8 / 14
賢者の弟子編
8、自尊心
しおりを挟む『人類』
アルゴノートには感情が存在しない。
しかし、自らと、自らを定義付ける生命体の危機に対しては、どこか怒っているような態度を見せる。小煩いことこの上ない。
『そちらの状況は理解しています。このまま足止めされるようなら、強硬手段もやむを得ないのではありませんか?』
アルゴノートの言葉と同時に、頭の中にこの建物の立体模型が浮かび上がる。
点滅しているのは脱出経路だろう。
『このまま脱出しても、あなたを追跡し、捕らえようと考える可能性は高くありません。しかしこれ以上彼らの事情に深入りすれば、それこそ今後の我々の行動に支障が出ます。急ぎ、この場所から脱出を』
AIの言葉にも一理ある。
ここにヒューマとメイアを連れてきた者の目的は、ヒューマではなくメイアだ。ヒューマがいなくなっても、まともに捜索するとは考えにくい。
そういう意味では、アルゴノートの提案は理に適っている。
(お前の意見は正しい。だが、彼女の持っている本は不確定要素だ。あの本の正体はわかったのか?)
『――いいえ、今も分析を続けていますが、巨大な情報ストレージであり、複数の封印が施されていること以外はわかりません。ですが、なんら特別な地位にない少女が持っているようなものがそれほど重要なものなのでしょうか?』
アルゴノートの判断基準となっているのは、地球における重要品管理規定だ。貴重なものの取り扱いには、相応の施設と管理者が必要となる。その基準自体はヒューマにも理解できるが、果たしてこの世界でも通用するのか。
ヒューマはメイアとの会話から、賢者の一族が衰退の一途を辿っていることを知っていた。過去に重要な品物を扱うに相応しい地位と責任を負っていた者たちが、時間の流れの中に埋もれていったり、時間の経過で重要性が忘れ去られていくということも十分に考えられる。
(むしろ、ここで情報を得たほうがいい。脱出したら、それもできなくなる)
『わかりました。探査ドローンを展開してください』
ヒューマの説明に納得したのか、アルゴノートはそれ以上の反対を口にしなかった。
汎用AIは過去の情報や実績を元に判断を下すよう設定されている。情報を蓄積すればするほど結果の精度は高くなっていくが、アルゴノートがこれまでの蓄積した情報では、ヒューマの判断を覆すほどの結果を導き出すことができない。
そのため、アルゴノートはヒューマの判断に従う決定を下したのだった。
(上手くコントロールしてくれよ)
ヒューマは腰に提げた道具袋から、直径三センチほどの球体を五つ取り出すと、静かに床に置いた。球体は転がって鉄格子を潜り抜けると、そのまま四方へと転がっていく。
「ん?」
違和感に気付いたらしい見張りの兵士ふたりが不思議そうに周囲を見回すも、小さなドローンを地下の限られた照明の下で見つけるのは非常に困難だ。最初からそういうものが存在していると知っていて探すのならば見つけられるかもしれないが、ドローンを知らない兵士からすれば、石ころが落ちているとしか認識出来ないだろう。
「どうした? なにかあったのか?」
さらにヒューマがそう訊ねて兵士の気を逸らせば、もう兵士たちはドローンを見つけることはできない。彼らは自分の足下を転がっていくドローンに気付かず、互いに顔を見合わせた。
「いや、なんでもない。それよりも、そっちの子は大丈夫なのか? ずっと黙り込んだままだが」
「別に罪人として囚われたわけじゃないんだ。気を落とさなくても大丈夫だぞ」
間違いなく、この兵士たちは善良な若者だろう。
彼らは自分の故郷を守るために兵士になり、いまでもその初心を忘れていなかった。
メイアのことを心配そうに見つめる兵士たちに、ヒューマは深刻そうな表情で訊ねる。
「ひとつ聞きたいんだが、あのアイリアというお嬢さんはいつもあんな感じなのか? あんたたちも知ってるかもしれないが、その子はあのお嬢さんと昔馴染みらしくてな。今回の件でショックを受けてるんだ。ひょっとして、なにか行き違いでもあったのか?」
「っ!」
びくりとメイアが体を震わせる。
涙で潤んだ眼差しが、フードの向こうからヒューマを伺っていた。
「久しぶりに会ったってことなら、まあ、そういうこともあるだろう。だが、俺たちはこの街のことをよく知らない。話せることでいいんだ。なにか心当たりはないか?」
「うーん、そうだなぁ」
目の前に泣いている少女がいるとなれば、兵士たちの警戒心も緩む。
「そういえば、最近メルスース様のお姿を見ないな」
「えっ」
メイアが顔を上げる。
「あの方も研究者だから、昔はそういうこともよくあったらしいんだけど、ここ数日は学園にもいらっしゃってないらしい。うちの子は学園に通ってるんだが、講師の方々も不思議がってるそうだ」
「そういえば、うちの妹も似たようなことを言ってたな」
メルスースはこのウェルペンの街の発展に大きな貢献を果たした、街の象徴のような人物だ。当然、人々にとって彼の動向は興味の対象で、多くの者たちが意識的、無意識的にその行動を追っている。
賢者の弟子メルスースは人々から身を隠すにはあまりに大きな存在だった。
「め、メルスース様がいないってどういうことですか!?」
メイアが鉄格子に張り付き、泣きながら問い質すと、兵士たちは申し訳なさそうに顔を伏せる。
「俺たちみたいな下っ端には、詳しいことはなんにも分からないんだ。ただ、アイリア様が事情を知らないとは思えないし、グレゴール様だって――」
兵士の言葉は、突然響き渡った怒声に遮られた。
「貴様ら! 誰がその者たちと言葉を交わして良いといったか!!」
「グレゴール様!? も、申し訳ありません!」
暗がりから姿を見せたのは、何人かの兵士を伴った魔導師の男だった。
ヒューマは座ったまま、その男を品定めするように目を細める。
(アルゴノート)
『あの男がグレゴールでしょう。この街で相当高い地位にあるようです』
(魔導師か、面倒だな)
この世界に疎いヒューマだっても、魔導師が特別な存在であることは知っている。
魔導師は優れた魔法技能を持ち、事実上の特権階級として人々の生活に深く根付いている。交渉相手としても、敵対相手としても、これほど厄介な相手はいない。
「ふん、これだから平民は……。次はないぞ」
「は、ははっ」
兵士たちが恐縮して頭を下げると、グレゴールは満足したように笑い、頷いた。
グレゴールにとって、相手が自分の自尊心を満たす行動を取ることがなによりの悦楽なのだ。
それは、誰かを通さないと自分の価値を確認できないということでもある。
そのため、グレゴールは誰かを利用することに対して一切の躊躇いがなかった。実の親でも、兄妹でも、師でも、許嫁でもだ。
「そこにいるのが、当代の賢者殿か」
「わ、私は……」
メイアが身を竦め、後退る。
グレゴールは兵士から鍵を受け取ると、ことさらゆっくりと牢へ入った。
そしてメイアに近付くと、困惑する彼女にこう囁いた。
「事情は知っている。私が協力して差し上げよう」
「えっ」
「私はメルスース様の後継者、メルスース様にできることならば、私にもできる」
自信たっぷりに告げるグレゴール。
まるで歌劇の一場面のように、大仰な動きで両手を広げる。
「いや、残された時間を考えれば、私は確実に師を超えるだろう。そして師のすべてを、知識を、血統さえも手に入れる! アイリアは運の良い娘だ、この私の妻となるのだからな!」
グレゴールは、驚き言葉の出ないメイアに更に近付く。
「すべて、私にまかせたまえ」
そう言うが早いか、グレゴールはメイアが腰に提げていた賢者の書に手を伸ばす。
「だ、ダメです!」
メイアが慌ててその手を掴むと、ほんの一瞬、グレゴールの顔が怒りで染まった。
「!! ――メイア嬢、私は君にとってもっとも価値のある提案をしているつもりだ」
だが、その怒りは一瞬で消え失せ、グレゴールは淡々と言葉を続ける。
すでにメイアは壁際まで追い遣られ、それ以上下がることもできない。
「私は君以上に優れた魔導師だよ? 君ができなかったことも、私ならできる。私に君のすべてを預けたまえ、悪いようにはしない」
グレゴールは囁きながら、メイアの顎を掴み、その顔を自分へと向けさせる。
怯えたメイアの表情に、グレゴールは深い充足感と興奮を抱いていた。
そうだ、自分へ向けられるべき表情は、これでなければならない。圧倒的強者に対する尊敬と恐怖、それこそが自分を自分たらしめるのだ――グレゴールは自分への自信を深め、その顔をメイアの首元へと寄せる。
少女の匂いが、ひどく心地良い。
「さあ、決断したまえ。君は今、もっとも幸福な選択肢を提示されているのだよ」
「あ……ああ……」
メイアはなぜ自分がこんな目に遭っているのか分からなかった。
ただ、師の友人に世界の危機を伝えに来ただけのはずだったのに、何故。
「あああ……」
メイアは体を震わせ、しかし賢者の書だけは離さない。
(どうして、どうして、どうして……!)
わからない。
大切な友人が自分に剣を向けたことも、優しい師の友が姿を消したことも、まったく理解できない。
いま彼女が分かっているのは、世界に危機が迫っていることと、自分しか賢者の書を守る者がいないということ。
自分だけが、こんなに弱い自分しかいないのだ。
「うう、うううう……」
恐ろしかった。
とてつもなく、泣き叫びたいほどに。
だが、それでも彼女は耐えようとした。恐怖に抗おうとした。
「さあ、私にすべてを委ねたまえ」
そしてそれ故に、彼女はひとりの男を動かした。
「私ならば、すべてを――――」
――ガァン!!
「!!」
グレゴールが驚き、振り向く。
その先には、座ったまま鉄格子をその足で蹴りつけ、盛大に、喧しく、場を乱した男がいた。
「……よう、御曹司。うちの依頼人にあんまり近付かないでもらいたい」
心底こちらをバカにしたような笑みを浮かべる男に、グレゴールはここ数年感じていなかったほどの、強い敵意と嫌悪感を抱く。
自分の行動を妨げられたのだ。
優れた、人を動かすべき自分が、人に動かされたのだ。
「貴様……!」
しかし、彼は気付かない。男――ヒューマに意識を向けたその瞬間、彼は優れた魔導師でもなければ、賢者の弟子の後継者でもなく、なにも持たない、ただの旅の剣士の敵へと引き摺り落とされた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
俺の伯爵家大掃除
satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。
弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると…
というお話です。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2巻決定しました!
【書籍版 大ヒット御礼!オリコン18位&続刊決定!】
皆様の熱狂的な応援のおかげで、書籍版『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』が、オリコン週間ライトノベルランキング18位、そしてアルファポリス様の書店売上ランキングでトップ10入りを記録しました!
本当に、本当にありがとうございます!
皆様の応援が、最高の形で「続刊(2巻)」へと繋がりました。
市丸きすけ先生による、素晴らしい書影も必見です!
【作品紹介】
欲望に取りつかれた権力者が企んだ「スキル強奪」のための勇者召喚。
だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。
彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。
【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc.
その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。
欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。
気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる!
【書誌情報】
タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』
著者: よっしぃ
イラスト: 市丸きすけ 先生
出版社: アルファポリス
ご購入はこちらから:
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/
楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/
【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる