婚約破棄? 承知いたしました。では、こちらにサインを。

ツナ

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王立アカデミーの卒業パーティー。

シャンデリアが輝き、高価な香水の香りが漂う会場の中央で、音楽がピタリと止まった。

その中心に立っているのは、この国の第一王子クロード・ド・ラ・ヴァリエール。

そしてその隣で、怯えたように王子の腕にしがみついているのは、男爵令嬢のメアリだった。

「ベルモット・フォン・アグレット! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」

クロード王子の朗々とした声が、静まり返ったホールに響き渡る。

対峙するベルモットは、手にした扇をゆっくりと閉じ、懐から懐中時計を取り出した。

「……予定より三分早いですね。クロード様、せめて時間は守ってください。私のスケジュールは秒単位で管理されているのですから」

「き、貴様……。今、自分が何を言われたのか分かっているのか!?」

「ええ、もちろん。婚約の破棄、すなわち契約の債務不履行ですね。理解しております」

ベルモットは表情一つ変えず、冷徹な美貌をクロードに向けた。

周囲の貴族たちは、ベルモットのあまりの冷静さにざわつき始めている。

普通、この場は令嬢が泣き崩れるか、怒り狂う場面であるからだ。

「クロード様ぁ、ベルモット様が怖いですぅ……。わたくし、あんなに睨まれたら、明日から生きていけません……」

しなだれかかるメアリが、わざとらしく震えて見せる。

クロードは鼻息も荒く、メアリの肩を抱き寄せた。

「安心しろ、メアリ。俺が貴様のような悪女から、この可憐な花を守ってみせる! ベルモット、貴様がメアリに対して行ってきた嫌がらせの数々、証拠は上がっているのだぞ!」

「嫌がらせ、ですか。具体的に、どの案件を指しているのか箇条書きで述べていただけますか?」

「なっ……、箇条書きだと!?」

「はい。日付、場所、被害内容、そして目撃者の信憑性。これらが揃わなければ、ただの感情論です。時間の無駄ですので、端的に願います」

ベルモットは手慣れた様子で、どこからともなく手帳と羽根ペンを取り出し、メモの準備を始めた。

クロードは顔を真っ赤にして叫ぶ。

「階段で突き飛ばそうとしただろう! 教科書を破り、ドレスにインクをかけ……とにかく、メアリは何度も泣かされたと言っているのだ!」

ベルモットはペンを走らせる手を止め、メアリをじろりと見た。

「メアリ様、確認です。階段の事件は先月の十五日、午後二時のことですね?」

「は、はい……。わたくし、あの時死ぬかと思いました……」

「残念ながら、その時間は領地の会計監査を行っておりました。証人は公認会計士の三名、及び領内のギルド長たちです。魔法による遠隔会議のログも残っておりますが、確認されますか?」

「えっ……、あ、あれ? じゃあ、別の……」

「続きまして教科書の件。私は紙の質にこだわりがあります。あなたが使用していた粗悪な再生紙を破るような、指の筋肉の無駄遣いはいたしません。ドレスのインクも同様です。そんな安物の染料が私の服に跳ねたら、クリーニング代の損失になります」

ベルモットは立て続けに正論を叩きつけると、深いため息をついた。

「クロード様。虚偽の報告に基づいて国家間の重要事項である婚約を破棄されるとは、王族としての危機管理能力を疑わざるを得ません」

「貴様ぁ! どこまで不遜な……! 俺とメアリの愛は、そんな事務的な話を超越しているのだ!」

「愛、ですか。その単語は収益を生みますか?」

「……は?」

「愛があるからといって、穀物の収穫量が増えるわけでも、隣国との貿易関税が下がるわけでもありません。私にとって、愛とは実体のない、極めて不確実な投資先でしかありません」

ベルモットはそう言い切ると、手帳を閉じ、代わりに鞄から分厚い書類の束を取り出した。

ドサッ、と重苦しい音が響く。

「……何だ、その書類は」

「本日のメインイベントです。婚約破棄を承諾するにあたっての、清算書でございます」

「せい、さんしょ……?」

「はい。婚約期間中にアグレット公爵家から王家、及びクロード様個人に対して行われた『投資』の全項目です」

ベルモットは書類の表紙をめくり、涼しい顔で読み上げ始めた。

「まず、クロード様がメアリ様に贈られた、こちらの首飾り。資金の出所は、私が以前アドバイスした投資信託の配当金ですね。つまり私の知的財産権に帰属します。返還、あるいは時価での買い取りを要求します」

「な、何を馬鹿な……!」

「次に、こちらのドレス。クロード様が『婚約者の義務として用意しろ』と仰ったので、我が家の指定工房で作らせましたが、支払いはまだ頂いておりません。材料費、工賃、急ぎによる特急料金を合わせて、金貨五十枚になります」

周囲の貴族たちから、驚愕の吐息が漏れる。

金貨五十枚といえば、平民が一生遊んで暮らせるほどの金額だ。

「さらに、十年前からの茶会、夜会におけるエスコート代行。私の時間を一時間消費するごとに、領地での時給に換算して算出いたしました。延べ二千時間。機会損失費用を合わせまして、金貨三千枚となります」

「三、三千……!? 貴様、正気か!」

「私は常に正気です。さらに、王家が我が家の鉱山から優先的に購入している魔石の割引分。婚約者割引という名目でしたが、破棄されるのであれば遡及して定価との差額を請求させていただきます。こちらが……ざっと金貨一万枚ほどでしょうか」

ベルモットは計算機を叩くような速さで、淡々と数字を突きつけていく。

クロードの顔は、赤から青、そして白へと忙しく変わっていった。

「そ、そんな金、払えるわけがないだろう!」

「おや。支払い能力のない状態で、契約を一方的に解除しようとしたのですか? それは一般社会では『詐欺』と呼びますよ、王子殿下」

ベルモットの瞳が、獲物を狙う鷹のように鋭く光る。

「……メアリ様も。王子と結婚して王妃になるつもりなら、この負債の半分はあなたの共有財産となります。覚悟はできていますか?」

メアリはヒッ、と短い悲鳴を上げて、クロードの腕を離した。

「そ、そんな……! わたくし、愛があればお金なんていらないって言いましたけど、借金がいるとは言っていません!」

「メアリ!? お前、今なんて……!」

「クロード様! わたくし、急にお腹が痛くなってきましたので、これで失礼します! 婚約破棄は、なかったことにした方がいいと思いますぅ!」

脱兎のごとく逃げ出そうとするメアリだったが、ベルモットは逃がさなかった。

「あ、お待ちください。メアリ様がクロード様から受け取ったプレゼント一覧も、別紙で用意してあります。返還されない場合は、贈与税の脱税として告発いたしますので、悪しからず」

「ひいいいいいいっ!」

メアリは腰を抜かし、その場にへたり込んだ。

会場は騒然となり、騎士たちが駆け寄ってくる。

その混乱の渦中で、ベルモットだけが悠然と佇んでいた。

「さて、クロード様。サインをいただけますか? それとも、この場で全額キャッシュでお支払いになりますか?」

「くっ、くそ……! こんなはずでは……!」

「人生、計算通りにはいかないものですね。……私にとっては、概ね計算通りですが」

ベルモットは口角をわずかに上げ、この日一番の、そして最も邪悪で美しい「悪役令嬢」の笑みを浮かべた。

これが、後に「帝国の鉄の女」と呼ばれることになるベルモット・フォン・アグレットの、本当の人生の幕開けであった。
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