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この仕事で一番いやなものはなにかと問われたら、黒瀬は「お見送り」だと答えるだろう。指名してくれる客は一向に増えない。
「いってらっしゃいませ」
外階段の上で、着かせてもらったフリー客へ深々と頭を下げる。ジャケットまできっちり着込んだ黒瀬へと直射日光が容赦なく降り注ぐ。客の足音が聞こえなくなったのを確認してから早足で店内へ戻った。夏の野外は執事には辛すぎる。ドアを開けた瞬間、これでもかと効いている冷房を体全体に浴びる。寒暖差が激しいにもほどがある。常連たちは理解しているので、この季節は皆羽織物やひざ掛けを持ってきている。店内の温度は我々執事側に合わされており、いつもの執事服でも不快感がない。
夏休みの大学生はおもに三種類に分けられる。部活やサークルをガチるやつ、ひたすら怠惰を貪るやつ。そしてバイトに明け暮れるやつだ。夏休み前日の大学構内の様子を黒瀬はよく覚えている。そこにいる学生全員の気が緩んでいた。試験が終わって明日から長期休みなのだから当然である。やれあのテストは簡単だっただの、やれ難しすぎたあの教授は絶対に許さんだのと好き勝手に皆が喋っており、とにかく賑やかで誰の声も弾んでいる。もはや大学に用などないと、早々退散し駅前のファミレスへ友人三人と黒瀬は向かった。道すがら彼らが口にする話題は、やはり先ほど散々すれ違った大学生たちと同じだった。入店してからも一通り愚痴をこぼして数十分。各自の昼食を食べ終わり、ドリンクバーとポテトでダラダラするターンに入ったところでやっと話題が夏休みへと移った。
「セバスはどうせバイト漬けだろ?」
「うん」
「つまんねー!」
お前はそれでも大学生か。そんなに金貯めてどうすんだ。そんなことより誰か合コンでも組んでくれよ。好き勝手に言う友人たちを無視して黒瀬は烏龍茶を啜る。つまらないわけがあるかと反論したいところだが彼らには通じない。試験前ということでここ二週間はシフトを抑えてもらっていた。むしろさっさと働きたい。
「バイト以外に無いのかお前は」
「あー、盆は実家帰るかも」
結局ゴールデンウィークは帰りそこねた。お陰で母からの苦情の電話に三十分ほど付き合う羽目になったのだ。なので盆くらいは顔を出してもいいかもしれないと黒瀬は考えていた。
「執事喫茶ってさ、客と付き合えたりしないの」
「合コン組んでくれよ合コンを!」
「お前はマッチングアプリでもやってろ」
「写真詐欺ばっかりだよあんなの!」
「山田はどうせ彼女と遊ぶんだろ俺らを放置して」
「いやこの間別れた」
「マジで!?」
入学前に誰しもが抱いていた青春全開の大学生活は誰のもとにも訪れるわけではなく、少なくともろくにサークルにすら入らなかったこの四人組にはどうにも無縁らしい。黒瀬としては別に十分満足しているのだが、側から見たら彼女も出来ずバイトに明け暮れている寂しい大学生にしか見えないようだ。
「やることねーしセバスのバイト先でも冷やかしに行くか」
「マジでやめろよ」
そんなしょうもない会話をしてから一週間後の今日、本当に現れた三人に黒瀬は頭を抱えそうになった。そもそもこの店で男性客はあまり歓迎されないのだ。冷やかし目的がほとんどであり、当然リピーターになる確立などゼロに近い。三十度を超える野外から戻ってきた黒瀬の視界には嫌でも友人三人が目に入った。他の従業員に申し訳なさすぎて咄嗟に「俺が着きます」と言った黒瀬だったが既に後悔していた。この場にいる以上、他の客にも見られているのだ。たとえ友人相手でも執事として振る舞うほかない。とにかくやりづらくて仕方がなかった。
「はいセバス。三番用のダージリンとシャーベット」
「森崎さんまでセバスって呼ぶのやめてください!」
黒瀬はトレンチを受け取りつつちらりと凍城を見た。常連客の二人組と楽しそうに雑談している。ひとまず安心して三番テーブルへ持っていく。先ほど来店したばかりの、黒瀬の初指名客である未菜が座っているテーブルだった。
「お待たせいたしました」
レモンシャーベットと、森崎が淹れてくれた紅茶をトレンチからテーブルへ移す。すかさず未菜が「ねえねえ」と話しかけてきた。
「あの子たちさあ」
と言う彼女の視線の先は案の定冷やかし三人組だ。気になって当然だろう。明らかに周囲から浮いている。キョロキョロと店内を見回す様子に黒瀬の胃が痛くなりそうだった。初見の客にありがちな行動だが、女性客がするのと男性客複数人でするのでは周囲からの印象はガラリと変わる。未菜が不快に思っていないことを祈りながら黒瀬は謝罪した。
「申し訳ございません。大学の友人達でして……」
「ああ、やっぱり!」
未菜の反応は意外にも明るかった。
「黒瀬くんと同い年くらいに見えるから、もしかしてって思ったんだよね」
未菜は背筋を伸ばして嬉しそうに友人卓を観察している。友人たちに指名客を見られるのは恥ずかしいが、そのまた反対もなんだか恥ずかしい。だからといって「見ないでください」なんて言うわけにもいかないので黒瀬はひたすら苦笑いをしながら耐えるほかないのだった。
「黒瀬くん、もう夏休みだよね」
「はい」
「サイト見たら出勤日すごく多かったからさ。友達たちと遊びに行ったりしないの?」
「野郎ばかりで遊んでも寂しいですから。お嬢様たちとこうしてお話しているほうが俺は楽しいです」
「そっか」と呟いた未菜は照れた様子で自身の前髪を撫でていた。
未菜、二十四歳会社員。平日勤務で残業はほぼなし。自宅から見て会社と店は反対方向のため会社帰りの来店は見込めないが、今のところ土日のどちらかは予約をして来てくれている。実家は神奈川県にあり、大学までは実家暮らしだったが就職を期に東京で一人暮らしを始めた。甘いものが好き。スマホカバーと手帳、ハンドミラーが同一のマスコットキャラクターのグッズなためおそらく好きだと思われる。
「着いた客の情報は必ず書き留めておきなさい」と一人で接客をする前に凍城から教えられた。「キャバ嬢みたいですね」と言ったら「せめてホストでしょう」とツッコミが飛んできた。まとめ方について尋ねたところ、覚えているものを全部書きだした後に不要だと思う情報を消せばいいという返事だった。そのため黒瀬はスマホのメモ帳に一人ずつメモしている。ゴールデンウィーク最終日、おずおずと勧めたチーズケーキを未菜はいたく喜んでくれた。それ以来黒瀬は彼女用に週一で菓子を作っている。流石に一人前ではあまりにもコスパが悪いので少し多めに作り、初回の客にも様子を見ながら勧めている。これだけで先輩たちに渡り合えると思っている訳ではないが目に見える武器の存在はやはり心強かった。閉店後の菓子作りは凍城も事務作業をしながら付き合ってくれる。しかしこの店の設備はお世辞にもいいとは言えないためレシピ選びに毎週悩まされていた。バイト代が溜まったら自腹でオーブンレンジを導入しようかと黒瀬は本気で考えている。そして今日提供しているレモンシャーベットも当然黒瀬の手作りであった。今週は多めに作り過ぎたため友人たちに押し売りした。味は悪くないので黒瀬はこれを良しとした。
森崎が珍しくカウンターを離れて指名客のテーブルの元へ向かっている。黒瀬は未菜の席から離れてカウンター内へ入った。姿が見えないと思っていた凍城は冷蔵庫前でしゃがみこんでいる。人の気配を感じたのだろう。振り返った顔にはティースプーンが加えられていた。手元には黒瀬が作ったシャーベットがある。
「美味しいですか?」
無言でコクリとうなずいた凍城は何事もなかったのように流しにスプーンを置いた。そのまま空いたテーブルの片付けへ向かう。製菓は他の執事たちとの差別化の意味もある。しかし自分が作った菓子をこうしてつまみ食いする凍城の姿が見たい、というのも黒瀬が菓子を作る大きな理由の一つだった。
そんな凍城といえば、最近は黒瀬に対する小言が格段に減った。どうやら研修生フェーズは終了したらしい。よってここ最近の黒瀬の課題は「指名客の獲得」となっていた。しかし新規やフリーの客に散々つかせてもらっているにもかかわらず未だこれといった手応えがない。凍城曰く、今は数をこなして接客に慣れながらフックを探せばいい、とのことだ。では指名に繋がるフックとはなんなのか。黒瀬は焦っていた。フリーでも卓には誰か一人が着く。つまり指名が取れれば、店にとって労力そのまま指名料が売上に上乗せされることになる。もしも今日、自分が着いたあの新規客を別の執事が接客していたら指名に繋がっていたかも知れない。何人もの指名客を抱えている先輩たちを前に黒瀬は不安が募るばかりだった。一人で悩んでも仕方がない。分からないものは分からないのだ。だから黒瀬の指名が増えて喜ぶ人にアドバイスをもらうことにした。森崎である。
「これより第一回、黒瀬指名獲得作戦会議を始める!」
「なんで三神さんがいるんですか?」
「面白そうだから来た」
黒瀬の正面に座っている三神は派手なパーカーにダボついたジーンズというなんとも緩い格好でジョッキを煽った。中身のビールがみるみるうちに減っていく。その隣の森崎は涼しい顔でウーロンハイをちまちまと飲んでいた。黒瀬は畳に手をついて店内を見回す。沢山ある座席はとにかく近くで限界まで敷き詰められている。大学生くらいの集団と、スーツではないが仕事終わりだと分かるアラサー客。この二つが店の大半を占めていた。とにかくガヤガヤと賑やかく、数十秒おきに店の何処かから大きな笑い声が起こる。
仕事終わりに森崎から案内されるままやってきた店は安さが売りの赤提灯系居酒屋だった。店の前で待ち構えていた三神とともに三人で入店して早五分。黒瀬はお通しの酢の物を食べながら、先ほど注文した唐揚げとお好み焼きを心待ちにしていた。
「黒瀬なんでジュースなんだよ。呑めよ。十八歳で成人だろ!」
「酒はハタチからですよ」
「マジで?!」
おかしいだろ! と言われても黒瀬の知ったことではない。「常識だろ」と横から森崎が嗜める。しばらくは三神を中心に雑談が続いた。森崎は合間にツッコミを入れ、黒瀬はお好み焼きを一人で独占しながら二人の会話に相槌を打つ。三神はそのままべらべらと喋った。黒瀬がお好み焼きを食べ終わり海老マヨと焼き鳥が届いたころにやっと本題へ入った。
「黒瀬が指名取れないって話だっけ?」
「そうです」
「相談したいって言われたから来たけどさあ、正直なんで焦ってるのか分からないんだよね。指名なんて慣れてこれば勝手につくだろ」
「それお前だけだぞ、森崎」
真っ先に海老マヨを掴もうとした三神の箸がびしりと森崎の方を向く。黒瀬も焼き鳥に手を伸ばしながら二回頷いた。
「ぶっちゃけ俺は早かれ遅かれ相談しにくると思ってたよ。黒瀬はここで躓くだろうなあって。ここまで早く言いにくるのは予想外だけど」
「……向いてないってことですか?」
「そこまで言ってないだろ。なんつーか……いいこちゃんすぎるんだよな。失敗しないこと、客に失礼がないようにするのが最優先! みたいな」
「それが普通じゃないんですか?」
「一般的なサービス業ならな。でもうちだって一応メンコンだから。いい店員さんだったね、で終わったら指名は取れないんだよ。逆に聞くけどお前さあ、この店員のために店に通おうって思ったこと、一回でもあるか?」
「……ないです」
三神は「だろ?」と言って二杯目のビールを煽った。ないというのは正確には嘘である。初めてロテュスで凍城にあった日、黒瀬はこの店に通う算段を必死で立てていた。逆にいえばそれが初めてであり、執事喫茶と普通のカフェ店員とは違うことの証明でもある。
「慎重すぎるんだよな。失敗しつつもガンガン行くやつのほうが初動いいんだよ」
黒瀬は食べ終わった焼き鳥の串を置いた。三神の言うことは理解できる。しかし「はい分かりました! 明日からガンガン行きます!」と言えるタイプであれば最初から悩んでなどいないのだ。うつむく黒瀬に「言ってみ?」と森崎が促す。
「せっかく興味持ってロテュスに来てくれたのにいい気分で帰ってもらえないのは嫌です。あと失敗したとこ見られるの恥ずいです」
主に凍城に見られたくないのだが、さすがにそこは言わないでおいた。向かいに座る先輩二人はちらりと顔を見合わせている。森崎はすっと三神のスマホを指さした。三神はうなずきながらスマホを手にする。
「じゃあやることは一つだな」
「なんですか?」
「マッチングアプリ」
「マッチングアプリ!?」
予想外の答えに黒瀬はつい大声が出る。しかし二人はしごく真面目な顔をして続けた。
「店の外で会って、お前の指名客として店に引っ張ってくる。これなら黒瀬的にオッケーだろう。失敗しても誰にも見られないし、店に来た客に失礼を働くわけでもない」
「今すぐアプリ入れろ。これ招待コードな」
ポケットの中のスマホが震える。黒瀬が取り出すと三神から送られたLINEの通知が表示されていた。ここから先はもう言われるがままだった。
まずはプロフィールと写真。三神がパッと撮ってささっと加工したものが送り付けられてくる。背景こそ大衆居酒屋感が拭えないが、黒瀬自信はなんだかちょっといつもより爽やかに写っている。「こういうのは他撮りがいいんだよ。加工しすぎもよくない」らしい。次にプロフィール文がやはりLINEで送られてくるのでそのまま貼り付ける。
「このプロフィール文、執事喫茶に一切触れてないんですけど大丈夫ですか?」
「当たり前だろ、店の宣伝じゃねーんだから」
かくして登録作業は一瞬で終わった。
「あとは毎日上限までいいねを送れ」
「どんな人を選べばいいんです?」
「最初は選ばなくていい」
黒瀬は「え?」といいながらスマホから顔を上げた。やはり三神は大真面目な顔をしている。
「当たり前だろ。うちだって店の前で客選んでるか? 選ばなくていいんだよ彼女作るためにやってるわけでもないし。数こなせば釣りやすい層も分かってくるから、それまではひたすら上限まで送りつけて、返してきたやつを最終的に店まで繋げればいい」
一理あるように聞こえるがいまいち黒瀬には判断ができない。先ほどから無言の森崎をちらりと見る。いつの間に注文したのか、青魚の刺し身を一人で黙々と食べていた。
「で、いいねが返ってきたらメッセ送って会って、店に来させる。そのやり方を今から説明するけど、長いからな。ちゃんとメモ取れよ!」
「はい!」
このやり方が自分に合うのか分からないが、とりあえず試してみる価値はある。せっかく詳しい人がきちんと教えてくれるのだ。黒瀬はメモアプリを開いて新規ページを作った。
メッセで仲良くなろうなんて考えるなよ。会わなきゃ始まらない。さっさとアポ取ってリアルで会え。時間帯は昼か夕方。夜は避けろ。マッチングアプリやってる男なんて九割セックス目的なんだよ。だから自分はそうじゃないと思わせるのが第一関門だ。
初回はお茶で二回目以降は飯でいい。できれば奢ってやれ。安い店でいいよ、十八歳だし流石に向こうもそこまで高望みはしてこないはずだ。むしろ高すぎるとホストの営業を疑われる。ヤリモクも警戒されるけどホストや保険の営業もある程度警戒されてる。まあ実質ホストの営業と変わんねーんだけどな。
とりあえず二、三回会って相手のことを好きアピールしとけ。この人は体目的じゃないし、なんなら私のこと好きそう。次あたり告白されちゃうかも。って思わせるくらいがちょうどいい。ここではまだ執事喫茶で働いてるって言うなよ。カフェでバイトしてるって伝えて店名は濁しておけ。
で、四回目くらいで遅番終わりにアポ入れろ。わざとシフト終わりより一時間早く駅で待ち合わせろ。そんで十五分前に「ごめん上がるの遅くなる」ってLINEする。相手がほぼ確実に家を出てる時間を狙うわけだ。そんで「よかったらうちの店で待っててよ。もちろん奢るからさ」って言って店の住所送る。ああ、当然予約は事前に入れとけよ。自分指名でな。相手は普通の喫茶店だと思ってるからまず来るよ。それにバイト先に案内されるってのは相手にとってデカいんだよ。だってヤリ捨てするやつは自分の情報を極力与えないようにするし、共通の人間関係も嫌がるんだ。だから脈があれば喜んで店に来る。
あとは普通に接客しつつ周りに聞こえないように「ごめんな、あと三十分だけ待ってて」とか言っとけばいい。会計のときは一度相手の財布から出させろ。また小声で「あとでお金返すからレシートもらうね。すぐに着替えていくから駅で待ってて」って言っておく。ちなみにメニューはポットじゃなくてカップがいい。フードもクッキー系で単価抑える。意外と安いな、ってここで思わせておきたいからな。
そんで一旦駅まで返して、上がったら着替えて飯でも食いにいけ。そこで相手は普通のカフェじゃないことに絶対言及してくる。とりあえず「恥ずかしいから隠してた」とか言って誤魔化せばいい。問題は執事喫茶に対する相手の反応だ。露骨に嫌な顔してたり引いたりしてたらリピートは厳しい。その後は切っていい。バイト先に嫌な反応しちゃったから切られたかな、くらいにしか思わないだろ。逆に執事喫茶に好感触かつお前のこと好きなら客にできる。バイトとゼミで忙しくなったとか適当言って外で会うのをやめる。LINEも露骨に減らす。向こうからしたら、今までガツガツ来てたのに急に冷たくなるわけだ。でも理由は分からない。分からないけど挽回するために会いたがったり長文LINE送ってきたりするけど塩対応を続ける。そうすると何割かはしびれを切らして店に来るはずだ。
指名で来たら驚いたふりしつつめちゃくちゃ喜んでやれ。「LINEもちゃんと返さなくてごめん。会いに来てくれると思わなかった。めちゃくちゃ嬉しい」とか言っとけ。そうすれば冷められたんじゃなくて本当に忙しかったんだ! って勝手に勘違いしだすから。
お前のこと指名せずフリーで来たら絶対に着くなよ。俺らに言えば代わりに着いてやる。おい森崎嫌な顔すんなよ。そのくらいやれよ後輩が頑張ろうとしてんだから。店では小さく手を振るとか会釈とか、そのくらいの反応にして会話すんな。あとから「もしかして会いに来てくれた? 久々に顔見れて嬉しかった。忙しくてLINEもまともに返さなくてごめん」みたいにフォローいれる。これであとは指名で来るまで粘る。
分かってると思うけど、マッチングした人全員がこうなるわけじゃないからな。途中でどんどん脱落していく。実際客になるのなんて一割以下だと思っとけ。一人ひとりに真剣に向き合うなよ。コツはセオリー通りにひたすら数をこなすことだ。
まあ、ざっとこんなものだな。
「ありがとうございます」
黒瀬はひたすらに三神のマシンガントークから単語を拾ってスマホに打ち込んだ。記憶が残っている今のうちにそれを上から見返して、抜けた部分をさらに追加していく。話し終わってまたビールを一気に煽る三神に向かって、森崎がぼそりと「すっげえクズ」と呟いた。
「今はやってねーよ!」
「昔はやってたってことだろ」
「ホスト時代の話な」
「送るメッセージの具体例とか、会うときに話す内容とかも教えてもらえます?」
「お、いいぜ!」
そうしてまた三神が話し出し、黒瀬が相槌を打ちながら真剣にメモを取る。素知らぬ顔で森崎は黙々と注文と飲食を繰り返した。いつの間にか満席になっている店内では、店員が忙しなく動き回っていた。
黒瀬は一通り質問し終えて、三神に再度礼を言った。顔をあげると三神は随分と嬉しそうな顔をしていた。
「明日から早速やってみます」
「頑張れよな。やってみてまた分かんないことあればいつでも聞いてくれ。せっかくだし目標決めとくか?」
「僕が決めてあげよう。夏休み中に五人」
「ちょうどいい人数だな。さすが森崎!」
楽しそうに酒を飲む先輩たちに見守られながら、黒瀬の夏休みが始まることとなった。
「いってらっしゃいませ」
外階段の上で、着かせてもらったフリー客へ深々と頭を下げる。ジャケットまできっちり着込んだ黒瀬へと直射日光が容赦なく降り注ぐ。客の足音が聞こえなくなったのを確認してから早足で店内へ戻った。夏の野外は執事には辛すぎる。ドアを開けた瞬間、これでもかと効いている冷房を体全体に浴びる。寒暖差が激しいにもほどがある。常連たちは理解しているので、この季節は皆羽織物やひざ掛けを持ってきている。店内の温度は我々執事側に合わされており、いつもの執事服でも不快感がない。
夏休みの大学生はおもに三種類に分けられる。部活やサークルをガチるやつ、ひたすら怠惰を貪るやつ。そしてバイトに明け暮れるやつだ。夏休み前日の大学構内の様子を黒瀬はよく覚えている。そこにいる学生全員の気が緩んでいた。試験が終わって明日から長期休みなのだから当然である。やれあのテストは簡単だっただの、やれ難しすぎたあの教授は絶対に許さんだのと好き勝手に皆が喋っており、とにかく賑やかで誰の声も弾んでいる。もはや大学に用などないと、早々退散し駅前のファミレスへ友人三人と黒瀬は向かった。道すがら彼らが口にする話題は、やはり先ほど散々すれ違った大学生たちと同じだった。入店してからも一通り愚痴をこぼして数十分。各自の昼食を食べ終わり、ドリンクバーとポテトでダラダラするターンに入ったところでやっと話題が夏休みへと移った。
「セバスはどうせバイト漬けだろ?」
「うん」
「つまんねー!」
お前はそれでも大学生か。そんなに金貯めてどうすんだ。そんなことより誰か合コンでも組んでくれよ。好き勝手に言う友人たちを無視して黒瀬は烏龍茶を啜る。つまらないわけがあるかと反論したいところだが彼らには通じない。試験前ということでここ二週間はシフトを抑えてもらっていた。むしろさっさと働きたい。
「バイト以外に無いのかお前は」
「あー、盆は実家帰るかも」
結局ゴールデンウィークは帰りそこねた。お陰で母からの苦情の電話に三十分ほど付き合う羽目になったのだ。なので盆くらいは顔を出してもいいかもしれないと黒瀬は考えていた。
「執事喫茶ってさ、客と付き合えたりしないの」
「合コン組んでくれよ合コンを!」
「お前はマッチングアプリでもやってろ」
「写真詐欺ばっかりだよあんなの!」
「山田はどうせ彼女と遊ぶんだろ俺らを放置して」
「いやこの間別れた」
「マジで!?」
入学前に誰しもが抱いていた青春全開の大学生活は誰のもとにも訪れるわけではなく、少なくともろくにサークルにすら入らなかったこの四人組にはどうにも無縁らしい。黒瀬としては別に十分満足しているのだが、側から見たら彼女も出来ずバイトに明け暮れている寂しい大学生にしか見えないようだ。
「やることねーしセバスのバイト先でも冷やかしに行くか」
「マジでやめろよ」
そんなしょうもない会話をしてから一週間後の今日、本当に現れた三人に黒瀬は頭を抱えそうになった。そもそもこの店で男性客はあまり歓迎されないのだ。冷やかし目的がほとんどであり、当然リピーターになる確立などゼロに近い。三十度を超える野外から戻ってきた黒瀬の視界には嫌でも友人三人が目に入った。他の従業員に申し訳なさすぎて咄嗟に「俺が着きます」と言った黒瀬だったが既に後悔していた。この場にいる以上、他の客にも見られているのだ。たとえ友人相手でも執事として振る舞うほかない。とにかくやりづらくて仕方がなかった。
「はいセバス。三番用のダージリンとシャーベット」
「森崎さんまでセバスって呼ぶのやめてください!」
黒瀬はトレンチを受け取りつつちらりと凍城を見た。常連客の二人組と楽しそうに雑談している。ひとまず安心して三番テーブルへ持っていく。先ほど来店したばかりの、黒瀬の初指名客である未菜が座っているテーブルだった。
「お待たせいたしました」
レモンシャーベットと、森崎が淹れてくれた紅茶をトレンチからテーブルへ移す。すかさず未菜が「ねえねえ」と話しかけてきた。
「あの子たちさあ」
と言う彼女の視線の先は案の定冷やかし三人組だ。気になって当然だろう。明らかに周囲から浮いている。キョロキョロと店内を見回す様子に黒瀬の胃が痛くなりそうだった。初見の客にありがちな行動だが、女性客がするのと男性客複数人でするのでは周囲からの印象はガラリと変わる。未菜が不快に思っていないことを祈りながら黒瀬は謝罪した。
「申し訳ございません。大学の友人達でして……」
「ああ、やっぱり!」
未菜の反応は意外にも明るかった。
「黒瀬くんと同い年くらいに見えるから、もしかしてって思ったんだよね」
未菜は背筋を伸ばして嬉しそうに友人卓を観察している。友人たちに指名客を見られるのは恥ずかしいが、そのまた反対もなんだか恥ずかしい。だからといって「見ないでください」なんて言うわけにもいかないので黒瀬はひたすら苦笑いをしながら耐えるほかないのだった。
「黒瀬くん、もう夏休みだよね」
「はい」
「サイト見たら出勤日すごく多かったからさ。友達たちと遊びに行ったりしないの?」
「野郎ばかりで遊んでも寂しいですから。お嬢様たちとこうしてお話しているほうが俺は楽しいです」
「そっか」と呟いた未菜は照れた様子で自身の前髪を撫でていた。
未菜、二十四歳会社員。平日勤務で残業はほぼなし。自宅から見て会社と店は反対方向のため会社帰りの来店は見込めないが、今のところ土日のどちらかは予約をして来てくれている。実家は神奈川県にあり、大学までは実家暮らしだったが就職を期に東京で一人暮らしを始めた。甘いものが好き。スマホカバーと手帳、ハンドミラーが同一のマスコットキャラクターのグッズなためおそらく好きだと思われる。
「着いた客の情報は必ず書き留めておきなさい」と一人で接客をする前に凍城から教えられた。「キャバ嬢みたいですね」と言ったら「せめてホストでしょう」とツッコミが飛んできた。まとめ方について尋ねたところ、覚えているものを全部書きだした後に不要だと思う情報を消せばいいという返事だった。そのため黒瀬はスマホのメモ帳に一人ずつメモしている。ゴールデンウィーク最終日、おずおずと勧めたチーズケーキを未菜はいたく喜んでくれた。それ以来黒瀬は彼女用に週一で菓子を作っている。流石に一人前ではあまりにもコスパが悪いので少し多めに作り、初回の客にも様子を見ながら勧めている。これだけで先輩たちに渡り合えると思っている訳ではないが目に見える武器の存在はやはり心強かった。閉店後の菓子作りは凍城も事務作業をしながら付き合ってくれる。しかしこの店の設備はお世辞にもいいとは言えないためレシピ選びに毎週悩まされていた。バイト代が溜まったら自腹でオーブンレンジを導入しようかと黒瀬は本気で考えている。そして今日提供しているレモンシャーベットも当然黒瀬の手作りであった。今週は多めに作り過ぎたため友人たちに押し売りした。味は悪くないので黒瀬はこれを良しとした。
森崎が珍しくカウンターを離れて指名客のテーブルの元へ向かっている。黒瀬は未菜の席から離れてカウンター内へ入った。姿が見えないと思っていた凍城は冷蔵庫前でしゃがみこんでいる。人の気配を感じたのだろう。振り返った顔にはティースプーンが加えられていた。手元には黒瀬が作ったシャーベットがある。
「美味しいですか?」
無言でコクリとうなずいた凍城は何事もなかったのように流しにスプーンを置いた。そのまま空いたテーブルの片付けへ向かう。製菓は他の執事たちとの差別化の意味もある。しかし自分が作った菓子をこうしてつまみ食いする凍城の姿が見たい、というのも黒瀬が菓子を作る大きな理由の一つだった。
そんな凍城といえば、最近は黒瀬に対する小言が格段に減った。どうやら研修生フェーズは終了したらしい。よってここ最近の黒瀬の課題は「指名客の獲得」となっていた。しかし新規やフリーの客に散々つかせてもらっているにもかかわらず未だこれといった手応えがない。凍城曰く、今は数をこなして接客に慣れながらフックを探せばいい、とのことだ。では指名に繋がるフックとはなんなのか。黒瀬は焦っていた。フリーでも卓には誰か一人が着く。つまり指名が取れれば、店にとって労力そのまま指名料が売上に上乗せされることになる。もしも今日、自分が着いたあの新規客を別の執事が接客していたら指名に繋がっていたかも知れない。何人もの指名客を抱えている先輩たちを前に黒瀬は不安が募るばかりだった。一人で悩んでも仕方がない。分からないものは分からないのだ。だから黒瀬の指名が増えて喜ぶ人にアドバイスをもらうことにした。森崎である。
「これより第一回、黒瀬指名獲得作戦会議を始める!」
「なんで三神さんがいるんですか?」
「面白そうだから来た」
黒瀬の正面に座っている三神は派手なパーカーにダボついたジーンズというなんとも緩い格好でジョッキを煽った。中身のビールがみるみるうちに減っていく。その隣の森崎は涼しい顔でウーロンハイをちまちまと飲んでいた。黒瀬は畳に手をついて店内を見回す。沢山ある座席はとにかく近くで限界まで敷き詰められている。大学生くらいの集団と、スーツではないが仕事終わりだと分かるアラサー客。この二つが店の大半を占めていた。とにかくガヤガヤと賑やかく、数十秒おきに店の何処かから大きな笑い声が起こる。
仕事終わりに森崎から案内されるままやってきた店は安さが売りの赤提灯系居酒屋だった。店の前で待ち構えていた三神とともに三人で入店して早五分。黒瀬はお通しの酢の物を食べながら、先ほど注文した唐揚げとお好み焼きを心待ちにしていた。
「黒瀬なんでジュースなんだよ。呑めよ。十八歳で成人だろ!」
「酒はハタチからですよ」
「マジで?!」
おかしいだろ! と言われても黒瀬の知ったことではない。「常識だろ」と横から森崎が嗜める。しばらくは三神を中心に雑談が続いた。森崎は合間にツッコミを入れ、黒瀬はお好み焼きを一人で独占しながら二人の会話に相槌を打つ。三神はそのままべらべらと喋った。黒瀬がお好み焼きを食べ終わり海老マヨと焼き鳥が届いたころにやっと本題へ入った。
「黒瀬が指名取れないって話だっけ?」
「そうです」
「相談したいって言われたから来たけどさあ、正直なんで焦ってるのか分からないんだよね。指名なんて慣れてこれば勝手につくだろ」
「それお前だけだぞ、森崎」
真っ先に海老マヨを掴もうとした三神の箸がびしりと森崎の方を向く。黒瀬も焼き鳥に手を伸ばしながら二回頷いた。
「ぶっちゃけ俺は早かれ遅かれ相談しにくると思ってたよ。黒瀬はここで躓くだろうなあって。ここまで早く言いにくるのは予想外だけど」
「……向いてないってことですか?」
「そこまで言ってないだろ。なんつーか……いいこちゃんすぎるんだよな。失敗しないこと、客に失礼がないようにするのが最優先! みたいな」
「それが普通じゃないんですか?」
「一般的なサービス業ならな。でもうちだって一応メンコンだから。いい店員さんだったね、で終わったら指名は取れないんだよ。逆に聞くけどお前さあ、この店員のために店に通おうって思ったこと、一回でもあるか?」
「……ないです」
三神は「だろ?」と言って二杯目のビールを煽った。ないというのは正確には嘘である。初めてロテュスで凍城にあった日、黒瀬はこの店に通う算段を必死で立てていた。逆にいえばそれが初めてであり、執事喫茶と普通のカフェ店員とは違うことの証明でもある。
「慎重すぎるんだよな。失敗しつつもガンガン行くやつのほうが初動いいんだよ」
黒瀬は食べ終わった焼き鳥の串を置いた。三神の言うことは理解できる。しかし「はい分かりました! 明日からガンガン行きます!」と言えるタイプであれば最初から悩んでなどいないのだ。うつむく黒瀬に「言ってみ?」と森崎が促す。
「せっかく興味持ってロテュスに来てくれたのにいい気分で帰ってもらえないのは嫌です。あと失敗したとこ見られるの恥ずいです」
主に凍城に見られたくないのだが、さすがにそこは言わないでおいた。向かいに座る先輩二人はちらりと顔を見合わせている。森崎はすっと三神のスマホを指さした。三神はうなずきながらスマホを手にする。
「じゃあやることは一つだな」
「なんですか?」
「マッチングアプリ」
「マッチングアプリ!?」
予想外の答えに黒瀬はつい大声が出る。しかし二人はしごく真面目な顔をして続けた。
「店の外で会って、お前の指名客として店に引っ張ってくる。これなら黒瀬的にオッケーだろう。失敗しても誰にも見られないし、店に来た客に失礼を働くわけでもない」
「今すぐアプリ入れろ。これ招待コードな」
ポケットの中のスマホが震える。黒瀬が取り出すと三神から送られたLINEの通知が表示されていた。ここから先はもう言われるがままだった。
まずはプロフィールと写真。三神がパッと撮ってささっと加工したものが送り付けられてくる。背景こそ大衆居酒屋感が拭えないが、黒瀬自信はなんだかちょっといつもより爽やかに写っている。「こういうのは他撮りがいいんだよ。加工しすぎもよくない」らしい。次にプロフィール文がやはりLINEで送られてくるのでそのまま貼り付ける。
「このプロフィール文、執事喫茶に一切触れてないんですけど大丈夫ですか?」
「当たり前だろ、店の宣伝じゃねーんだから」
かくして登録作業は一瞬で終わった。
「あとは毎日上限までいいねを送れ」
「どんな人を選べばいいんです?」
「最初は選ばなくていい」
黒瀬は「え?」といいながらスマホから顔を上げた。やはり三神は大真面目な顔をしている。
「当たり前だろ。うちだって店の前で客選んでるか? 選ばなくていいんだよ彼女作るためにやってるわけでもないし。数こなせば釣りやすい層も分かってくるから、それまではひたすら上限まで送りつけて、返してきたやつを最終的に店まで繋げればいい」
一理あるように聞こえるがいまいち黒瀬には判断ができない。先ほどから無言の森崎をちらりと見る。いつの間に注文したのか、青魚の刺し身を一人で黙々と食べていた。
「で、いいねが返ってきたらメッセ送って会って、店に来させる。そのやり方を今から説明するけど、長いからな。ちゃんとメモ取れよ!」
「はい!」
このやり方が自分に合うのか分からないが、とりあえず試してみる価値はある。せっかく詳しい人がきちんと教えてくれるのだ。黒瀬はメモアプリを開いて新規ページを作った。
メッセで仲良くなろうなんて考えるなよ。会わなきゃ始まらない。さっさとアポ取ってリアルで会え。時間帯は昼か夕方。夜は避けろ。マッチングアプリやってる男なんて九割セックス目的なんだよ。だから自分はそうじゃないと思わせるのが第一関門だ。
初回はお茶で二回目以降は飯でいい。できれば奢ってやれ。安い店でいいよ、十八歳だし流石に向こうもそこまで高望みはしてこないはずだ。むしろ高すぎるとホストの営業を疑われる。ヤリモクも警戒されるけどホストや保険の営業もある程度警戒されてる。まあ実質ホストの営業と変わんねーんだけどな。
とりあえず二、三回会って相手のことを好きアピールしとけ。この人は体目的じゃないし、なんなら私のこと好きそう。次あたり告白されちゃうかも。って思わせるくらいがちょうどいい。ここではまだ執事喫茶で働いてるって言うなよ。カフェでバイトしてるって伝えて店名は濁しておけ。
で、四回目くらいで遅番終わりにアポ入れろ。わざとシフト終わりより一時間早く駅で待ち合わせろ。そんで十五分前に「ごめん上がるの遅くなる」ってLINEする。相手がほぼ確実に家を出てる時間を狙うわけだ。そんで「よかったらうちの店で待っててよ。もちろん奢るからさ」って言って店の住所送る。ああ、当然予約は事前に入れとけよ。自分指名でな。相手は普通の喫茶店だと思ってるからまず来るよ。それにバイト先に案内されるってのは相手にとってデカいんだよ。だってヤリ捨てするやつは自分の情報を極力与えないようにするし、共通の人間関係も嫌がるんだ。だから脈があれば喜んで店に来る。
あとは普通に接客しつつ周りに聞こえないように「ごめんな、あと三十分だけ待ってて」とか言っとけばいい。会計のときは一度相手の財布から出させろ。また小声で「あとでお金返すからレシートもらうね。すぐに着替えていくから駅で待ってて」って言っておく。ちなみにメニューはポットじゃなくてカップがいい。フードもクッキー系で単価抑える。意外と安いな、ってここで思わせておきたいからな。
そんで一旦駅まで返して、上がったら着替えて飯でも食いにいけ。そこで相手は普通のカフェじゃないことに絶対言及してくる。とりあえず「恥ずかしいから隠してた」とか言って誤魔化せばいい。問題は執事喫茶に対する相手の反応だ。露骨に嫌な顔してたり引いたりしてたらリピートは厳しい。その後は切っていい。バイト先に嫌な反応しちゃったから切られたかな、くらいにしか思わないだろ。逆に執事喫茶に好感触かつお前のこと好きなら客にできる。バイトとゼミで忙しくなったとか適当言って外で会うのをやめる。LINEも露骨に減らす。向こうからしたら、今までガツガツ来てたのに急に冷たくなるわけだ。でも理由は分からない。分からないけど挽回するために会いたがったり長文LINE送ってきたりするけど塩対応を続ける。そうすると何割かはしびれを切らして店に来るはずだ。
指名で来たら驚いたふりしつつめちゃくちゃ喜んでやれ。「LINEもちゃんと返さなくてごめん。会いに来てくれると思わなかった。めちゃくちゃ嬉しい」とか言っとけ。そうすれば冷められたんじゃなくて本当に忙しかったんだ! って勝手に勘違いしだすから。
お前のこと指名せずフリーで来たら絶対に着くなよ。俺らに言えば代わりに着いてやる。おい森崎嫌な顔すんなよ。そのくらいやれよ後輩が頑張ろうとしてんだから。店では小さく手を振るとか会釈とか、そのくらいの反応にして会話すんな。あとから「もしかして会いに来てくれた? 久々に顔見れて嬉しかった。忙しくてLINEもまともに返さなくてごめん」みたいにフォローいれる。これであとは指名で来るまで粘る。
分かってると思うけど、マッチングした人全員がこうなるわけじゃないからな。途中でどんどん脱落していく。実際客になるのなんて一割以下だと思っとけ。一人ひとりに真剣に向き合うなよ。コツはセオリー通りにひたすら数をこなすことだ。
まあ、ざっとこんなものだな。
「ありがとうございます」
黒瀬はひたすらに三神のマシンガントークから単語を拾ってスマホに打ち込んだ。記憶が残っている今のうちにそれを上から見返して、抜けた部分をさらに追加していく。話し終わってまたビールを一気に煽る三神に向かって、森崎がぼそりと「すっげえクズ」と呟いた。
「今はやってねーよ!」
「昔はやってたってことだろ」
「ホスト時代の話な」
「送るメッセージの具体例とか、会うときに話す内容とかも教えてもらえます?」
「お、いいぜ!」
そうしてまた三神が話し出し、黒瀬が相槌を打ちながら真剣にメモを取る。素知らぬ顔で森崎は黙々と注文と飲食を繰り返した。いつの間にか満席になっている店内では、店員が忙しなく動き回っていた。
黒瀬は一通り質問し終えて、三神に再度礼を言った。顔をあげると三神は随分と嬉しそうな顔をしていた。
「明日から早速やってみます」
「頑張れよな。やってみてまた分かんないことあればいつでも聞いてくれ。せっかくだし目標決めとくか?」
「僕が決めてあげよう。夏休み中に五人」
「ちょうどいい人数だな。さすが森崎!」
楽しそうに酒を飲む先輩たちに見守られながら、黒瀬の夏休みが始まることとなった。
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