断罪されるのは勝手ですが、お茶会のケーキだけは包ませてください!

小梅りこ

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ヴィラ・ド・ラ・ポムが国外追放されてから、数ヶ月。


王都の華やかな王宮では、誰もが「平和で美しい日々」が訪れると信じて疑いませんでした。


傲慢な悪役令嬢がいなくなり、心優しいリリアンが王子の隣に座る。それこそが正しい世界の姿であるはずでした。


しかし、現在の王宮の食堂には、どんよりとした重苦しい空気が立ち込めていました。


「……リリアン。このスープは一体何だ? 塩気が強すぎて、素材の繊細な香りが台無しではないか」


ジュリアン王子が、銀のスプーンを乱暴に皿の縁に置きました。


その顔にはかつての輝きはなく、どこかやつれ、目の下にはうっすらとクマが浮かんでいます。


「……申し訳ありません、ジュリアン殿下。ですが、料理長には何度も伝えたのですわ。殿下のお好みの味に調整してほしいと……」


向かいに座るリリアンもまた、かつての可憐な微笑みは影を潜め、頬が少しこけていました。


彼女の着ている最高級のドレスも、心なしか今の彼女には重すぎるように見えます。


「料理長が代わってからというもの、出てくる料理がどれもこれも二流だ。以前はもっと、こう……口に入れた瞬間に心が躍るような、計算され尽くした驚きがあったはずだ!」


ジュリアンが苛立ちを隠さずに叫びました。


「それは……ヴィラ様がいた頃の話ですわよね?」


リリアンがポツリと漏らした言葉に、食堂が凍りつきました。


そうなのです。ジュリアンは気づいていませんでしたが、ヴィラがいた頃の王宮の食事は、彼女が裏で「完璧な指示」を出していたおかげで成り立っていたのです。


ヴィラは自分の美食のためならば、厨房の予算管理から、産地直送のルート開拓、さらにはシェフの体調管理まで、執念深く完璧にコントロールしていました。


ジュリアンが「自分の徳が高いから美味しいものが出てくる」と思い込んでいた一皿一皿は、全てヴィラの食欲という名の執念の産物だったのです。


「……ヴィラか。あんな女の名前を出すな。彼女がいた頃は、常に不快な圧力を感じていた。……だが、確かに……あの頃のピスタチオムースだけは、今のものより格段に上だったな」


ジュリアンは、目の前のパサついたケーキを眺め、力なく溜息をつきました。


リリアンは、ジュリアンのその態度に、内面で猛烈な苛立ちを募らせていました。


(……なによ、この男。毎日毎日、食事の味に文句ばっかり! 私がどれだけ気を遣って厨房に顔を出していると思っているの!?)


リリアンにとって、王子の隣に座ることは「贅沢三昧」を意味していました。


しかし、現実は違いました。ジュリアンは異常なまでに「食のマナー」と「味の調和」に厳しく、リリアンが少しでも食べ方を間違えたり、料理の知識が乏しかったりすると、冷ややかな視線を向けてくるのです。


「リリアン。そのフォークの使い方は何だ? そんな風に肉を刺しては、繊維が壊れて旨味が逃げてしまうだろう。ヴィラはもっと……」


「……ヴィラ様、ヴィラ様って! もう聞き飽きましたわ!」


ついにリリアンが爆発しました。彼女は立ち上がり、テーブルをドンと叩きました。


「そんなにヴィラ様が良かったのなら、あんな寒い場所に追い出さなければ良かったじゃありませんか! 私は、殿下と楽しくお喋りしながら、甘いお菓子を食べたいだけなんです! 栄養学だの、産地の標高だの、そんな難しい話を聞くためにここにいるんじゃないんですのよ!」


「リ、リリアン……!? 貴様、本性を現したな。あのか弱いリリアンはどこへ行ったんだ!」


「か弱いリリアンなんて、空腹の前では死滅しましたわ! 今の王宮のシェフが作るものは、どれもこれも味がぼやけていて、食べていてもストレスが溜まる一方ですもの!」


二人の言い争いは、もはや王宮の日常風景となっていました。


かつての「理想のカップル」は、今や「食の好みの不一致」という名の、最も修復困難な亀裂によって崩壊しつつあったのです。


そこへ、報告のために現れたのは、先日ノースランドから逃げ帰ってきた文官オマールでした。


「で、殿下! 大変です! ヴィラ・ド・ラ・ポムの件で、耳を疑うような噂が届いております!」


「オマールか。……どうせ、あの女が飢え死に寸前で、私の靴を舐めてでも戻りたいと言っているという報告だろう?」


ジュリアンは、自分を納得させるように傲慢に笑いました。


しかし、オマールの顔は青ざめ、ガチガチと歯を鳴らしていました。


「い、いえ……その逆でございます。ヴィラ様は……北方で、巨大な熊を素手で(実際にはナタですが)捌き、辺境の騎士たちを料理で洗脳し、さらには『氷狼』アルベルト辺境伯を……柴犬のように手懐けているとのことであります!」


「……は?」


ジュリアンの口から、間の抜けた声が漏れました。


「それだけではありません! 彼女が作る料理を求めて、領民たちが暴動を起こすほどの騒ぎになっているとか……。今やノースランドは、帝国一の『美食の聖地』と呼ばれ始めているのです!」


食堂に、沈黙が流れました。


ジュリアンの手元にある、冷え切って脂が固まったスープ。


一方、ヴィラが北方の地で、最高の食材に囲まれて笑っているという報告。


「……そんなバカな。不毛の地で美食だと? あんな女が、私のいない場所で幸せになれるはずがない!」


ジュリアンの叫びは、虚しく王宮の天井に吸い込まれていきました。


隣でそれを聞いていたリリアンは、ふと、ヴィラが去り際に残した言葉を思い出しました。


『その殿下、食の好みがうるさくて、食事中のマナー指導が相当厳しいですから、頑張ってくださいね?』


「…………あの女、確信犯だったのね」


リリアンは、今さらながらに気づきました。


ヴィラにとって、この婚約破棄は「追放」ではなく、うるさい男から解放され、自由に食べるための「脱出」だったのだと。


王都が食の衰退と共に暗雲に包まれる中、ヴィラの「胃袋による帝国制覇」は、着々と次の段階へと進んでいたのでした。
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