夏椿の天使~あの日に出会った旋律

夏目奈緖

文字の大きさ
69 / 348

6-11

しおりを挟む
 13時。

 午後の講義開始のアナウンスが流れた。この時間の講師が紹介された後、黒崎が壇上に上がった。最初と同じく中央のマイクの前に立った。

 女の子達からため息が漏れた。珍しくないことだ。今回は男の声も聞こえてきたから驚いた。カッコいいと囁かれている。恋愛対象でないことを願っている。

「……この時間を担当いたします、黒崎です。午前中の『鬼』より予告がありましたとおり、リラックスした……。あの『鬼』は……。マーケティング推進室にて、室長をやっていた社員です。現場から離れてしまったのには、そういった社内事情によるものです……」

 鬼とは早瀨さんのことだ。参加者だけでなく、壁の方で立っている社員さんも笑っていた。俺にとっては黒崎が『鬼』であり、早瀬さんの方が『優しくて面白い人』なのだと思っていたのに、実際は反対だった。

「……では始めます。この時間はマーケティングの仕組みをお話します。意味から説明をすると、売れる仕組みを考える仕事です。消費者の好みや傾向について情報を収集して分析します。開発部門との試作品のチェック、情報分析……」

 簡潔に説明された後、黒崎がスクリーン脇へと移動した。ステージそばでは社員さんがパソコンを操作して、スライドを表示させた。それは、午前中の予告にもあった、ソフトクリームを持った男の子のイラストだった。これは黒崎が描いたものだ。つまりは俺のことがモデルになっていると察して、嫌な予感がした。

「今回は、絵本を開いているイメージで説明していきます。……まず、このイラストを見てください。ソフトクリームが大好きな少年がいます。普段買っているのは、駅の近くのテイクアウト専門の店や、近くにあるカフェです。他にもいろんな場所でソフトクリームを買うことができます。……どうして少年は、2箇所で買うのでしょう?それを選ぶ時には、何を大事にするでしょう?何度も食べるため、買いやすい価格の店を選んだわけです。もちろん味も大事です。いつも同じ店なので、少々飽きてきました。別の店はないのかな?そんなことを考えていると、アクシデントが起きました……」

 スライドが変わり、ソフトクリームの上の部分を落として、ショックを受けているものが表示された。身に覚えがあるものだ。俺のことをモデルにしている。

「……少年がソフトクリームを落としてしまいました。もう一度買おうとしても、店が閉まっています。どうしても食べたい少年は、別のお店を探し始めます。それが新しいお店へ行く、きっかけです」

 少年がスマホを眺めて思案しているイラストに変わった。3箇所の店が思い浮んでいる。

「……SNSで見つけたカフェが気になったものの、そこから遠いのがネックです。どうしようかな?日曜日に友達を誘って行こうかな?でも、すぐに食べたいという希望があります」

 落としたソフトクリームを見ながらガッカリしていると、男の人が声を掛けて来たイラストに変わった。

「そこへ、知らない人が声をかけて来ました。通っているレストランに、美味しいソフトクリームがあるよと教えました。少年にとっては新しい世界です」

 少年が男性の車に乗って、レストランへ向かうイラストに変わった。到着したのは、黒崎製菓が経営している店だった。店内に入り、少年がモジモジしているイラストに変わった。

「……少年は大人の雰囲気に臆して、タジタジになりました。しかし、そこで好奇心が芽生えました」

 少年が将来を思い描いているイラストに変わった後、いくつかの店と人物のイラストが表示された。

「……これもきっかけのひとつです。価格、場所、入りやすさ。高校生の彼にとっては選ばないお店です。しかし大人になればそうではありません。……このようにターゲット層が……、選ばれた店には……、商品の提案と企画があります。 企画をする側として……」

 会場内は真面目な空気に包まれている。いくらイラストが可愛らしくてもだ。ペンを走らせる音が聞こえている。すると、黒崎が参加者へ質問を投げかけた。でも、しんと静かなままだ。

「……今までの話の中で、少年は大きな間違いをしています。それは何だと思いますか?……D列の中村さん」

 当てられた生徒の前にマイクが向けられた。思案している声が聞こえた後、返事があった。

「最初に買った場所の近くにも、同じ価格帯の店があったということですか?」
「それもある。もっと根本的なことだよ」
「座って食べれば、落とさずに済んだということですか?」
「それは言えている。少年に会った時に伝えるよ」

 会場内から小さな笑い声が出た後、社員さんにも質問をした。それでも、正解にたどり着かなかった。黒崎がステージ脇へ手を振ると、スクリーンのイラストが変わった。あの男性に乗って出かけけている場面だった。

「……正解はね。『知らない人の車に乗ったら駄目だ』。そういうことだよ。連れ込まれなかったが、実はそういう人かも知れない」

 会場内から笑いが起きた。確かにその通りだと囁く声も聞こえてきた。俺としては乾いた笑いが漏れた。自分のことを言っているのかな?と。そして、黒崎が端の方の列へ視線を向けた。誰かをイジるのだろうか。微笑みかけていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

王様のナミダ

白雨あめ
BL
全寮制男子高校、箱夢学園。 そこで風紀副委員長を努める桜庭篠は、ある夜久しぶりの夢をみた。 端正に整った顔を歪め、大粒の涙を流す綺麗な男。俺様生徒会長が泣いていたのだ。 驚くまもなく、学園に転入してくる王道転校生。彼のはた迷惑な行動から、俺様会長と風紀副委員長の距離は近づいていく。 ※会長受けです。 駄文でも大丈夫と言ってくれる方、楽しんでいただけたら嬉しいです。

【完結】ホットココアと笑顔と……異世界転移?

甘塩ます☆
BL
裏社会で生きている本条翠の安らげる場所は路地裏の喫茶店、そこのホットココアと店主の笑顔だった。 だが店主には裏の顔が有り、実は異世界の元魔王だった。 魔王を追いかけて来た勇者に巻き込まれる形で異世界へと飛ばされてしまった翠は魔王と一緒に暮らすことになる。 みたいな話し。 孤独な魔王×孤独な人間 サブCPに人間の王×吸血鬼の従者 11/18.完結しました。 今後、番外編等考えてみようと思います。 こんな話が読みたい等有りましたら参考までに教えて頂けると嬉しいです(*´ω`*)

前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。 ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。 雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。

異世界で聖男と呼ばれる僕、助けた小さな君は宰相になっていた

k-ing /きんぐ★商業5作品
BL
 病院に勤めている橘湊は夜勤明けに家へ帰ると、傷ついた少年が玄関で倒れていた。  言葉も話せず、身寄りもわからない少年を一時的に保護することにした。  小さく甘えん坊な少年との穏やかな日々は、湊にとってかけがえのない時間となる。  しかし、ある日突然、少年は「ありがとう」とだけ告げて異世界へ帰ってしまう。  湊の生活は以前のような日に戻った。  一カ月後に少年は再び湊の前に現れた。  ただ、明らかに成長スピードが早い。  どうやら違う世界から来ているようで、時間軸が異なっているらしい。  弟のように可愛がっていたのに、急に成長する少年に戸惑う湊。  お互いに少しずつ気持ちに気づいた途端、少年は遊びに来なくなってしまう。  あの時、気持ちだけでも伝えれば良かった。  後悔した湊は彼が口ずさむ不思議な呪文を口にする。  気づけば少年の住む異世界に来ていた。  二つの世界を越えた、純情な淡い両片思いの恋物語。  序盤は幼い宰相との現実世界での物語、その後異世界への物語と話は続いていきます。

取り残された隠者様は近衛騎士とは結婚しない

二ッ木ヨウカ
BL
一途な近衛騎士×異世界取り残され転移者 12年前、バハール王国に召喚された形代柚季は「女王の身代わり要員」として半引きこもり生活をしていたが、ある日婚活を始めることに。 「あなたを守りたい」と名乗りを上げてきたのは近衛騎士のベルカント。 だが、近衛騎士は女王を守るための職。恋愛は許されていないし、辞める際にもペナルティがある。 好きだからこそベルカントを選べず、地位目当てのホテル経営者、ランシェとの結婚を柚季は決める。 しかしランシェの本当の狙いは地位ではなく―― 大事だから傷つけたくない。 けれど、好きだから選べない。 「身代わりとなって、誰かの役に立つことが幸せ」そう自分でも信じていたのに。 「生きる」という、柔らかくて甘い絶望を呑み込んで、 一人の引きこもりが「それでもあなたと添い遂げたい」と言えるようになるまで。

処理中です...