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【第九幕】4thステージ「ビタミンC」
フンフケルパー神話『純粋のN』の前編
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VIP会員様から厚意を貰えたことにも、もちろん大いに驚きはしたのだが、それよりも、キュウカンバ王家の第一皇女という仮の姿が、すっかり見破られていることに愕然とした。それでも第一皇女であることが、ピクルスが乙女勇者であることに対する「隠れミノ」だという秘密は漏れていない。
「とりあえずはお礼をいっておきましょう」
ピクルスがソファーを立ったのだが、海亀が右の前ヒレを出した。
「お待ち下さいませ」
「どうか、しましたの?」
「はい。ポセイドン様は、私がこれからお話ししますこととも、かなり深い関係があるのですが、とてもシャイな紳士でして、ピクルス姫様のような大層お美しく若いお女性は、心の臓に悪いとのことです。それ故に、あのような遠くから、あなた様を見守っておられるのです。感謝の心とは、時空間を越えて伝わるものにございますので、きっとポセイドン様の暖かい胸の内にまで届いていることでしょう」
「シュアー」
納得したピクルスはポセイドンの方に向かってお辞儀をしてから、再び静かに腰を下ろした。
「頂きます!」
「はい。頂きましょう」
一人と一匹は、ストローを使って、自分の注文したドリンクを飲み始めた。
「とってもとっても美味しいですわ♪」
「はい。こちらも美味しゅうございます」
一人と一匹の舌を満足させてくれる味だったのだ。味の良さも、喫茶店「竜宮城の隣」の評判が高い理由なのである。
ピクルス・老亀ともども、一杯目を飲み干した。
いよいよ二杯目の容器にストローを挿す。すこぶる陽気に。
「美味しくて、グイグイと飲めてしまいますわね」
「はい。つい私も、グイグイと」
飲み物の味というのには、突き詰めると二種類がある。旨いか旨くないか。なにもたさず、なにもかけず、ありのままであることが理想である。
同じ飲み物であっても、それを喉に落とすタイミングやら分量やら勢いやら、喉の状態・頭の状態、あるいは何口目なのかによっても、至極大いに左右されることを、ゆめゆめ忘れてはならない。
だが、そういったことと、老亀の円らなマリンブルーから放たれる二つの閃光との関係においては、なんら因果はなく、承諾も予告もないまま、今なされた。
もちろんピクルスは気づいている。
「空気の張りが変わりましてよ、微かに」
「ほほう。そこを感じ取られましたか。いやはや、なんとも」
見た目の変化こそないものの、それまでの亀っぽさ満載から一転して、人間の老男性のような塩辛い声調にもなっている。
「それであなた、なにをなさって?」
「岩塩波状強結界、にございます」
「おほほほ。なんともいやはやな、妖術ですわ♪ それがあなたの武器?」
「左様でございます」
音を漏らさない結界で、現代的にいうならば単なる防音壁だが、騒音を防ぐ目的に限るものでもなく、秘密の会話の漏れるのを妨げるのはもちろんのこと、論理的思考力向上の効果を含めて、それは張られた。
そんな鉄壁の下で老亀は話の要旨を、親鳥が雛に餌を与えるように、それ以上もの慎重さで十分に噛み砕いたうえで、必要な断片を順序立てて、ピクルスに伝えようとしているのだ。
「さて、今の地上では、大抵の生物に性が二つあります。人間のように」
「ええそうですわ。男性と女性が」
「ところが、大昔に海の底から通じていました、遥かに遠い星のフンフケルパーと呼ばれている世界においては、かつて五つの性が、LとMとNとVとWが、あったのです」
「まあ!」
南の大海の底には不思議な世界への突破口がある、という類のお伽話は、ピクルスも幼い頃に父親のピスタッチオから良く聞いた。その頃に抱いていた、碧く深い興奮を懐かしく思える。
「フンフケルパーは、あちらにおられるポセイドン様の故郷です」
「やはりあのお方、普通のお方では、ないのですね?」
「はい」
「それで、そのフンフケルパーとは、どのような世界ですの?」
大きく丸く目を開いたピクルスが老亀を見つめ、期待を膨らます。
老亀の方はアイス梅昆布茶を少し吸って、喉を鳴らし胸腔を膨らます。
今の地上では、雌雄の営む交合により子が生まれる。その際の子の性別に対する法則は、遺伝子という仕組みでならあるにはあるが、各個体の間において厳密には定まっていない。例えば人間の場合、生まれてくる子の性別は大体において半々になる、という単なる確率的なものである。
対して、フンフケルパーでは、スラッシュ(\)とクロス(+)という二種類の交合があり、子の性は親の性に応じて、はっきりとした法則が備わっていたのだ。
「Nとのスラッシュ交合で産む子、すなわちスラッシュ・チャイルドの性は、必ず自身と同性だったのです。例えばLとNのスラッシュ・チャイルドがl、というように」
老亀は結界の透明な鉄壁に、L\N→l、M\N→m、N\N→n、V\N→v、W\N→w、という記号の羅列を、オーシャングリーン色の蛍光を放つ芯のカラーペンシルで五行に渡ってしたためた。
「また、Nとのクロス交合で生まれるクロス・チャイルドは必ずnでした」
さらに五行、L+N→n、M+N→n、N+N→n、V+N→n、W+N→nが追加された。
「逆に、N以外の同性間のクロス交合では、決してnが生まれませんでした」
「Nは不思議ですわ。どうしてそのような能力を?」
「Nはネプチューンの頭文字です」
「ネプチューンですって!」
海のΘΕΟΣ(神)とも呼ばれているクリエイターの別称ネプチューンが、自然とピクルスの心に、ある一つの感応を引き起こしたのだ。
「はい、ウミガミです」
「海亀?」
「海神です」
「海の神?」
「はい、生みの神でもあります」
老亀はフンフケルパー神話を語り始めた。その一部については、ピクルスも聞いたことがあったが、大部分が新しく知る不思議を運んできてくれる。
「とりあえずはお礼をいっておきましょう」
ピクルスがソファーを立ったのだが、海亀が右の前ヒレを出した。
「お待ち下さいませ」
「どうか、しましたの?」
「はい。ポセイドン様は、私がこれからお話ししますこととも、かなり深い関係があるのですが、とてもシャイな紳士でして、ピクルス姫様のような大層お美しく若いお女性は、心の臓に悪いとのことです。それ故に、あのような遠くから、あなた様を見守っておられるのです。感謝の心とは、時空間を越えて伝わるものにございますので、きっとポセイドン様の暖かい胸の内にまで届いていることでしょう」
「シュアー」
納得したピクルスはポセイドンの方に向かってお辞儀をしてから、再び静かに腰を下ろした。
「頂きます!」
「はい。頂きましょう」
一人と一匹は、ストローを使って、自分の注文したドリンクを飲み始めた。
「とってもとっても美味しいですわ♪」
「はい。こちらも美味しゅうございます」
一人と一匹の舌を満足させてくれる味だったのだ。味の良さも、喫茶店「竜宮城の隣」の評判が高い理由なのである。
ピクルス・老亀ともども、一杯目を飲み干した。
いよいよ二杯目の容器にストローを挿す。すこぶる陽気に。
「美味しくて、グイグイと飲めてしまいますわね」
「はい。つい私も、グイグイと」
飲み物の味というのには、突き詰めると二種類がある。旨いか旨くないか。なにもたさず、なにもかけず、ありのままであることが理想である。
同じ飲み物であっても、それを喉に落とすタイミングやら分量やら勢いやら、喉の状態・頭の状態、あるいは何口目なのかによっても、至極大いに左右されることを、ゆめゆめ忘れてはならない。
だが、そういったことと、老亀の円らなマリンブルーから放たれる二つの閃光との関係においては、なんら因果はなく、承諾も予告もないまま、今なされた。
もちろんピクルスは気づいている。
「空気の張りが変わりましてよ、微かに」
「ほほう。そこを感じ取られましたか。いやはや、なんとも」
見た目の変化こそないものの、それまでの亀っぽさ満載から一転して、人間の老男性のような塩辛い声調にもなっている。
「それであなた、なにをなさって?」
「岩塩波状強結界、にございます」
「おほほほ。なんともいやはやな、妖術ですわ♪ それがあなたの武器?」
「左様でございます」
音を漏らさない結界で、現代的にいうならば単なる防音壁だが、騒音を防ぐ目的に限るものでもなく、秘密の会話の漏れるのを妨げるのはもちろんのこと、論理的思考力向上の効果を含めて、それは張られた。
そんな鉄壁の下で老亀は話の要旨を、親鳥が雛に餌を与えるように、それ以上もの慎重さで十分に噛み砕いたうえで、必要な断片を順序立てて、ピクルスに伝えようとしているのだ。
「さて、今の地上では、大抵の生物に性が二つあります。人間のように」
「ええそうですわ。男性と女性が」
「ところが、大昔に海の底から通じていました、遥かに遠い星のフンフケルパーと呼ばれている世界においては、かつて五つの性が、LとMとNとVとWが、あったのです」
「まあ!」
南の大海の底には不思議な世界への突破口がある、という類のお伽話は、ピクルスも幼い頃に父親のピスタッチオから良く聞いた。その頃に抱いていた、碧く深い興奮を懐かしく思える。
「フンフケルパーは、あちらにおられるポセイドン様の故郷です」
「やはりあのお方、普通のお方では、ないのですね?」
「はい」
「それで、そのフンフケルパーとは、どのような世界ですの?」
大きく丸く目を開いたピクルスが老亀を見つめ、期待を膨らます。
老亀の方はアイス梅昆布茶を少し吸って、喉を鳴らし胸腔を膨らます。
今の地上では、雌雄の営む交合により子が生まれる。その際の子の性別に対する法則は、遺伝子という仕組みでならあるにはあるが、各個体の間において厳密には定まっていない。例えば人間の場合、生まれてくる子の性別は大体において半々になる、という単なる確率的なものである。
対して、フンフケルパーでは、スラッシュ(\)とクロス(+)という二種類の交合があり、子の性は親の性に応じて、はっきりとした法則が備わっていたのだ。
「Nとのスラッシュ交合で産む子、すなわちスラッシュ・チャイルドの性は、必ず自身と同性だったのです。例えばLとNのスラッシュ・チャイルドがl、というように」
老亀は結界の透明な鉄壁に、L\N→l、M\N→m、N\N→n、V\N→v、W\N→w、という記号の羅列を、オーシャングリーン色の蛍光を放つ芯のカラーペンシルで五行に渡ってしたためた。
「また、Nとのクロス交合で生まれるクロス・チャイルドは必ずnでした」
さらに五行、L+N→n、M+N→n、N+N→n、V+N→n、W+N→nが追加された。
「逆に、N以外の同性間のクロス交合では、決してnが生まれませんでした」
「Nは不思議ですわ。どうしてそのような能力を?」
「Nはネプチューンの頭文字です」
「ネプチューンですって!」
海のΘΕΟΣ(神)とも呼ばれているクリエイターの別称ネプチューンが、自然とピクルスの心に、ある一つの感応を引き起こしたのだ。
「はい、ウミガミです」
「海亀?」
「海神です」
「海の神?」
「はい、生みの神でもあります」
老亀はフンフケルパー神話を語り始めた。その一部については、ピクルスも聞いたことがあったが、大部分が新しく知る不思議を運んできてくれる。
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