【完結】婚約破棄を望んだ悪役令息ですが、破棄して貰えないので隣国に逃走します!

きたさわ暁

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逃走中の回想

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「そこをどいてください。僕は、二人のところに行かなきゃならないんです」

 捕まった盗賊団が全員なら良いが、他にもいたら大変だ。二人を守ってくれる相手を見つけてエルドリス領まで送って貰わなければならない。焦りが胸をざわつかせる。

「この街の薬師のところにいる二人なら、エルドリス領から来た荷馬車と一緒にもうこの街を出ている」
「え?」
「二人は無事、お前の言う通りに行動してエルドリス領に向かった」
「どうしてそれをアスが知ってるの?」

 僕はアスから一歩下がって、見上げながら問いかける。背の差が強調され、首が少し痛くなる。

「はあ……俺も同じ乗り合い馬車に乗っていた」
「え?」

 他の人に会話を聞かれないように、こっそりひそひそと話したはずだ。驚きに目を見開く。
「俺は人より耳がいいんだ」
「でもだからって、どうして二人がもうこの街にいないってわかるの」

「お前が気にしていたから、警邏に二人のことを頼んだんだ。さっき下に行ったら、その事を伝えに来てくれた」
「良かった……」

 ちょうどエルドリス領からの荷馬車が来ていたなら、最高のタイミングだ。領から運ぶ薬草や薬は高額で取引されるし、必要な人のところに届けるために何があっても大丈夫なよう屈強な護衛をつけている。街のごろつきや小さな盗賊団くらいなら大丈夫だろう。安堵の溜息が自然に漏れ、体から力が抜ける。

「安心したなら、食事をしてくれ」
「うん」

 ほっとして素直に頷いてしまった。おまけに子どもみたいな返事になってしまった。アスは僕の手を引いて、ソファーにもう一度座らせる。温かく力強い手が触れ、心臓が少し跳ねる。アスも僕の隣に腰を下ろして、置いたばかりのフォークを手に取る。

 まだ湯気の立つ煮込み料理の肉を、僕の口に運んでくれた。僕はぼんやりしていたからか、それを素直に食べてしまう。柔らかな肉の食感と濃厚な味わいが口いっぱいに広がり、幸せな溜息が零れる。
「うまっ……いや、違う! じ、自分で食べます!」

 食べさせて貰うなんて幼い頃熱を出して寝込んでしまった時以来だ。頰が赤く染まり、慌ててフォークを奪い返す。

「美味いなら良かった。お代わりもあるぞ」

 アスはそれ以上強引に食べさせようとはせず、僕にフォークを渡してくれた。僕は落ち着いて食べようとした。努力はした。深呼吸を繰り返し、視線を皿に集中させる。

 でも隣に座っている美形が、愛おしいものを見るような目でじーっと見ている中で、何かを食べることなんて出来なかった。その視線が熱く肌を撫でるようで、体がざわつき、フォークを持つ手が微かに震える。

「あの……」
「食べさせて欲しいか?」
「……」

 そうじゃない。じっと見るのを止めて貰えませんか、と言いたかった。でもそれを言う前に手に持っていたフォークを取られ、また口に運ばれる。今度はサラダに入っていた熟れたトマトだった。甘酸っぱい汁が口の中で弾け、美味しさに目が細くなる。

 食べ物に罪は無い。それに今ここには僕とアスしかいないのだ。もう抵抗する気力もなく、僕は口を開けて咀嚼する。次はあれを食べたいなーと視線を向ければ間違うことなくそれを差し出されたので口を開けて堪能する。スープの温かさが体を満たし、アスの優しい気配が部屋を甘く包み込み、心地よい緊張と甘い予感が胸に広がる。



 お腹いっぱいになった瞬間、僕の胃が満足げに重く沈むのを、アスはまるで自分のことのように正確に察してくれた。彼は静かにフォークを置き、音もなくナプキンを畳んだ。テーブルの上にはまだ温かなスープの湯気が立ち上り、香ばしいパンの欠片が残っていたけれど、僕の胃はもう限界で、これ以上一口でも入れば破裂しそうだった。

「食事をありがとうございました。あの……」
 言葉を続けようとしたそのとき、部屋の重厚な扉が控えめにノックされた。低い、しかし確かな音が静寂を破る。

 アスは眉間に浅い皺を寄せ、舌打ちしそうな顔で立ち上がった。長い足を駆使して数歩で扉に近づき、わずかにだけ隙間を開ける。廊下の薄暗い灯りが、彼の横顔に鋭い影を落とした。

「アス様、ご依頼のクリーニングが終わりましたのでお持ちいたしました。先程お持ちになられた分も後ほどお届けいたします」
「わかった」

 短い、氷のような返事。すぐに扉が閉まる音が響き、鍵が軽く回る音が続いた。

 受け取った服は、僕が古着屋の片隅で安く手に入れた粗末なものだ。こんな豪華なシャンデリアや高級な家具に囲まれた部屋にいる人間が着るものじゃない。それでもアスが頼んでくれたこと――僕のために動いてくれたこと――が、胸の奥に温かい疼きを残した。まるで、誰かに初めて「大切にされている」と教えられたような、切ない喜びだった。

 アスが戻ってくる。僕は慌てて立ち上がり、両手を差し出した。けれど彼は服を渡さず、テーブルの端にそっと置くと、突然僕の体を軽々と抱え上げた。

「え? ええ――っ!?」

 予想外のことに、声が裏返る。腕の中で僕の体はまるで羽のように軽い。アスの胸板が背中に当たり、鼓動が伝わってくる。熱くて、固い。なのに、どこか安心してしまう。

 彼は僕の驚きなど気にも留めず、ベッドへと歩いていった。厚い絨毯が足音を吸い込み、まるで雲の上を歩いているようだった。柔らかなマットレスの上に、そっと――まるで壊れ物を扱うように――僕を下ろす。

「あの……?」

 もう着替えて、この部屋を出なければ。安宿を探し、警邏に事情を説明しに行かなければ――頭ではそう分かっていた。なのにアスは僕の肩に手を置き、優しく、しかし確実に押し倒してきた。シルクのシーツが背中に冷たく滑り、すぐに体温で温まる。彼は掛け布団を胸まで引き上げると、ポンポンと軽く叩いた。まるで子守をする母親のような、信じられないほど優しい仕草だった。

「ポーション飲んだとはいえ、あんな目にあったんだ。もう少し寝ていろ」

 低く、どこか掠れた声。命令というより、懇願に近かった。

「いえ、僕はもう元気です。これ以上アスにご迷惑も掛けられませんし。きっと警邏の人も僕から話を聞きたいと言ってるのでは? こんな場合の展開を何度も本で読んでいるので知っています」

 肩に置かれた手は、まるで鉄のように重い。軽く押さえられているだけなのに、体が沈殿して動けない。
「休め、と言っている」
「でも……」

「警邏には俺が話す。今から街を出発しても次の街にたどり着く前に日が暮れる。乗合馬車はこの時間には走らない。わかったら目を閉じろ」
「え――……」

 シーツの上から押さえていた手が離れる。今度は両手で、ゆっくりと僕の頬を包んだ。大きな手。戦士の手のはずなのに、驚くほど優しい。親指が頬骨をそっと撫でる。熱が伝わってくる。

「しばらく、休むな?」
「でも……」
「目を閉じてみろ」
「……」
「閉じるだけでいい。少ししたら目を開けていいから、今は閉じろ」

 言われるままに目を閉じた。まつ毛が震える。閉じる前までは、まだ全然眠くなんかない、すぐに起きて旅を続けなければ、と必死に自分に言い聞かせていた。

 けれど――

 頬を包む手の温もりが、じんわりと肌に染み込んでいく。鼻先をくすぐるのは、柔らかな、いつまでもその中に浸っていたい香り。それがアスの匂いだと気づいた瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。

 まるで、誰かに初めて抱きしめられたあとの、甘い疼きのような感覚。耳元で「きみを愛している」と囁かれているような、優しい、優しい温もり。思わず深く息を吸い込む。肺の奥まで、その香りが満ちていく。

 世界が少しだけ、僕に優しくなった気がした。

 この匂いを、僕だけのものにしたい――そんな、愚かで甘い欲が胸の奥で膨らむ。

 眠れ、と言うなら、その言葉に素直に頷いてしまいたい。そう思わせる香りだった。

 僕は本当に眠るつもりなんてなかった。なのに、温かいベッドに沈み、優しい香りに包まれているうちに、意識がふっと遠のいていく。
 ストン、と深い、甘い眠りの中へと落ちていった。


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