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序章 ~Awakening~
#0 召喚
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ある真夜中のことだった。
他に誰も居ない暗闇の中で、私は不意に目を覚ました。
畳に敷かれた質素な布団から出て、鉄の格子と強化ガラスに隔てられた窓の向こうを仰ぎ見る。
朝から降り続いていた雨はいつの間にか止んでおり、雲のカーテンから覗いた真円の月が、濡れた大地を緩やかに照らし出していた。
この拘置所に入れられてどのくらいの月日が経ったのか、寝起き直後で思い出せないが、窮屈な独房生活にも慣れてきた。
そもそも二十年の人生の中で、私が真に「自由」を手にした時期が一度でもあっただろうか。
裁判が行われて刑が確定するのはまだ先の話だが、恐らくこれまでの人生と同じかそれ以上の歳月を、私は刑務所で送ることになるのだろう。
月は日によって位相が変わり、それに合わせて『朔』『上弦』『望』『下弦』という風に呼び名も変わる。
怪我や病気が治れば患者は患者ではなくなり、健常者として周りは接してくれるが、刑期を終えても犯罪者は依然、犯罪者として白い目で見られる。
万引き程度の軽犯罪ならともかく、「殺人者」となれば猶更だ。
死んだ者は生き返らない。
故にその罪も汚名も消えない。
月と違って、遺族の心も私の人生も、再び満ちる時は来ない。
それを意識する度に、私は一体何のために生まれてきたのだろう、私の人生に何の意味があったのだろう、と自問してきた。
面会に訪れるのは弁護士や警察、マスコミ関係者がほとんどで、後は取材目的の作家だったり、私を「英雄」などと讃える被害者団体の人間など、いずれも私とは無縁の人々ばかり。
縁者は誰一人訪れず、来て欲しいとも思わない。
仮に明日死刑を宣告されたとしても、私の心には細波一つ立たないだろう。
私には、過去も現在も未来も無い。
太陽も月も星々も消えた宇宙の如き闇一色、永劫の虚無だけが漠然と広がっているのだから。
また虚しくなった私はそれ以上の思考を棄て、寝床に戻ろうとする。
しかし、どんなに深い眠りに堕ちようが、どんなに安らかな夢を見ようが、私の明日は今日と何一つ変わりの無いものになる。
──なるはずだった。
「え……?」
足元から立ち昇る奇妙な光に気付き、私は動きを止めた。
何故畳が光っているのか──という当然の疑問を抱く暇も無く、掃除機に吸い込まれる小石のように、ヒュン、と私はその中に落ちた。
後はもう、伸ばした腕の先が見えなくなるような暗闇の中を、ただただ真っ逆様に下るだけ。
どのくらいの距離、どのくらいの時間を落ちただろうか。
何十キロか、何百キロか、あるいは何千キロか。
一時間か、五時間か、それとも丸一日か。
地球の中心まで落ちて行っているのではないかと思うほど、途方も無く長い落下だった。
初めこそ、これは一体何なのか、夢なのか、それとも幻なのかと戸惑ったが、時間が経つとどうでも良くなった。
今度こそ、ようやく、私の命は終わるのか──。
そんな風に諦め、この非現実を受け入れた頃、意識が私の元を去った。
それからどのくらいの時間が経ったのか、私は地面の上に居た。
落下の衝撃や感触は一切無かった。
目覚めた時には、明らかに拘置所の独房ではない、高校の体育館を想わせる広々とした空間の中央に横たわっていた。
石で出来た地面は畳と違ってひんやりと冷たく、私を囲むように描かれた奇妙な紋様が、蛍光塗料にも似たぼんやりとした光を放っている。
どうやら私が居るのは相撲の土俵のように大きな壇の上らしく、その下の外周からは多くの視線が注がれていた。
妙に肌寒いと思って体を見ると、拘置所で着ていたはずの地味なスウェットは無く、あろうことかヘアゴムや使い古した靴下、更には下着すら着けていない。
つまり、今の私は生まれたままの姿──全裸だった。
「え……っ」
生の執着を失った私でも性の羞恥は残っていたようで、咄嗟に腕で体を覆った。
壇上の私をぐるりと取り囲む形で、一糸纏わぬ姿を、大勢が好奇の眼差しで眺めているというのは、例え夢や幻だったとしても良い気分ではない。
「おお……成功だ!」
「何と、まさか本当に召喚するとは……」
「奇跡だ……」
眺めていた人々が何やら湧き立っていたが、私の体に卑しい感情を抱いているからではなさそうだ。
「な、何よここ……私、渋谷に居たはずなのに……って、きゃあッ!? 何なのよこれぇ!?」
何が起きたか分からず、辺りを見回してから衣服が無くなっていることに気付いて恥じらう声が、私の背後から上がった。
聞き覚えのある、どこか懐かしく感じられる声。
まさか、と思ってそちらを見遣ると──彼女と眼が合った。
「あなたは……照朝……!?」
「輝夜……な、何でここに……!?」
私たちは互いの名を呼び合う。
全く同じ顔、同じ表情で。
思いがけない再会に言葉を失った私たちの元へ、誰かがやって来た。
教会の修道女を彷彿とさせる、純白のローブに身を包んだ女性が綺麗な衣を被せてくれた。
ただし──私ではなく、照朝の方にだけ。
まるで私たちが裸にされてこの場所へ現れることが最初から分かっていたような準備の良さだが、用意されていたのが「一人分」という点が気になる。
そしてまた一人、登壇してくる人物。
「お初にお目に掛かります。私は栄耀教会の教皇、ラモン・エルハ・ズンダルクと申します」
教皇と名乗ったこの老人といい、先程照朝に衣類を掛けた女性や周囲の観衆といい、全員が西洋風の容姿で、衣服もまるで貴族のような小綺麗で洒落たものばかりだ。
彼らが喋っている言語も明らかに日本語ではないというのに、不思議なことにその意味は明瞭に理解できる。
ここはどこなのか。
彼らは何者なのか。
一体何が起きたのか。
私たちが当然の疑問を投げ掛けるより先に、教皇の方が尋ねた。
「失礼ですが、どちらが『聖女』様でいらっしゃいますかな……?」
理解の及ばない出来事が次々に起きて、頭がパニックに陥っていた私だったが、一つだけ確信できたことがあった。
虚ろな闇のまま終わるはずだった私──明智輝夜の運命は、この瞬間から大きく変わったのだと。
他に誰も居ない暗闇の中で、私は不意に目を覚ました。
畳に敷かれた質素な布団から出て、鉄の格子と強化ガラスに隔てられた窓の向こうを仰ぎ見る。
朝から降り続いていた雨はいつの間にか止んでおり、雲のカーテンから覗いた真円の月が、濡れた大地を緩やかに照らし出していた。
この拘置所に入れられてどのくらいの月日が経ったのか、寝起き直後で思い出せないが、窮屈な独房生活にも慣れてきた。
そもそも二十年の人生の中で、私が真に「自由」を手にした時期が一度でもあっただろうか。
裁判が行われて刑が確定するのはまだ先の話だが、恐らくこれまでの人生と同じかそれ以上の歳月を、私は刑務所で送ることになるのだろう。
月は日によって位相が変わり、それに合わせて『朔』『上弦』『望』『下弦』という風に呼び名も変わる。
怪我や病気が治れば患者は患者ではなくなり、健常者として周りは接してくれるが、刑期を終えても犯罪者は依然、犯罪者として白い目で見られる。
万引き程度の軽犯罪ならともかく、「殺人者」となれば猶更だ。
死んだ者は生き返らない。
故にその罪も汚名も消えない。
月と違って、遺族の心も私の人生も、再び満ちる時は来ない。
それを意識する度に、私は一体何のために生まれてきたのだろう、私の人生に何の意味があったのだろう、と自問してきた。
面会に訪れるのは弁護士や警察、マスコミ関係者がほとんどで、後は取材目的の作家だったり、私を「英雄」などと讃える被害者団体の人間など、いずれも私とは無縁の人々ばかり。
縁者は誰一人訪れず、来て欲しいとも思わない。
仮に明日死刑を宣告されたとしても、私の心には細波一つ立たないだろう。
私には、過去も現在も未来も無い。
太陽も月も星々も消えた宇宙の如き闇一色、永劫の虚無だけが漠然と広がっているのだから。
また虚しくなった私はそれ以上の思考を棄て、寝床に戻ろうとする。
しかし、どんなに深い眠りに堕ちようが、どんなに安らかな夢を見ようが、私の明日は今日と何一つ変わりの無いものになる。
──なるはずだった。
「え……?」
足元から立ち昇る奇妙な光に気付き、私は動きを止めた。
何故畳が光っているのか──という当然の疑問を抱く暇も無く、掃除機に吸い込まれる小石のように、ヒュン、と私はその中に落ちた。
後はもう、伸ばした腕の先が見えなくなるような暗闇の中を、ただただ真っ逆様に下るだけ。
どのくらいの距離、どのくらいの時間を落ちただろうか。
何十キロか、何百キロか、あるいは何千キロか。
一時間か、五時間か、それとも丸一日か。
地球の中心まで落ちて行っているのではないかと思うほど、途方も無く長い落下だった。
初めこそ、これは一体何なのか、夢なのか、それとも幻なのかと戸惑ったが、時間が経つとどうでも良くなった。
今度こそ、ようやく、私の命は終わるのか──。
そんな風に諦め、この非現実を受け入れた頃、意識が私の元を去った。
それからどのくらいの時間が経ったのか、私は地面の上に居た。
落下の衝撃や感触は一切無かった。
目覚めた時には、明らかに拘置所の独房ではない、高校の体育館を想わせる広々とした空間の中央に横たわっていた。
石で出来た地面は畳と違ってひんやりと冷たく、私を囲むように描かれた奇妙な紋様が、蛍光塗料にも似たぼんやりとした光を放っている。
どうやら私が居るのは相撲の土俵のように大きな壇の上らしく、その下の外周からは多くの視線が注がれていた。
妙に肌寒いと思って体を見ると、拘置所で着ていたはずの地味なスウェットは無く、あろうことかヘアゴムや使い古した靴下、更には下着すら着けていない。
つまり、今の私は生まれたままの姿──全裸だった。
「え……っ」
生の執着を失った私でも性の羞恥は残っていたようで、咄嗟に腕で体を覆った。
壇上の私をぐるりと取り囲む形で、一糸纏わぬ姿を、大勢が好奇の眼差しで眺めているというのは、例え夢や幻だったとしても良い気分ではない。
「おお……成功だ!」
「何と、まさか本当に召喚するとは……」
「奇跡だ……」
眺めていた人々が何やら湧き立っていたが、私の体に卑しい感情を抱いているからではなさそうだ。
「な、何よここ……私、渋谷に居たはずなのに……って、きゃあッ!? 何なのよこれぇ!?」
何が起きたか分からず、辺りを見回してから衣服が無くなっていることに気付いて恥じらう声が、私の背後から上がった。
聞き覚えのある、どこか懐かしく感じられる声。
まさか、と思ってそちらを見遣ると──彼女と眼が合った。
「あなたは……照朝……!?」
「輝夜……な、何でここに……!?」
私たちは互いの名を呼び合う。
全く同じ顔、同じ表情で。
思いがけない再会に言葉を失った私たちの元へ、誰かがやって来た。
教会の修道女を彷彿とさせる、純白のローブに身を包んだ女性が綺麗な衣を被せてくれた。
ただし──私ではなく、照朝の方にだけ。
まるで私たちが裸にされてこの場所へ現れることが最初から分かっていたような準備の良さだが、用意されていたのが「一人分」という点が気になる。
そしてまた一人、登壇してくる人物。
「お初にお目に掛かります。私は栄耀教会の教皇、ラモン・エルハ・ズンダルクと申します」
教皇と名乗ったこの老人といい、先程照朝に衣類を掛けた女性や周囲の観衆といい、全員が西洋風の容姿で、衣服もまるで貴族のような小綺麗で洒落たものばかりだ。
彼らが喋っている言語も明らかに日本語ではないというのに、不思議なことにその意味は明瞭に理解できる。
ここはどこなのか。
彼らは何者なのか。
一体何が起きたのか。
私たちが当然の疑問を投げ掛けるより先に、教皇の方が尋ねた。
「失礼ですが、どちらが『聖女』様でいらっしゃいますかな……?」
理解の及ばない出来事が次々に起きて、頭がパニックに陥っていた私だったが、一つだけ確信できたことがあった。
虚ろな闇のまま終わるはずだった私──明智輝夜の運命は、この瞬間から大きく変わったのだと。
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