泣いていると思いました? 残念、断罪を回避いたしますわ。

どんぶり

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「……はぁ。カイル様、事務的に見て、この『重要囚人脱走報告書』の記述はあまりに情緒的すぎますわ」


 王立監査部。深夜、ポルカは届けられたばかりの緊急連絡書を、苛立たしげにデスクに叩きつけた。


「『看守の隙を突き、愛の力で鉄格子を溶かした』……? そんな非科学的な現象、物理法則が許しません。正しくは『看守の勤怠管理の乱れに乗じ、備品の酸性洗剤を化学反応に利用した』と書くべきですわね」


 カイルが、険しい表情でポルカの背後に立った。


「……ポルカ。冗談を言っている場合ではありませんよ。北方の鉱山からシリウス元殿下が、そして断崖の修道院からルル嬢が同時に脱走した。……これは、組織的な手引きがあったと見るべきです」


「ええ、分かっておりますわ。……ですがカイル様。あの二人が手を組んで最初にしたことが『王立図書館の戸籍原簿への不正アクセス』だなんて、事務官を舐めているのかしら?」


 ポルカは、既に画面(魔導端末)に表示されていた「不正ログ」を指し示した。


「案件番号40『元婚約者らによる無謀な身分偽装および文書偽造の阻止』。……見てください。彼ら、自分の名前を『身元不明の遠縁の貴族』に書き換えようとしたようですが……。この修正後のフォント、現在禁止されている『旧式ゴシック体』ですわ。目立って仕方ありませんわね」


「……はは、相変わらず手厳しい。彼らなりに必死だったのでしょうが、あなたという最強の門番を失念していたのが最大の敗因ですね」


 その時、執務室の窓に、一羽の伝書鳩が衝突した。


 鳩の足につけられていたのは、香水が死ぬほど振りかけられた、品の悪いピンク色の手紙。


「……『親愛なるポルカ様。私たちが自由になった今、貴女の嘘で固められた監査記録はすべて無効になりますわ。今夜、王都の古い時計塔で、真の決算(けっちゃく)をつけましょう。……ルルより愛を込めて』」


 カイルが内容を読み上げると、部屋の温度が氷点下まで下がった。


「……決算(けっちゃく)、ですって? カイル様。事務的に見て、誤字脱字の多い挑戦状ほど、読むに堪えないものはありませんわ」


 ポルカは立ち上がり、トランクから巨大な「現場監査用算盤」を取り出した。


「行きましょう。……逃走にかかった経費、および指定場所までの馬車代の出所。……すべて、彼らの顔面に叩きつけて差し上げますわ」


 一時間後。月明かりに照らされた王都の古い時計塔。


 そこには、ボロボロの格好をしながらも、なぜか勝ち誇った笑みを浮かべるシリウスとルルが立っていた。


「来たか、ポルカ! そしてカイル! 我々は手に入れたのだ! 貴様がこれまで行ってきた監査が『越権行為』であるという、決定的な証拠をな!」


 シリウスが、泥のついた一束の書類を掲げた。


「これを見ろ! 王国の古い法律第百二十条によれば、独身の女性が国家予算に口を出すには『親族の同意書』が必要だ! 貴様は私の同意なしに予算を削った! これは違法だ!」


 ポルカは、時計塔の階段を一段ずつ、優雅に登りながら答えた。


「……シリウス様。その法律、二十年前の『税制改革』によって既に廃止・削除(アーカイブ)されておりますわよ。……現行法において、私の監査能力は国王陛下の直勅によって完全に保証されています。……事務的に見て、貴方の主張は『ゴミ箱行き』ですわね」


「な……なな、何だと!? 廃止された!? ルル、お前『絶対にいける』と言ったじゃないか!」


「ひ、ひどいですわ殿下! 図書館の古い棚にあったんですもの! ポルカ様、そんな細かいこと、今さらどうでもいいではありませんか! 愛があれば、法律なんて……!」


 ルルが泣き真似をしながら、ポルカに詰め寄ろうとする。


 だが、ポルカは算盤をピシャリと鳴らして制した。


「お黙りなさい。……ルル様。貴女が逃走中に立ち寄った高級ブティックの『ツケ』の伝票。……なぜか私の監査部に回ってきましたわよ。……品目は『逃走用の可愛いドレス』。……事務的に見て、逃走犯が可愛さを追求してどうするんですの?」


「……え、だ、だって、最後くらい、綺麗な私を殿下に見せたかったんですもの……」


「その『無駄な美意識』のせいで、貴方たちの潜伏先は一瞬で特定されましたわ。……カイル様、周囲の包囲、完了しておりますわね?」


 背後から、無数の近衛騎士団が音もなく現れ、塔を包囲した。


 カイルが、シリウスの前に立ち、冷たく言い放つ。


「……殿下。あなたの脱走劇にかかった国家損失、および看守たちの超過勤務手当。……すべて合わせると、貴方の残りの人生を三回使っても返せない額になります。……覚悟はできていますか?」


「い、いやだ……! またあの鉱山に戻るなんて! 計算ドリルなんてしたくない!」


「残念ながら、次は『暗算のみでの巨石運び』という、さらに高度な業務が用意されていますわ」


 ポルカが冷酷な微笑みを浮かべると、シリウスとルルは、魂が抜けたようにその場に崩れ落ちた。


「……ふぅ。カイル様、今回の脱走対応。……私の睡眠時間を二時間削ったことによる損失、彼らの刑期に上乗せしておいてくださいまし」


「ええ、喜んで。……さて、ポルカ。夜風が冷えてきました。……冷えた体には、私の淹れる『特別残業代(ココア)』が必要不可欠だと思いませんか?」


「……カイル様。……その提案、事務的に見て……非常に魅力的ですわ。……ただし、マシュマロは二個まで。……それ以上は糖分過多で、明日への持ち越しリスク(体重増加)が発生しますから」


「……くくっ。一グラムの誤差も許さない、私の可愛い監査官。……帰りましょうか」


 脱走犯をあっさりと「回収」した二人は、再び静かな王宮へと戻っていった。


 悪役令嬢を陥れようとした夢の続きは、再び正確な数字の牢獄の中に閉じ込められたのである。
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