タルパと夜に泣く。

seitennosei

文字の大きさ
上 下
52 / 57
タルパと夜に泣く。

52

しおりを挟む
「町田さん、お荷物です。」
夕食後の自宅玄関。
愉快そうな一条くんの声が響いた。
そのままニコニコとわざとらしい笑顔を貼り付け、応対している清太郎に絡んでいる。
「ほら、早くここにサイン下さい。『ま・ち・だ』って。」
「わぁかってるよ。」
差し出されたボールペンをひったくると清太郎はうんざりといった顔で言い返した。
「お前らホント…全員しつけぇよ。」
「へへへ。だって~…まさかじゃないですか。清太郎さんが手毬さんのお婿さんになるなんて。」
「だってじゃねぇ。もう半年経つんだぞ?」
そう、今から半年程前に私達は入籍した。
しかも清太郎が町田の籍に入る形で。
その少し前、想いが通じ合って半年が過ぎた頃、清太郎が唐突に言った。
「俺を貰って下さい。」と。
その瞬間は何を言っているのか意味が分からなかったし、意味を察した後も何の冗談かと思っていたけれど。
続けて清太郎の語ってくれた想いを聞くと私の胸はいっぱいになった。
「俺もここの人間になりたい。ずっと手毬さんとここで生きていきたい。」
そのまま真剣な顔で見つめられ。
「『町田』からお母さんが抜けて、お祖母さんが抜けて、町田先生も抜けて…。そうして手毬さん一人になっただろ?その『町田』に今度は俺が入りたい。もう一人にしないから俺を町田清太郎にして下さい。」
そう言われて嬉しかった。
お嫁さんとして自分の家に引っ張るのではなく、私の生き方を尊重してくれているみたいで。
ここの人間になりたいと言ってくれて。
町田という姓に対してそれ程強い拘りはなく、清太郎と一緒に居られるのなら名前も籍もどうでも良いとさえ思っていたのに。
清太郎が私の育ってきた環境を大事に守ろうとしてくれている事が伝わり断るなんて選択肢は一切過ぎらなかった。
だから今のこの形が私達には合っているし最良の状態だと思う。
ただ一つ、清太郎にとっては困った事が…。
祝福が過ぎるご近所さん達が顔を合わせる度に『町田清太郎さん』と言って揶揄うのだ。
延々と、誰と顔を合わせても、この半年間そんな状態だ。
いくら祝福の表れだとしても、いい加減清太郎は辟易していた。
「いつまでこのノリ続けんだよ。」
今も面倒くさそうに一条くんに吐き捨てている。
ただこれももうお決まりのコースなのだ。
気にした素振りもなく一条くんは返す。
「それは皆が飽きるまでですよ。」
「こっちはとっくに飽き飽きしてんだよ。」
「俺達はまだまだ全然飽きそうにないですけど?」
「はー…。何が面白いんだか。…ほれ、書いたぞ。」
サインを終え一条くんの胸ポケットに借りていたボールペンを差し込む清太郎。
一条くんは「あざす。」と軽く頭を下げ荷物を差し出してきた。
「はい。今回もご実家からみたいですよ。」
「へー…どうも、ご苦労さん。」
「それでは、確かにお届け致しました。では、手毬さんはまた明日お店で。」
「うん。」
お仕事モードに切り替える一条くん。
だけどそれは一瞬の事で。
清太郎に向かい満面の笑みを向けるとまた茶化すように口を開いた。
「では、失礼しますね。町田清太郎さん。」
「はよ行け。」
しっしっと追い払うジェスチャーをし悪態を吐きつつも清太郎の横顔は楽しそうだ。
立ち去る一条くんを見送り扉を閉めると、困り顔で笑いながら呟く。
「なぁ、あいつ俺にだけ態度違くないか?」
「ふふ、そうかもね。」
「なんなんだよ全く。…バカにされたもんだな。」
「甘えてんじゃない?一条くん清太郎さんの事大好きだもん。」
「そぉか?」
私は清太郎が居なくなった時の一条くんを見せてやりたいと思った。
あんなに心配して。
普段なら絶対に来ないような所まで踏み込んできた。
そして清太郎が戻ってきた時なんて涙目になりながら喜んでもいたし。
「清太郎さんだって一条くんが可愛くて仕方ないくせに。ホントに誰に対してもお兄ちゃんなんだから。」
「それは手毬さんもだろ?誰に対しても親切で優しい手毬ちゃん。」
心外そうに吐き捨てた後。
急に優しい顔をして私の髪を撫でてくる。
愛おしそうに細められた目。
その隙間から覗く瞳に同じように目を細めている私の顔が映っていて胸がギュッとした。
清太郎は寝室に入る時以外、私を「手毬さん」と呼んでいる。
だから私も昼間は「清太郎さん」と呼び、過剰に甘えたりはしない。
それは結婚しても変わらなくて。
前時代的でナチュラルにセクハラなご近所のオジサマ達には随分とやいやい言われた。
新婚の癖に落ち着きすぎだとか。
もっといちゃつけとか。
でもそれで良い。
夜になってベッドに入ったらお互いの名を呼び合って、ベタベタに甘え甘やかし。
誰も知らない、誰にも見せない子供みたいな清太郎を私だけが知っていて。
皆の知らないぐずぐずな私を清太郎に独占してもらう。
それが一番幸せで、そして一番楽なのだから。
「手毬さん。俺さ…。」
「ん?」
「町田になれて良かったよ。」
玄関からリビングに戻る廊下。
行く先に引っ張っていくように私の左手を取ると清太郎が静かに語り出す。
「プロポーズした時は…ホントただ純粋に手毬さんの家族になりたくてさ。手毬さんの為なんて恩着せがましく言うつもりもないけど、俺自身がどうしても町田になりたいとか高橋の名前を捨てたいとかは全然…思ってもなくてさ。」
「うん。」
「別に高橋のままでも手毬さんは結婚してくれただろうし。ここの人達も俺の名前なんかなんだって受け入れてくれただろうしさ。本当に何となくずっとここで手毬さんといるなら町田になりたいなってくらいでさ…。」
「うん。」
辿り着いたリビング。
清太郎はソファーに腰を下ろすと横に私を座らせる。
それでも手は繋いだままだ。
「でも俺さ。自覚してる以上に長男でいる事が重たかったみたいなんだよ。町田になって…。名前なんてただの記号なのにな。ただ書類上高橋の長男じゃなくなっただけなのに。…すげぇフラットに親や兄弟の事見れるようになったんだよ。」
祖父への手紙や贈ってくれた小説で清太郎は綴っていた。
相容れない父親と、器用な弟達。
認めて欲しいのに叶わなくて。
兄として背中を見せたいのに追い越されて。
清太郎の胸ではそういう感覚がずっと燻っていた。
「何か、きっと高橋家の長男でなくなって、長男としてとか兄としてとかなくなったらさ…。親父も母さんも嫌いじゃないなって思えたんだよ。」
「うん。」
「源も正太も。うぜぇなって思ってばっかだったのにな…。やっぱ可愛い弟だなって思うんだよ、最近。」
「そうなんだ。」
そう笑いかけると、気恥ずかしそうにはにかんだ。
「成功しているところを見るとあんなに妬ましかったのになぁ。今では源も正太も幸せで居て欲しいって心から思えるんだよ。不思議な事に…。」
「ふふふ…、またお兄ちゃんの顔してる。」
「えー?」
愛おしいと思った。
私は両手を使い清太郎に抱き付く。
そしてその胸に顔を擦り付け思いの丈を口にする。
「清太郎さんは気付いてないだけで高橋の人達にも愛されているし、町田になってもそれは変わらないよ?」
「…うん。」
「それでも嬉しいんだ。私を選んでくれて。」
清太郎も抱き返してくれた。
背中に回された腕が暖かい。
このまま寝室に誘ってもっと甘えたいな。
なんて考えていると。

ドンドンっ

唐突に窓が叩かれた。
その瞬間は二人して飛び上がるけれど、割といつもの事なので犯人は分かっている。
「…チッ、またか。」
清太郎が舌打ちをした。
それだけウンザリしているのだ。
立ち上がり窓へ向かうと乱暴にカーテンを開け窓に手をかける。
そして勢いよく開いた瞬間目の前の人物に向かい吐き捨てた。
「いい加減にして下さいよ。藤間さん。玄関から来てって何べんも言ってるだろ?」
「そんなに怒んなって。町田の旦那。」
全く悪びれないおっちゃん。
むしろ気安く言い合えている事が楽しいようでニカッと歯を見せ笑っている。
「その呼び方も!いい加減にして下さい!」
「ええー?じゃあたろたろに戻すか?」
「いや、それも…。」
「まあ、そんなんは良いだろ。俺は町田の旦那に仕事の話に来たんだから。」
そう言うと何だかんだと二人は真剣な顔をして仕事の話をし始める。
最近、清太郎はご近所さんたちのお仕事を手伝う事が増えた。
元々勤めていた大手家電メーカーの知識を活かし、田村電気の手伝いを始め、藤間工務店でも配線の絡む依頼がある時は清太郎に声が掛かる機会も出てきた。
清太郎本人はちゃんと専門家を雇ってくれと乗り気でない返事をしつつも頼まれると断れないようで予定が合えば依頼を受けている。
一度でも依頼をしたオジサマ達は皆一様に清太郎の能力を褒め讃えた。
藤間のおっちゃんなんて「優秀過ぎて俺ちょっとチビった。」と軽くおどけた後、「あれは繊細じゃなければ何処にでも行けて何にでもなれたろうな。」としみじみと語っていた。
そして私の背中を叩きながら「たろたろが繊細で良かったな。」と笑う。
その通りだと思う。
優美ちゃんも源太郎さんも、手紙での祖父も。
昔の清太郎を知っている人は皆口を揃えて優秀で優しいと言っていた。
清太郎が成長過程で上手く自己肯定感を育めなかった為、自身を正当に評価できていないだけで、実際の清太郎は能力の高い人間なのだ。
その事にここの人達も気付き始めている。
別に清太郎が優秀でなくたってここの人達は歓迎してくれただろうけれど、清太郎が優秀だから貢献出来る事が多くあり、その結果ここに来たばかりの頃言っていた「何も返せない」状態ではなくなったのだからとても良い事だ。
持ちつ持たれつが出来るようになった。
それだけで一方的に仲間だと距離を詰められていた頃と違い、清太郎側からも心から仲間だと、ここの一員だと思えている。
清太郎の背中を眺めつつ幸せに浸っているといつの間にか仕事の話は終わっており、二人はまたくだらない言い合いを再開していた。
「だからたろたろだと源や正太も被っちゃうだろ?」
「いや、俺は昔っから二人の事は源ちゃまと正ちゃまって呼んでるから、たろたろはたろたろだけだ。」
「何だそのふざけた呼び名。あいつらももうアラサーですよ。子供じゃないんだから。」
「俺から見たらおめぇら全員ガキンチョだよ。」
「じゃあ、ガキンチョに仕事依頼してないで専門家雇って下さいよ。」
「いや、知識だけあって微妙な技術者よりたろたろの方が信用出来んだから俺も困ってんだよ。頼むよ。」
「仕方ねぇな…。」
ガリガリと頭を搔く清太郎。
だけど何処と無く嬉しそうで。
そんな清太郎を見ておっちゃんも嬉しそうに笑っている。
私はまた幸せな気持ちになった。

現在、清太郎の主な収入源は高学歴スナイパーズを中心とした配信者達の依頼費で、それ以外が田村さんや藤間さんなどご近所さんのお手伝いによる報酬といった内訳になっている。
私もハンドメイドの収入くらいで相変わらず安定した収入源はない。
二人揃ってフリーランスでそれもいつまでやっていけるのかも分からない心許ないものだ。
それでも毎日が充実している。
現金としての収入は少ないけれど、野菜も卵もお肉も食料の殆どいただき物で過ごしているし、大きな出費は月々の光熱費くらいのものだ。
贅沢をしなければここではただ生きて行くくらいは簡単だ。
清太郎と一緒になるまではそれを何処か申し訳ないと思っていて過剰に良い子を演じていたけれど、今は純粋に貰ったものを返したくて自分の能力を使いたいと思える。
私も随分と考え方や感じ方が変わった。
今まで寂しかったのも、人を上手く受け入れられなかったのも。
今こうして清太郎と幸せになる為なのだと考えれば感謝すらできるから驚きだ。
オッチャンを見送った清太郎が窓とカーテンを閉じたのを確認し、後ろから抱き付く。
「どした?」
「寝室行きたい。」
「ええー…。まだ風呂入ってないけど…」
「甘えたいな…。」
「はー…」
深いため息をつき清太郎が私の左手を取った。
そして無言で階段へ向かうも。
振り返りぶっきらぼうに吐き捨てる。
「甘やかすだけとか無理だぞ。甘えたいだけなら寝る時間まで我慢しろ。」
「えー…それならどうしようかな…?」
挑発的に上目遣いで笑いかけると。
苛立ったようにじっとり睨み返された。
「頭きた。覚悟しろよ。」
私の返事を待たずに引っ張っていく清太郎。
山で迷子になったあの日。
私が引っ張っていた手と同じ筈なのに。
今は引き返そうとしてもとても敵いそうにない。
清太郎が何度も祖父への手紙や贈ってくれた小説で語っていた「私の孤独についての後悔」はもう晴れたのだろうか。
私はこんなに幸せなんだよ?
寝室に入り扉を閉める瞬間。
今私がどれだけ幸せなのか清太郎にも教えてあげようと思った。
しおりを挟む

処理中です...