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【第六幕】ピクルスの出稼ぎ留学@ヤポン神国

ウブな少年の心を奪う華麗な妖精ピクルス

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 ヤポン神の小槌で脳天を小突かれたピクルスは、見る見る小さくなって行く。
 全く以って身動きが取れなくなっている他の生徒たちは、ザラメだけを除いて皆が皆、指を咥えて見ているしかなかった。
 ピクルスを、唯一絶対の主人として敬愛しているザラメはというと、指こそ咥えてはいないものの、先ほど配られた大判のうちの一枚を、きつく噛み締めている。その行為は、運動競技の世界大会で勝ち取ったゴールデン賞牌を、喜びのあまり公衆の面前で噛んでしまう優勝選手を彷彿させる、といえなくもないのだが、しかしながら、今のザラメは喜びではなく歯痒さを堪えているのだ。
 やがて、ピクルスの縮小はスズメと同じくらいの大きさで止まり、ゴスロリ風衣装の背中を突き破って一対の翅が広がった。

「しばらくは、昆虫の気持ちを、思い知るが良いのじゃ。フッそそ」
「ラジャーλΛ♪」

 人生に一度くらい、機械の力には頼らず大空を自由に飛び回ってみたいと思っていたピクルスなのである。これこそ絶好の機会になったのだ。それもまた、彼女が常々欲して止むことのない「力への意志」だといえよう。
 と、この時だ。またしてもポンズヒコが急に苦しみ出した。

「ううっκκ!」

 スズメよりも大きなスズメバチが、ついに太い毒針でポンズヒコの首筋を刺したのだ。通常のスズメバチに刺されただけでも激痛が走るのだから、この一刺しは想像を絶する痛みに違いない、と思いきや、ポンズヒコのリアクションの方が想像を絶した。

「フッそそぉーρΡ、良く利くのじゃ。ええ塩梅で、チょんべり良好かな!」

 急転直下の愕然たる事態というべきか、刺し抜きならぬ状況というべきか、巨大スズメバチの一刺しは、どうやら針治療としての効果が抜群らしい。それは常日頃多忙な公務が原因による酷く凝りに凝り固まった、ヤポン神の肩を癒しているのであろう。溜まっている疲労が徐々に消えて行き、ポンズヒコは爽やかな気分になるのだ。
 五秒くらいが経過して、一仕事を終えたスズメバチは、ヤポン神に一礼してから飛び立ち、窓に開けた穴から出た。しかも、口から特殊な溶液を吹きかけて硝子の穴を塞いでから空へ飛び去ったのだ。こちらも驚きの新事実である。
 ここで担任のピザエルが、01番座席の近傍空間に漂ったままでいる小型化したピクルスを睨んだ。

「ピクルスはん、はよお席に戻りなはれ。自己紹介が中途や。後一人残ってるんやさかいになあ」
「ラジャー!!♪」

 初めて生え揃った翅を使って果たしてうまく飛べるのだろうか、という生徒たちの心配や不安は全て杞憂に終わった。なぜなら、小型ピクルスは、危な気を見せることなく、蝶のように少しパタパタ、そしてヒラヒラと見事なまでに優雅な舞いを披露しながら自席へ向かったのだから。

(可愛い!! ああ、友人としてしか見ていなかった僕は、愚か者だ!)

 軽々と艶やかに飛行するピクルス――華麗な妖精の姿に変態した幼馴染みの全身を両の眼に映したマロウリは、完膚なきまで心を奪われたしまった。
 小さいからこそ見せつけるなにか、気づかせる美の力があるのだ。例えば、緑色のゴスロリ風衣装の裾から覗く白い足二本が、まさにその通りだった。

(もう僕は一人の存在じゃない。ピクルスさんと二人一緒でこそだ!)

 今が多感の全盛時代ともいえるマロウリ――遅い思春期を迎えた、この十七歳の少年は、生まれて初めて、これが恋だとはまだ知らないものの、恋を知ったのだ。
 だが、そんなピュアな心の存在を知り様のないピクルスは、先ほどまでとは違って椅子に腰かけるのではなく、シュガーと同じように、机の上で体育座りをする。
 童話の世界にいるかの様な幻想的な一部始終を、うっとりと眺め続けるマロウリだった。そして、彼に対するピクルスの接近度数は一気に40に達した。これでピクルスはマロウリ経路に突入したのだ。

「ふぅ、漸くボクの番だね」

 そういって立ち上がったのは、出席番号15のシャンペンハウアーである。彼も少なからず妖精ピクルスの美しさに見惚れはした。
 だが、こちらはウブなマロウリとは違って、百戦錬磨のプレイ・ボーイなのだから、魅惑されるまでには至っていない。だが、唯それでも、ニクコの対シャンペンハウアー接近度数が30から25まで下がったのである。これは、小型化したピクルスがそれほどまでに可愛いのだということが証明されたのも同然である。

(油断ならないわねえ、あのピクルスという女!)

 剥き出しの心を、まるで黒の嫉妬と黄の警戒とが混ざった縞模様のハートのように変化させられてしまったニクコは、スズメバチの様な鋭い目つきをして、二つ前の机に座っている妖精の後ろ姿を睨む。しかし、それもピクルスには、与かり知らぬことである。
 様々な思惑が渦巻く中、落ち着いていて堂々とした態度のフランセ国第一王子がおもむろに口を開く。

「ボクは、フランセ国からきたシャンペンハウアーです」

 恋愛学科の最終親分、あるいは恋愛王子ともいえる貴公子の自己紹介が今まさに始まったのである。
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