平凡な私が選ばれるはずがない

ハルイロ

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マイヤ様と別れた後、私は大量の資料を抱えて、王宮の東側に建つサウザリンド獣人騎士団の執務棟に向かう。
そして、一度深呼吸した後、棟内に臨時で作られた情報編纂部の部室の扉に手をかけた。予想通り、その部屋の奥の席には、私の苦手な方が眉間に皺を寄せて座っていた。

各国の協力により、期間限定で組織された魔物対策情報編纂部の責任者は、サウザリンド獣人騎士団団長のヴェイル王弟殿下だった。ヴェイル殿下指示の下、各地の魔物の情報や被害状況を纏め、有識者達が今後の対策を立てていくことになる。
その中で、各国から集められた情報を精査するのが私の仕事だった。


私を嫌っている方と仕事をするのは、気が重い。
でも、辛いのは今だけ。
だから、頑張ろう。

私は、気持ちを切り替えてヴェイル殿下の下に向かった。


「今日からお世話になります。サージェント王国のステラと申します。少しでも皆様のお力になれるよう頑張ります。よろしくお願いします。」
顔に軽く笑みを乗せ、私はヴェイル殿下に挨拶をした。けれど、返ってきたのは失笑とも取れる乾いた笑いのみ。
あまりの態度に、既に席に着いていた文官達から、蔑みの笑いが聞こえた。


「お前に仕事が出来るとは思えないが?男漁りなら他でやってくれ。目障りだ。」
ヴェイル殿下は、手で追い払うような仕草をすると、私から目を逸らして仕事を始めてしまった。

その日は終日、私の下に重要な仕事が回ってくることはなかった。
初日から私は、編纂部内で完全に浮いた存在となってしまったのだった。




「あの!」
机で議事録の正書をしていると、獣人騎士団の侍女に声をかけられた。


「また、呼んでましたよ、男前な騎士様が。」

「え?あ、はい。ありがとうございます。行ってきます。」
アレン様に呼ばれていたのを思い出した私は、声を掛けてくれた侍女にお礼を言って、慌てて立ち上がった。すると、いきなりその侍女に腕を掴まれて、お茶が入ったポットを渡された。


「悪いんだけど、それ、ついでに片付けてきてくれません?私、こっちもあって。」
侍女は、カップが沢山乗ったトレーを軽く上げてみせた。


「は、はい、分かりました。」
給湯室は、すぐ近くにあるから時間はかからない。
でも、急がなくちゃ。

私は、少し重いポットを両手でしっかり持ち直して、扉に向かって歩き出した。
資料が置かれた机の脇を慎重に進んでいると、前を歩いていた侍女の足が遅くなる。そして、ソファの前を通り過ぎた時、突然、私に足を伸ばしてきた。
両手が塞がっていた私は、それを避けきれずバランスを崩す。ガシャンと大きな音を立てて、私はソファに倒れ込んだ。


「キャー!これ、殿下の上着よ!陛下から賜った勲章まで汚してしまっているわ!騎士にとって勲章は名誉そのものなのに、どうしてくれるのよ!」

大騒ぎしている侍女を茫然と見上げると、その手には、お茶で汚れた騎士服が掲げられていた。それを見た文官達も、次々にざわつき始め、部室内が不穏な空気に包まれる。

非難の目が私に集中する中、その空気を吹き飛ばすような勢いで扉が開かれた。


「何の騒ぎだ?」

「殿下!殿下の勲章に汚れが!サージェントの侍女が、不注意にも茶器を雑に扱ったのです!あれだけ注意したのに!男性に呼び出されて浮かれていたんでしょう。なんて不実な!」
侍女が汚れた騎士服を持って、ヴェイル殿下の側へ駆けて行った。


「この汚れは落とせるか?」

「はい!一日頂ければ、綺麗にしてみせます!」
侍女は、嬉々として、ヴェイル殿下の質問に答えていた。その返答を聞いたヴェイル殿下が、未だ座り込んだままの私へ、失望を滲ませた冷たい視線を向ける。


「では、お前は、今日一日謹慎とする。下がれ。」

「はい、申し訳ありませんでした。」

弁明すら許されないヴェイル殿下の冷たい態度に、私は下された処分を受け入れることしか出来なかった。







「失礼致します。殿下、昨日サージェント王国から届いた追加資料をお持ちしました。確認をお願いします。」
謹慎を言い渡された次の日、仕事に出てきた私は、恐る恐るヴェイル殿下に話しかけた。

そんな私を一瞥したヴェイル殿下は、無視するように背を向け、窓際の専用の席に移動してしまった。
私の手には差し出した資料が、虚しく残っている。
頭を下げたままの私に、周りの文官達の侮蔑の視線が刺さった。


こうなってしまったら、もう、どうしようもない。今は我慢するしかない。


心の中で、自分にそう言い聞かせていると、見かねたヴェイル殿下の副官が、私の手から資料を引き抜いていった。
私はその方に頭を軽く下げ、一番端の影がかった席に戻った。




「ステラ殿。」

机で一人、作業をしていると、ヴェイル殿下の副官が話しかけてきた。


「ここは人手が足りているので、貴女は隣の資料室を片付けてきて下さい。そこに貴女用の机も用意してあります。今後は、そこで仕事をするように。」


一瞬、言われた事が理解出来なかった。
でも、周りの文官達の視線で、私がここにいるべきではないのだと分かった。


「はい。すぐに、移動します。」
私は少ない荷物を持って、隣の部屋へ移った。


寒い...。


編纂部の部室から内扉で繋がる資料室は、窓が小さく薄暗い。日が入ってこないため、南国とはいえ、朝の時間帯は冷んやりとしていた。
掃除も行き届いていないのか、棚には埃が積もっている。

私は、唯一ある小さな窓に手をかけた。

その時、窓枠に小さな水滴が落ちる。
曇った窓に映る私の顔は、止まらない涙に濡れていた。


悔しい。
何も出来ない自分が大嫌い。
帰りたい。
今すぐ、主人の側に戻りたい。


「グスッ、グスッ...。」
この数日間、我慢し続けたせいか、涙が止まらない。
嗚咽を隠すために、私は窓際に蹲った。


いち、にい、さん...。
私は心の中で、ゆっくり数を数える。
私が泣いていいのは、十を数える間だけ。
それは、泣き虫な自分に課したルールだった。
泣いていても何もならないと知っているから。



「はあ、泣くのは終わり!まずは、掃除でもしましょう。」

私は涙を拭って、片隅にあった掃除用具を引っ張り出した。



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