【完結】29歳で「売れ残り」とお見合い勧告されましたが、裏では最強のアルファ部長が「運命だ」と逃がしてくれません

Marine

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氷の抱擁

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「……あの、瀬名くん。他の人は?」

 個室のドアが閉まり、店員が出ていくと、俺は恐る恐る尋ねた。
 
「あー、なんかみんな急に都合が悪くなっちゃったみたいで。今日はこのメンバーで楽しみましょうよ」

 瀬名は悪びれもせず、メニューを広げている。
 騙された。
 完全に、嵌められたんだ。
 
 この狭い個室にいるのは、俺と瀬名。数名の若手営業アシスタント。
 そして――

「ちわーっす。へぇ、おじさんって聞いてたけど、けっこうイケるじゃん」

 瀬名と同年代。23、4歳くらいの若い男が一人。
 全く見たことのない顔だ。

「……瀬名くん、この方は?」
「ああ、僕の知り合いです。人数少ないんで呼んじゃいました」
「……外部の人を呼んだの?」
「硬いこと言わないで。彼、テクがすごくて優しいから、牧田さんと相性いいと思って」

 瀬名は得意げに言った。まるで商品を勧めるような口ぶりだ。
 俺は唖然として、言葉を失った。
 つまり、これは――仕組まれた強制合コン?

「売れ残って、会社からお見合い勧告されてるって聞きました。もうその人とつがいになるしかないんでしょ? その前に俺が遊んであげますよ。思い出作りってやつ?」

 男がニヤニヤしながら、俺の隣に椅子を引いて座り込んだ。
 距離が、近い。
 安っぽい香水の匂いが鼻をつき、俺は無意識に息を止めた。

「彼、格好いいでしょ? そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
 瀬名はにこにこしている。いいことをしていると思っているのだろうか。

「テクには自信あるんすよね、俺。やっぱ若いと体力あるし、絶対満足させますって」
 男の手が、テーブルの下で俺の太ももに這った。

「っ……!」

 俺は弾かれたように身体を引いた。
 恐怖じゃない。猛烈な、吐き気だ。
 部長の、あの大きく分厚い手とは違う。
 体温も、触れ方も、重さも、何もかもが違う。ただ気持ち悪い。

「……帰ります」

 俺は椅子を引いて立ち上がった。

「初心(うぶ)ですね。そういう抵抗する感じ、嫌いじゃないっすよ」
 彼の手が俺の手の甲に重なった。

 全身が総毛立った。これは絶対に俺にとってNGな行動だ。
 手は、いつも彼が情熱を示す時に、重ねてくれた心が置かれる場所。

 あの人の体温と、皮膚の硬さだけが許された、俺の聖域なんだ。
 それを、こんな男に土足で踏み荒らされるなんて、許せない。
 俺はポケットのキーケースにそっと触れた。

「家に帰っても、一人で動画見るくらいでしょ。だったら俺と一発ヤッてスッキリしたほうが楽しいですよ。現実逃避、手伝ってあげますって」

 払いのけようとした瞬間、個室のドアが勢いよく開いた。
 全員がそこを見た。
 
 入り口に立っていたのは、ニューヨークにいるはずの桐生部長だった。
 
 厚手のコートをしっかりと着込み、マフラーを巻いている姿は、洋画から出て来たかのようだ。
 いつもはキッチリしている前髪が乱れていて、男らしい眉を隠している。
 周囲の雑音がふっと、途切れた。
 その静寂の中、彼の声が吐息と共に吐き出された。
 
「渉……」
 
 彼はつかつかと歩み寄ってきた。
 高級な革靴の音が響く。
 
「一目だけでも会いたくて、仕事を片付けてきた」
 
 顔には疲労の色が濃く、どれだけ無理をして帰って来たのかと胸が痛くなった。

 がたん、と尻もちをついた音がすぐ隣から聞こえてきた。
 あのチャラい男が椅子ごと後ずさっている。
 ふと、瀬名を見ると、口をあんぐりと開けたままだった。

 しかし、桐生部長は彼らを一瞥もしなかった。
 いつも鋭い視線は優しく包み込むように俺だけを捕らえている。

 俺は、どいてくれたチャラ男の前を通り、彼の元に駆け寄った。

「……お疲れ様です」
「…………」

 彼がよろけたように見えて、慌てて支えると、そのコートの冷たさにどきっとした。
 ニューヨークから冷気を連れて、帰ってきたんだ。俺の元へ。

 その瞬間、発情暴走だとか、混乱だとか、もうどうでもよくなった。
 俺が、彼のことを好きなんだ。
 
 ゆっくりと彼が頭を肩に乗せてきた。
 触れ合う頬も氷のようだ。
 こことは違う、異国の匂いをまとった男に、ぎゅっと抱きしめられた。
 
 瀬名たちの前だとか、恥ずかしいだとか、まったく頭になかった。
 この瞬間、俺に見えているのは桐生部長だけだった。
 
「……頼む、今日は……」

 掠れた声が耳に熱い。

「はい……晃さんのマンションに……行きます」
「いいのか……?」
「鍵は受け取りませんよ。今日だけです」

 慌てて言うと、彼は小さく笑った。

「……十分だ」

 そして俺の腰を抱くと、歩き出した。
 その瞬間、俺はこの場に瀬名や営業アシスタント数名がいることを思い出した。
 しかし、もう彼の手は腰にあって、しかも名前で呼んでしまっていた。
 
 おそるおそる彼らの顔を見たが、みんな一様に口を開けているだけで、固まってしまっている。
 このショックで忘れてくれると助かるんだが……。
 
 ドアを出る時、彼は前を向いたまま、低い声で短く言った。

「瀬名、後始末はしておけよ」

 ひっ……! と息を呑む音が聞こえて、戸がバタンと閉まった。
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