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逃走中の回想
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警邏の人達が来て、アスが僕を殴った盗賊の男を蹴るのを止めたところから、記憶がぶっつりと途切れている。次に目覚めた時、僕はまるで貴族の屋敷のような豪華な部屋でベッドに寝かされていた。
壁には重厚な木彫りの装飾が施され、天井からは繊細なシャンデリアが淡い光を放ち、部屋全体を柔らかく照らしている。シーツは絹のように滑らかで、あれ? 僕婚約破棄して隣国に逃走してたはずだけど、夢だったっけ? なんて考えてしまった。
ハッとして起き上がり、そして体中の痛みに耐えきれずまたベッドに戻る。その動きすら痛くて、呻き声が漏れた。殴られた肋骨のあたりが特に鋭く疼き、打撲の跡が全身に広がっているのがわかる。息をするたびに胸が締めつけられるような感覚がして、思わず顔を歪めた。
「……うっ、つぅ……っ」
このままじゃ身動ぎすることすら出来ないと、僕はポーションを飲もうと斜めに掛けていたカバンを探す。肩から下げているはずのそれが、どこにも見当たらない。痛みを堪えながら周囲を見回すが、ベッドサイドのテーブルにはなかった。
「……あれ?」
目を閉じて痛みをやり過ごしながら、ゆっくりと息を吐き考える。カバンは体から外されているようだった。きっと誰かが外してくれたのだろう。でも、こんな状況でカバンが手元にないのは不安で仕方ない。中には旅の必需品が詰まっているのに。
その時、ドアが開いて誰かが部屋に入ってくる。重い扉が軋む音が響き、足音が近づいてくる。もしかして強盗かも、と僕は怯えて滑らかな手触りのシーツを掴んで起き上がる。心臓が早鐘のように鳴り、息が浅くなる。痛みが全身を駆け巡るが、それでも体を起こさずにはいられなかった。
「っ……!」
その時の痛みは筆舌に尽くし難く、呻き声さえ出せなかった。視界が一瞬白く霞み、吐き気がこみ上げてくる。体が震え、シーツを握る手が白くなるほど力を込めた。
「大丈夫か、無理して起きるな」
大きくて温かい腕が伸びてきて、蹲った僕の体を優しくベッドに戻してくれる。その腕の力強さと優しさが、痛みを少しだけ和らげてくれた。温もりが肌に伝わり、安心感が胸に広がる。まるで守られているような感覚だった。
痛みが引いていくのを待ち、目を細めてその相手を見ると、僕を助けてくれた「アス」と名乗った冒険者だった。金色の髪が柔らかな光に輝き、鋭い輪郭の顔立ちがより際立っている。気を失う前に路地裏で見た時より、ずっと近くて、ずっと鮮明だった。
「アス……」
思わず口からこぼれ落ちた名前は、胸の奥にジン……とした何かを残す。温かくて、甘くて、少し切ない感情。なぜかその名前を呼んだだけで、心が揺さぶられるような気がした。
「なんだ?」
「え、えと、その、ここは? あ、僕のカバンを知らな……知りませんか?」
砕けた口調になりそうで、僕は言い直す。痛みは徐々に治まってきたが、このままじゃ旅に出れない。ポーションを飲んだらこの痛みもなくなるだろう。早く飲まないと、今日の予定が狂ってしまう。婚約者……いやこの国から逃げ出すような旅なのに、こんなところで足止めを食らうわけにはいかない。
「ああ、カバンを探していたのか」
アスはそう言って床に置かれていた僕のカバンを、ベッドの上に置いてくれた。革製のカバンがベッドの白いシーツの上に置かれると、なんだか自分の粗末さが目立つ気がして、恥ずかしくなった。
「動くのも辛いだろう。何を取ればいい?」
「……銀色の缶があるので、そこに入ってる丸い形状のものを、一つ取って貰えませんか?」
丁寧に頼むとアスは奇妙な表情を浮かべた。気に入らない、というような複雑な心境の混じった表情だった。眉が少し寄り、唇が微かに引き結ばれている。もしかして僕の頼み方が変だった?
「……これだな。口を開けろ」
動くと辛いので言われた通りに口を開けると、ポーションを放り込まれた。歯で噛んで飲み込むと、すっと痛みが引いていく。体中を温かな波が駆け巡り、打撲の疼きが急速に薄れていく。やっぱり配合を少し変えたら効き目が上がったような気がする。死人は生き返ることは出来ないが、心臓が動いていたらなんとかなるかもしれない。自分で作った薬がこんなに効くなんて、薬師冥利に尽きる。
ふう……と息を吐き出し、僕はもう一度起き上がる。今度は痛みに呻くこともなかった。体が軽く、まるで新しい体になったみたいだ。
「すごい効き目だな」
「ありがとうございます! そうなんです、少し配合を変えたら、治癒の速度が上がりました。でも、うーん……代わりに少しだけ苦味が残るようになったような……やっぱりこれは改良の余地があるか。もう少し、……の抽出時間と温度を上げて……」
頭の中に広げた薬草の調合の数値を思い出しながら、どこを変更するか考え始めた。僕の悪い癖だ。調薬のことを考えると、すぐに思考がそちらになってしまう。薬草の香りや、煮詰める時の温度、抽出液の色合い……そんなことばかりが頭を占領して、周りが見えなくなってしまう。
「気分は悪くないか?」
いきなり美形な顔が目の前に来た。僕の額に手を当て、まるで人知れない森の奥に佇む泉の奥を覗き込んだような深い青い瞳に見つめられ息が詰まる。その瞳の奥に、自分の姿が映っているのがわかる。熱い視線に、頰が熱くなる。
「……っ」
「どうかしたか?」
これ絶対わかってやってる。綺麗な顔をますます近づけてくるのは、確信犯以外いない。息がかかるほどの距離で、微笑みを浮かべている。心臓がどきどきと鳴り、頭がぼんやりする。
「は……」
「は?」
「離れて、ください」
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