休憩室の真ん中

seitennosei

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暫く抱き合っていると、道の先から人の気配を感じた。
何気なくそちらに目を向けて全身が震える。
健太?
瞬時に身体が強ばり、言う事を聞かなくなる。
近付いてきた人影をしっかりと確認すると、それは健太ではなかったのだが、ホッとした私に高橋さんが真剣な顔で問い掛けてきた。
「何があるのか話してくれ。」
何をどこまで話せば良いんだろう。
頭の中が纏まらないまま、私はポツポツと話し始めた。
「元カレが幼馴染なんですけど、私が地元を出て以降、母から情報を聞き出してはバイト先に現れるんです。」
「…。うん。」
「もう2件、元カレの嫌がらせが原因でバイトをクビになってるんです。」
「そうか…。」
高橋さんは相槌しか打たないけど、優しい顔で聞いてくれている。
「いつも待ち伏せして他の従業員に嘘を吹き込んだり、お客様のフリしてクレーム入れたりしてくるんです。社員さんもはじめのうちは元カレの方を警戒して私を気の毒に思ってくれるんですけど、段々面倒くさくなるのか、元カレの言うことを信じてしまうのか、最終的に私を切り捨てるんです。」
「そうか…。ここに来るまで大変なこと沢山あったんだな。」
苦しそうな笑顔を見せた後、再び優しく抱きしめてくる。
「もう大丈夫だから。今の店の人達はそんな奴の言うこと真に受けねぇし、汐ちゃんが苦しんでるのに面倒だからって切り捨てたり絶対しねぇからな。」
キツく抱きしめたまま囁かれる。
耳のすぐ上に熱い息がかかる。
そこから強ばった身体が解かされていく感じがして、鼻の奥がツンとした。
「この先、またそいつが来たとしてさ。脅してきたり、店の人を巻き込んだとしてもさ、お願いだから、元カレに従ったり、店辞めて一人で困ったりしないでくれよ。苦しい時は俺に言って。」
視界が歪む。
涙が頬を伝った。
そして夜風に冷やされ、火照った頬を冷ましていくのが心地良く感じた。
「それだけは約束してくれ。」
「…はい。」
答えたつもりが、声が掠れて上手く出ない。
無視していると思われたくなくて、コクコクと大きく頷いておいた。

少し経って落ち着いてくると、急に恥ずかしくなった。
離れがたくて抱きしめられるままに居るけど、これってどのタイミングで止めれば良いのだろう。
人通りの少ない路地とはいえ、ずっと抱き合っているのはどうなんだろうか。
幸せと気まづさが合わさり、沈黙に耐えられなくなって話題を振る。
「前に『強がって周りに結果として掛けてしまう迷惑より、素直に甘えて頼って掛けてくれる迷惑の方が嬉しい』って一花さんが言ってくれたんです。」
「…へー。アイツ良いこと言うじゃん。」
高橋さんはゆっくり腕の力を緩めて私を解放した。
まだそんなに寒い季節でもないのに、身体が外気に晒され、高橋さんのくれた熱が急激に奪われていく。
名残惜しい。
離れたくない。
自分の気持ちを認めた瞬間から、欲張りになっていく。
その気持ちを悟られない様、何でもない風に話を続ける。
「一花さんって、こっちの望んでいることを先回りして提示してくれるんです。でも押し付けじゃなくて、適度な距離から。私はちょっと気を抜くと人に依存しちゃうから、逆に極端に一人になろうとしちゃってて。でも一花さんの距離感で手を差し伸べて貰えると、素直に頼ってみたいって思えるんです。」
「…ふーん。」
高橋さんは向かい合っていた体勢から、横に並び直し、私の手をとるとゆっくりと歩き出した。
手を繋いだまま、私も歩き出す。
「知り合って間もないけど、私、本当に一花さんが好きなんです。」
「…。」
隣の高橋さんを見る。
真っ直ぐ前を見据え歩く横顔を下から眺める。
スっと伸びた鼻筋と、堀が深く少し窪んだ目元との対比が美しい。
だけど、ちょっと不機嫌そう?
さっきまで甘々に優しかったのに。
私が何かしてしまったのだろうか。
急に不安になる。
「あのさ。」
唐突にこちらを見ないままぶっきらぼうな声を出す高橋さん。
「これからは一花じゃなくて俺にして。頼るの。」
「え?」
一瞬だけこちらをチラッと見下げ、また前を向き直る。
初めて見る表情。
酷く冷たく見えた気がした。
「一花はすげぇ良い奴だし、気が利くし頼りになるけど、女じゃん。俺は察し悪ぃし、頼り甲斐はそんなねぇかもだけど一応男だし。俺が汐ちゃんを守るから、もう一花のことはあんま頼んなよ。」
息が吸えない程、胸が痛む。
「女じゃん。」の部分が、何回も頭に反響している。
高橋さんは、私を守ろうとした一花さんが危険に晒されることを心配しているんだ。
そうだった。
高橋さんの好きな人は一花さんなんだった。
どうしてこんなに優しくしてくれるんだろうって。
もしかしたら私のことって。
勘違いしそうになる度に言い聞かせて来たはずなのに、また思い上がるところだった。
どうしてもこうしてもない。
高橋さんの行動原理なんていつも一花さんだったじゃん。
一花さんへの気持ちを知っているから私と仲良くなった。
一花さんが可愛がっているから、私を構う。
一花さんが心配してるから、私を守る。
高橋さんの中には一花さんしかいないんだ。
前に一花さんの元カレが現れた時も、高橋さんは兄と私ごと一花さんを守った。
高橋さんは一花さんだけでなく、一花さんを取り巻く環境ごと守ろうとする人なんだ。
私はその一部でしかない。

指先が凍えたみたいに冷たくなり、身体全体を濁った薄い膜が包んでいるかのように外界の情報が入ってこない。
頭の中だけがどんどんクリアになっていって、自分の声で「早く一人にならなきゃ」って繰り返し聞こえる。
遠くの方で高橋さんが何か言っているけど、何を言っているのかはわからない。
いつの間にか寮の前まで来ていた。
私は高橋さんの手を離し、背を向けたまま声を振り絞る。
「今日はありがとうございました。だけど、もうこれで、今後はこういうの大丈夫ですから。」
「へ?なんで?ってか、汐ちゃん、ちょっと前から急におかしくない?」
私の心境の変化を把握できていない高橋さんが、慌てて肩に手をかけ、自分の方に向き直そうとしてくる。
それを振り払い言い切る。
「もう嫌なんです。」
「…ごめん。…俺、ちょっと今、意味わかってない。」
悲しそうな声で高橋さんが呟く。
「俺の何がダメだったか言ってくんないかな?可能なら直すし、なんなら元カレの問題が解決するまでの間だけでも良いから一緒にいてくんねぇかな…。」
こんな苦しそうな声を出させて。
こんな悲しいこと言わせたかった訳じゃないのに。
「ごめんなさい。高橋さんは何も悪くないんです。でも…。高橋さんに優しくされるの辛いんです。…ごめんなさい。」
そう言って、逃げるように寮の中に入った。

一花さんの言った通り、素直に周囲を頼る方が、後々迷惑を掛けることが少ないのだろう。
それをわかっていても、今は一花さんを巻き込みたくない。
かといって、高橋さんを素直に頼ることもできない。
私はまた一人になるしかないんだ。
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