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逃走中の回想
39
「離れて、ください」
「んー……敬語をやめたら離れてやるが、どうする?」
「どう、とは? あの、本当に離れて……」
くださいと言えなかったのは、美しい顔に微笑みを浮かべたからだ。エルドリス家は美形だと言われていて、僕だけが平凡だと思っていた。
けれどこの目の前の煌めく美貌を見たら、僕の家族なんて足元にも及ばない。こんな綺麗な微笑みを見せられたら、それ以外は全部まとめて平凡と呼べる。金色の髪が光を浴びて輝き、青い瞳が宝石のように澄んでいる。完璧すぎて、息が苦しい。
それにとっても良い匂いまでするような気がする。抱き上げられた時は周囲の腐臭がしたし、他のことに気を取られていたから気がつかなかった。今は外套を脱ぎ、綺麗な顔を晒しているので余計気になってしまう。石鹸のような清潔な香りと、ほのかに木の香りが混じった、男らしい匂い。嗅いだだけで体が熱くなる。
「どうする?」
「やめます! 敬語やめるから、離れてよっ!」
「よし、良い子だ」
近くにあった顔が、離れていく。ほっとしながらそれを見ていると、手が伸びてきて僕の手を取る。大きな手が僕の細い手を包み込む感触に、どきっと胸が鳴った。
「!?」
「指先が汚れてるな」
見れば爪の中が黒く汚れていた。どこでこんな汚れを? と考えて、空き家に連れ込まれそうになった時だと思いつく。あの時、必死に地面を掻いて抵抗したんだっけ。爪が折れそうなくらい力を入れた。
「あー、多分空き家に連れ込まれそうになった時に、地面に爪を立てたから」
爪の中にまで汚れが入ったのだろう。手を洗いたいなと思っていると、アスは僕に手を差し出す。大きな掌が開かれ、待っている。
「?」
僕は何も考えずその手に自分の手を乗せてしまった。そのまま引かれて、抱き上げられる。突然のことに頭が真っ白になり、体が浮く感覚に驚いた。
「え?」
「汚れていた服は脱がせたが、地面に転がって気持ちが悪いだろう。風呂に入ろう」
「は?」
服を脱がせた? と考えて下を見れば、確かとシャツと下着になっていた。薄い布一枚で、肌が透けそう。誰かに脱がされたなんて、想像しただけで顔が熱くなる。
「ぎゃ――――っ!」
自分でも最大の声が出たと思う。周囲に人がいれば何事だ!? 驚いて集まってくる大きさだ。恥ずかしさと驚きで、体が震えた。
「元気だな」
「僕の悲鳴聞いて、感想がそれなの!? っていうか、下ろして!」
普通は違うだろう。もっと他に言うことがあるはずだ。暴れた僕をアスは落とさないようにソファーに下ろしてくれた。柔らかなソファーに腰を下ろすと、裾を引っ張って足を隠そうと思っても、全然隠れない。でも、アスの視線にいやらしさは感じないので、恥ずかしいだけだった。それでも、こんな姿を見られていると思うと、顔から火が出そう。
「うーん、可愛い?」
「それもちょっと違わない!?」
「腹は減ってないか?」
アスとの不毛な会話に減ってない! と答えるつもりだった。でも僕の裏切り者な腹の虫が空腹だと訴えるように鳴いてしまったので、仕方なく真実を答える。昼過ぎにこの街に到着して、屋台で串肉を一本食べただけだった。痛みで忘れていたけど、急に空腹が襲ってきた。
「へ……ってる……」
「じゃあ、下に行って何か運んでもらうから、その間に風呂に入ればいい。そっちの扉だ。着替えはあるか?」
「着替え……」
カバンの中には、薬と調薬道具とアーデルに貰った干し肉に紅茶、それからハンカチが入っている。後は昨日王都で泊まった時に着替えた服があるだけだ。洗う暇はなかったが、泥と土に汚れた服を着るよりマシだろう。でも、こんな豪華な部屋で一度着た服をまた着ても良いだろうか。
「良かったらこれを着てくれ。汚れた服は今洗濯に出している。そのカバンの中の服も良かったら綺麗にしてもらうか?」
アスは部屋の中央にあるソファーとローテーブルの上に置いていたものを僕に差し出す。布地や縫製は上等だが、形や色は僕が市井で着ているものに似ていた。柔らかな麻素材で、触れただけで上質さがわかる。僕が買った粗末な服とは大違いだ。
僕は少しだけ思案して、それを受け取る。それからカバンの中に突っ込んでいた服を取り出して、アスに渡した。洗えるなら洗って綺麗にして欲しい。こんな機会、滅多にない。
「おねがいします」
「ん。すぐに戻ってくるが慌てて風呂から出なくてもいいぞ」
「……」
そう言われても風呂に入って人を待たせるなんて出来ないなと、僕は頷くだけで返事はしない。アスは全部わかっている、みたいな顔をして僕の着替えた服を持って部屋を出ていく。扉が閉まる音が響き、部屋に静寂が戻った。
「はー……」
なんだあれ。アスはよくわからない人物だ。助けてくれたんだからきっと良い人なんだろうが、ちょっと変わっている。いや、かなり変わっている。僕をからかうような態度なのに、嫌な感じがしない。不思議だ。
僕を可愛いなんて言っていたのは、兄二人くらいだ。あの二人も、僕をからかうのが大好きだったっけ。でも、アスの視線はもっと熱くて、もっと本気っぽい。
「……とりあえず、こんな綺麗なベッドが汚れるのは申し訳ないから、お風呂に入ろう」
僕は疲れたように呟いて、言われた通り部屋に備え付けられている浴室に入ったのだった。浴室は大理石でできていて、湯船は二人でも入れるくらい広い。熱いお湯が体を包み、疲れが溶けていくようだった。こんな贅沢、もう二度と味わえないと思っていたのに人生って不思議だなとは思いながら、気持ちよくお風呂を堪能したのだった。
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