終末のグリモワール

五月雨雫

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序章

第十二話「異端」

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「先攻はお譲りします。痛め付けるのが目的ではありませんので……どうぞ? どこからでも」
 訓練場で突如始まった、シロエの能力を測定するための模擬戦。白線の向こう側、悠然と構えたライナが言う。
 本人のその言葉通り、すぐに仕掛けてくる様子は無い。それどころか、こちらの出方でかたを予想し楽しむ余裕さえあるらしく、にまにま、と何やら楽しげな笑みまで浮かべている。……随分とまあ、甘く見られたものだ。

「それじゃあ、遠慮なく……」
 シロエは精神を集中させ、“体内の魔力の巡り”を思い描く。ゆっくりと、深く深く吸い込んだ息が気道、肺、そして心臓――本来であればグリモワの存在によって鼓動する臓器――まで到達すると、その“想像”は“現実”のものとなる。
 そこに無いはずの鼓動が高鳴る。熱い。いちばちか、見様見真似みようみまねの初実戦――魔力を込めた彼の右手には確かに炎属性の魔力が宿り、小さな火球が灯されていた。

 ◆

「えっ? 魔法……ですか……?」
「うん。本で読むだけじゃよく分からないから、実際に見てみたいなって」
「あー……、私のは魔術ではなく妖術ようじゅつというものですが、それでも良ければ……!」
 ――脳裏に浮かんだのは、今から数時間前のセントーレア学園内、図書室。
 校内案内の真っ只中、カガリに教わった“魔術について”と、“その発動方法”――精神を統一させること。それから、体内の魔力の巡りを想像したのち、その想像のを落とさぬまま、“それ魔力”を放つこと。
 この内容は魔術訓練の初歩、基礎中の基礎とはいえ、よほどの天才でもなければ、すぐに魔力を発現させるのは困難だという。今ではすっかり魔術に熟達した者達も、最初は等しく見習いだったのだろう。

 しかし、どの分野にも必ず“異分子”は存在するものである。

 ◆

 言わずもがな、シロエには魔術訓練の経験はおろか、戦闘経験すらも存在しない。当然、そんな事は対戦相手であるライナにとっては百も承知の揺るがぬ事実であり、つい先ほどまで余裕の笑みを浮かべていた彼も、これにはさすがに一瞬で表情を強張こわばらせた。
 魔術練度の未熟な者は、仮に魔力による何らかを発現させられたとしても、自在に操るには至らず、すぐに消失――その場に留まれない魔力が霧散むさんしてしまうことも決して珍しくはない。むしろ、であればそれが普通なはずだった。
 ……ところが、シロエの灯した火球はというと、多少の魔力の揺らぎはあるにせよ、消失することなく、その形を保ち続けている。それどころか、その不定形な輪郭線を少し、また少しと広げてゆく。
 更に魔力を注いでいるのだろうか――彼のひたいには暑さによるものとは異なる苦しげな汗が滲み、それが揺らめく炎の光によって、反射と共に存在感を放つ。

「――――はああッ!」
 渾身の叫びと共に、ついに火球が勢い良く放たれる。今、持てる力の全てを注いだであろうそれは威力も速度も落とさず、正面の雷天狐らいてんこめがけて迷わずに飛んでゆく。
 ライナは片足に重心を乗せて身体を傾け、向かってくる火球を最小限の動作でかわす。避けられた炎の弾丸はそんな彼を追尾はせず、そのまま直線をえがきながら虚空こくうを貫くと、その斜め後方――石垣に衝突したのちに小さな爆発を起こし、ようやく消失した。
 攻撃こそ難なく回避したものの、ライナの反応や顔色からは確かな動揺がうかがえる。放たれた魔術の威力など、もはや些細ささいなことだ。
 問題は、“魔術の概念を知って数時間の者が、既にそれを扱えている”という事実。そんな事はあり得ない――いな、“あり得ない”はずのことが、今まさに、自身の目の前で起こっている。学園長はこれを分かっていて何も教えなかったのか? それとも、あの人学園長もここまでは知らなかった……? 様々な思惑おもわくが、せわしなく頭の中を駆け巡った。

 シロエの行動に驚愕きょうがくしたのは、なにもライナだけではない。観客席で祈るように見守っていたカガリやユキネ、そしてナギサも、前代未聞の事態に言葉を失っている。
「う……そ…………?」
「あ……あり得ませんわ……! こんな、こと……」
 聞かれるままに教えた魔術を、これほどの短時間で彼が使いこなすなんて――人間離れといっても過言かごんではない目前の状況に、最も驚きをあらわにするカガリ。別段、誰だからという話ではない。これは誰もが等しく、とされる芸当なのだ。
 ふと、まだ朦朧もうろうとする感覚で再び試合へと視線を移す。そうだ、まだ決着はついていない――そんな事を考えながら見つめた先、不意に飛び込んできた光景に、今度は別の衝撃が走った。

「――っ!? シロエさん!!」
 慣れない魔力を扱った反動か、カガリの視線の先では地に両膝と手のひらを付き、苦しそうに息を切らすシロエの姿があった。
 そして、すぐそばにはそんな彼を見下ろすようにたたずむライナ。一体何をどうしたのか、音も無く目と鼻の先まで距離を詰め、動けずに蹲るシロエを静かに見つめていた。
「…………貴方のことは、もう十分に分かりました。ご協力に感謝します」
 ライナの淡い金色の尾がたなびく硝煙しょうえんのように揺れる。息も絶え絶えになっていたシロエは、ライナの意外なその言葉にハッと目を見張り、ぽたぽたと地面へと流れ落ちる自身の汗を眺めていた顔をゆっくりと上げた。
「――――とどめ、は、」
「……はい?」
「ささない、の…………?」
「…………」
 二者の間には圧倒的な、埋まることのない力の差が存在しているであろうことは、周囲の者達だけでなく、シロエ自身が何よりも分かっているはずだ。
 記憶喪失でありながら、何も分からないなりに知識を蓄え、そして、自らを知るためとはいえ、こちらの要求も嫌な顔ひとつせずに飲み込む――そんな彼を勝手に弱者と決め付け、求められてもいない“慈悲”を与えるなど、あまりにも傲慢で、敬意に欠けた振る舞いであったと、ライナは腹の中でおのれを恥じた。

「――もちろん、刺しますよ。そういうルール……ですからね」
 とどめを刺す、とは言うものの、なにも殺してしまうわけではない。シロエに軽い一撃を入れ、彼が再び立ち上がれなければそこで勝負は終わり、決着となる。
 至って単純な、それだけの話だ。
「じゃあ…………お願い」
 模擬戦である以上、仕方の無いことではあるが、無抵抗の相手に攻撃を浴びせるのはどうにもはばかられる。しかし、彼の意思を尊重する以上は躊躇ためらってもいられない。きっと、中途半端にやられる方が一思いにやるより苦痛を伴ってしまうはずだ。
「……丁度良いですし、このまま保健室でしばらく眠っていてください」
 ライナがシロエの首筋へと手を伸ばし、そっと触れる。とても攻撃の動作には思えないそれに、ぽかんとするシロエだったが、次の瞬間、まばゆい光と共に、首に何らかの衝撃が走ったような気がした。

「えっと……終わり…………ですか?」
「…………な、」

「な、なななな!? 何なんですか!? さっきから貴方はーーー!?」
「っ、え……? ライナ……さん……?」
 どうやら彼の中で、何かしらの許容値を超えたのだろう。半ば発狂のような形で、ライナが叫ぶ。普段、いかに平静な振る舞いを崩さないのか、観客席の三人はシロエの身に起きた事よりも、珍しく取り乱すライナの様子に驚いているようだった。
「あのねえ! それ! 普通は食らったら即気絶するんスよ!? 終わりですか~で済むもんじゃないの!!」
「……そうなの?」
「だー! もう……! どうなってんのこの子は……!」
 前髪をかき上げるように自身の頭を押さえていたライナは一呼吸を置き、ちらと観客席の方を見やる。それから、両手のひらを見せるように振り、三人へ“もう来ても大丈夫”という合図を出した。戦闘とは別の部分で疲弊ひへいしきっているようで、細められた目の奥からも疲れが滲んでいる。

「――と、まあ、見てもらった通りッス…………」
「これは……今回ばかりは、お疲れ様と言わざるを得ませんわね……」
「もっと言ってくれても良いんスよ……はあ……」
「ち、調子に乗らないでくださいまし!」
 普段通りの軽口を叩き合うライナとナギサの横では、カガリとユキネが地面に座り込むシロエに駆け寄る。放った魔法の衝撃や、身体に負荷がかかったことによる汗などで衣類には土が付着し、一見、一方的な暴力を受けて泥だらけになったように見えなくもない。
「だ、だだだ大丈夫でしたか……!? 大丈夫じゃないですよね!?」
「カガリちゃん、落ち着いて……」
 最初にシロエさんと出会った時みたいになってるよ――そうユキネが言うと、カガリはハッとして口をつぐむ。何か別の言葉を探すも、上手く見つからないといった様子だ。そんな二人に、シロエはぎこちない笑みを浮かべて言う。
「あはは……おかげさまで……?」
 出会った頃よりもかなり言葉が流暢りゅうちょうになった彼に戸惑い、思わず二人は顔を見合わせる。そして、三人で笑い合った。
「……それ、全然大丈夫って言えないですよ~! も~!」
「すごい泥だらけ……。動けるようになったら、寮でシャワーとか借りないとね」
「あっ、そうだね!? 予備のジャージもあるかな――」
 先ほどまでの緊迫感から一変、場の空気が和気わきあいあいとした雰囲気に包まれた、丁度その時。

「こらーー! 君達! 寄ってたかってシロエ君に一体何をしているんだね!?」
 訓練場の入り口、開け放たれたままの扉の陰から、学園長――ノエルが慌てた様子で顔を出す。本来であれば防音設備は万全なはずだが、扉を閉め忘れるという不手際により、どうやら外まで騒ぎが聞こえてしまっていたらしい。

「はー……ややこしい人が余計に状況をややこしくしにきたッスねえ……」
「聞こえているぞ霹靂かみとき君!?」
 ライナがぼそりと呟くと、それにすかさずノエルが反応する。学園長と生徒という関係でありながら、どこか対等なように見受けられる間柄は周知の事実なのか、特に誰もとがめはしない。

「す、すみません~! これはシロエさんをいじめていたとか、そういうのではなくて~!」
「それより学園長? 私からもシロエさんについて、お話ししたいことが山ほどあるのですが?」
「え、ええ? 今かい? 悪いが、長い職員会議の後なものでな、少し休憩を……」
「学園長の方からこちらにいらしたんではありませんか!」
「ひいい~! 助けてくれ、埋火うずみび君~!」

 泥だらけのシロエを差し置いて、一気に騒がしさの増す訓練場。嵐の前の静けさとでも言うべきだろうか――この後に巻き起こる大規模な騒動の事など、学園長のノエルも含め、まだ、誰も知るよしもない。
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