【完結】婚約破棄を望んだ悪役令息ですが、破棄して貰えないので隣国に逃走します!

きたさわ暁

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逃走中の回想

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 翌日、僕は日が昇る前に目が覚めた。まだ薄暗い部屋の中で、腹の底から湧き上がる空腹の疼きが、眠りの残滓を一瞬で払いのけた。ゆっくりと体を起こすと、昨日と同じ部屋で寝ていたことに気づく。

 あの不快な出来事からどれくらい時間が経ったのだろう? 厚いカーテンがかかった窓の隙間から、淡い朝の光が細い筋となって差し込み、どう見ても柔らかな朝の気配を漂わせていた。空気はまだ冷たく、昨夜の余熱がベッドに残る中、かなり深く眠ってしまったんだなと思い、ふと左側がほのかに温かいことに気づいて下に視線を向けた。

「……っ!?」

 叫ばなかった僕を、心の中で褒めてやりたい。僕の右側にアスが眠っていた。そりゃあもう、豪奢なまでの寝顔をさらして、熟睡しているようだ。長い睫毛が静かに伏せられ、整った唇が微かに開き、規則的な寝息が部屋に優しく響く。吸い込まれるように顔を近づけている自分に気づき、慌てて体を離した。

 心臓が早鐘のように鳴り響く中、なにやってんだ、僕! 綺麗な顔の貴族なんて腐るほど見てきただろう。なのに、どうしてこんなにもアスに惹かれてしまうのだろうか。その鋭い眼差しや、昨日の優しい手つきが脳裏に蘇り、胸がざわつく。

 やっぱり助けて貰ったからかな、と自分で結論付け、僕はそーっとベッドを抜け出し、裸足で分厚い絨毯の敷かれた床に足を降ろす。素足が絨毯の柔らかい感触を伝え、朝の空気の肌寒さが体を震わせた。

 テーブルの上に置かれたはずだった服はなくなって、その代わりのように別の服が丁寧に畳まれて置かれていた。アスの服ではなく、サイズは僕にぴったりの柔らかな生地で、焦っていた僕はそれに素早く着替えてから、カバンを抱え込む。布地が肌に優しく寄り添う感触が、なんだか心地よい。

 学園に入ったことで良かったのは、一人で着替えが出来るようになったことだ。カバンから紙とペンを取り出しテーブルに置いて、感謝の言葉を丁寧に綴る。インクの匂いが鼻をくすぐり、手が微かに震えた。

 鍵を開け、重い扉が開く時、ほんの少し軋んだ音がして僕は慌てて眠っているアスの方を見る。ぴくりとも動いてないので、起きなかったようだ。安堵の息を吐きつつ、部屋を後にした。

 宿の三階にある部屋から階段を降りれば、綺麗な食堂で朝食を食べている人たちがいる。どう見ても上流階級の人ばかりがいるようで、豪華な銀食器の音や、香ばしいパンの匂いが漂う中、ドキドキしながら通り過ぎる。心臓が喉元まで上がり、足早に進んだ。

 宿の支払いはきちんとテーブルに置いてきたが、金額が足りたか不安になる。でも今さら戻れずに、心の中で礼と謝罪を繰り返し、僕は宿を出た。外の空気が新鮮に肺を満たす。

 既に日が上がっていて、街は活気づいていた。石畳の道に人々の足音が響き、馬のいななきや市場の呼び声が遠くから聞こえてくる。乗り合い馬車の停留所に行こうとして、ハッとする。もしかしてアスが追いかけて来るかもしれない。その想像に背筋がぞくりとした。

 乗り合い馬車の停留所に向かう道から離れ、僕は街の中心地である広場にやってきた。何か食べるものは買えないかなと思ったが、まだ時間が早いのか屋台は出ていない。仕方ない、アーデルに貰った干し肉を食べようと、噴水のほうに歩く。水の音が涼やかに響き、朝の陽光が水面をきらめかせる。

 いや待てよ。今ここで時間を無駄にするより、街を出て隣国に向かった方が良いのではないかと考える。歩きだとかなり時間が掛かってしまうが、乗り合い馬車は実家やアスに調べられたらすぐに見つかってしまうかもしれない。朝の爽やかな空気の中、決断が固まる。

 よし、と頷き、僕は街から出るべく、街の出入口となっている、正門に向かう。王都と違って、ここはギルドカードをかざせば簡単に出入り出来るので、安心して街を出れる。門の石造りが朝陽に輝き、風が頰を撫でる。

 一度振り返って、頭を下げた。

 アス、助けてくれてありがとうございました。これで旅を続けられます。黙って居なくなってしまい、申し訳ありません。では、あなたもお元気で、という意味を込めた礼だった。胸に温かなものが広がる。

 僕は意気揚々と歩き出す。門を出て、方角を間違えず街道を歩けば良いだけだ。隣国までの僕の旅の再開だった。道端の草が足元をくすぐり、遠くの森の匂いが鼻に届くようだった。



 僕はもしかして、不運な星の元に生まれたのではないのかと、少し疑問に思う。主要街道には定期的にその地の騎士団が見回りをしていて、旅人の安全を守っているという。広い範囲だから全部を守ることは出来ないが、それでも抑止力にはなるはずだ。なのに、僕の目の前には面相の良くない人たちが立ち塞がっている。埃っぽい道に彼らの影が長く伸び、荒々しい息遣いが聞こえてくる。

「えっと、僕は先に行きたいんですが……」
「だーかーらー、有り金全部置いていけば通してやるって言ってんだ。体で払ってくれてもいいぞ」
「……」

 まともな会話が出来ないな、と思いながらも僕はなんとか会話を続けようと努力する。相手が痺れを切らした時が、僕の最後だ。汗が背中を伝い、心臓が激しく鼓動する。

 また「死」か「死んだ方がマシ」の二択なんて、神様に嫌われているとしか思えない。風が木々を揺らし、葉ずれの音が不気味に響く。

「えーっと、有り金と言われましても、僕も隣国まで旅するので、路銀がなくなると困るんですよね。ほら、食べ物や飲み物を買うにもお金は必要じゃないですか。宿に泊まる時だって、屋台で串肉を食べるのだって、お金がなかったら出来ません。なので、⋯⋯」

「つべこべうるせーんだよ。命が惜しかったら、さっさと食い物と有り金置いてけ!」

 確かに命は惜しいが、ここでお金と食べ物を出してしまったら、次の街までどうやって過ごしたら良いのだろうか。喉が渇き、足が震える。

「おい、待て。こいつ地味だが、顔立ちは悪くないぞ。肌もその辺の女より綺麗だな。金も食い物も、ついでにこいつも貰おう」
「確かに。そうだな!」

 僕は貴族の中では地味で目立たない容貌をしていたが、市井に下りるとちょっと違うらしい。肌の滑らかさや、細い指が彼らの視線を釘付けにしているようだ。

 なんとかこの苦境を乗り越えたいと思うが、今のところなんの名案も浮かんでこない。頭が真っ白になり、逃げ道を探す目が周囲をさまよう。

「おら、こっちに来い!」

 そう言われて近づく人なんているんだろうか。どこか現実味を帯びていない出来事に、僕は思考を放棄しそうだった。せっかくアスに助けて貰った命だが、ここまでのようだ。体が硬直し、息が詰まる。




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