タルパと夜に泣く。

seitennosei

文字の大きさ
上 下
47 / 57
タルパと夜に泣く。

47

しおりを挟む
今朝清太郎の小説を手にしてから繰り返し何度も読んだ。
嗚咽で中断したのは一度だけで、その後は息する間もなく一気に読み切ってしまった。
だけど上手く思考できなくてまた最初から読み始めて。
そうしたら今度は読んでいる途中に胸がいっぱいになり目を閉じ深呼吸をして。
あまりにも沢山の想いが芽生えてきて私は自分でも何をどう感じているのか整理出来ないでいた。
また紙の束を手に取り読んで、堪らなくなって休んで。
店をきちんと閉じるのも食事をするのも忘れ、その繰り返しで何往復も紙の上に目を走らせた。
はっと気付けば空が暗い。
だけどまた、何度目か分からないけれど手の中のそれに目を落とす。

これが清太郎の想い。
これが清太郎の感じたもの。
それを知る事が出来て嬉しい。
物語は清太郎が私と過ごした小五の夏休みから始まり、祖父への手紙で語っていた兄弟への劣等感や家族との溝、仕事での挫折を経てここに来てからの私への想いなどが中心に描かれていた。
そして一番理解したかった居なくなった理由についても語られており。
それは私への怒りでも軽蔑でもなく、ただ純粋な羞恥であったと知る事が出来た。
嫌われていなかったと安堵するけれど。
最後の一文は一章の最後と同じ『どうして僕の右手は今寒いままなんだろう?』で締めくくられていて清太郎が今後何を望んでいるのか具体的には記されていない。
私はここで清太郎の帰りを待ち続けても良いのだろうか。
この小説がフィクションでないのなら、好意はまだ残っていると受け取れるけれど、期待と不安と戸惑いとが渦巻いて未だに処理しきれていない。
結局自分のするべき事を決められないまま私は居間で呆けている。

ガシャガシャ

なんの前触れもなく玄関の扉を叩く音がした。
ああ、きっと近所の誰かだ。
無人の筈の源造さん宅から明かりが漏れている為、清太郎が帰ったのかどうか確認に来たのだろう。
鍵を託された私が勝手に過ごしているのだと説明しないと…。
重い腰を上げ玄関へ向かう。
ガラガラと扉を開いて「はい。」と発した時。
目の前に立っていたのは清太郎だった。

「…え…?」
「こんばんは。」

今までの事が全て幻だったかのようにさっぱりとした笑顔。
最後に見た時と違い、綺麗に整えられた髪。
無精髭は姿を消していた。
パリッとシワのないシャツからは柔軟剤の匂いがしていて。
状況が理解出来ずにただただ見詰める。
「清太郎…さん?」
「違う。」
「え?」
混乱の極みだ。
絶対に清太郎の筈なのに否定され戸惑いしか出てこない。
私は「え?」っとまた声を漏らした。
そして爽やかに笑い続けている清太郎は一呼吸置くとおかしな事を口にする。

「俺はタルパだ。」

もう状況どころかその発言の意味すら全く分からない。
清太郎がタルパ?
会わない間に可笑しくなってしまったのか。
それとも私をからかいに来たのか。
意図が掴めず戸惑い声を失った私に構わず清太郎は畳み掛ける。
「俺がアンタのタルパになるから今から言いたい事全部言ってくれ。穴の中に吐き出すみたいな。顔の見えない懺悔室みたいな。何でも全部受け止めるから。誰にも言えないつっかえたままの言葉を俺に吐き出してくれ。」
いまだ理解は追い付かない。
けれど、あれだけ拒絶していた私の話を聞いてくれるって事だろうか?
そう思ったら急に涙が溢れた。
これまで一切弁解の余地がなかった私の言葉達を今から聞いてもらえる。
声が震えた。
「あの…だっ騙して…結果騙してしまっていたんですけど、ごめんなさい。ホントに、私…ホントに馬鹿にしていたわけでも笑っていたんでもなくて。…アナとして求められている事が嬉しくっ…」
「違う!」
強めに遮られ黙り込む。
また間違えたのだろうか。
でも、じゃあ何を言えば良かったのだろう。
何でも言えって言ったのに。
グルグルと考えて焦る。
だって折角の、もしかしたらこれが清太郎に話を聞いてもらえる最後のチャンスかもしれないのに絶対に間違えたくない。
おどおどと取り乱す私。
それを宥める様に真っ直ぐにこちらを見据え清太郎は少しだけ苦しそうな表情で続けて言う。
「本当にアンタはさ…今は良いから。そういう…高橋清太郎の気持ちを軽くする為の説明とかは…。そういうのは朝になったら高橋清太郎としてちゃんと聞くから。今は俺の気持ちとか伝わるかとか気にしないで胸ん中につっかえてるもん全部吐き出して欲しい。」
私の弁解を自己弁護とせずに清太郎の気持ちを何とか軽くしたい一身の説明なのだと汲んでくれている。
それだけで胸がいっぱいだ。
「…でも…他に言いたい事なんて…」
「俺は今アンタのタルパだから。」
「…。」
「分かるだろ?アンタも俺のタルパだったんだから。」
「…っ。」
時が遡られていく。
アナだった時の感覚が今鮮明に蘇る。
震えて自分勝手な本音を吐き散らす清太郎の横に私はずっと居た。
目の前に本人が居るとも知らずに私の悪口を延々と吐き出していた時も。
大の大人が震えて泣き縋る様も目の当たりにして。
それでも私は清太郎が愛おしく思えて傍に居たんだ。
「どんだけ酷い言葉も、どんだけ我儘な事でも全部受け止めるから。アンタがしてくれた事…、これからは俺にもさせて欲しい。」
視界が利かなくなる程の涙。
嗚咽で呼吸もままならない。
堪らなくなり自分の肩を抱いてしゃがみ込む。
「おい。」
清太郎は心配そうな声を上げ玄関に足を踏み入れると扉を閉じた。
そして私を抱えあげ立ち上がるとそのまま抱きしめる。
「何でも吐き出せ。」
「なんっ…で?」
「ん?」
「何で優美ちゃんと会ってたの!嫌だった!」
「…うん。」
清太郎は相槌しか打たないけれど、その分抱く力を強くした。
私も腕を背中に回し応える。
「特別って言ったのに!…居なくなっ…。私の話聞いてくれないのも嫌だった!」
「うん。」
「苦しくて一人が怖くて、どうしよもなっだからっ…仕方なかったのに!ビッチって言った!私の孤独に気付いてるって書いてたくせに!分かってなかったじゃん!びっちじゃなっ…ビッチじゃない!」
「うん。」
「お母さんだってっ…っ。」
そこから私は今まで誰にも口にした事の無い、自分の心の中ですら思わない様にいていた事を喚き散らした。
心に深く刺さった棘を無理やり引き抜いて膿を絞り出すように。
支離滅裂に思いつくままに。
「お母さんだって本当の私を見てくれない!お母さんの理想の私じゃないと…ホントの私の話は聞いてもらえないでしょ?じじちゃんだって…皆。みんな私の事、ホントの私なんて見ないじゃん。好きじゃないってなるよ絶対。ホントの私なんて出せないよ。見てくれない!誰も!」
「…うん。」
「私…だっ、私も甘えたい!生きてるだけで嬉しいって思われたい!あ、あっ…愛されたいよぉ…」
そのまま嗚咽で話せなくなる。
「…っ。」
相槌も返ってこない。
同時に手を置いている清太郎の背中が熱くなり微かに震え出した。
ずずっと鼻を啜る音も。
もしかして清太郎も泣いてるの?
私の為に?
ゾクゾクと得体の知れない愛おしさに襲われる。
私は背中に回していた両手を一度離し、上から首に回し直すと清太郎の頭を抱き寄せた。
屈み気味により一層強く抱きしめ返してくれる清太郎。
少し顔を傾けると私の耳元で囁く。

「愛してる。」

その瞬間、私の時は止まる。
愛してる?
あいしてる。
アイシテル。
愛してるって?
「っぅ…嘘だ。」
「愛してる。」
「そんなわけない!ホントの私の言葉聞いて愛せるわけない!」
「俺はアンタを愛してる。」
うわあああと声を上げ泣き叫ぶ。
めちゃくちゃに喚きながら清太郎の肩を叩き押した。
だけど清太郎はそれをあやすように優しく、逃げられないくらいには強く抱き締め続けていて。
私はただ声だけ上げ続ける。
信じられないと突っぱねているのにしつこく愛してると言い張る清太郎に腹が立った。
だけどそれを嬉しく思ってしまう自分がもっと嫌で。
期待が捨てられない事が悔しい。
「『私でごめんなさい。』なんて言わせてごめんな。でもさ…俺が言わせたんだけどさ…もう絶対そんな事言わないでくれよ?俺はアンタだから愛してるんだ。」
「信じられない!」
「俺はね。無理やり本音を聞き出したくて戻ってきたんじゃないんだ。アンタだって子供の頃からずっと纏ってきた鎧を急に全部脱ぎ捨てるなんて無理だろ?」
イヤイヤと首を振って聞こうとしない私に諦める事なく清太郎は問い掛け続ける。
「その鎧を着ているアンタごと俺は受け入れたいよ。脱ぎ掛けでも良い。急にまた怖くなって着直したって良い。ちゃんと脱いで楽になるのが一番だけど、それが上手く出来なくても全部受け入れて隣に居たい。」
「何で…じゃあ何でよ!なんで居なくなっ…」
「アナがアンタだって分かって…もうホント…、ただ恥ずかしかったんだよ。俺の本音が全部アンタにバレてるって分かって。」
それは小説にも書いてあった。
恥ずかしくて拗ねていたのだと。
「逃げている間も…、小説を書いている間もずっと一人でアンタの事を考えてた。アナだった時に俺の全部受け止めてくれてた事とか。俺の本音を知ってるのに親切にしてくれる昼間のアンタとか全部。何を思い返しても馬鹿にされてたとか遊ばれてたなんてとても思えなくて。どんな時を思い出してもアンタからは愛を感じられて。アナでもアンタでも。ずっと優しくて可愛くて…そんで俺の事絶対好きだろって思って…。だって普通じゃないだろ?信じられないくらいダサいところも見せて自分勝手に抱いて…。何をしてもアンタは俺を見捨てなかったんだぞ?愛しかないだろ?それに気付いて…」
「…。」
「俺も…、俺が、…俺の方が絶対好きなのに。…好きの強さは俺の方が絶対強い筈なのに。俺がアンタに貰った愛情を1つでも返せた事があったかなって考えたら…。俺は何も返せないって言って。返さなくて良いって言ってくれたアンタの言葉を免罪符にして。本当に何にも返していなかったなって。そしたら居ても立っても居られなかった。何でアンタを置いて逃げてんだろって心底後悔した。」
表情は見えないのに、背中まで包む腕が苦しい程に強くて。
時折髪を解くように頭を撫でてくれる手がひたすらに優しいから。
生まれて初めて本当に愛されているって今急に実感出来た。
清太郎の髪をグシャグシャにしながら抱き縋る。
愛おしそうな溜息が聞こえてきた後。
「愛してる。」
さっきは素直に受け取れなかったそれが開いた心にストンと落ちた。
しおりを挟む

処理中です...