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第3章 ホントの恋愛に向かって

3.〈 04 〉

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 2階にあがり、迷わず正男の部屋に入る。

「見て、アンタわかる?」
「これってプログラミングの本じゃねえか。姉ちゃんが買ってきたのか? わっ、おいおい本体価格8400円だぜ!! この著者、どんだけ稼ぐつもりだ!」

 大森家の人間はこういう反応しかできないのね。

「お、この猪野獅子郎って人、オレの先輩になる人だ」
「そうなの?」

 著者プロフィールね。学歴のところに正男の受ける大学名があって、工学部電子情報工学科卒と書いてある。

「学科は違うけど確かに先輩だわ。アンタが合格できればの話だけど」
「オレは絶対受かってやるぜ!」

 さすがアタシの弟、いってくれるじゃん!
 しっかし、猪野さんって正真正銘のエリートなのね。

「決して『逃がした魚は大きい』じゃあないよ。アンタ意味わかる? 惜しくてそう見えるだけじゃなくて、ホントに大きかったのよ。改めてそう思うわ」
「なんの話だよ?」
「まあアンタには関係ないね。あ、そうそう、ちょっと待ってて」
「は?」

 パソコンの電源を入れてからアタシの部屋へ行き、ハンドバッグからUSBメモリを取り出して持ってくる。

「お姉ちゃんがババロア作ってあげる」
「は?」

 ログインしてUSBメモリを挿す。すぐに〈E:/〉の画面が表示される。
 その中には3つのファイル〈萩乃のババロアレシピ.txt〉、〈初版 人気だす草なぎ君!.txt〉、〈修正版 人気だす草なぎ君!.txt〉がある。

「ハギノ? イノ?」
「なにアンタ、どうかしたの?」
「この〈萩乃〉だけど、猪野萩乃のことか?」
「そうね。アンタの先輩になるかもしれない猪野さんの妹さんでしょ。お嬢様みたいな言葉使いをする地味声の女。たぶんアンタと同じ19歳よ」

 それはそうと、イノシシに萩だなんて風流ね。まるで花札の世界だわ。

「それなら間違いない」
「なにが?」
「猪野萩乃は、オレが高2のとき同じクラスにいた女子だってこと。優秀な兄貴がいるとか聞いたことがある。この本を書いた猪野獅子郎さんだな」
「ええっ!?」

 ウソ、こんなことってあるのか!! まるで乙女ゲームの世界だわ。
 あ、でもそれだったら新キャラは美少年でなきゃね。あー残念!

 マサコが1人喫茶店で、ババロアを食べながら、少しアンニュイな気分でボーイズラブ小説を読んでいると、横から「よろしかったらレシピもどうぞ」と綺麗な声がする。
 マサコはゆっくり顔をあげ「どうも」と受け取る。――アイテム〈スイーツのレシピ〉をゲットしました!
 レシピを渡してくれた男は、スパイもの映画シリーズで主役をやってて、女子ならまず誰もが認めるウルトラ級のイケメン俳優にそっくり。そんな彼が「おや、その小説は……」と本のページを覗き込む。
 マサコは「やだ見ないで!」と頬を朱に染める。すると彼が「BLもいいですが、こちらもどうぞ」と囁き、『改訂新版〈Winders PowerShovel〉上級マニュアル』を差し出す。
 マサコは「ええっ!? もしかして、あなたもパワーショベルの達人?」とさらに頬を染める。彼が「はい。さあ本をお手に」と囁く。
 マサコは「ありがとう」と受け取る。――アイテム〈プログラミングの本〉をゲットしました!
 2つのキーアイテムが揃い、ここでイベント発生!
 弟マサオの紹介で、マサコは攻略キャラ〈イノ ハギロウ〉と出会い個別ルートに進む。ハギロウがマサコの顔をじっと見つめる。マサコもハギロウの瞳だけを見る。
 そして迎えるエンディング! ホントの恋愛に向かって、2人は手をつなぎ白亜館のような4階建てホテルへ。なぁ~んて、乙女ゲームの世界にしかないもんね~。

「姉ちゃん」
「は!?」
「どうかしたのか?」

 妄想の世界からこちらへ戻ってみると、正男の視線がアタシの顔に注ぎ込まれている。そんな目で見つめないで、姉弟なのよ。

「どうもしないわよ。で、なんの話だっけ?」
「猪野萩乃の話だよ」
「そうそう、その子って可愛いの?」
「普通だな」
「普通ってなによ?」
「目立たない顔だよ。不細工というのでもないし。でも姉ちゃん、猪野の顔は知ってるだろ?」

 だからアタシは見てないのよ。アンタの元クラスメイトだってわかってたら見たでしょうけど。

「忘れたのか? オレが高2のときに、姉ちゃん麻布幕内祭にきたろ?」

 えっと、〈麻布教育学園 幕内高等学校 文化祭〉だったか?
 アンタに連れて行ってもらったことは覚えてるよ。

「それがどうしたの?」
「スイーツ研究会の連中がクッキー配ってたろ? あのとき姉ちゃんに手渡したのが、猪野なんだよ」
「そうなの?」

 顔は覚えてないわ。クッキーがうまかったという記憶は残ってるけどね。

「ていうか、もしかしてアンタ、その子とつき合ってたの?」
「いいや、文化委員を一緒にやってただけだ。それ以外ほとんど話してない」
「ふうん」
「でも、ある日オレにチョコブラウニーをくれたんだ」
「バレンタインデー?」
「違うよ。その少し前だった」

 ああ、そういうことね。

「で、味はどうだった?」
「うまかった」
「他にそれを食べた人は?」
「オレだけだよ」
「で、食べてどうしたの?」
「感想を聞かれたよ」
「どう答えたの?」
「うまかったって」
「それだけ?」
「それだけだよ」

 あちゃー、我が弟ながら情けない。女の子の気持ちがわかってない!

「バカ」
「なんだよ?」
「別に」
「は?」

 まあ今の正男には受験勉強に専念させておくのがベストだし、ここで余計なことはいわずもがな。

「それよりも、アタシこれから毎日このパソコン使うよ。文句ある?」
「おいおい姉ちゃん。たまに使うのはいいけど、毎日この部屋に入り浸るのは困るんだよ。オレは追い込み中なんだからさ」
「じゃあ、アンタのお受験が終わるまで、お姉ちゃんに貸してよ? そしてアンタは追い込みなさい」
「は?」
「だからアタシの部屋で使うの。どうせアンタしばらく必要ないでしょ? それともギャルゲーとかやって、時間ロスするつもり?」
「今はゲームなんてしてねえよ。勉強オンリーだ」
「よっし、それで決まり! アタシの部屋に運んでよ。デスクもろとも」

 アタシはパワーショベルを使いたいのよ。このパソコンでね。

「それなら自分で運んでくれ」
「アンタ、机にかじりついてるばかりじゃダメダメ! たまには体を動かさなきゃだよ。ね? それとも、大恩ある姉様のお願いが、まさか聞けないとでもいうの?」
「はぁ~~、わかったよ。運ぶよ」
「さすがマサオちゃん、往生際がいいね!」
「姉ちゃんには敵わねえなあ……」

 これでアタシもパワーショベルのお勉強ができるわ。へっへへへ~。
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