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宿泊の町―リグレット―

勇者ストーリー

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 そこは人魔の争う最前線だった。

 空を仰げば、どこまでも続く毒々しい空。
 夜が終われば影が落ちる。左様な空がどこまでも、どこまでも続いている。暗澹たる雲、昇らない朝日。命の芽吹かぬ終わりの大地。

 そこでは今まさに、新勇者パーティと魔族の争いが繰り広げられているところだった。いや、この言い方では語弊があるだろうか。より正確には、魔族による一方的な蹂躙が繰り広げられていた。

「かはは! 弱い、弱過ぎるッ! 多くの同胞が破れた最も警戒すべき相手と聞いていたが、魔王様も耄碌したものだ。この私一人で十分ではないか!」
「くそっ! 舐めるな!」
「ふんっ!」
「がはっ!?」

 藍より青いクロークを頭からかぶった勇者。
 彼は真正面から魔族の懐に飛び込み、それから綺麗にクロスカウンターで手痛い一撃を貰った。錐揉み回転しながら吹き飛んで、やがて岩壁にぶつかって止まる。わずかに砕けた岩肌が、パラパラと崩れ落ちた。

「ヒーラーァ! さっさと俺を回復しろォ!」
「ひぃっ、は、はいぃぃ」
「させるとお思いですか?」
「おごふ……っ!」

 おどおどとしたヒーラーが回復魔法を唱えるが、魔族が勇者をサッカーボールのように蹴るものだから、一向に回復できるタイミングが無い。

 先に断っておくが、このヒーラーは決して無能などではない。勇者パーティから欠けた聖女の補欠として動員されるほど、癒し手としては十二分に優秀だ。彼女が十全に実力を発揮できていないのは勇者に落ち度があると言わざるを得ない。

「かはは! 実力不足な上に連携も未熟! 聞いていた話とはまるで違うではないか! あまり私を失望させてくれるなよ、勇者!!」
「あ……が……」

 ふいにふわりと吹いた風が、クロークを靡かせる。
 勇者が手に持つ剣の切っ先を魔族に向ける。
 瞬間彼は銀色の風を纏って駆け抜けた。

「負けて――たまるかぁあぁあぁぁっ!!」

 弓より早く飛び出した。
 間合いは一歩で埋め立てられる。
 勇者が今持てる全てを賭した一撃。
 体内の魔力を暴走させて放つ«万物必壊の奥義ホワイトノヴァ»。

 爆心地に暴風が咲き乱れた。
 吹き荒れる風。捲られる蒼のクローク。
 包まれた勇者の顔が暴かれる。

 解き放った魔力が、巻き上がった土煙と共に霧散する。そこに立っていたのは、何事もなかったかのように傷一つなく立ち尽くす、魔族の姿。それだけ・・・・だった。

「……逃げましたか」

 勇者パーティの中に、転移魔法に長けた者がいたのだと魔族は予想した。白煙から覗く勇者を包む光は、テレポート系の魔法特有の色をしていたからだ。

「それより、蒼のクローク、茶色い髪、翡翠色の瞳。私の知る人相書きと大きく違いますねぇ」

 魔族が聞いていたのは、それこそ身の毛もよだつ化け物の話。確かに今のも人族としては優秀だったが、あくまで人としての常識の範囲にとどまっている。

「……『偽物の勇者がいる』ということですかね」

 そう呟くと、魔族も同様に転移魔法で帰還するのだった。「魔王様のお耳に入れなければ」という独り言を戦場に残して。



 王城の乱痴気らんちき騒ぎはひとしおだった。
 満を持して投入した最終兵器、真の勇者が満身創痍で敗走してきたからだ。これは王国軍にとって全くの不測の事態である。

 どうして予想できなかったかといえば、その理由は前任者にある。影武者ながら勇者として戦ったウルティオラ。彼は『ただの一度も』魔族に引けを取らなかったからだ。

「勇者! 勇者はどこにおる!」

 これには王もご乱心であった。
 偽物の勇者にできたことがどうして本物にできないのだ。怒り収まらぬ王は「勇者を連れて来い! 今すぐにだ!」と言うと、従者の一人が慌てて勇者を迎えに行った。
 ほどなくして、ボロボロの勇者が現れる。

「国王様、お呼びでしょうか」
「勇者よ! どうなっておる! あの影武者はただの一度も敗北など喫さなかったぞ!」

 勇者の顔が苦悶に歪む。
 屈辱を噛み締めるように「お言葉ですが」と前置きして、それから言の葉を紡ぐ。

「今回の魔族は特別だったに違いありません。私が敵わない相手なのですから影が出向いていても結果は同じです。今までが幸運で、今回が不運だったにすぎません」
「そのような見苦しい言い訳は聞かん! お主に求められていることは何だ? 魔王の討伐じゃろう! ただの魔族一匹に敗れてどうする!」
「……」

 勇者はぐうの音も出せなかった。
 それでも、必死に頭を働かせ、言い訳を探す。
 詭弁でも屁理屈でも構わない。
 説得できる材料を探し続けた。そして見つけた。

「聖女です。国王様」
「なに?」

 この時、勇者の頭にあったのはヒーラーの事。
 彼女がきちんと回復魔法をかけていれば、ここまでの苦汁を味わうことは無かったのだ。であれば、より優秀なヒーラーを用意するしかない。

「此度の出陣ではっきりと分かりました。この戦争に勝つためには優秀なヒーラーが必要です」
「ではお主は、この戦の要は聖女にあると、そう述べるのだな」
「その通りでございます」
「ふむ」

 王は近衛兵に指示を出す。

「この者を捕らえよ」

 兵は一瞬、虚を突かれたように固まった。しかし言葉を咀嚼して飲み込んで、理解すると同時に動き出した。

「なっ! 何をする! 放せっ、この!」

 勇者は捕まるまいと暴れるが、魔族に敗れて体はボロボロ。一介の兵士にさえ力負けしてしまう。

「王よ、国王よ! 何故私を捕らえるのですか!」
「お主自身が口にした事じゃ。『この戦の要は聖女だ』とな。しかし一方でお主はこうも言った。『ヒーラーの替えなどいくらでもきく』。そのような先見の明を持たぬ者に、国の命運など託せられん」
「そんな! ふざけるな! 僕は勇者だぞ! 僕無しで魔族に勝てるものか!」
「……そうか。お主には伝えておらんかったな。勇者育成計画によって召集された者は、お前一人ではない。お前を勇者に据えたのは、単に最初に成熟したからに過ぎん」
「ハァ!?」

 王と勇者が口論を交わす間に、勇者は縄や手錠で芋虫にされた。激情に猛る勇者に冷や水を浴びせるように、国王が口を開く。

「お主風に言うならば、『勇者の替えなどいくらでもきく』ということだ。牢獄で死に絶えるがいい」
「キッサマアァァアァァァァァ!!」



 そうして、勇者のいなくなった王の間で。
 国王は隠密に、密命を出した。

「次の勇者の育成を急げ。それと、聖女を何としてでも見つけ出せ。必ず連れ戻せ」



 ……王城の地下牢からは、今日も怨嗟の雄叫びがするという。
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