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第71話 七つの大罪

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 『岩戸』から1kmほど北西でオレは足を止めた。

(待てよ? 青龍の能力は周囲100メートル以内で発動したスキルの無効化だったよな)

 麒麟相手に【アドミニストレータ】を使った時も時間停止は効いていなかった。
 もし麒麟も青龍同様に一定範囲内のスキルを無効化する能力を有しているのだとしたら。

(今回みたいに遠方で【アドミニストレータ】を発動して乗り込めば、麒麟も時間停止を無効化できないんじゃね?)

 なんだそれ、一気にイージーゲームか?
 勝ったな。

『ふ、ふ、ふ。誰かと思えば、また君ですか』
「……よう、また会ったな麒麟」

 ダメじゃねえか!
 普通に時間停止無効化されてるんですけど。

「ん?」

 あいさつ代わりに抜刀術をお見舞いするが、麒麟を引き裂いてもまるで抵抗がなかった。

『ふ、ふ、ふ。無駄です。そいつは『化け狐の呪い』が見せる幻影にすぎません。実体のない相手を切り裂くのは、いくらあなたでも不可能でしょう?』
「ずいぶんと及び腰なんだな。そんなにバーストが怖いのか?」
『ふ、ふ、ふ。なんとでも。これを老獪と呼ぶのです』
「ちっ、今に待ってろ。決着をつけてやる」
『ふ、ふ、ふ。それもまたいいのですがねぇ。その時間停止能力は解除したほうがよろしいですよ? ふふ、その能力が発動している間、吾輩だけは自由に行動できますからな。例えばこの小娘の頸も、刎ねようと思えばいつでもはねられるわけです』

 ……小娘?
 まさか、神藤さん?

 いや、焦るな。
 まだ、そうと決まったわけじゃ……。

『いいんですかな? ふ、ふ。3秒数えます。解除するかしないか選択してください。ふふ、しない場合どうなるかは、お察しの通りですがな』
「てめぇ」
「さーん」
「解除だ」

 吐き捨てたとたん、空が雷鳴をとどろかせているのに気づいた。吹き荒れる風に哀愁が漂っている。

「想矢くん? ここは、『岩戸』の近くかい? いつの間に」
「機会があれば話します。それより、今は先を急ぎましょう。神藤さんが危ない」
「……分かった」

 碧羽さんとしては思うところもいろいろあっただろうに、ひとまずはその一切合切を飲み込んでくれた。
 言い争ってる場合じゃない。

「……っ、碧羽さん。何か聞こえませんか?」
「想矢くんもか。どうやら、気のせいじゃなさそうだね」

 ブブブと、大きな羽虫が飛ぶような。
 ブモウと、闘牛場で暴れ狂う牛のような。
 オォォと、霊界に手招きする悪魔のような。
 そんなうなり声が聞こえてくる。

 どれが正しいとかではない。
 四方八方、ありとあらゆる方角から、まがまがしい気配が迫りくる。

「ベルゼブブにベルフェゴール、あっちはマモンですかね」
「ははっ、七つの大罪が勢ぞろいだね」
「笑ってる場合ですか」
「そうだね。どこぞの誰かさん一人を相手するより、よっぽど気が楽だ」

 碧羽さんと、目が合った。
 ドキリとした。
 その顔は、憑き物が落ちたようにすっきりしていたからだ。

「想矢くん、先に行け」
「……オレも一緒に戦いますよ」
「気が付かないのかい? 敵はこいつらだけじゃない。『岩戸』の方面から、次から次へと新たな『呪い』が押し寄せてきている」

 正直、オレは碧羽さんみたいに正確に敵の気配を読んだりなんてできない。
 ただ何となく嫌な空気が流れてくるとか、鳥肌が立つとか、そんな曖昧な直感しか持ち合わせていない。
 だけど、それでも、碧羽さんが言う通り『岩戸』の方から敵が迫り来ているのははっきりと分かった。

「でも」
「いいから、行くんだ」

 碧羽さんが、柩を手に取り掲げた。
 纏う『呪い』は碧羽さんの代名詞。
 『蝗害こうがいの呪い』だ。

「僕を誰だと思ってるんだい? 一対多の戦いには絶対の自信がある『岩戸』最強の柩使いだよ?」
「碧羽さん……」
「想矢くん。神藤さんを、頼んだ」

 その背中に、オレは覚悟というものを見た。
 その瞬間、オレの返答は一つに絞られた。

「信頼、してますからね」

 碧羽さんが、ピクリと顔を動かした。

「やれやれ、当代最強の柩使いからの信頼か。ははっ、これは、頑張らないとなぁ」

 ざっざと地面を足で擦った碧羽さんの体がブレた。
 そう思った時には、『呪い』の一匹に飛び蹴りをかましていた。
 何だ今の。
 蹴りはもちろん、体の身のこなしすら見えなかったぞ。

「任せてくれ」
「っ! はい!」

 オレはまた、『岩戸』に向けて走り出した。
 すべてが、手遅れになる前に。
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