上弦の月の天使~結ばれた約束の夜

夏目奈緖

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 午前9時半。

 プラセルの本社ビルへ到着した。大学寮からは電車で片道一時間だ。乗り換えなしで来れるから良かったと朝陽に声を掛けたが、頷くだけで返事がない。本人が言うとおり、恥をかかされるのは承知の上だ。他の企業へはとても預けられない。一貴なら容赦なくやってもらえる。

 一階のロビーに入り、受付へ向かった。壁のガラスショーケースには、衣装提供をしてきたアーティストの写真や、サイン色紙が飾られていた。

「……黒崎と申します」
「……お待ちしておりました。二階へご案内いたします」

 二階へ案内されると、吹き抜けのある開放的な空間が広がった。白と木目調をメインにした内装だ。エレベーター横の案内表示は、ミシンの糸目を意識したそうだ。社員達はスーツ姿であっても、重苦しさがない。

 さらに目を惹くものがあった。一階と同じく、アーティストの写真が飾られていた。ヴィジブルレイ単独だ。ステージ衣装とメンバーのサインがある。その中に個性的な字を見つけた。夏樹のサインだ。

「圭一!」

 名前を呼ばれた後、階段を降りてくる姿が視界に入った。一貴が階段を降りてきた。ポロシャツ姿に、肩にはフェレットのユリウスを乗せている。社員から声を掛けられる度に、冗談を飛ばしていた。今日は秘書を同行させていない。

 去年の今頃に訪ねた時とは印象が変わった。少年と大人が混ざったかのようで、この内装に違和感がない。鏡に映った俺の方が浮き上がっている。

「おまたせ。今日は会議がないから、この格好をしている」
「すまない。ヴィジブルレイの写真が飾ってあるのか」
「もちろんだ。TDDへ衣装提供させてもらう。夏樹君のサインは、偽造できないレベルだな。うちの社員からも評判だ。字まで個性的なのかと。……この子か?」
「世話になる。……烏丸朝陽からすまるあさひだ」
「ん?」
「母の旧姓だ。朝陽、挨拶しろ」

 母の離婚後、朝陽は母の旧姓に変えた。二葉だけが倉口姓を名乗っている。そう説明した後、挨拶するように朝陽を促した。姿勢が悪いことを指摘すると、直す素振りをした。最低限のことを教えてある。返事は”はい”、だ。

「烏丸君。オフィスへ案内する」
「はい」

 一貴が俺の方を向いて笑った。後は任せておけと。朝陽が戸惑った顔をしたのは、予想外の人物像だからだろう。俺と似た男を想像したはずだ。今の一貴は穏やかな笑みを浮かべている。去っていく二人の姿を眺めた後、ビルを出た。
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