回転木馬の音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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2-1 早瀬の誕生日

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 12月7日、金曜日。午前5時半。

 カレンダーを見ると、72候の欄には閉塞成冬・そらさむくふゆとなると書かれている。

「空が閉ざされ、真冬が訪れる。空は重い雲に覆われ、生き物はじっと気をひそめている。……今日は寒いもんね」
「……君もベッドの中から出てこなかったね」

 そう言いながら、早瀬がリビングのソファーに腰かけた。シャワーから出てきたばかりで、タオルで頭を拭いている。寒かったもん、そう言い返しながら、食パンにスライスチーズをのせた。

 朝ごはんを作るのは、俺の担当だ。ほとんど出来上がり、トーストを焼くだけになった。ちぎっただけのレタスサラダ、端っこがパリパリになった卵焼き、味噌汁、晩ご飯の残りの煮込みハンバーグを用意した。そして、トースターに食パンを入れて、スイッチを押した。

 コポコポ……。

 コーヒーポットから、淹れたての珈琲をマグカップに注ぎ入れた。それをリビングへ運び、早瀬に手渡した。その後すぐにキッチンに戻り、支度の続きをはじめた。

 お互いに世話焼きの面があり、どっちが世話を焼くかで言い合いになることがある。そのため、時間で担当を決めた。朝起きてから出勤通学で家を出るまでの時間は、俺が世話を焼く。それ以外は早瀬がやることにしている。お互いに頑固で譲ろうとしないからだ。なるべく話し合って工夫を始めている。喧嘩ができるようになったのは、良いことだろう。

 ……チーーン。

 トースターから焼き上がりの音が鳴った。カタカタと音を立ててトーストを取り出した。垂れたチーズが指先にふれて熱かったから、落としそうになった。

「あつつつ……。げえええっ」
「悠人、大丈夫か?」
「平気!チーズが付いただけ」
「すぐに冷やせ」
「大丈夫だよー」

 そう言って止めたが、早瀬がそばに来た。そして、水道水が出されて、俺の火傷した指先を洗い流し始めた。心配そうにしているから、申し訳ない気持ちになった。

「ごめんね。そそっかしいね……」
「慣れている。急いで準備をしてたんだろう?そんなに慌てなくてもいい」
「だって。迎えのタクシーが来るのに……」

 11月末から早瀬の出勤方法が変わった。マンションの下までタクシーが迎えに来て、それに乗って出勤している。黒崎製菓では、部長職以上の社員や役員はそうする決まりだ。代理職でも同じだ。

 安全性の確保と緊急事態に対応するためだという。何か事故が起これば、その立場ゆえに企業リスクが生じるからだ。また、時間を十分に確保するためだという。タクシーの中で仕事をするなど、時間を効率的に使うことが出来る。

 もっと働けということだ。これは黒崎さんから聞いたものだ。冗談半分でも、それだけ多忙になったことが理解できる。そういう状況になり、少しでも早く順応して、負担を取り除いてあげたい。今でも世話を掛けているからだ。安心して出勤してほしい。

「十分に頑張ってくれている。いきなり出来ないものだ。それは俺も同じだ。夏樹君も、そう言っていた」
「そうなんだー?」
「本人から聞いたから間違いない。君のことをスゴイって言っていたぞ。何でも一生懸命にやって、どんどん成長するから焦っているそうだ」

 夏樹が料理をはじめとした家事が得意で、編み物も出来る。家庭菜園では九条ねぎやトマトを育てている。絵本好きで、自分でストーリーも書いている。きちんとしているから、通学で使っているバッグの中身は常に整理されている。

 ここまで完璧な子に会ったことがなかった。天然ボケの度合いも凄くて、これも初めてのことだ。本当に面白い子だ。身体が弱くて小食で、放っておけないタイプでもある。自然と世話を焼きたくなる。夏樹の方は、俺がいるから安心してボケていられると笑っていた。お互いにバランスが良いねと、認め合っている。憧れていることには変わりない。

「夏樹こそ、すごいよ」
「比べるのはやめるんだろう?努力していることは分かっている。進み方には差がつきものだ。君にはいい面がある。そそっかしい分だけ、気をつけて進めるだろう?その慎重さがいいところだ」
「へへへ……」

 どうしよう?すぐに気持ちが浮上して元気が出てきた。照れくさいから、早く食べて誤魔化したい。早瀬がさり気なく、テーブルへ料理を運んでくれた。何も言わずに、自分もサラダを運んだ。

 カタカタ……。

 ダイニングテーブルに向かい合って座り、朝ごはんを食べ始めた。ちぎっただけのレタスサラダには、早瀬が手作りしたハニーマスタードドレッシングをかけてある。一週間分ほどの量をつくり、保存容器に入れてある。これが絶品で、苦手だった野菜を食べられるようになった。

 今朝のテーブルの上には、洋食メニューには合わない汁物が置いてある。ワカメの味噌汁のことだ。練習がてら、具材を変えて毎朝のように作っている。

「今朝はワカメの量が適量だ」
「少なめを意識したよ」
「油揚げを綺麗にカットしてあるじゃないか。油抜きもしただろう」
「うん。本を見てやってみた」
「ほら、ちゃんと前に進んでいるじゃないか」
「うん!」

 やっぱり俺の性格は単純だ。美味しいと言われると調子に乗りそうだ。なぜか食事作りを褒めてもらったときは素直になれる。どういう違いがあるのか、自分でも分からない。

 話題が本日の予定に移った。今日は早瀬の31歳の誕生日だ。銀杏ホテルの中にあるブュッフェレストランで食事をする。この店が目当てで、そのホテルに宿泊する人が多いそうだ。

「君が大学から帰るのが夕方か……」
「終わった後、京橋駅で待ち合わせしようよ。カフェで時間をつぶすから」
「分かった。知らない人に付いていくなよ?」
「行かないよ。ナンパされたら必殺のセリフがあるからさ……」
「どんなものだ?」
「言えない……」

 夏樹から教わったセリフだ。この間、しつこいナンパ男に使うと、退散していた。170センチの身長があっても、これぐらいの背の女の子はいる。ましてや都会は人が多い。

 こうして悩んでも仕方がない。堂々としていれば男が寄って来ないはずだ。隙があるからいけない。そう説明すると、早瀬が笑っていた。それ以上、ツッコまれなくて助かった。
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