何もできない無能め!と婚約破棄された悪役令嬢は、最強の横着者でした

小梅りこ

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「……はぁ。今日も世界は、私の眠りを妨げるほどには騒がしいようですわね」


私は今、サイラス様が「究極の静寂」を追求して特注させた、防音魔法付与済みの快眠室で、マシュマロよりも柔らかい寝具に埋もれていました。


室温、湿度、そして空気中の酸素濃度までが、私の生存戦略(=動かないこと)に合わせて完璧に調整されています。


「おはよう、ナタリー。……いや、もう昼過ぎだから『こんにちは』かな」


防音室の重厚な扉が、音もなく開きました。入ってきたのは、銀盆に載った「飲むだけで満足感が得られる最高級エッセンス」を手にしたサイラス様です。


「サイラス様。時間の概念というものは、忙しく動く人々のための物差しですわ。私のように、重力と対話する存在にとっては、太陽の位置など些末な問題に過ぎません」


「相変わらず、寝起きの屁理屈だけは絶好調だね。……さて、君の元婚約者について、最終的な報告が届いたよ」


サイラス様は、私の口元にエッセンスのストローを差し出しながら、さらりと告げました。


「……ベルゼイン王国のウィルフレッド殿下。……いえ、元殿下だね。彼は本日、正式に廃嫡(はいちゃく)されたよ」


「……あら。あのお喋りな金髪の方、ついに無職になられたのですか」


私はエッセンスを一口飲み、満足げに喉を鳴らしました。


「……それで? 彼は今、どちらでどのようなエンターテインメントを披露してらっしゃるの?」


「エンターテインメントどころじゃない。彼は君が予言した通り、辺境の荒野で『開墾作業』に従事することが決まった。……もちろん、メルティ嬢も一緒だ。彼女の『汗を流して働きたい』という崇高な願いが、最悪な形で叶ったわけだね」


「開墾……。土を掘り、石を運び、太陽の下で泥にまみれる……。あぁ、考えただけで私の脳細胞が恐怖でストライキを起こしそうですわ」


私は毛布を頭まで引き上げ、身震いしました。


「……彼、最後に何か遺言(お言葉)でも残しましたの?」


「ああ、報告書によれば、彼は審問会の最後でこう叫んだらしいよ。『ナタリー! 貴様が仕組んだのか! 戻ってこい、私を助けろ! 君がいなければ、私はクワの持ち方すら分からないんだ!』……とね」


「……無能ですね。クワの持ち方なんて、誰か得意な人にやらせればいいのに。……あ、もう彼には、そんなわがままを聞いてくれる『お世話係』は一人もいないのでしたわね」


私は、ほんの少しだけ、憐れみの感情を抱きました。


……といっても、その怜憫(れいびん)の情は、私の「爪を切る」という行為に対する面倒くささよりも、ずっと薄いものでしたが。


「……サイラス様。彼は、私が彼を陥れたと思っているのでしょうけれど。……それは誤解ですわ。私はただ、彼が私のタルトの質を下げたことに対して、正当な『不満』を紙に記録しただけ。……自滅したのは、私の記録を上回るスピードで、彼が自分の首を絞め続けた結果ですわ」


「そうだね。君はただ、座っていただけだ。……だがナタリー、君のその『座っているだけ』という重圧に、彼は耐えられなかったんだよ」


サイラス様は、私のベッドの端に腰を下ろし、私の額を優しく撫でました。


「……これで、君を脅かすものはすべて消えた。ベルゼイン王国は今、君の父上である公爵家が実権を握り、国政の立て直しを始めている。君の『おやつメモ』は、今や国家の宝典(バイブル)として厳重に保管されているそうだよ」


「……宝典。……私の食欲の記録が、歴史に刻まれるなんて。……末代までの恥、いえ、末代までの笑い草ですわね。……あぁ、もう。そんなことを考えたら、なんだか疲れてしまいました」


私は、サイラス様の手に自分の頬を擦り寄せました。


「……サイラス様。彼が没落しようが、国が滅びようが、私の知ったことではありません。……私が今、最も深刻に憂慮しているのは、次のティータイムに運ばれてくるマカロンが、私の口の形に合わせて最適化されているかどうか。それだけですの」


「ははは! 分かっているよ。シェフには既に、君が唇を数ミリ動かすだけで吸い込まれるような形状に焼き上げるよう命じてある」


「……さすがは、私の最強のお世話係。……採用ですわ」


私は満足げに目を閉じました。


復讐なんて、カロリーの無駄。
ざまぁなんて、喉の乾燥の元。


ただ、自分が最も楽な場所で、最も愛してくれる人の腕の中にいる。
それこそが、私にとっての最大の勝利なのです。


(……さようなら、ウィルフレッド様。……貴方の流す汗が、少しでも美味しい野菜の糧になることを、夢の中でだけ祈ってあげますわ……)


私は、遠い地でクワを握る元婚約者の姿を脳内から完全に消去し、甘い、甘い午睡の海へと、再びダイブしたのでした。
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