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ただ、川辺に座っている男の話
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「ここは禁煙ですよ」
頭の上から声が降ってきた。
振り返るとそこには綺麗な女性が立っていた。
「すみません」
それだけ答えて俺は煙草の火を消した。
二十台前半に見える女性は軽く微笑むと俺の隣に腰をかける。
「なんか嫌な事でもあったんですか?」
「いや、別に…」
まあ、川辺の階段に腰掛けてぼんやりと煙草をくゆらせていれば何か深刻な悩みでもあるように見えるのかも知れない。
「そうですか」
それだけ言って女性は川を眺めていた。
正直に今の感情を言うのであれば気まずい、早く帰ってくれないだろうか。
そう思いながら彼女の横顔をチラリと見る。
女性も俺の方を軽く見た。
俺は視線をずらしながら言う。
「あなたは何か悩みがあって此処へ?」
俺から声をかけるのがそんなに意外なのか彼女は少しびっくりした顔をしていた。
犬を連れた老人が前を横切る。
リードで繋がれて行きたいところにも行けない犬はまるで今の俺のようだ。
「私の家、犬を飼ってたんです
やすな、と言う名前でした。
血の繋がった家族のようになりたくて私に名付けるはずだった名前を付けました。
でも、二ヶ月前に天国に旅立ちました。
ここに来れば楽しそうな犬がいっぱい見えるので、ついつい来てしまうんですよ。」
彼女は秋の色を写したような雲を見ながら語った。
なんて綺麗な人なのだろうと俺は思った。
見た目もそうだが、心の中までも澄み切っている。
「うちの祖母の家でも飼ってましたよ、もう何年も前に亡くなりましたが」
女性は心底悲しそうな顔になった。
「そうですか…かわいかったですか?」
「ええ、まあ俺には懐きませんでしたが」
女性はクスクスと笑う。
「それで?次はあなたのお話を聞かせてください
なぜここに?」
俺は言葉に詰まった。
特に彼女のような悩みがあるわけでもない。
しかし、ここで口をつぐむのは何か間違っている気がしてとりあえず口を開く。
「大した事ないですよ
俺は今、大学生なんですけど、なんていうか…日々の不満の積み重ねで息苦しくて
まあ、気晴らしですね」
彼女は俺のたわいもない話をひどく熱心に聞いていた。
「ヤスナが居なくなってしまって、泣くしかできなくなった私に母が言っていました。
『泣くのに時があり,笑うのに時がある。泣き叫ぶのに時があり,踊るのに時がある。』聖書の有名な言葉だそうです」
「どういう意味です?」
「さあ?」
なんとも気の抜けた答えに思わず笑みが湧いてきた。
「私も母に訊きましたが、母は答えてくれませんでした。
それを考えるのがあなたの役目よ、と」
女性は一呼吸して続ける。
「私はこの言葉の真意なんて分かりません、でも、悪く思える、無駄にすら思える時にも価値があって、今の悩みもいつか笑える時が来るんじゃないかって思えて、凄い背中を押された気分になったんです。」
たしかに、そうなのかも知れない。
過去に辛くて辛くて、逃げたくても逃げられなくて、そんな事もたくさんあったのに、今ではそれも良い経験であったと言えることは多い。
それから俺たちを口を閉じて、ただ川の流れを見つめていた。
徐々に空が紅く染まり、川の流れを目で追えなくなっていく、散歩をする人も減り、冬を告げるような風が俺たちの間を駆け抜け、渦を巻いた。
彼女は立ち上がり、どこかへ去っていこうと、靴の向きを変える。
俺は、
「ありがとうございました」
なぜかうまく動かない口でそれだけは伝えた。
先ほどまで饒舌だった彼女は最後に笑顔だけ見せて路地の奥に消えていった。
彼女が立っていた場所にはただチリが舞うだけだった。
頭の上から声が降ってきた。
振り返るとそこには綺麗な女性が立っていた。
「すみません」
それだけ答えて俺は煙草の火を消した。
二十台前半に見える女性は軽く微笑むと俺の隣に腰をかける。
「なんか嫌な事でもあったんですか?」
「いや、別に…」
まあ、川辺の階段に腰掛けてぼんやりと煙草をくゆらせていれば何か深刻な悩みでもあるように見えるのかも知れない。
「そうですか」
それだけ言って女性は川を眺めていた。
正直に今の感情を言うのであれば気まずい、早く帰ってくれないだろうか。
そう思いながら彼女の横顔をチラリと見る。
女性も俺の方を軽く見た。
俺は視線をずらしながら言う。
「あなたは何か悩みがあって此処へ?」
俺から声をかけるのがそんなに意外なのか彼女は少しびっくりした顔をしていた。
犬を連れた老人が前を横切る。
リードで繋がれて行きたいところにも行けない犬はまるで今の俺のようだ。
「私の家、犬を飼ってたんです
やすな、と言う名前でした。
血の繋がった家族のようになりたくて私に名付けるはずだった名前を付けました。
でも、二ヶ月前に天国に旅立ちました。
ここに来れば楽しそうな犬がいっぱい見えるので、ついつい来てしまうんですよ。」
彼女は秋の色を写したような雲を見ながら語った。
なんて綺麗な人なのだろうと俺は思った。
見た目もそうだが、心の中までも澄み切っている。
「うちの祖母の家でも飼ってましたよ、もう何年も前に亡くなりましたが」
女性は心底悲しそうな顔になった。
「そうですか…かわいかったですか?」
「ええ、まあ俺には懐きませんでしたが」
女性はクスクスと笑う。
「それで?次はあなたのお話を聞かせてください
なぜここに?」
俺は言葉に詰まった。
特に彼女のような悩みがあるわけでもない。
しかし、ここで口をつぐむのは何か間違っている気がしてとりあえず口を開く。
「大した事ないですよ
俺は今、大学生なんですけど、なんていうか…日々の不満の積み重ねで息苦しくて
まあ、気晴らしですね」
彼女は俺のたわいもない話をひどく熱心に聞いていた。
「ヤスナが居なくなってしまって、泣くしかできなくなった私に母が言っていました。
『泣くのに時があり,笑うのに時がある。泣き叫ぶのに時があり,踊るのに時がある。』聖書の有名な言葉だそうです」
「どういう意味です?」
「さあ?」
なんとも気の抜けた答えに思わず笑みが湧いてきた。
「私も母に訊きましたが、母は答えてくれませんでした。
それを考えるのがあなたの役目よ、と」
女性は一呼吸して続ける。
「私はこの言葉の真意なんて分かりません、でも、悪く思える、無駄にすら思える時にも価値があって、今の悩みもいつか笑える時が来るんじゃないかって思えて、凄い背中を押された気分になったんです。」
たしかに、そうなのかも知れない。
過去に辛くて辛くて、逃げたくても逃げられなくて、そんな事もたくさんあったのに、今ではそれも良い経験であったと言えることは多い。
それから俺たちを口を閉じて、ただ川の流れを見つめていた。
徐々に空が紅く染まり、川の流れを目で追えなくなっていく、散歩をする人も減り、冬を告げるような風が俺たちの間を駆け抜け、渦を巻いた。
彼女は立ち上がり、どこかへ去っていこうと、靴の向きを変える。
俺は、
「ありがとうございました」
なぜかうまく動かない口でそれだけは伝えた。
先ほどまで饒舌だった彼女は最後に笑顔だけ見せて路地の奥に消えていった。
彼女が立っていた場所にはただチリが舞うだけだった。
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