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1.白い虎と少女と少年 (1)
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鬱が酷い 。
司馬巽は、仕事の帰り道に月を見上げながらそう思った。酷い鬱といっても、本当に鬱病という訳ではない。どちらかというと鬱っぽいというだけなのだが、いつもより今日は酷い。仕事のストレスがきついと言うのもあるが、多分季節的なものだろう。紫陽花が咲き始めるこの時期になると、あの頃を思い出すのだ。身体が反射的に緊張感を孕む。死ととなりあわせで過ごしたあの14日間。
巽は、幼少期に神隠しにあっている。幼少期。正確に言うなら、12才の6月11日から25日の14日間だ。当時、変質者による子供の誘拐殺人事件が世間を賑わしていたこともあり、巽の失踪事件も地元では大変な騒ぎになった。全国紙に報道もされたらしいが、巽はその手の事件に関する情報を可能な限り避けていたからそれほど詳しくは知らない。だが、多くの周囲の人間は腫れ物に触るように巽と接したし、一部のデリカシーのない輩は露骨にその件について巽に積極的に質問してきたから、否が応でも神隠しの件は巽の特異性を際立たせたし、巽自身にも余計な枷として積み上げられていった。巽は誘拐された子供として直接的にも間接的にも接しられて来た。
とは言え、報道を始め、警察関係も、周囲の人間も、家族も実際に何があって、どうなったのかを把握できてる人間は誰一人いなかった。当たり前である。巽は、実際に起こったことを誰一人伝えていなかったからだ。海の底の貝のように口をピタリと閉じ、どんな相手にも、一言もその件に関して漏らすことはなかった。思い出したくもない記憶であったのはもちろん、それ以上にその14日間が、その凄惨にして陰鬱な2週間に起こったことが、あまりに、圧倒的に、非現実的だったからだ…。
仕事が終わり、深夜の誰もいない公園で、巽はベンチに座り、空を見上げていた。時々こうやって空を見上げる。昔からの習慣だ。6月というのに、梅雨らしく雨が続くことはなく、どちらかと言うと晴れが多い一週間だった。11日が近づくと鬱が酷くなる。巽は、誰もいないことを良いことにスーツのうちポケットからタバコを取り出した。医療関係の会社に勤めてるので、社内で喫煙者は蛇蠍のように嫌われるから、仕事中に吸うことはない。そのため帰りに、コンビニやパチンコ屋の喫煙所で一服してから帰るのが日課だったのだが、件のパチンコ屋が潰れてしまい、昨今の嫌煙ブームもあって、コンビニからは灰皿が撤去されていた。以前引っ越しした時に、多額の修繕費を請求されたことから自宅で煙草を吸うのをやめた為、煙草を吸う場所がなくなった。良い機会だからやめてしまおうと思ったのだが、どうしてもやめられない。本数こそかなり減ったが、時々猛烈に我慢できなくなる。例えば今夜だ。巽は朝から理不尽なクレームを2件、部下のミスの処理を2件、上司からの高圧的で長時間にわたる罵倒を受けてきた。普段なら何となく流せるのだが、時期が悪かった。普段なら公園で吸うことはないのだが、どうにも我慢が効かなかった。火をつけて煙を肺に吸い込んだ。
その時だった。巽は急に強い違和感を覚えた。周囲がゆらりと歪んだような気がしたのだ。眼を一旦つぶって、瞼の上から、指でマッサージしてから、もう一度周囲を見回す。普段と変わらない。疲れてるのか。それとも煙草が神経に作用したのか。巽は首を大きくぐるりと回してから、二吸い目を燻らせた。
次の違和感は明確だった。激しい頭痛と共に、耳をつんざくような咆哮が響き渡ったのだ。思わぬことに、咥えていた煙草が滑り落ちた。立っていられなくなった巽はその場にかがみ込み、目を閉じ、耳を両手でふさいだ。数分そのままでいた後に、ゆっくりと目を開いた。
(何だ…)
巽は目の前に広がった光景におののいた。そこには全長3mくらいの大型の爬虫類のような生物がいた。背中に突起するごつごつとした背鰭、鞭のようにしなる尾っぽ、頭部に突き出た二本の角、公園の照明に照らされぬめりと黒光りした肌、目だけが光っていた。生物はもう一度大きく咆哮をあげた。
(化け物か…)
巽は突然目の前に現れた異形の怪物に対して、恐怖を感じなかった。巽が恐れたのは、怪物という極めて非現実的な存在が現実に現れたことではなかった。彼が恐れたのは、そう20年前の14日間が再現される可能性に直面したことだった。
20年前の6月。巽は、一人で近所の山に自転車で遊びにいっていた。前日までの大雨が嘘のように晴れた日で、雲一つない空から陽光が降り注いでいた。自転車で通り抜けていく一つ一つが光を反射しキラキラと輝いていた。12才の少年にはまだまだ世界は美しく、可能性に満ち溢れていた。巽は友達はあまりいなかったので、ほとんど出掛けることはなかったが、時々一人遠出することがあった。それは巽が住んでいた長吉町から少し離れた小さな山に向かう時だった。梅島と呼ばれるその山には巽のお気に入りのスポットがあり、そこのことは親にも内緒だった。舗装されたアスファルトの道路から脇にそれ、自転車を置くスペースに停めると、獣道の様な道なき道を進んでいく。しばらく行くと、薄暗い洞窟のような天然のトンネルが姿を表す。中に入るとひんやりとした空気が流れていて、時折天井から雫が垂れてくる。最初に入ったときは天井から垂れ落ちる冷たい雫が背中に入って大騒ぎした。奥へ行くと徐々に下っていくことになるせいか光が殆ど入ってこなくなる。何度も来ていた巽は、あらかじめペンライトを準備していた。最底部まで行くと今度は出口の光が差し込んでくる。出口は入口とちがってやけに狭いから、屈まないと進めない。何とか形を狭めて、通り抜けると、円形の広場にでる。人工的に装飾されたその広場の中心には枯れた井戸がある。井戸は重厚な蓋がしてあり、簡単には蓋を動かすことは出来ない。巽は側に落ちていた金属製の棒切れを使ってうまく開けることができた。蓋を少し動かし、隙間から下を覗き込む。漆黒の闇が広がっていてどのくらいの深さがあるか見当もつかない。何度か小石を落としてみたことがあるが、巽は底に石が落ちた音を聞いたことはなかった。果てる底のない井戸はきっと異世界へ繋がってるのだと、巽は信じていた。
その日、巽はあらかじめ井戸に落とすものを持ってきていた。リュックサックから巽が取り出したのは、白い布に厳重に巻かれた20センチ程度のずっしりした物だった。
布に巻かれていたのは、猫のミィの亡骸だった。ミィは、巽が小さな頃から一緒に過ごし、友達の少ない彼にとって唯一心を開ける相手だった。雪のように白く、頭頂にだけ十字の黒い毛が生えていた。人懐っこい猫で、巽が近寄らなくても自らくっついてきた。巽が友達に仲間外れにされ落ち込んだ日、病弱で入院を繰り返している父親が一時帰宅し楽しかった日、母親を中傷され腸が煮えくり返った日、いつもミィは少年の側にいた。しかし、年老いてきて、腎臓を悪くしたミィは日に日に衰えていった。巽はまだ死というものには直面していなかったが忍び寄るその気配はひしひしと感じていた。とは言え、それが実際にどのようなものなのか、彼にはまだ理解できてるとは言えなかった。
それは突然やって来た。死は、完全で無欠だった。そこには猶予はなく、交渉の余地もなく、当然予告もなかった。ただ、気がついたらやって来ていて、終わっていた。目が覚めると、ミィは廊下で固くなっていた。冷たく石のように。
巽は母親に自分で埋葬することを訴えた。 母親はちょっとだけ躊躇したものの、いかんせん仕事が忙しかったし、夫の見舞いにも行かなくてはいけなかった。それに、母親にとって巽は手の掛からないいい子だった。猫の亡骸を埋めるくらい大丈夫よねと彼女は考えた。それから彼女は家にあった古く白いテーブルクロスにミィの亡骸を丁寧に巻いた。
巽は裏の神社と間にある雑木林にミィを埋葬すると母親に言ったが、それは嘘だった。巽は町外れに住む佐々木という男からある噂を聞いていた。佐々木という男は、30代後半で、いいとしをして何をやってるかわからない人物だった。髪は長く、丸縁の大きめの薄い色をしたサングラスをかけ、いつも穴だらのジーンズと派手ながらシャツを着ていた。町外れの駄菓子屋で時々店番をしていたから、駄菓子屋のお婆さんの孫か何かだろうと巽は思っていた。佐々木はお喋りで、よく駄菓子屋に来る小学生に話しかけては、怪しげな噂話を喋っていた。今でいう都市伝説というやつで、口裂け女や赤マントの様な怖い話や、アポロは実は月に行っていないとかそういう話だ。そのなかに、町のどこかに深い井戸があり、その井戸に転落した病人が、自分の病を治し、その上神通力を手に入れて町に戻り、飢饉を救ったというエピソードがあった。その手の民話じみた話が好みではなかった巽だったが、いかんせん彼はその深い井戸に心当たりがあった。あの井戸のことだと巽は思った。確信した。そしてその井戸のことはこの怪しげなおじさんも知らない。そう思うと巽は嬉しくなった。自分だけが知っているのだ
。そう考えるとひどく興奮した。巽が井戸に通うよになったのはその時からだ。
しかしながら、井戸の奇跡について、巽は実証することも、検証することもできなかった。まさか自ら飛び込むわけにはいかない 。何しろ石を落としても底に届く音が聞こえないのだ。時折、蝶や蜥蜴を放り込んだことはあった。子供の残虐性から、わざわざ蝶の羽をもいだり、蜥蜴の足を切ったりした。欠損していなければ、お話のような結果が得られないと巽は思ったのだ。だが、それらが戻ってくることはなかった。もっとも、戻ってきたかどうか巽にはどうせわからなかった。蝶や蜥蜴が仮に戻ってきてもそれが自分が投げ落とした蝶や蜥蜴なのか巽には判別はつかなかっただろう。
だから、巽はミィを井戸に葬ることを思い付いた。巽はミィを甦らしたいという気持ちと同時に、井戸の奇跡を目の当たりにするチャンスだとも思ったのだ。幼少期の巽はそういう子供だった。
巽は白い布のまま、井戸にミィの亡骸を投げ込んだ。
司馬巽は、仕事の帰り道に月を見上げながらそう思った。酷い鬱といっても、本当に鬱病という訳ではない。どちらかというと鬱っぽいというだけなのだが、いつもより今日は酷い。仕事のストレスがきついと言うのもあるが、多分季節的なものだろう。紫陽花が咲き始めるこの時期になると、あの頃を思い出すのだ。身体が反射的に緊張感を孕む。死ととなりあわせで過ごしたあの14日間。
巽は、幼少期に神隠しにあっている。幼少期。正確に言うなら、12才の6月11日から25日の14日間だ。当時、変質者による子供の誘拐殺人事件が世間を賑わしていたこともあり、巽の失踪事件も地元では大変な騒ぎになった。全国紙に報道もされたらしいが、巽はその手の事件に関する情報を可能な限り避けていたからそれほど詳しくは知らない。だが、多くの周囲の人間は腫れ物に触るように巽と接したし、一部のデリカシーのない輩は露骨にその件について巽に積極的に質問してきたから、否が応でも神隠しの件は巽の特異性を際立たせたし、巽自身にも余計な枷として積み上げられていった。巽は誘拐された子供として直接的にも間接的にも接しられて来た。
とは言え、報道を始め、警察関係も、周囲の人間も、家族も実際に何があって、どうなったのかを把握できてる人間は誰一人いなかった。当たり前である。巽は、実際に起こったことを誰一人伝えていなかったからだ。海の底の貝のように口をピタリと閉じ、どんな相手にも、一言もその件に関して漏らすことはなかった。思い出したくもない記憶であったのはもちろん、それ以上にその14日間が、その凄惨にして陰鬱な2週間に起こったことが、あまりに、圧倒的に、非現実的だったからだ…。
仕事が終わり、深夜の誰もいない公園で、巽はベンチに座り、空を見上げていた。時々こうやって空を見上げる。昔からの習慣だ。6月というのに、梅雨らしく雨が続くことはなく、どちらかと言うと晴れが多い一週間だった。11日が近づくと鬱が酷くなる。巽は、誰もいないことを良いことにスーツのうちポケットからタバコを取り出した。医療関係の会社に勤めてるので、社内で喫煙者は蛇蠍のように嫌われるから、仕事中に吸うことはない。そのため帰りに、コンビニやパチンコ屋の喫煙所で一服してから帰るのが日課だったのだが、件のパチンコ屋が潰れてしまい、昨今の嫌煙ブームもあって、コンビニからは灰皿が撤去されていた。以前引っ越しした時に、多額の修繕費を請求されたことから自宅で煙草を吸うのをやめた為、煙草を吸う場所がなくなった。良い機会だからやめてしまおうと思ったのだが、どうしてもやめられない。本数こそかなり減ったが、時々猛烈に我慢できなくなる。例えば今夜だ。巽は朝から理不尽なクレームを2件、部下のミスの処理を2件、上司からの高圧的で長時間にわたる罵倒を受けてきた。普段なら何となく流せるのだが、時期が悪かった。普段なら公園で吸うことはないのだが、どうにも我慢が効かなかった。火をつけて煙を肺に吸い込んだ。
その時だった。巽は急に強い違和感を覚えた。周囲がゆらりと歪んだような気がしたのだ。眼を一旦つぶって、瞼の上から、指でマッサージしてから、もう一度周囲を見回す。普段と変わらない。疲れてるのか。それとも煙草が神経に作用したのか。巽は首を大きくぐるりと回してから、二吸い目を燻らせた。
次の違和感は明確だった。激しい頭痛と共に、耳をつんざくような咆哮が響き渡ったのだ。思わぬことに、咥えていた煙草が滑り落ちた。立っていられなくなった巽はその場にかがみ込み、目を閉じ、耳を両手でふさいだ。数分そのままでいた後に、ゆっくりと目を開いた。
(何だ…)
巽は目の前に広がった光景におののいた。そこには全長3mくらいの大型の爬虫類のような生物がいた。背中に突起するごつごつとした背鰭、鞭のようにしなる尾っぽ、頭部に突き出た二本の角、公園の照明に照らされぬめりと黒光りした肌、目だけが光っていた。生物はもう一度大きく咆哮をあげた。
(化け物か…)
巽は突然目の前に現れた異形の怪物に対して、恐怖を感じなかった。巽が恐れたのは、怪物という極めて非現実的な存在が現実に現れたことではなかった。彼が恐れたのは、そう20年前の14日間が再現される可能性に直面したことだった。
20年前の6月。巽は、一人で近所の山に自転車で遊びにいっていた。前日までの大雨が嘘のように晴れた日で、雲一つない空から陽光が降り注いでいた。自転車で通り抜けていく一つ一つが光を反射しキラキラと輝いていた。12才の少年にはまだまだ世界は美しく、可能性に満ち溢れていた。巽は友達はあまりいなかったので、ほとんど出掛けることはなかったが、時々一人遠出することがあった。それは巽が住んでいた長吉町から少し離れた小さな山に向かう時だった。梅島と呼ばれるその山には巽のお気に入りのスポットがあり、そこのことは親にも内緒だった。舗装されたアスファルトの道路から脇にそれ、自転車を置くスペースに停めると、獣道の様な道なき道を進んでいく。しばらく行くと、薄暗い洞窟のような天然のトンネルが姿を表す。中に入るとひんやりとした空気が流れていて、時折天井から雫が垂れてくる。最初に入ったときは天井から垂れ落ちる冷たい雫が背中に入って大騒ぎした。奥へ行くと徐々に下っていくことになるせいか光が殆ど入ってこなくなる。何度も来ていた巽は、あらかじめペンライトを準備していた。最底部まで行くと今度は出口の光が差し込んでくる。出口は入口とちがってやけに狭いから、屈まないと進めない。何とか形を狭めて、通り抜けると、円形の広場にでる。人工的に装飾されたその広場の中心には枯れた井戸がある。井戸は重厚な蓋がしてあり、簡単には蓋を動かすことは出来ない。巽は側に落ちていた金属製の棒切れを使ってうまく開けることができた。蓋を少し動かし、隙間から下を覗き込む。漆黒の闇が広がっていてどのくらいの深さがあるか見当もつかない。何度か小石を落としてみたことがあるが、巽は底に石が落ちた音を聞いたことはなかった。果てる底のない井戸はきっと異世界へ繋がってるのだと、巽は信じていた。
その日、巽はあらかじめ井戸に落とすものを持ってきていた。リュックサックから巽が取り出したのは、白い布に厳重に巻かれた20センチ程度のずっしりした物だった。
布に巻かれていたのは、猫のミィの亡骸だった。ミィは、巽が小さな頃から一緒に過ごし、友達の少ない彼にとって唯一心を開ける相手だった。雪のように白く、頭頂にだけ十字の黒い毛が生えていた。人懐っこい猫で、巽が近寄らなくても自らくっついてきた。巽が友達に仲間外れにされ落ち込んだ日、病弱で入院を繰り返している父親が一時帰宅し楽しかった日、母親を中傷され腸が煮えくり返った日、いつもミィは少年の側にいた。しかし、年老いてきて、腎臓を悪くしたミィは日に日に衰えていった。巽はまだ死というものには直面していなかったが忍び寄るその気配はひしひしと感じていた。とは言え、それが実際にどのようなものなのか、彼にはまだ理解できてるとは言えなかった。
それは突然やって来た。死は、完全で無欠だった。そこには猶予はなく、交渉の余地もなく、当然予告もなかった。ただ、気がついたらやって来ていて、終わっていた。目が覚めると、ミィは廊下で固くなっていた。冷たく石のように。
巽は母親に自分で埋葬することを訴えた。 母親はちょっとだけ躊躇したものの、いかんせん仕事が忙しかったし、夫の見舞いにも行かなくてはいけなかった。それに、母親にとって巽は手の掛からないいい子だった。猫の亡骸を埋めるくらい大丈夫よねと彼女は考えた。それから彼女は家にあった古く白いテーブルクロスにミィの亡骸を丁寧に巻いた。
巽は裏の神社と間にある雑木林にミィを埋葬すると母親に言ったが、それは嘘だった。巽は町外れに住む佐々木という男からある噂を聞いていた。佐々木という男は、30代後半で、いいとしをして何をやってるかわからない人物だった。髪は長く、丸縁の大きめの薄い色をしたサングラスをかけ、いつも穴だらのジーンズと派手ながらシャツを着ていた。町外れの駄菓子屋で時々店番をしていたから、駄菓子屋のお婆さんの孫か何かだろうと巽は思っていた。佐々木はお喋りで、よく駄菓子屋に来る小学生に話しかけては、怪しげな噂話を喋っていた。今でいう都市伝説というやつで、口裂け女や赤マントの様な怖い話や、アポロは実は月に行っていないとかそういう話だ。そのなかに、町のどこかに深い井戸があり、その井戸に転落した病人が、自分の病を治し、その上神通力を手に入れて町に戻り、飢饉を救ったというエピソードがあった。その手の民話じみた話が好みではなかった巽だったが、いかんせん彼はその深い井戸に心当たりがあった。あの井戸のことだと巽は思った。確信した。そしてその井戸のことはこの怪しげなおじさんも知らない。そう思うと巽は嬉しくなった。自分だけが知っているのだ
。そう考えるとひどく興奮した。巽が井戸に通うよになったのはその時からだ。
しかしながら、井戸の奇跡について、巽は実証することも、検証することもできなかった。まさか自ら飛び込むわけにはいかない 。何しろ石を落としても底に届く音が聞こえないのだ。時折、蝶や蜥蜴を放り込んだことはあった。子供の残虐性から、わざわざ蝶の羽をもいだり、蜥蜴の足を切ったりした。欠損していなければ、お話のような結果が得られないと巽は思ったのだ。だが、それらが戻ってくることはなかった。もっとも、戻ってきたかどうか巽にはどうせわからなかった。蝶や蜥蜴が仮に戻ってきてもそれが自分が投げ落とした蝶や蜥蜴なのか巽には判別はつかなかっただろう。
だから、巽はミィを井戸に葬ることを思い付いた。巽はミィを甦らしたいという気持ちと同時に、井戸の奇跡を目の当たりにするチャンスだとも思ったのだ。幼少期の巽はそういう子供だった。
巽は白い布のまま、井戸にミィの亡骸を投げ込んだ。
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