恋人はメリーゴーランド少年だった。

夏目奈緖

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 11時。

 ここは黒崎の会社の社長室だ。室内には、いくつかデスクが並んでいる。そのそばでは黒崎が秘書の早瀬さんから報告を受けている。二人ともスーツ姿でかっこいいと思った。今週のスケジュール調整の結果を話しているようだ。俺はどこにいるかというと、彼らのそばにある応接セットだ。ソファーに座りながら、出してもらったお茶を飲んでいるところだ。

 お茶のおかわりはいかがですか?と、早瀬さんの方から声をかけられて、おなかいっぱいです、お構いなくと答えた。黒崎だけでなくて、早瀬さんもスーツ姿が格好いいと思った。

 俺も数年後にはスーツを着て仕事をするのだろうか。子供っぽい自分には想像もできなかった。第二志望の大学は何とか合格圏内だから、卒業までの数ヶ月間、バイトを経験したいと思っている。両親は俺のことを止めなかった。近くのドラッグストアはどうかとまで声をかけてもらえたぐらいだ。その代わりにコルクボードから卒業することが条件だ。もうそれはクリアしていると思った。黒崎と喧嘩をしてイライラしていたのに、コルクボードのことが頭から飛んでいたからだ。

 俺の指の爪は少々いびつな形をしており、自然なものとは言えない。コルクボードを引掻くうちに爪が歪んでしまった。黒崎から指先の傷のことを聞かれたとき、正直に話した。さすがに驚いていた。もうやめたんだと答えると、ホッとした顔をされた。そして、何度か優しくさすってもらった。優しい人だと思った。
 
(もうやめないといけないよなあ……)

 ソファーに腰掛けたまま、大きく伸びをした。座り心地が良くて眠たくなってしまった。さっき飲んだお茶も美味しかった。黒崎がデスクのそばから声をかけてくれた。もうすぐで終わるそうだ。仕事の話が終わり、俺とのドライブ先のお勧めを早瀬さんから聞いているそうだ。さすが悪いと思って、お構いなくと言いかけたけれども、やめておいた。せっかくの好意をだめにしたくないからだ。素直に任せることにした。

「社長。どうなさいました?」
「いや、何でもない」
「報告を続けます。社長。ご機嫌ですね。今日はドライブだけに留めておいた方が……」
「そうか。初めてで戸惑っている。……夏樹。退屈していないか?もうすぐで終わるぞ」

 黒崎から何度も名前を呼ばれた。まるっきり子供扱いされていると思って恥ずかしくなった。車の中の意地悪な人は消えている。何度目かに黒崎から呼ばれたとき、さすがにやめてくれと思った。

 俺と黒崎のやり取りを聞きながら、とうとう早瀬さんが笑い声を上げた。最初は微笑み返しのみだったのに。笑いを取ろうと思ったわけではないけれど、つい、黒崎のことを横目で睨んで言い返した。とうとう早瀬さんが大笑いを始めてしまい、社長室を出るまで恥ずかしい思いを我慢することになってしまった。
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