上弦の月の天使~結ばれた約束の夜

夏目奈緖

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 部屋にあるテレビからは、朝のニュースが流れている。そんな穏やかな時間を黒崎と過ごす予定が、伊吹からスプーンを向けられている状況だ。フーフーしてやるからなという、押しつけがましいセリフ付きで。

「適温だからいいよ。早く食べたいんだ。つゆだくのサラサラが食べたいからさ。そっちの方にジュースがあるから飲んでよ」
「お兄ちゃんが元気を吹き込んでやるからな!なんせ伊吹という名だ。ふーーー!」
「やめてよーーー」
「もうすぐ黒崎さんが来るだろう?それまでに食べておけ。早く帰りたいだろう?」
「9時半まで待たないといけないから、大丈夫だよ。ありがとう」
「……美味しそうな白身魚だ。蒸してあるんだな。柚子の皮つきか。これもほぐしてやるからな。ふーーっ」

 もう勘弁してくれ。ゆっくり食事がしたい。元気づけようとしてくれるのは分かっている。おちょくられていることも。

 なるべく好意を受け取りつつ、息吹かないでくれと頼んだ。昨夜よりも食が進み、あっという間に食べ終わった。昨日よりも美味しかったのは、帰れるという気分が違うからだろう。

「夏樹っ、お茶を飲むなら冷ましてやる」
「やめてよ。苦労しているんだ……」
「くろう、くろう……。ああーー!これを芸名にする。クロウだ。鴉っていう意味もある。いやー、せっかくだから芸名を使いたいのに、思いつかなくてなーー。…… "弟に苦労する兄貴・クロウ" 。……これで決まった。久弥さんへ連絡しておく」
「やめてよーー。うっうっ」

 今度こそ俺の方に絡んでくる。思い切りだ。嫌味を向ける人がいるとしたら、その倍は同情する人がいるだろう。冗談じゃない。

 ため息をついて湯のみに口をつけると、お茶が冷めていた。温かい方がいいから淹れ直そう。そして、ベッドから降りかけた時、部屋のドアが開いた。そこには、待ち焦がれていた人が立っていた。

「黒崎さーーん、待っていたんだよ~~」
「……顔が赤いぞ。熱っぽいのか?」
「そうかもしれないよ~」
「……寝ていろ。涙目になっているじゃないか」

 俺を見るなりベッドへ来て、首筋と額に手を当てられた。そんな顔までしていたのか。ポンポンと頬を指先で軽く叩きながら見つめられて、ふっと表情が和らいだ。眉間に皺を寄せたら怖いのに、こういうときは本当に優しい顔に変わる。胸がキュンとした。

「もう帰り支度を済ませたんだ」
「そうか。伊吹君から、余計なことをされたんだろう?そうじゃないのか?」
「いやーー、気を紛らわせようと思って。うひゃひゃひゃ、寂しそうな顔をしていましてね!俺が来たら元気になって、抱きついて来たんですよ?ふーふーしてあげてですね……。そうだ、芸名を思いつきました。弟に苦労を……。んごっ」
「もう黙っていてよ。黒崎さーん、お兄ちゃんから苛められたんだよ」
「……はいはい。おいで」
「うん……っ。伊吹お兄ちゃんがね……」 
「そうか。だいたいの想像がつく。……転びかけたそうだな?帰る前に飲み物を買って帰ろう。今から買いに行くか?」
「もう少しこのままがいい……」
「はいはい、いくらでも待つぞ」

 どさくさに紛れて、黒崎の胸にすがって泣き真似をした。兄貴に苛められたのだと。そういうことにして、ほっと一息ついた。

 みんなが待っているぞと笑われても、離れてやらなかった。もちろん抱き返されて、ほっこりした気持ちになれた。まずは掛けたい言葉があるから口にした。大事なものだ。

「黒崎さん。おかえりなさい!」
「……ただいま帰りました」
「おはよう!」
「夏樹、おはよう」
「黒崎さん。ありがとう。ごめんね」
「どういたしまして。元気になってもらえたら構わない。ああやって手を掴まれたらな、飛んで行かないと思い知った。分かっている。……さあ、家へ帰ろう。おかえりと言わせてみろ」

 おかえり、ただいま。

 ナツツバキの白い花が咲いた庭の中の、あの温かい家へ帰ろう。早く庭が見たいからと、黒崎の手を強引に引っ張った。そして、退院することが出来て、我が家に向かった。
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