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第14話
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雨音に急かされるように、私たちは店を後にした。
閉店したあとのカフェは、いつもよりも心細く見えて──それでも陽くんの背中があるだけで、不思議と安心できる。
陽くんの部屋は、店からそう遠くなかった。
「お、おじゃまします」
「ぷっ。どうぞ、何も無い部屋だけど」
あまりの緊張に言葉がつっかえてしまう。
それを軽く笑いながら陽くんが先に部屋へと上がっていく。
靴を脱いで玄関を上がると、漂ってきたのはほんのりコーヒー豆の香り。
生活感のあるワンルームなのに、どこか落ち着く。
「散らかってるけど……適当に座って」
そう言って陽くんがタオルを差し出してくれる。
「ありがとう……」
受け取ったタオルに顔を埋めると、ふわっとした柔軟剤の匂いがした。──陽くんの匂い。
それだけで心臓が跳ね上がる。
窓の外では、まだ土砂降りが続いている。
狭い部屋に二人きり。雨音が、かえって沈黙を際立たせた。
「……なんか、変な感じだね」
通されたベットに腰掛けながら。無理やり口にした言葉に、陽くんは少し笑った。
「そうだね。まさか美月が俺の部屋に来るなんて思わなかった」
私だってそう。
こんなに近くにいると、さっきの“ハグ”の感触が鮮明によみがえる。
隣に座る陽くんの体温に頬が熱くなって、タオルで隠すふりをした。
「……あのときのことは、忘れて」
「それは、無理。かな」
即答に、顔が一気に赤くなる。
けれど、彼は茶化すでもなく、まっすぐな声だった。
「三秒って言ってたけど……あれ、俺にはすごく長く感じた」
「……!」
胸の奥がぎゅっとしめつけられる。
嬉しくて、恥ずかしくて、どうしていいかわからない。
「……美月はさ、どうして練習しようなんて言ったの?」
タオルで髪を拭きながら、陽くんが尋ねる。
「どうしてって……」
そんなの。自分でもわからない。
椅子にかけられている洗濯物を見つめながら、黙り込む。
「美月だったらさ。俺なんかに頼まなくても、もっと他にいたんじゃない?」
ズキリと胸が締め付けられる。
また、線を引かれたように感じた。
陽くんはいつも優しい。
柔らかくて、あったかくて、いつも私を包んでくれる。なのに。
最後の1歩は絶対に越えさせてくれない。
「……陽くんは、後悔してるの?」
「え……?」
抱きしめたタオルから、ふわりと陽くんの香りが漂う。なのに、今はそれがつらい。
「私との練習、やっぱり嫌だった? ……めいわく、だったかな」
「っそんなこと」
「じゃあどうして、いつも遠くに行っちゃうの?」
覗き込むように体を傾ける。
雨音が、またガラス戸を激しく叩き始めた。
「……だって、それは──練習だから」
どくりと、心臓が粟立つ。
そうだ。何を当たり前のことを。
だって。私から言い出したことじゃないか。
「俺は、ただの一般人で。君は国民的大女優だ……同じ場所には、立てない、だろ」
こぼすように落ちる言葉は、初めて聞く陽くんの本音。
「ぁ……」
口から空気がもれる。
否定の言葉なんて、どうして言えるだろう。
もう誤魔化すことも出来ないくらい、大きくなってしまった私の気持ち。
陽くんの本音に触れて初めて、ちゃんと形を成した。
ああ。私。練習じゃなくて、本当に、陽くんのことが……。
「……美月?」
かけられる優しさが胸に突き刺さる。
窓の外では、まだ雨が降りしきっていた。
ふたりの沈黙を、ただ雨音が埋めてくれる。
──そのとき。
テーブルの上に置いた私のスマホが震えた。
「っ……!」
画面に表示された名前に、心臓が一気に冷え込む。
《マネージャー》
「出なくていいの?」
陽くんが首をかしげる。
「……少しだけ」
震える指先で通話ボタンを押す。
『美月? 今どこにいるの』
「えっと……友達の家で」
『友達? まさか男じゃないでしょうね』
胸の奥を鋭く抉られたように、息が詰まる。
一瞬、視線が陽くんに向いてしまった。
彼は、何も言わずにただこちらを見ている。
「……女の子の……友達の家」
『ほんとに? 変な噂になったらどうするの。あんたは“商品”なんだから』
ブツ、と一方的に通話が切れた。
部屋に残ったのは、雨音と、重苦しい沈黙。
──息苦しい。
まるでこの部屋の空気ごと、外の世界に奪われてしまったようで。
「……俺、美月のために何か出来ることって、あるのかな」
悔しそうな口調。見れば、固く膝の上で手が握られている。
私はスマホを握りしめたまま、唇を噛んだ。
声に出したら全部が壊れてしまいそうで──だから、言えない。
(……好きだよ、なんて)
心の中で、何度も、何度も叫ぶ。
けれど雨音にかき消されて、陽くんには届かない。
それでも、陽くんのそばにいるだけで胸が熱くなる。
だけど。
これ以上。陽くんを傷つけたくない。
苦しめたくない。
解放しなきゃ、彼を。
私から。
だって私は。
”朝比奈美月”なんだから。
「……っ、ねぇ。陽くん──恋の練習、おわりにしよっか」
「──ぇ」
あっさりと。言葉が飛んでいく。
「そろそろ潮時かなって思ってたんだ。今日で、ちょうど区切りもいいし」
あはは。なんて笑いながらスカートを指先で弄ぶ。
「陽くんとの練習。すっごく楽しかったよ。私、また一段と演技の腕あがっちゃったかも!」
陽くんの顔は見ない。見られない。
「そろそろ次のお仕事が始まるから。お店には、あんまり顔出せなくなるかも」
でも私はプロだから。
こうやって言うよ。
「ありがとう、陽くん。とっても楽しかったよ!」
”朝比奈美月”は、最高の笑顔で別れを告げるものだから。
「っ……みつ、」
陽くんの言葉を遮るように立ち上がる。
「マネージャーからも電話かかってきちゃったし、そろそろ帰るね。タオルありがとう、洗って返すから」
口早にそう告げ、玄関へと走る。
「みつきっ!」
陽くんの声を背中に受けながら、私は雨の中へ駆け出して行った。
閉店したあとのカフェは、いつもよりも心細く見えて──それでも陽くんの背中があるだけで、不思議と安心できる。
陽くんの部屋は、店からそう遠くなかった。
「お、おじゃまします」
「ぷっ。どうぞ、何も無い部屋だけど」
あまりの緊張に言葉がつっかえてしまう。
それを軽く笑いながら陽くんが先に部屋へと上がっていく。
靴を脱いで玄関を上がると、漂ってきたのはほんのりコーヒー豆の香り。
生活感のあるワンルームなのに、どこか落ち着く。
「散らかってるけど……適当に座って」
そう言って陽くんがタオルを差し出してくれる。
「ありがとう……」
受け取ったタオルに顔を埋めると、ふわっとした柔軟剤の匂いがした。──陽くんの匂い。
それだけで心臓が跳ね上がる。
窓の外では、まだ土砂降りが続いている。
狭い部屋に二人きり。雨音が、かえって沈黙を際立たせた。
「……なんか、変な感じだね」
通されたベットに腰掛けながら。無理やり口にした言葉に、陽くんは少し笑った。
「そうだね。まさか美月が俺の部屋に来るなんて思わなかった」
私だってそう。
こんなに近くにいると、さっきの“ハグ”の感触が鮮明によみがえる。
隣に座る陽くんの体温に頬が熱くなって、タオルで隠すふりをした。
「……あのときのことは、忘れて」
「それは、無理。かな」
即答に、顔が一気に赤くなる。
けれど、彼は茶化すでもなく、まっすぐな声だった。
「三秒って言ってたけど……あれ、俺にはすごく長く感じた」
「……!」
胸の奥がぎゅっとしめつけられる。
嬉しくて、恥ずかしくて、どうしていいかわからない。
「……美月はさ、どうして練習しようなんて言ったの?」
タオルで髪を拭きながら、陽くんが尋ねる。
「どうしてって……」
そんなの。自分でもわからない。
椅子にかけられている洗濯物を見つめながら、黙り込む。
「美月だったらさ。俺なんかに頼まなくても、もっと他にいたんじゃない?」
ズキリと胸が締め付けられる。
また、線を引かれたように感じた。
陽くんはいつも優しい。
柔らかくて、あったかくて、いつも私を包んでくれる。なのに。
最後の1歩は絶対に越えさせてくれない。
「……陽くんは、後悔してるの?」
「え……?」
抱きしめたタオルから、ふわりと陽くんの香りが漂う。なのに、今はそれがつらい。
「私との練習、やっぱり嫌だった? ……めいわく、だったかな」
「っそんなこと」
「じゃあどうして、いつも遠くに行っちゃうの?」
覗き込むように体を傾ける。
雨音が、またガラス戸を激しく叩き始めた。
「……だって、それは──練習だから」
どくりと、心臓が粟立つ。
そうだ。何を当たり前のことを。
だって。私から言い出したことじゃないか。
「俺は、ただの一般人で。君は国民的大女優だ……同じ場所には、立てない、だろ」
こぼすように落ちる言葉は、初めて聞く陽くんの本音。
「ぁ……」
口から空気がもれる。
否定の言葉なんて、どうして言えるだろう。
もう誤魔化すことも出来ないくらい、大きくなってしまった私の気持ち。
陽くんの本音に触れて初めて、ちゃんと形を成した。
ああ。私。練習じゃなくて、本当に、陽くんのことが……。
「……美月?」
かけられる優しさが胸に突き刺さる。
窓の外では、まだ雨が降りしきっていた。
ふたりの沈黙を、ただ雨音が埋めてくれる。
──そのとき。
テーブルの上に置いた私のスマホが震えた。
「っ……!」
画面に表示された名前に、心臓が一気に冷え込む。
《マネージャー》
「出なくていいの?」
陽くんが首をかしげる。
「……少しだけ」
震える指先で通話ボタンを押す。
『美月? 今どこにいるの』
「えっと……友達の家で」
『友達? まさか男じゃないでしょうね』
胸の奥を鋭く抉られたように、息が詰まる。
一瞬、視線が陽くんに向いてしまった。
彼は、何も言わずにただこちらを見ている。
「……女の子の……友達の家」
『ほんとに? 変な噂になったらどうするの。あんたは“商品”なんだから』
ブツ、と一方的に通話が切れた。
部屋に残ったのは、雨音と、重苦しい沈黙。
──息苦しい。
まるでこの部屋の空気ごと、外の世界に奪われてしまったようで。
「……俺、美月のために何か出来ることって、あるのかな」
悔しそうな口調。見れば、固く膝の上で手が握られている。
私はスマホを握りしめたまま、唇を噛んだ。
声に出したら全部が壊れてしまいそうで──だから、言えない。
(……好きだよ、なんて)
心の中で、何度も、何度も叫ぶ。
けれど雨音にかき消されて、陽くんには届かない。
それでも、陽くんのそばにいるだけで胸が熱くなる。
だけど。
これ以上。陽くんを傷つけたくない。
苦しめたくない。
解放しなきゃ、彼を。
私から。
だって私は。
”朝比奈美月”なんだから。
「……っ、ねぇ。陽くん──恋の練習、おわりにしよっか」
「──ぇ」
あっさりと。言葉が飛んでいく。
「そろそろ潮時かなって思ってたんだ。今日で、ちょうど区切りもいいし」
あはは。なんて笑いながらスカートを指先で弄ぶ。
「陽くんとの練習。すっごく楽しかったよ。私、また一段と演技の腕あがっちゃったかも!」
陽くんの顔は見ない。見られない。
「そろそろ次のお仕事が始まるから。お店には、あんまり顔出せなくなるかも」
でも私はプロだから。
こうやって言うよ。
「ありがとう、陽くん。とっても楽しかったよ!」
”朝比奈美月”は、最高の笑顔で別れを告げるものだから。
「っ……みつ、」
陽くんの言葉を遮るように立ち上がる。
「マネージャーからも電話かかってきちゃったし、そろそろ帰るね。タオルありがとう、洗って返すから」
口早にそう告げ、玄関へと走る。
「みつきっ!」
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