夏椿の天使~あの日に出会った旋律

夏目奈緖

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 12時半。

 ガストロノミー・ミュールへやって来た。ビルの中の2階にあるレストランだ。広々としたフロアの中は、木目調のインテリアになっている。このカジュアルな雰囲気が落ち着けて大好きだ。案内されたのは奥の方の席だったから、さらにゆっくりできる。

 今日のランチメニューが運ばれてきた。白身魚のオーブン焼き、ハチミツのパン、ローズマリー入りのパン。あさりのスープだ。黒崎がバクバクと食べ始めている。早食い選手権に出れば入賞しそうな勢いだ。上品に食べているのに。悠人の姿が重なるから面白い。彼も行儀がいい。

「黒崎さーん。お腹空いていたんだね……」
「ああ。午前中で体力を使った」
「久しぶりに、その食べっぷりを見たわ。毎日のご飯作りが大変でしょう?」
「うん。炊飯器がフル稼働だよ。こっちに移ってきてから、もっと忙しくなったんだよ。たくさん食べてくれているよ」
「黒崎君よかったわね?夏樹君と結婚できて。捨てられないように頑張りなさい」
「ああ。大事にしている。ベッドでも努力している。おかげで……」
「黒崎さーんっ」

 黒崎が楽しそうに笑っているから嬉しい。沙耶さんから報告したいことがあると言われて、黒崎が意地悪そうに笑った。何か失礼なことを口にするだろう。

「カレシが出来たのか?」
「問題発言よ。役員のくせに。こっちへ引っ越してくることになったの」
「へえー。事務所を移るの?」
「同期と2人で事務所を立ち上げるの。小川先生が病気で引退されるから、クライアントを引き継ぐ形になるわ。4月から開くの。来月頭に引っ越して来るわ」
「えらく急だな?」
「……事情がありまして。残った仕事が片付いたので報告しました」
「そうか」
「すぐに会えるから嬉しいよ~」

 黒崎が一瞬だけ眉をひそめたことに気づいた。それでも、沙耶さんが笑顔でいるから安心しているようだ。何かあれば相談することを分かっているから、あえて突っ込んでいないようだ。

 何はともあれ、近くに来るのが嬉しくて堪らない。ましてや将来の選択をしたタイミングだから、話したいことが出てくるはずだ。

「……夏樹。あの件を報告したらどうだ?」
「そうだね。今度ゆっくり話すけど……」
「何があったの?」
「お義父さんから、黒崎製菓グループで働いてほしいって話があったんだ。よろしくお願いしますって返事をしたんだ。知り合いの人を紹介してくれて、先生になってくれるんだよ」
「まあ……」

 さすがの沙耶さんでも驚いている。黒崎家の養子になることを話した時、こういう展開があるかもしれないと言われていた。それが本当になった。

「夏樹には俺がいる。同じようにはならない」
「そうね。そうでないとねえ。外に出す気になったことが驚きよ。コンビニすら一人で行かせなかった人がねえ。通学は電車を使わせているし。成長したわね。スーパーも一人で行っているのよね?」
「ううん。黒崎さんと一緒に行っているよ」
「……あははは!」
「……なんだ?」

 沙耶さんが笑い続けたことで、黒崎が眉間に皺を寄せた。そんな2人の応酬が続いた後、バンドコンテストの話になり、早瀬さんの話題に移った。

「しばらく会っていないわ。ワタベ電機との提携のニュースを見たわよ。雰囲気が変わったのね」
「パートナーの悠人君の影響だ。人間味が戻ってきた」
「みんな幸せになっているのねえ……」

 早瀬さんとも長い付き合いだ。沙耶さんは社外の人だから、秘書になった後も変わらずに、友達付き合いをしていたという。学生時代からだ。ゆっくり話が聞きたい。

「裕理達を誘って食事へ行こう。いつまでこっちにいるんだ?」
「今日の夕方の新幹線で帰るの。次は来週の金曜日だから……、25日に来るわ。ちょうどコンテストの前日よ。その後は都内に滞在予定」
「じゃあ、その頃に食事に行こうよ~」
「ええ、そうしましょう」
「お前は沙耶には愛想がいいな」
「誰かさんみたいに意地悪じゃないからだよ」
「ふふふ……」
「なんだ?」

 黒崎が嬉しそうにしていたのが印象的だった。これで早瀬さんと悠人が加わると、もっと楽しい食事になりそうだ。あっという間に楽しい時間が過ぎてしまった。
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