【完結】婚約破棄を望んだ悪役令息ですが、破棄して貰えないので隣国に逃走します!

きたさわ暁

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逃走してます!

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 食事が終わり、部屋に戻ると、アスはもう一度部屋を出て、薄暗い廊下を抜けて階下へと戻っていった。背中が遠ざかるのを、僕はぼんやりと見送りながら、ようやく肩の力を抜いて息をつけた。
 もしかしたら飲み足りなくて、僕を部屋に送ったあと、再度酒を飲むつもりなのかもしれない。今は一緒にいて気まずいので、少しだけありがたかった。でも、同時に――胸の奥にぽっかりと空いたような、切ない寂しさが広がった。

 僕はカバンから携帯用の調薬の道具を取り出そうとして、ふと手を止めた。採取した薬草はアスのマジックバッグに入れてもらっていることを思い出す。
 一人でアドナイラム帝国に向かうつもりだったのに、たった数日一緒にいただけでアスに頼りきりになっていたことに気づいて、膝が震えた。冷たい床に座り込んだまま、指先が微かに痺れるのを感じる。

 どこまでいっても僕は不具合があり、人に頼らないと何も出来ない出来損ないなんだと思い知る。心の底から湧き上がる自己嫌悪が、喉を締めつけた。
――それでも、アスは僕を見捨てないでいてくれるはずだ。
その事実が、嬉しくて、苦しくて、涙がこぼれそうになった。でも、本当になにもない僕に、そんな資格があるのだろうか? 貴族令息でもなくなり、エルドリス領との繋がりという旨味もなくなった今、ただの負担でしかないのに。

 ノックの音が響き、ハッとして顔を上げる。急いでドアの鍵を開けると、すぐにアスが顔を出し、何か違和感を感じたのか、鋭い視線で僕の顔を覗き込んでくる。
「何があった?」
「あ……」
 ちゃぷんと音がしてアスの手を見れば、桶に布が掛けられ、湯気の立つお湯が入っていた。温かな湯気が部屋に広がり、ほのかに甘い香りが漂う。
「本当になんでもないんだ。アス、お湯を使うなら僕、下にいようか?」
「これはシフが使うものだ」
「へ?」

 部屋の中に入って小さなテーブルにお湯の入った桶を置くと、掛けていた布を浸して絞った。その布で僕の頬を拭いてくれる。温かくて気持ち良い。柔らかな布の感触が肌に優しく寄り添い、旅の疲れが溶けていくようだった。

 毎日お風呂に入れないのが、この旅の悩みだったが、温かいお湯で拭くだけでこんなに気持ち良いと知ることが出来たなら、この旅も無駄ではなかったと思う。心が少し軽くなるのを感じた。
「服を脱げるか?」
「え、あ、その……」

 僕の第一の姓は男だが、第二の性はオメガなので、受け入れる性だ。だから極力人前で肌を晒すことはしていなかった。でも、僕は不具合オメガで、ほとんどベータと同じだ。恥ずかしがる方がおかしく思われるだろう。なのに、胸がざわめき、熱が頰に上る。
「あ、の……」
 脱ぐよ、と一言言うだけなのに、舌が痺れたように動かない。喉が乾き、息が浅くなる。
「冗談だ」

 そう言った後、アスは僕の手をとって拭き、もう一度布をお湯に浸して絞り、僕の手に渡してくれた。温かな布の重みが、手のひらに優しく伝わる。
「少し出ている。何かあれば呼んでくれ」
「……うん」
 アスはもう一度部屋を出ていき、僕の手には温かい湯に濡れた布が残る。その飾らない優しさに、胸が痛いほどドキドキした。心臓の鼓動が耳に響き、部屋の静けさがそれを強調する。僕は手早く服を脱いで顔や体を拭き、布を桶に戻す。肌が清潔になり、心地よい温もりが残った。

 服をちゃんと着てから、桶を持って下に降りようと思いドアを開けると、壁に寄りかかって目を閉じているアスを見つけた。薄明かりの下、彫りの深い横顔に影が落ちている。
「アス?」
「終わったか?」
「うん。お湯をありがとう。気持ち良かったよ」
「それは良かった」
 アスは僕が持っていた桶に、手を伸ばしてきた。大きな手が自然に重なる。

「下に運ぶくらい、僕にも出来るよ」
「いや、この時間になると下の食堂は酔っぱらいの巣窟だ」
 つまり危ないから下に降りるなと言われていた。夜の喧騒が遠くから聞こえてくる。
「過保護だなあ」
「大事にしている、と言ってくれ」

 その一言に顔が赤くなるのを感じた。そう、僕は大切にされている。それをひしひしと感じるが、理由がわからない。温かな視線が胸を刺す。
 僕は不具合オメガで、顔も地味だし性格だって褒められるようなものではない。婚約者に好きな人がいるのがわかり、相手のことなんてなにも知らないのに婚約破棄を望んだくらいだ。

 優しくなんてないし、自分勝手でわがままで、これまで育てて貰ったのに貴族の義務も捨ててきた。こんな僕はアスに好かれる要素なんて皆無だと思う。自己嫌悪が再び胸を締めつける。
 アスはどうして僕にこんなに優しくしてくれるのだろう。

「アス、僕薬を作ることと、薬草を育てることくらいしか出来ることがないんだ。こんな僕でもアスの役に立つことある?」
 食べ物も宿もアスが出してくれる為、僕は冒険者ギルドで下ろしたお金をほとんど使っていない。無力感が体を重くする。

「シフがシフであるだけで、俺を幸福にしてくれる」

「どうして?」

「愛しているからだ。いや、そんな言葉じゃ足りないな。お前の存在が俺の全てを形作るものだ」

「まるで運命の番を見つけたアルファみたいな言葉だね」

「そうだな。見つけたからな」

「……僕?」

「ああ」

 淡々と語られる言葉を呑気に考えていた僕は、その違和感に気づいて自分に指を向けた。心臓が激しく鳴り、視界が揺らぐ。

「これを戻してくるから、部屋に入れ。俺以外が来たら絶対に開けるなよ」
アスはそう言うと僕の頬を指先で撫でて階下に降りていった。優しい触れ方が残り、頰が熱い。

 そして僕は信じられない事実に、顔を真っ赤にさせ胸を高鳴らせていた。喜びと驚きが混じり、部屋の空気が甘く感じられた。




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