少年のころ

柳堂知羽

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少年のころ【ブロマンス×忘れられない人】

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新月。何もかもが夜に溶けるそんな日。白い街灯にかろうじて照らされている道をぼんやり見つめながら歩く。あと数分で自身の城、もとい、ボロアパートに辿り着く。ずるずると足を引きずるように歩く中で、自身の疲労のピークが来ていることをやっと自覚する。そうなるともうだめだ。ああ、今日も疲れたという言葉で頭が支配された。同級生に比べればマシな環境で働いてはいるものの、肉体労働が伴う仕事はどう足掻いたって疲れる。幸いなことに明日は休みだ。適当にシャワーを浴びて、さっさと眠ってしまおう。
風呂トイレが一緒で、ベランダも何もないから洗濯機を置く場所がない。故に洗濯は休みの日に近所のコインランドリー頼み。シンクは小さく、ガスコンロは一口しかないがあるだけマシ、というようなキッチン。だから冷蔵庫に相応の大きさのものしか設置していない。そしてキッチンの背後にある空間には日焼けした畳が敷き詰められ、日々どんどん劣化していく。とはいえ、生活に支障はないから、畳替えを要求する気もない。そして極めつけのように、壁も薄い。なに、隣の住人が毎度同じ時間にニュースやエロ動画を見ている音がしっかりと聞こえる程だ。ちなみにオレの部屋にはテレビはない。好きな芸能人もいなければ、見たい番組もないので、スマホだけあれば事足りるのだ。そんな人が一人住むので精一杯な部屋。他人様が何を言おうと、あそこはオレの唯一の場所である。
実家を出たのは通っていた工業高校を卒業してすぐのこと。現在も籍を置いている工場の社長がいい人で、事情を話したら寮に入れてくれたのだ。今はもうあの時の寮には住んでいないが、一人暮らし元年を過ごすには良い環境だったように思う。
いや、もともとオレは一人暮らしのような生活ではないかと自嘲する。自活という意味では社会人になってから一人暮らしをすることになったが、オレはもともと独りだった。実家というものがありながらもずっと、オレは独りだった。だからこそ、本当は中学を卒業してすぐにでも働き、家を出るつもりだったのだ。ちなみに両親はどちらでもいいと言った。彼らは文字通りどうでもいいと思っていただろう。それこそ、大学まで行きたいと言えば了承もしたと思うし、ある程度の金も出しただろう。だがしかし、オレはもとより「勉学」というものに興味はない。生きていくために、仕事をするために必要な知識さえあればいい。それ以外のことは興味がない。興味も持てない。故に世間様の宣う学歴という称号へのこだわりが寸分もなかったのだ。
でもあなたがオレに「高校くらいは出ておいた方がいい」と言ってくれた。その方が生きていくためにも都合がいいと頭を撫でてくれた。―― だから行ける範囲の高校を、工業高校を選び、進学した。理由なんてそれだけで十分だった。
都会の夜空はどこか作り物めいて見える瞬間がある。今日のような新月の日は特に。何の気なしにのろのろと顔を上げれば、思ったよりも低い位置に夜空がある。少し前に仕事で使ったプラスチック板のような色をしている。のっぺりとした、どこまでも現実味のない、偽物の空。そこには細かな星が浮かんでいる。それがかえって作り物のようで、妙に気が滅入る。
肩を竦めて前を見れば、作り物の世界の中にボロアパートが浮かび上がっていた。体がどんどん重く、地面にめり込んでいくような感覚に陥る。飯もシャワーも後にしよう。今はとにかく眠りたかった。


あなたと出会い、交流を持ったのは、オレが十歳の頃だった。そうだ、あなたは実家のマンションの隣の部屋にいつの間にか住んでいた。少なくとも、オレが小学校にあがる前には住んでいなかったはずだ。隣はずっと誰も住んでいなくて、人の気配もしない。そんな場所にあなたはいつの間にかやってきた。
もしかしたら引っ越しの挨拶のためにオレの住む部屋にやってきたかもしれないが、あいにく両親ほぼ家にいないものだからそれも叶わなかったのだろう。それにオレが家にいたとしても、基本はインターホンを無視していた。なに、あの両親がオレに言いつけた数少ない約束の一つだ。今考えれば厄介ごとを避けたかったからだろうとも思うが、まあそれでも、両親の考えも分からなくはない。何かあれば責められるのは親なのだから。オレはやる気も気力も薄い子どもではあったが、別に死にたがりでもない。そして両親もオレへの興味を持たなかったが、死んで欲しいと思っている訳でもないのは確かである。ただ、笑ってしまうほどにオレ自身への興味がなかっただけだ。いっそ、学友らの家で飼われていたペットの方がよほど関心を向けられていた。心の底で実はそれを羨ましいと思っていたからだろうか、今ではその時の気持ちを思い出すことはできないが、きっとだからこそ、両親のどうしようもない「家にいる時、インターホンには出るな」なんていう数少ない約束だけは守っていた。
そしてそんな風に生きていたオレは、偶然廊下で出会って挨拶をしたあなたにいつの間にか懐いていた。今考えても笑ってしまうくらいの懐き具合だったと思う。友人と呼べるような者は少なく、先生をはじめとした大人にも懐くことのないオレが、あなたには簡単に心を許していた。それなのに、あなたについては知らないことの方が多い。なに、いくら懐いていたとはいうものの、あなたと知り合ってからそこまで長い間交流ができなかったからだ。一年か二年か。少なくとも五年程度の付き合いはない。風があっという間に吹き抜けていくかのように、あなたはいなくなってしまったのだから。
よくよく考えなくても、あなたについてほんの少しのことだけしか知らない。あの時のあなたは大学生で、あと少しで卒業して会社員になる予定だった。筋肉の薄いひょろりと長い体躯を小さく折り畳んで、まだチビだったオレと目線と合わせるように会話をしてくれる。薄い髪色と、目の色をしている人だった。あなたはオレと会話する時、いつもしゃがみこんで話してくれたから遠くにあったはずのそれらが近くでよく観察できたのを覚えている。そうそう、あなたはそんな見た目に反して声が低いのだ。静かで、穏やかで、どこか淋しい。その声で名を呼ばれると、オレの中にある無力感がいつも溶けていく。その低音は今も頭の奥で響いている。
ちなみにこれは最近気が付いたのだが、あなたはあのマンションに住めるだけの裕福な家庭の出身だった。流石にただの大学生が、立地の良いあのマンションに貯金やアルバイトの給金だけで住めるわけもない。そんな場所に子どもを住まわせる両親に庇護されていたこそ、あなたが「ああ」なってしまった時に、元の場所に連れ戻されたに違いないのだ。
毎日のようにあなたの家にお邪魔させてもらっていたのに、オレは少しもあなたの異変に気付けなかった。否、きっとあなたは悟らせなかったのだろう。幼いオレに妙な傷を残さないように、と。さびしいあの人の心を少しでも癒しただろう、オレという子どもの心を守るために。そんなこと、しなくてよかったのに。
なんて、言ってみてももう遅い。あなたはもう遠いところに引っ越してしまった。オレに行き先を告げるなんてことをするわけもない。手紙すらも残さない。ある日、突然、あなたは煙のように消えてしまった。それだけが真実であった。


気付けば朝になっていた。窓の外からはスズメが鳴く声や車のエンジン音が聞こえてくる。部屋に差し込む陽の光は眩しく、否が応でも体が目覚めてしまう。布団も敷かず、倒れるように眠ってしまったからか、頬には畳の跡がくっきりと残り、伸びをするだけで体がバキバキと鳴る。変な姿勢で眠っていたせいか首も痛い。流石にこの状態が続くと仕事に支障が出るので、今夜は布団を敷こうなんて思った瞬間、腹の虫が元気よく鳴いた。
ああそうだ、昨日は結局飯も食わずに眠ったのだ。軽くシャワーを浴びて、飯を作ろう。久しぶりにあなたのことを思い出したから、あなたがよく作ってくれたチャーハンのオムライスを。
オレにとってのおふくろの味とやらは、スーパーの総菜や冷凍食品を指す言葉である。オレに関心のない両親がわざわざ手料理なんて作るわけもないのだ。このことに関してはオレは少しも心を痛めていない。なぜなら、これがオレにとっての日常だったから。だからこそ、あなたが家で振る舞ってくれた料理は特別だった。中でも特に、細かく刻まれたなると入りのチャーハンを薄焼きの卵で覆ったオムライス(とあなたは言っていた)が一番好きだった。そういえば、チャーハンにはいつもネギが入っていなかった。冷凍食品のチャーハンにはネギが入っているのに、と不思議そうにするオレにあなたはいつも苦笑して言っていたっけ。あの部屋に出入りする男が、ネギが嫌いなのだと。そう言って頬を掻くあなたの手首にいつも強く掴まれたような痣があることも、そういえばオレは気付いていたのに――なんて、もう全てが過去の話だ。
半端に残っている野菜を全て刻んで、なんだかんだで在庫を切らすことなく冷蔵庫に入れ続けているなるとも刻み、米と炒める。そういえば一人暮らしをはじめてすぐに作った料理がこのオムライスだった。流石にもう、惣菜や冷凍食品には飽いていたから、何となくの思い付きで自炊を始めたのだが、これが存外性に合っていたようで今に至るまで料理を作り続けている。そして作る度に思うのだ。これらはあなたが作ってくれたものばかりなのだ、と。
あなたは今どこにいるだろう。生きているのか、もしかしたら死んでいるのか、それすらも分からない。そんな中でオレは、正しい味かも分からない料理越しにあなたの蜃気楼を見つめている。ボロアパートの中で、ずっと。

「いただきます」

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