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「……ふぅ、完成ですわ。これこそが、王都の甘ったるい悪意を浄化するための『極上・野兎と冬野菜のコンソメスープ』ですわ!」
離れのキッチンに、雑味のない、透き通った芳醇な香りが満ち溢れました。
ヴィラは満足げに、お玉をマイクのように握りしめてポーズを決めました。
昨日のマカロン騒動。砂糖の塊に汚染された口内をリセットするため、彼女は一晩かけて出汁を取り、徹底的に「滋養強壮とデトックス」にこだわった最高の一皿を作り上げたのです。
そこへ、いつものように足音を忍ばせて、アルベルトがやってきました。
「……ヴィラ。昨日の毒……ではなく、砂糖の過剰摂取による体調不良はないか?」
アルベルトの顔には、隠しきれない心配の色が浮かんでいました。
彼は昨夜、ヴィラが倒れる悪夢を見て、三回も跳ね起きたことを誰にも言えずにいました。
「あら、閣下。見ての通り、お肌のツヤも胃袋の調子も絶好調ですわ。さあ、心配してくださったお礼に、この『魂のスープ』を召し上がれ」
ヴィラが差し出したスープを、アルベルトは神妙な面持ちで受け取りました。
一口、黄金の液体を口に含んだ瞬間――。
「…………っ。ああ……」
アルベルトの閉じた瞼から、一筋の感動(のようなもの)が漏れました。
「……雑味がない。体に染み渡る。……昨日のあの忌々しい甘みが、嘘のように消えていくようだ」
「でしょう? 素材の味を信じ、余計なものを削ぎ落とした結果ですわ。美食とは、時に引き算なんですのよ」
ヴィラは得意げに胸を張りました。その横顔を、アルベルトはじっと見つめました。
この北の最果て。雪に閉ざされ、誰もが「不毛」と呼び、寄り付こうとしなかった場所。
そこに彼女が現れてから、城には常に「美味しい匂い」が漂い、騎士たちは活気付き、自分自身の凍てついた日常さえも、彼女の振るうフライパンの熱で溶かされていきました。
(……この女を、手放したくない)
アルベルトの胸の内に、かつてないほど強烈な所有欲と、名前のつかない感情が渦巻きました。
それは、単なる「料理のファン」という枠を、とうに超えていたのです。
「……ヴィラ。一つ、真面目な話をしたい」
アルベルトはスープの皿を置き、ヴィラの正面に立ちました。
彼の銀色の瞳には、戦場へ向かう時のような、悲壮なまでの決意が宿っています。
「あら、改まって。……もしや、明日の朝食の献立についてのお願いかしら?」
「違う。……貴様は、いずれ王都へ戻るつもりなのか? 罪が許され、ジュリアンが愚かさに気づけば、貴様は公爵令嬢としての地位に戻れるはずだ」
ヴィラは少しだけ目を丸くしました。
「王都へ? ……あんな、鮮度の低い食材と、見栄だけの晩餐会しかない場所へ? 冗談は顔だけにしていただきたいわ、閣下」
「……ならば、一つ提案がある」
アルベルトは一歩踏み込み、ヴィラの両肩を掴みました。
「ヴィラ・ド・ラ・ポム。……私は、貴様の作る飯を、一生食べ続けたいと思っている」
空気が、一瞬で凍りつきました。
……いや、それはヴィラの脳内でのみ起きた現象かもしれません。
(……え? 今、何ておっしゃいましたの?)
ヴィラの頭の中の「美食演算回路」が、猛烈なスピードで回転を始めました。
(一生、私の飯を。……つまり、これって……!)
「……閣下。それは、つまり」
ヴィラは、震える声で言葉を紡ぎました。
アルベルトは、顔を真っ赤にしながらも、彼女の瞳から目を逸らしません。
「そうだ。一生だ。私の傍を離れず、ずっと、その……」
「……一生、福利厚生付きの『専属無期限雇用契約』を結びたい、ということでよろしいかしら!?」
「………………は?」
アルベルトの感動の表情が、一瞬で「無」に帰しました。
「しかも、閣下! 一生食べたいということは、私が老いて歯が抜けても、お粥の出汁の加減まで見届けてくださるという、究極のリピーター宣言ですわね!? ああ、なんて名誉なことかしら! 料理人冥利に尽きますわ!」
ヴィラは、アルベルトの手をがっしりと握り返し、ブンブンと激しく上下させました。
「わかりましたわ、アルベルト閣下! その契約、お受けします! 退職金はいりませんから、その代わりに私の厨房の予算を三倍に、そして冬用の燻製小屋を増築していただきたいのですけれど!」
「……ヴィ、ヴィラ。待て。私の言い方が悪かったかもしれないが、今のは、その、求婚というか……」
「求婚!? あら、閣下ったら面白い冗談を。料理と結婚しろとおっしゃるの? 確かに私はフライパンを愛しておりますけれど、さすがに入籍はできませんわ」
ヴィラは「あはは」と愉快そうに笑い飛ばしました。
アルベルトは、その場に膝をつきそうになるのを必死で耐えました。
「氷狼」の渾身の告白は、ヴィラの「食いしん坊フィルター」という名の鉄壁の防御層によって、ただの『雇用条件の相談』へと変換されてしまったのです。
「……ふぅ。よし、閣下の熱意は伝わりましたわ! 一生食べたいと言わせるからには、明日からはもっと気合を入れなくてはね!」
「……ヴィラ。……もういい。スープのおかわりをくれ。……心を落ち着けたいんだ」
「ええ、喜んで! 閣下、そんなに私のスープが好きだなんて、本当に可愛いところがありますわね」
ヴィラは鼻歌を歌いながら、再びお玉を握りました。
アルベルトは、空になった皿を見つめながら、遠い空を仰ぎました。
(……この女を落とすには、愛の言葉よりも、希少なスパイスを捧げた方が早いのかもしれないな)
北の地の恋模様は、粉雪が舞う空よりも、さらに前途多難で美味しい予感に満ちていたのでした。
離れのキッチンに、雑味のない、透き通った芳醇な香りが満ち溢れました。
ヴィラは満足げに、お玉をマイクのように握りしめてポーズを決めました。
昨日のマカロン騒動。砂糖の塊に汚染された口内をリセットするため、彼女は一晩かけて出汁を取り、徹底的に「滋養強壮とデトックス」にこだわった最高の一皿を作り上げたのです。
そこへ、いつものように足音を忍ばせて、アルベルトがやってきました。
「……ヴィラ。昨日の毒……ではなく、砂糖の過剰摂取による体調不良はないか?」
アルベルトの顔には、隠しきれない心配の色が浮かんでいました。
彼は昨夜、ヴィラが倒れる悪夢を見て、三回も跳ね起きたことを誰にも言えずにいました。
「あら、閣下。見ての通り、お肌のツヤも胃袋の調子も絶好調ですわ。さあ、心配してくださったお礼に、この『魂のスープ』を召し上がれ」
ヴィラが差し出したスープを、アルベルトは神妙な面持ちで受け取りました。
一口、黄金の液体を口に含んだ瞬間――。
「…………っ。ああ……」
アルベルトの閉じた瞼から、一筋の感動(のようなもの)が漏れました。
「……雑味がない。体に染み渡る。……昨日のあの忌々しい甘みが、嘘のように消えていくようだ」
「でしょう? 素材の味を信じ、余計なものを削ぎ落とした結果ですわ。美食とは、時に引き算なんですのよ」
ヴィラは得意げに胸を張りました。その横顔を、アルベルトはじっと見つめました。
この北の最果て。雪に閉ざされ、誰もが「不毛」と呼び、寄り付こうとしなかった場所。
そこに彼女が現れてから、城には常に「美味しい匂い」が漂い、騎士たちは活気付き、自分自身の凍てついた日常さえも、彼女の振るうフライパンの熱で溶かされていきました。
(……この女を、手放したくない)
アルベルトの胸の内に、かつてないほど強烈な所有欲と、名前のつかない感情が渦巻きました。
それは、単なる「料理のファン」という枠を、とうに超えていたのです。
「……ヴィラ。一つ、真面目な話をしたい」
アルベルトはスープの皿を置き、ヴィラの正面に立ちました。
彼の銀色の瞳には、戦場へ向かう時のような、悲壮なまでの決意が宿っています。
「あら、改まって。……もしや、明日の朝食の献立についてのお願いかしら?」
「違う。……貴様は、いずれ王都へ戻るつもりなのか? 罪が許され、ジュリアンが愚かさに気づけば、貴様は公爵令嬢としての地位に戻れるはずだ」
ヴィラは少しだけ目を丸くしました。
「王都へ? ……あんな、鮮度の低い食材と、見栄だけの晩餐会しかない場所へ? 冗談は顔だけにしていただきたいわ、閣下」
「……ならば、一つ提案がある」
アルベルトは一歩踏み込み、ヴィラの両肩を掴みました。
「ヴィラ・ド・ラ・ポム。……私は、貴様の作る飯を、一生食べ続けたいと思っている」
空気が、一瞬で凍りつきました。
……いや、それはヴィラの脳内でのみ起きた現象かもしれません。
(……え? 今、何ておっしゃいましたの?)
ヴィラの頭の中の「美食演算回路」が、猛烈なスピードで回転を始めました。
(一生、私の飯を。……つまり、これって……!)
「……閣下。それは、つまり」
ヴィラは、震える声で言葉を紡ぎました。
アルベルトは、顔を真っ赤にしながらも、彼女の瞳から目を逸らしません。
「そうだ。一生だ。私の傍を離れず、ずっと、その……」
「……一生、福利厚生付きの『専属無期限雇用契約』を結びたい、ということでよろしいかしら!?」
「………………は?」
アルベルトの感動の表情が、一瞬で「無」に帰しました。
「しかも、閣下! 一生食べたいということは、私が老いて歯が抜けても、お粥の出汁の加減まで見届けてくださるという、究極のリピーター宣言ですわね!? ああ、なんて名誉なことかしら! 料理人冥利に尽きますわ!」
ヴィラは、アルベルトの手をがっしりと握り返し、ブンブンと激しく上下させました。
「わかりましたわ、アルベルト閣下! その契約、お受けします! 退職金はいりませんから、その代わりに私の厨房の予算を三倍に、そして冬用の燻製小屋を増築していただきたいのですけれど!」
「……ヴィ、ヴィラ。待て。私の言い方が悪かったかもしれないが、今のは、その、求婚というか……」
「求婚!? あら、閣下ったら面白い冗談を。料理と結婚しろとおっしゃるの? 確かに私はフライパンを愛しておりますけれど、さすがに入籍はできませんわ」
ヴィラは「あはは」と愉快そうに笑い飛ばしました。
アルベルトは、その場に膝をつきそうになるのを必死で耐えました。
「氷狼」の渾身の告白は、ヴィラの「食いしん坊フィルター」という名の鉄壁の防御層によって、ただの『雇用条件の相談』へと変換されてしまったのです。
「……ふぅ。よし、閣下の熱意は伝わりましたわ! 一生食べたいと言わせるからには、明日からはもっと気合を入れなくてはね!」
「……ヴィラ。……もういい。スープのおかわりをくれ。……心を落ち着けたいんだ」
「ええ、喜んで! 閣下、そんなに私のスープが好きだなんて、本当に可愛いところがありますわね」
ヴィラは鼻歌を歌いながら、再びお玉を握りました。
アルベルトは、空になった皿を見つめながら、遠い空を仰ぎました。
(……この女を落とすには、愛の言葉よりも、希少なスパイスを捧げた方が早いのかもしれないな)
北の地の恋模様は、粉雪が舞う空よりも、さらに前途多難で美味しい予感に満ちていたのでした。
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