悪役令嬢、本日をもって返上!本気で泣くとでも思いました?

ツナ

文字の大きさ
12 / 28

12

しおりを挟む
「ついに、ついにこの時が来ましたわ! 見てちょうだい、サーシャ、ミーナ様。私の魂が求めていた、楽園の入り口ですわ!」


私は馬車の窓から身を乗り出し、立ち上る白煙と、鼻を突く硫黄の香りに歓喜の声を上げた。
ここは王領との境に位置する、国内最高級の温泉地。
婚約破棄の慰謝料代わりにふんだくった、あの「永久フリーパス」が火を吹く時が来たのだ。


「お嬢様、落ち着いてください。ドレスの裾が泥で汚れますわよ」


「構いませんわ! 汚れなど、温泉に浸かればすべて浄化されます! 私の脳に蓄積された、フェリクス様の領地の赤字データも、すべてこのお湯に流して見せますわ!」


私は馬車が止まるのももどかしく、ステップを飛び降りた。
だが、そこで私の視界を遮るように、巨大な壁……もとい、フェリクス様が立ちふさがった。


「ルゥ。はしゃぐのはいいが、まずは周囲の安全確認だ。ここは王領に近い。不届き者が潜んでいる可能性もある」


「フェリクス様、あなた、なぜ付いてきたのですか。私は一人で、あるいは女子会としてここを堪能するつもりだったのですが」


「騎士団長として、重要機密保持者であるお前を一人にするわけにはいかないだろう。それに、ここの管理体制には以前から不穏な噂がある」


フェリクス様は腰の剣に手をかけ、鋭い眼光を周囲に飛ばした。
彼の殺気のせいで、せっかくの温泉情緒が台無しである。
すれ違う観光客たちが、一斉に顔を青くして逃げ出していくのが見えた。


「……あなたの存在自体が、一番の不穏要素ですわ。まあ、いいでしょう。せっかくですから、あなたにも私の『効率的な入浴術』を教えてあげますわ」


私たちは予約していた最高級旅館「白煙閣」の門を潜った。
だが、出迎えた支配人の男は、私の差し出したフリーパスを見るなり、鼻で笑った。


「おやおや、お嬢さん。どこでそんな偽造品を拾ってきたのか知りませんが、本日は満室ですよ。それに、そのパスは先代の国王様が発行した古いものだ。現在の王宮の認可がなければ、ただの紙切れですな」


「……偽造品? 古い?」


私は、パチンと扇子を閉じた。
私の額に青筋が浮かぶ。
これほどまでに「非効率」で「不誠実」な対応は、私の悪役令嬢としての矜持が許さない。


「支配人さん。このパスは、現国王陛下が直々に署名し、私の婚約破棄に伴う精神的苦痛への正当な対価として授与されたものですわ。それを偽造品と呼ぶのは、国王陛下への反逆罪と見なしてもよろしいのかしら?」


「へ、陛下への反逆だと? 脅しても無駄ですよ! ここは王領の役人であるガルド様が管理している。余所者の令嬢が口を出せる場所じゃないんだ!」


支配人の背後から、恰幅の良い、見るからに強欲そうな役人が現れた。
彼は私の顔を舐めるように見回すと、下卑た笑みを浮かべた。


「ほう、美しい令嬢だ。どうしても泊まりたいというなら、別の方法で支払ってもらってもいいが……?」


その言葉が終わるか終わらないかのうちに、背後の空気が凍りついた。
フェリクス様が一歩前に出ただけで、周囲の気温が五度ほど下がった気がする。


「おい、今、何と言った。この女性を誰だと思っている」


「ひ、ひっ……! な、なんだお前は! 騎士の分際で、王宮の役人に楯突くつもりか!」


「俺は王宮騎士団長、フェリクス・グランザードだ。この地が王領であろうと、俺の目の前で不敬を働く者は、現行犯で叩き斬る権利を持っているが……試してみるか?」


フェリクス様がわずかに剣を抜くと、刃の鋭い光が役人の鼻先をかすめた。
役人と支配人は、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。


「ま、待ってください! 冗談です、冗談ですとも! すぐに一番良い部屋をご用意します!」


「……フェリクス様。暴力は非効率だと言ったはずですが、たまには役に立ちますわね」


私は震える支配人から鍵をひったくると、悠々と館内へ足を踏み入れた。
ミーナ様が「流石です師匠! 正論と物理のコンビネーション、勉強になりますわ!」とメモを取っているが、今はそれどころではない。


数分後。
私は貸切の露天風呂に浸かり、極上の幸福に包まれていた。
目の前には雪化粧をした山々が広がり、お湯の温度も完璧だ。


「……極楽だわ。あの王子と結婚していたら、一生こんな時間は持てなかったわね」


そう呟き、私が目を閉じたその時。
背後の竹垣が、ミシミシと不穏な音を立てた。


「ルゥ。湯加減はどうだ。外に刺客の気配はない。安心して浸かっていろ」


「……フェリクス様。なぜ、竹垣一枚隔てただけの場所で警護しているのですか。それ、警護ではなく覗きの準備に見えますわよ」


「馬鹿を言え。俺は職務に忠実なだけだ。……ただ、その、少しだけお前の声が聞こえてくると、その、呼吸が整わなくなるだけで……」


「……さっさと向こうの男湯へ行きなさい! さもないと、ここから風呂桶を投げつけますわよ!」


私の怒声が温泉街に響き渡った。
癒やしに来たはずなのに、どうして私の周りには常にこうも騒がしい人間が集まるのか。
私は再びお湯に身を沈め、自分の頬が湯気のせいだけではなく赤くなっているのを、誰にも見られないように隠した。


自由への道は、どうやら温泉のように熱く、のぼせそうなほど波乱に満ちているらしい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役断罪?そもそも何かしましたか?

SHIN
恋愛
明日から王城に最終王妃教育のために登城する、懇談会パーティーに参加中の私の目の前では多人数の男性に囲まれてちやほやされている少女がいた。 男性はたしか婚約者がいたり妻がいたりするのだけど、良いのかしら。 あら、あそこに居ますのは第二王子では、ないですか。 えっ、婚約破棄?別に構いませんが、怒られますよ。 勘違い王子と企み少女に巻き込まれたある少女の話し。

地味で無才な私を捨てたことを、どうぞ一生後悔してください。

有賀冬馬
恋愛
「お前のような雑用女、誰にでも代わりはいる」 そう言って私を捨てたディーン様。でも、彼は気づいていなかったのです。公爵家の繁栄を支えていたのは、私の事務作業と薬草の知識だったということに。 追放された辺境の地で、私はようやく自分らしく生きる道を見つけました。無口な辺境伯様に「君がいなければダメだ」と熱烈に求められ、凍っていた心が溶けていく。 やがて王都で居場所をなくし、惨めな姿で私を追いかけてきた元婚約者。 「もう、私の帰る場所はここしかありませんから」 絶望する彼を背に、私は最愛の人と共に歩み出します。

初耳なのですが…、本当ですか?

あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た! でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

自滅王子はやり直しでも自滅するようです(完)

みかん畑
恋愛
侯爵令嬢リリナ・カフテルには、道具のようにリリナを利用しながら身体ばかり求めてくる婚約者がいた。 貞操を守りつつ常々別れたいと思っていたリリナだが、両親の反対もあり、婚約破棄のチャンスもなく卒業記念パーティの日を迎える。 しかし、運命の日、パーティの場で突然リリナへの不満をぶちまけた婚約者の王子は、あろうことか一方的な婚約破棄を告げてきた。 王子の予想に反してあっさりと婚約破棄を了承したリリナは、自分を庇ってくれた辺境伯と共に、新天地で領地の運営に関わっていく。 そうして辺境の開発が進み、リリナの名声が高まって幸福な暮らしが続いていた矢先、今度は別れたはずの王子がリリナを求めて実力行使に訴えてきた。 けれど、それは彼にとって破滅の序曲に過ぎず―― ※8/11完結しました。 読んでくださった方に感謝。 ありがとうございます。

婚約破棄イベントが壊れた!

秋月一花
恋愛
 学園の卒業パーティー。たった一人で姿を現した私、カリスタ。会場内はざわつき、私へと一斉に視線が集まる。  ――卒業パーティーで、私は婚約破棄を宣言される。長かった。とっても長かった。ヒロイン、頑張って王子様と一緒に国を持ち上げてね!  ……って思ったら、これ私の知っている婚約破棄イベントじゃない! 「カリスタ、どうして先に行ってしまったんだい?」  おかしい、おかしい。絶対におかしい!  国外追放されて平民として生きるつもりだったのに! このままだと私が王妃になってしまう! どうしてそうなった、ヒロイン王太子狙いだったじゃん! 2021/07/04 カクヨム様にも投稿しました。

居候と婚約者が手を組んでいた!

すみ 小桜(sumitan)
恋愛
 グリンマトル伯爵家の一人娘のレネットは、前世の記憶を持っていた。前世は体が弱く入院しそのまま亡くなった。その為、病気に苦しむ人を助けたいと思い薬師になる事に。幸いの事に、家業は薬師だったので、いざ学校へ。本来は17歳から通う学校へ7歳から行く事に。ほらそこは、転生者だから!  って、王都の学校だったので寮生活で、数年後に帰ってみると居候がいるではないですか!  父親の妹家族のウルミーシュ子爵家だった。同じ年の従姉妹アンナがこれまたわがまま。  アンアの母親で父親の妹のエルダがこれまたくせ者で。  最悪な事態が起き、レネットの思い描いていた未来は消え去った。家族と末永く幸せと願った未来が――。

【完結80万pt感謝】不貞をしても婚約破棄されたくない美男子たちはどうするべきなのか?

宇水涼麻
恋愛
高位貴族令息である三人の美男子たちは学園内で一人の男爵令嬢に侍っている。 そんな彼らが卒業式の前日に家に戻ると父親から衝撃的な話をされた。 婚約者から婚約を破棄され、第一後継者から降ろされるというのだ。 彼らは慌てて学園へ戻り、学生寮の食堂内で各々の婚約者を探す。 婚約者を前に彼らはどうするのだろうか? 短編になる予定です。 たくさんのご感想をいただきましてありがとうございます! 【ネタバレ】マークをつけ忘れているものがあります。 ご感想をお読みになる時にはお気をつけください。すみません。

幼い頃に魔境に捨てたくせに、今更戻れと言われて戻るはずがないでしょ!

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 ニルラル公爵の令嬢カチュアは、僅か3才の時に大魔境に捨てられた。ニルラル公爵を誑かした悪女、ビエンナの仕業だった。普通なら獣に喰われて死にはずなのだが、カチュアは大陸一の強国ミルバル皇国の次期聖女で、聖獣に護られ生きていた。一方の皇国では、次期聖女を見つけることができず、当代の聖女も役目の負担で病み衰え、次期聖女発見に皇国の存亡がかかっていた。

処理中です...