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「お嬢様! 大変ですわ! 王都から、あの……リリアン様からお手紙が届きましたわ!」
アンネが震える手で差し出したのは、香油の匂いがきつく漂う、悪趣味なほどに装飾された封筒でした。
ヴィラはちょうど、昨日騎士たちが掘り起こしてくれた「雪室(ゆきむろ)」の温度を確認していたところでした。
「リリアン様から? まあ、あの方、まだ私の住所を覚えていらしたのね。よほど暇なのかしら」
ヴィラは泥のついた手袋を脱ぎ、無造作に手紙を受け取りました。
封を切った瞬間、鼻を突くような安っぽい薔薇の香りが部屋に充満します。
「うっ……。香りが強すぎて、せっかくの燻製ベーコンの熟成香が台無しですわ。アンネ、窓を開けてちょうだい」
「お嬢様、それどころではありませんわ! 中身を見てくださいまし。絶対に嫌がらせに決まっていますわ!」
アンネに促され、ヴィラは手紙に目を落としました。
そこには、流麗な――というよりは、これ見よがしに飾り立てられた筆致で、リリアンの「幸せ報告」が綴られていました。
『親愛なるヴィラ様。極寒の地での生活はいかがかしら? 私は今、ジュリアン殿下と共に、毎日夢のような日々を過ごしておりますの。昨夜の晩餐会では、伝説のパティシエが作った「宝石のタルト」を頂きましたわ。ヴィラ様がいた頃よりも、王宮の空気はずっと軽やかで、お食事も美味しいような気がいたしますの。ああ、お可哀想なヴィラ様。そちらでは、カビの生えたパンでも齧っていらっしゃるのかしら?』
「…………」
ヴィラは無言で手紙を見つめました。
アンネは、主人がついにショックで倒れるのではないかとハラハラしながら、その横顔を覗き込みました。
「お、お嬢様? 大丈夫ですか? そんなお花畑な手紙、破り捨ててしまいましょう!」
「アンネ。この手紙、すごく重大なことが書かれているわ」
ヴィラの声が、かつてないほど真剣に響きました。
「えっ、重大なこと……? 殿下との正式な婚約の話とかですか?」
「違うわ。この『宝石のタルト』の記述よ。リリアン様は『サクサクとした生地に、王都産のイチゴが乗っていた』と書いているけれど……。今の季節、王都のイチゴはまだ酸味が強いはず。それをタルトにするなら、カスタードにはかなりの糖分を加えているはずだわ」
「……は?」
「つまり、今の王宮のパティシエは、素材の味を誤魔化すために甘さを足しすぎている可能性があるということよ。そんなの、美食の名が泣きますわ! それに、この便箋の色! 見てちょうだい、この絶妙なクリーム色を」
ヴィラは便箋を光に透かし、うっとりと目を細めました。
「この色、まるで濃厚なバニラクリームを煮詰めた時の色だわ。ああ、この便箋を見ているだけで、スコーンが食べたくなってきましたわね……」
「お嬢様、お願いですから怒ってください! 悔しがってください! 嫌がらせを受けているんですよ!?」
アンネが叫んでいると、そこへまたしても「氷狼」アルベルトが姿を現しました。
「……朝から騒々しいな。また何か、新しい食材でも見つけたのか」
アルベルトの視線が、ヴィラが持っている豪華な便箋に止まりました。
「それは……王都の紋章か」
「ええ、リリアン様からのお手紙ですわ。ジュリアン殿下の隣で、甘すぎるタルトを食べていらっしゃるそうですの」
ヴィラが事も無げに言うと、アルベルトの眉間に深い皺が刻まれました。
彼は無言で手紙をひったくるように受け取り、中身を速読しました。
読み進めるうちに、アルベルトの周囲の温度が物理的に下がっていくのが分かりました。
「……愚かな。我が領地を『カビの生えたパンを齧る場所』だと? 貴公に、あんな最高級のホットサンドやプディングを食べさせていることも知らずに、よくもこれだけの無知をさらけ出せたものだ」
アルベルトは手紙をクシャリと丸めると、ゴミを見るような目で吐き捨てました。
「ヴィラ。王都に戻りたいか? あんな軽薄な王子の隣で、甘ったるいだけのタルトを食いたいというなら、今すぐ馬車を出してやるが」
その問いには、いつもの冷徹さとは違う、どこか焦燥感のようなものが混じっていました。
ヴィラは、きょとんとした顔でアルベルトを見上げました。
「閣下、何を冗談をおっしゃるのですか? あんな、素材の味も分からない人たちの集まりに戻るなんて、胃袋への冒涜(ぼうとく)ですわ」
「……何?」
「リリアン様の手紙には感謝していますわ。だって、これほどまでに上質な『着火剤』を送ってくださったのですもの」
ヴィラはアルベルトの手から丸まった手紙を取り返すと、迷うことなくキッチンの薪ストーブに放り込みました。
パチパチ、と景気のいい音を立てて、リリアンの虚栄心が燃え上がります。
「この便箋、いい紙を使っているから火力が強いわ。これで今夜は、閣下に『北方特産・クルミのキャラメリゼ』を最高に香ばしく作って差し上げますわね」
ヴィラは燃える炎を反射させて、邪悪なほどに明るい笑みを浮かべました。
「王都の『宝石のタルト』なんて、私の作る『辺境の宝物』に比べれば、ただの石ころも同然ですわ!」
アルベルトは、呆れたように、しかしどこか安堵したように口元を緩めました。
「……ふん。ならば、その『宝物』とやらを今すぐ用意しろ。……毒味の時間が待ち遠しくて、仕事が手に付かん」
「あら、閣下。それはもはや、ただの『おねだり』ですわよ?」
「……やかましい。早くしろ」
王都からの挑発は、ヴィラの食欲という名の巨大な胃袋に、一瞬で消化吸収されてしまいました。
後に残ったのは、リリアンの手紙を燃料にして香ばしく焼き上がった、世界で一番贅沢なキャラメルの香りだけでした。
アンネが震える手で差し出したのは、香油の匂いがきつく漂う、悪趣味なほどに装飾された封筒でした。
ヴィラはちょうど、昨日騎士たちが掘り起こしてくれた「雪室(ゆきむろ)」の温度を確認していたところでした。
「リリアン様から? まあ、あの方、まだ私の住所を覚えていらしたのね。よほど暇なのかしら」
ヴィラは泥のついた手袋を脱ぎ、無造作に手紙を受け取りました。
封を切った瞬間、鼻を突くような安っぽい薔薇の香りが部屋に充満します。
「うっ……。香りが強すぎて、せっかくの燻製ベーコンの熟成香が台無しですわ。アンネ、窓を開けてちょうだい」
「お嬢様、それどころではありませんわ! 中身を見てくださいまし。絶対に嫌がらせに決まっていますわ!」
アンネに促され、ヴィラは手紙に目を落としました。
そこには、流麗な――というよりは、これ見よがしに飾り立てられた筆致で、リリアンの「幸せ報告」が綴られていました。
『親愛なるヴィラ様。極寒の地での生活はいかがかしら? 私は今、ジュリアン殿下と共に、毎日夢のような日々を過ごしておりますの。昨夜の晩餐会では、伝説のパティシエが作った「宝石のタルト」を頂きましたわ。ヴィラ様がいた頃よりも、王宮の空気はずっと軽やかで、お食事も美味しいような気がいたしますの。ああ、お可哀想なヴィラ様。そちらでは、カビの生えたパンでも齧っていらっしゃるのかしら?』
「…………」
ヴィラは無言で手紙を見つめました。
アンネは、主人がついにショックで倒れるのではないかとハラハラしながら、その横顔を覗き込みました。
「お、お嬢様? 大丈夫ですか? そんなお花畑な手紙、破り捨ててしまいましょう!」
「アンネ。この手紙、すごく重大なことが書かれているわ」
ヴィラの声が、かつてないほど真剣に響きました。
「えっ、重大なこと……? 殿下との正式な婚約の話とかですか?」
「違うわ。この『宝石のタルト』の記述よ。リリアン様は『サクサクとした生地に、王都産のイチゴが乗っていた』と書いているけれど……。今の季節、王都のイチゴはまだ酸味が強いはず。それをタルトにするなら、カスタードにはかなりの糖分を加えているはずだわ」
「……は?」
「つまり、今の王宮のパティシエは、素材の味を誤魔化すために甘さを足しすぎている可能性があるということよ。そんなの、美食の名が泣きますわ! それに、この便箋の色! 見てちょうだい、この絶妙なクリーム色を」
ヴィラは便箋を光に透かし、うっとりと目を細めました。
「この色、まるで濃厚なバニラクリームを煮詰めた時の色だわ。ああ、この便箋を見ているだけで、スコーンが食べたくなってきましたわね……」
「お嬢様、お願いですから怒ってください! 悔しがってください! 嫌がらせを受けているんですよ!?」
アンネが叫んでいると、そこへまたしても「氷狼」アルベルトが姿を現しました。
「……朝から騒々しいな。また何か、新しい食材でも見つけたのか」
アルベルトの視線が、ヴィラが持っている豪華な便箋に止まりました。
「それは……王都の紋章か」
「ええ、リリアン様からのお手紙ですわ。ジュリアン殿下の隣で、甘すぎるタルトを食べていらっしゃるそうですの」
ヴィラが事も無げに言うと、アルベルトの眉間に深い皺が刻まれました。
彼は無言で手紙をひったくるように受け取り、中身を速読しました。
読み進めるうちに、アルベルトの周囲の温度が物理的に下がっていくのが分かりました。
「……愚かな。我が領地を『カビの生えたパンを齧る場所』だと? 貴公に、あんな最高級のホットサンドやプディングを食べさせていることも知らずに、よくもこれだけの無知をさらけ出せたものだ」
アルベルトは手紙をクシャリと丸めると、ゴミを見るような目で吐き捨てました。
「ヴィラ。王都に戻りたいか? あんな軽薄な王子の隣で、甘ったるいだけのタルトを食いたいというなら、今すぐ馬車を出してやるが」
その問いには、いつもの冷徹さとは違う、どこか焦燥感のようなものが混じっていました。
ヴィラは、きょとんとした顔でアルベルトを見上げました。
「閣下、何を冗談をおっしゃるのですか? あんな、素材の味も分からない人たちの集まりに戻るなんて、胃袋への冒涜(ぼうとく)ですわ」
「……何?」
「リリアン様の手紙には感謝していますわ。だって、これほどまでに上質な『着火剤』を送ってくださったのですもの」
ヴィラはアルベルトの手から丸まった手紙を取り返すと、迷うことなくキッチンの薪ストーブに放り込みました。
パチパチ、と景気のいい音を立てて、リリアンの虚栄心が燃え上がります。
「この便箋、いい紙を使っているから火力が強いわ。これで今夜は、閣下に『北方特産・クルミのキャラメリゼ』を最高に香ばしく作って差し上げますわね」
ヴィラは燃える炎を反射させて、邪悪なほどに明るい笑みを浮かべました。
「王都の『宝石のタルト』なんて、私の作る『辺境の宝物』に比べれば、ただの石ころも同然ですわ!」
アルベルトは、呆れたように、しかしどこか安堵したように口元を緩めました。
「……ふん。ならば、その『宝物』とやらを今すぐ用意しろ。……毒味の時間が待ち遠しくて、仕事が手に付かん」
「あら、閣下。それはもはや、ただの『おねだり』ですわよ?」
「……やかましい。早くしろ」
王都からの挑発は、ヴィラの食欲という名の巨大な胃袋に、一瞬で消化吸収されてしまいました。
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