゃない事情があるのだろう。

(……もしかして、あの鏡とか……いや、まさかな。)

 俺の頭の中に、昨日の姿見の記憶がちらついた。あの時感じた得体の知れない違和感が、田町先輩の状況と結びついてしまうような気がしてならなかった。

「とにかく、薫に何があったのかは分からない。でも、もし何か分かったら、私にも教えてほしいな。」

 渋谷先輩のその言葉に、俺は静かに頷いた。
「……わかりました。もし何か分かったら伝えます。」

 頭の中に渦巻く疑問を抱えながら、俺は渋谷先輩に礼を言い、その場を後にした。田町先輩の背後にある「何か」を、確かめずにはいられなかった。

 自分の教室に戻る途中、スマホの通知に気づいて画面を確認すると、三枝沼からのラインが届いていた。

「何かわかった?」

(別にクラスも一緒なんだから、戻ってから直接話せばいいだろ……しかも、もうすぐ教室に着くんだぞ。)

 そう思い、ラインを無視していると、次々とメッセージが届く。
「まだ?」
「渋谷先輩と何を話したの?」
「もう教室に戻った?」

 その連続通知に、俺はうんざりしてため息をついた。
(これ、さすがにラインの使い方について一度話した方がいいな……。)
「今日、学校終わりに面接になったわ」

 そう心に決めつつ、教室の扉を開けると、予想外の光景が目に入った。あれだけしつこくラインを送ってきた三枝沼は、俺が戻ってきたことに見向きもしない。まるでラインを送っていたのは別人だったかのように、いつもの無表情で席に座っている。

(三枝沼の情緒って、本当にわからないな……。)

 呆れながらも、席に着く前に話しておこうと三枝沼の元に歩み寄ると、彼女が口を開いた。

「今日、学校終わりに面接になったわ。」

「え……面接って、まさかコスモ?」

 俺が確認すると、三枝沼はあっさりと頷いた。
「そうよ。昼休みに電話したら、今日中に来てほしいって言われた。」

 その淡々とした報告に、俺は思わず頭を抱えそうになった。

「お前、本気で行くのかよ……。さっき渋谷先輩から田町先輩の話を聞いて、状況がやばいってわかったんだぞ? 無理する必要ないだろ。」

 しかし、三枝沼は俺の言葉を軽く受け流すように答えた。
「無理なんてしてないわ。それに、逆にコスモで働くことで田町先輩に近づく方法が見つかるかもしれないでしょ?」

 その冷静すぎる言葉に、俺は返す言葉を失った。三枝沼の行動力は俺の予想を超えていて、何を言っても止められないことがわかってしまう。

「……わかったよ。でも、変なことがあったらすぐに連絡しろよ。」

 俺がそう言うと、三枝沼は小さく頷いた。
「もちろん。その時は貴方が助けに来てくれるんでしょう?」

 さらりと言われたその言葉に、俺はふと疑問を感じた。

(……三枝沼って、こんなこと言うやつだったか?)

 俺の中での三枝沼のイメージは、他人に興味を持たず、ましてや他人に助けを求めるような奴ではなかったはずだ。けれど、団地での出来事をきっかけに多少変わったのかもしれない、と気にせずに田町先輩の話を簡単に伝えることにした。

「渋谷先輩から聞いたんだけど、田町先輩、家にはいるらしいけど全然出てこなくて、しかも窓やガラスを叩き割って暴れたらしいんだよ。」

 俺がそう話すと、三枝沼は少し目を細めて考え込むような仕草を見せた。

「……それが本当なら、普通じゃないわね。」

「そうだろ。なんか事情があるんだと思うけど、詳しいことまでは渋谷先輩も知らないみたいだった。」

 俺の言葉に、三枝沼はさらに深く考え込むように視線を落とし、しばらく黙っていた。そして、ぽつりと口を開いた。

「霊的なものが関わっている可能性もあるわね。」

「霊的なものって……やっぱりそういう方向かよ。」

 三枝沼の言葉は予想していたものの、改めて聞かされるとどこか現実味が増して、背筋が寒くなる。

「コスモで働けば、田町先輩が何に関わっていたのか、少しは見えてくるかもしれないわ。」

 三枝沼は、もう完全にその方向で動くつもりらしい。その冷静な態度に呆れつつも、妙に頼もしくも感じる自分がいた。

「……まあ、お前がそこまで言うなら止めないけどさ。とにかく、変なことがあったら俺にすぐ連絡しろよ。」

 俺が念を押すと、三枝沼は小さく頷いた。

「ええ、わかってるわ。期待してるから。」

 期待してる、という一言にどこか引っかかりを感じたが、これ以上深く考えるのはやめることにした。三枝沼は三枝沼なりに行動している。それが彼女のやり方だと、俺は納得するしかなかった。

 放課後になり、三枝沼は予定通り面接のためにコスモへと向かった。俺もタイミング悪くバイトのシフトを入れていなかったため、「じゃあ、着いていこうか?」と申し出たのだが、三枝沼はきっぱりと一言で断ってきた。

「いい。必要ない。」

 その冷たい拒絶に、俺は思わず「こいつ本当にあの鬼ラインを送ってきたやつか?」と疑いたくなったが、三枝沼の気分のムラを考えれば、まあいつものことかと流すことにした。

「……じゃあ、喫茶シャールで待ってるよ。前回のお礼も伝えたいし。」

 俺がそう提案すると、三枝沼は少しだけ考え込むように目を細め、渋々といった様子で頷いた。

「……わかった。でも、あまり気を使わないで。」

「はいはい。」

 なんとか承諾を得た俺は、彼女と別れて喫茶店シャールへと向かうことにした。三枝沼の祖父母への挨拶を済ませつつ、面接の結果がどうなるのかを待つことにしたのだが、何となく胸の中に引っかかるものを感じていた。

(あいつ、大丈夫だよな……。)

 心配はしつつも、三枝沼が自分から何かを決めて動いている以上、俺がこれ以上口を出すのも無粋だろう。俺は頭を振ってその考えを追い払い、喫茶シャールへと向かう足を速めた。

 喫茶店シャールに着くと、真っ先に三枝沼の祖母が笑顔で俺を出迎えてくれた。店内を見渡すと、チラホラとお客さんの姿が見える。前回来た時よりも賑やかな雰囲気に少し安心した俺は、カウンターに一人で腰をかけることにした。

 座るなり、俺は三枝沼の祖母に前回のオムライスのお礼を改めて伝えた。
「前回は本当にありがとうございました。すごく美味しくて、何というか……ホッとしました。」

 その言葉に、三枝沼の祖母は穏やかな笑顔を浮かべて答えてくれた。
「そう? それならよかったわ。若い子にはたくさん食べてほしいのよ。」

 その優しい言葉に、俺の心はまた少し軽くなった。今日はただ待つだけでなく、ちゃんとお客さんとして過ごそうと決め、俺はメニューに目を走らせた。

「えっと、じゃあ今日はトーストとコーラをお願いします。」

「トーストとコーラね。すぐに用意するわ。」

 三枝沼の祖母は手際よく注文を受けてくれ、厨房へと消えていった。その間、俺は店内の落ち着いた雰囲気に身を委ねながら、三枝沼の面接のことをぼんやりと考えた。

(ちゃんと上手くやれてるといいけどな……。)

 目の前のカウンター越しに、ほんのりと漂うコーヒーの香りが心地よかった。三枝沼の祖母の優しい対応と店内の雰囲気が、何かと落ち着かない最近の俺を少しだけ癒してくれている気がした。

 喫茶店の落ち着いたBGMを聴きながら待っていると、頼んだメニューを運んできてくれたのは三枝沼の祖父だった。そういえば、祖父にはまだきちんと挨拶とお礼をしていなかったことを思い出し、俺は席から軽く頭を下げて言った。

「前回はありがとうございました。とても居心地がよくて……三枝沼さんにも助けられてばかりで。」

 すると、祖父はトーストとコーラをカウンターに置きながら、じっと俺の顔を見つめてきた。そして、低い声でぽつりと問いかけてきた。

「お前さんは大丈夫なのか?」

 その言葉に、俺は一瞬返事を詰まらせた。「大丈夫」とは何のことなのか――普通なら体調や生活のことを指すのだろうが、この場合、もっと深い意味が込められている気がした。

「え……どういう意味ですか?」

 俺が聞き返すと、祖父は静かに目を細めた。その表情は優しさと同時に、どこか鋭さを感じさせた。

「霊が見えるんだろう……?」

 祖母の優しい対応から、祖父母が俺の「見える」事情を知っていることは何となく感じていたが、こうして年配の人からズバリと言われると、妙に落ち着かない気分になった。

「ええ、まあ……昔から見えてたんですけど、ここ最近になって特に見えるようになって。それで三輪さんに助けてもらってたんです。」

 俺がそう答えると、祖父は黙ってカウンターに戻り、タバコを取り出して火をつけた。その動きに、思わず「おいおい」とツッコミたくなったが、ここは彼の店だし、こういう雰囲気なのだと無理やり納得させた。

 煙をくゆらせながら、祖父はぽつりと聞いてきた。
「きっかけはあったのか?」

「きっかけ……?」

 その言葉に思わず考え込んだ。確かに、小さい頃から霊は見えていたが、一時期見えなくなっていた時期もある。それがまた最近になってはっきりと見えるようになった理由――自分でもよく分かっていなかった。

「正直、覚えてなくて……。」

 俺が答えると、祖父はゆっくりとタバコの煙を吐き出し、低い声で言った。
「あの子は、妹が亡くなってからだ。」

 その言葉に、俺は思わず息を飲んだ。
「……妹?」

 祖父は俺の驚きを無視するように、淡々と話を続けた。
「三輪がまだ幼かった頃、妹がいたんだ。けど、事故で亡くなってな。それ以来、あの子は霊が見えるようになった。いや、正確には“見えてしまうようになった”と言った方がいいかもしれん。」

 俺は言葉を失い、祖父の話に耳を傾けるしかなかった。

「妹の死をきっかけに、あの子は変わった。霊が見えるようになり、時々、普通の子供とは違う雰囲気を纏うようになった。」

「……そうだったんですか。」

 三枝沼がそんな過去を持っていたなんて、全く想像していなかった。冷静で、感情を表に出さない彼女の性格には、そんな背景があったのか――と妙に納得してしまう部分があった。

「親は知っているのか……?」

 祖父のその一言に、俺は少し戸惑いながら答えた。
「いや、俺の親は知らないです。特に家で見えることもないし、最近になって見え始めたんで、中々話す機会がなくて……。」

 俺の言葉を聞いた祖父は、短く「そうか」と呟き、しばらく煙をくゆらせていた。そして、重い口調で話し始めた。

「人は皆、自分が見えない者を信じないものだ。三輪の両親――つまり、私の息子もそうだった。」

 その言葉に、俺は少し身を乗り出して耳を傾けた。

「三輪の妹が亡くなった後、時折霊と会話するようになった三輪を、息子も嫁も気味悪がったよ。『精神がおかしくなった』と言って、病院に連れて行ったくらいだ。」

 俺は言葉を失った。三枝沼の両親がそんな反応をしていたなんて……。

「だがな、それで終わりじゃなかった。三輪を病院に連れて行った後から、今度は自分たちに“おかしなこと”が起こるようになったらしい。」

「おかしなこと……?」

「そうだ。家の中で物音がしたり、見えないはずの人影を感じたり……それで、あろうことか『三輪が何かをした』と言い出した。」

 その言葉に、俺は胸が苦しくなった。親に信じてもらえないどころか、何かの原因扱いされるなんて――それがどれほど辛いことか想像もつかない。

「もちろん三輪は何もしていない。ただ、霊が見えることで彼女が“通じてしまった”んだろうな。三輪自身はそれを受け入れた。だが、親たちは受け入れられなかった。」

 祖父は静かにタバコを灰皿に押しつけ、ゆっくりと俺に向き直った。
 
「お前さんも、もし親に話すことがあったら、覚悟しておけ。見えるという事実を受け入れるのは簡単なことじゃない。信じてもらえないこともあれば、逆に不安の原因にされることもある。」

 その重い忠告に、俺は何も言えなかった。親に話すべきなのか、それともこのまま黙っているべきなのか――答えはすぐには見つからない。

「あの子が友達を連れてくるのは初めてだよ。」

 祖父の言葉は静かだったが、その裏に深い思いが込められているのが伝わってきた。

「三輪の周りからはおかしな子だと人が離れていき、大きくなるにつれて、自分が周りに受け入れられないと悟ったのか、自ら壁を作り始めた。それなりに苦労もあるだろうけど……あの子と仲良くしてやってくれ。」

 俺はその言葉に「勿論です」とすぐに返した。三枝沼の過去を聞いて、同情から出た言葉でもあった。だけどそれだけじゃない――どこかで三枝沼との非日常的な関係を特別なものとして楽しんでいる自分がいるのも事実だった。

 確かに怖い。霊に関わるのは怖いし、危険なこともある。でも、それ以上に何の特徴もない自分が、少しだけ「特別なもの」に触れられているような気がして、それが俺を突き動かしていたのかもしれない。

「そうなると、三輪さんはここで暮らしてるんですか?」

 俺の問いかけに、祖父は軽く首を振りながら答えた。
「いいや、一人だよ。あの子の両親が借りたマンションで暮らしている。一緒に住まないかって話したんだけど、三輪が断ったんだ。」

「断ったんですか?」

「そうだ。あの子の性格だ、自分のことは自分でするって決めてるんだろうな。」

 なるほど、と俺は納得した。三枝沼がバイトを探していると言っていたのは、そういう事情もあるのかもしれない。彼女の性格を考えれば、自立したいという思いが強いのだろう。

(でもマンションか……俺が暮らしてる6畳のアパートよりは全然良さそうだな。)

 俺の住むアパートは、伯母さんが借りてくれたものだ。贅沢を言うつもりはないが、それでもふと比べてしまう自分がいた。

「まあ、三輪には三輪の考えがあるんだろうよ。」

 祖父のその言葉で、俺は再び現実に引き戻された。彼女の過去と現在を知った俺は、今までより少しだけ、彼女に対する見方が変わった気がした。これから、もっと彼女を理解していく必要があるのかもしれない。

 三枝沼を待ちながら、祖父から彼女の過去を聞いていた俺だったが、時間が経つにつれて、あれだけしつこくラインを送ってきた三枝沼から連絡が一切ないことに不安を感じ始めていた。

(面接にしては、流石に時間がかかりすぎじゃないか……?)

 嫌な予感が胸をよぎり、試しに三枝沼にラインを送ってみる。だが、既読がつく気配もなければ、返信も来ない。

(……もしかして、何か起きたんじゃ……?)

 不安が一気に募り、じっとしていることができなくなった俺は、急いで会計を済ませると、喫茶シャールを後にしてコスモに向かうことにした。

 頭の中では「三枝沼ならきっと大丈夫だ」と自分に言い聞かせる一方で、万が一の可能性を否定できず、どんどん焦りが膨らんでいく。

(……頼む、無事でいてくれよ。)

 アルトに着いた俺は真っ先にコスモに向かい、店内に入った瞬間、目の前の光景に衝撃を受け、身体が動かなくなった。

(……あれは、誰だ……?)

「いらっしゃませ!」

 明るい声とともに、笑顔を振りまいて接客しているのは――間違いなく三枝沼だった。

 学校の制服のまま面接に向かったはずの三枝沼は、今やコスモのコンセプトであるひらひらとした可愛らしい服を着て、華やかに立ち回っている。その姿は、普段の無表情で冷静沈着な三枝沼からは想像もつかないものだった。

 しかも、ただ服を着ているだけではない。驚くべきことに、三枝沼は営業スマイルを完璧にこなし、客に丁寧な対応をしていた。

(おいおい、三枝沼がこんなことできるなんて……!)

 いつも感情をほとんど表に出さない三枝沼を知る俺にとって、その光景は信じられないものだった。そして、その笑顔が予想以上に自然で、思わず俺は心の中で呟いていた。

(……可愛いじゃないか。)

 自分でも驚くほど自然に、そう思ってしまった。普段とのギャップも相まって、彼女の姿は一種の破壊力すら持っていた。

 三枝沼は、こちらに気づく様子もなく、次のお客さんに「いらっしゃいませ!」と明るく声をかけている。その姿を見ていると、俺はこのまま声をかけるべきか迷ってしまった。

(いやいや、何で俺がこんなに動揺してるんだよ……!)

 何とか気を取り直し、三枝沼に声をかけようと一歩踏み出したが、その笑顔の破壊力が頭の片隅にこびりついて、足取りは妙にぎこちなかった。

「あっ……と、三枝沼? その、受かったんだな……。」

 俺が三枝沼に声をかけると、彼女は営業スマイルを崩さずに振り返った。
「いらっしゃいませ……あっ、二瓶くん。心配して来てくれたの? 連絡できずにごめんなさいね。今は接客中だから、また後でね。」

 その柔らかな笑顔と丁寧すぎる口調に、俺は一瞬「ああ、可愛いな」と思ってしまったが、それ以上に強い違和感を感じていた。

(いやいや、仕事でキャラが変わる人間がいるのはわかるけど……俺に話す時まで“仕事モード”なのか?)

 普段の三枝沼を知っている俺としては、どうしても納得がいかない。確かに接客中だからという理由はあるが、今の彼女はまるで別人のようだった。

 その違和感の正体を探るため、俺は店内を見回し、近くにいた例の女性店員を捕まえることにした。
「あの、すみません。ちょっとお伺いしたいことが……。」

 女性店員は俺を見て、一瞬顔をしかめると、営業スマイルもなく、面倒くさそうな声で言った。
「……また来たの? 君さ、実は私のストーカーだったりする? 正直、気持ち悪いんだけど……。」

 その予想外の返しに、俺は一瞬言葉を失った。
「いや、違います! そうじゃなくて、三枝沼のことをちょっと聞きたくて……。」

 俺が慌てて弁解すると、女性店員はさらに眉をひそめながら、俺をじっと見た。
「三枝沼さん? ああ、今日面接に来て、そのまま研修入ってる子ね。で、それが何?」

 その無愛想な態度に少し圧倒されつつも、俺はなんとか言葉を紡いだ。

「実は、三枝沼って俺のクラスメイトなんです……えっと、何ていうか、こんな感じの子じゃなくて……その変わりようにびっくりしてるっていうか……。」

 上手く言葉にできず口ごもる俺を、女性店員はじっと怪しむように見た。しばらくしてから、ちらりと三枝沼の方に目を向けると、少し考え込むように首をかしげた。

「……まあ、確かに面接の時はエリアマネージャーが担当してたから私も詳しく知らないけどさ、挨拶された時はあんなに明るくはなかったかもね。」

 そして、女性店員は苦笑しながら続けた。
「ていうか正直、落ちると思ってたからびっくりしたよ。まあ、仕事で変わるタイプなんじゃないの?」

 俺が返答に困っていると、彼女は急に目つきを鋭くして、俺に向き直った。

「ってかさ、あんた……彼女のバイト先見るためにわざわざここまで着いてきたわけ? 付き合ってるとかならまだしも、そうじゃないなら普通にストーカーだよ。それか保護者?」

 その辛辣な指摘に、俺は慌てて否定する。
「ち、違います! そんなつもりじゃなくて……ただ心配で……!」

「ふーん、心配ねえ……。」

 女性店員は呆れたように肩をすくめると、少し厳しい口調で言葉を続けた。
「マジでやめなよ。付き合ってもないなら、余計なお世話にしか見えないから。本人も嫌がってるかもしれないしね。」

 その言葉に、俺は言い返せず、俯いたまま立ち尽くした。確かに、俺の行動は周りから見ればおかしいのかもしれない。けれど、どうしても違和感が拭えない自分がいた。

(……これ以上話しても仕方ないか。)

 女性店員に軽く頭を下げて、その場を離れた俺は、再び三枝沼の接客姿を遠巻きに眺めた。営業スマイルを浮かべながら、ひらひらとした服を着こなしている三枝沼――それがどうしても「普段の彼女」だとは思えなかった。

(本当に仕事で変わっただけなのか……?)

 俺の胸の中には、拭いきれない疑念が残り続けていた。

 しばらく三枝沼の様子を見ていた俺だが、結局何かできるわけでもなく、帰って連絡を待とうと決心した。その時、ふと目に入ったのは店内のあの姿見の鏡だった。

(どうせ変な奴に見られてるんだ。これ以上評判なんて下がらないだろ……。)

 自分を無理やり納得させ、鏡の前に立つと、映る自分を見ながらいろんなポーズを決めてみる。変な表情をしたり、髪を直す仕草をしたりしていると――

「……警備員呼ぶよ、ガキ。」

 背後から冷たい声が聞こえた。振り向くと、例の女性店員が呆れと恐怖を入り混じらせた表情で俺を睨んでいた。他の客や三枝沼には聞こえないよう、声を低くしてそう呟いている。

 その一言に、俺は一気に現実に引き戻され、落ち込みながらその場を離れることにした。
(……さすがにもう帰ろう。)

 そう思って鏡に背を向けた瞬間――不意に目の端に違和感を感じた。思わず立ち止まり、再び鏡を見た。

 そこに映っている俺の顔は――なぜか笑顔だった。

(……え?)

 しかし、俺自身は笑っていない。ただ、硬直して鏡を見つめているだけだ。

(……なんだこれ……俺、笑ってる……?)

 心臓が早鐘を打つように高鳴る。周りを見渡すが、誰も気づいていない。再び鏡に目を戻すと――そこには「今の俺」が何事もなかったかのように映っていた。

(見間違え……か? いや、絶対おかしい。)

 俺は冷や汗を拭いながらも、周囲の目が気になり始めた。女性店員の「警備員呼ぶよ」という言葉も頭をよぎり、これ以上ここにいるのはまずいと判断して店を出ることにした。

 だが、帰る途中もあの鏡のことが頭から離れない。妙に生々しい「笑顔」の自分が、何度も記憶の中で再生される。

(あの鏡、何なんだ……三枝沼も何か気づいてるんじゃないか?)

 家に帰り、三枝沼からの返信を待ったが、結局ラインは一晩中既読すらつかなかった。その事実がさらに不安を掻き立てた。
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