不老に剣士

はらぺこおねこ。

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Scene09 滅びのとき

167 勇者になれなかったお兄さん

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この世界にはある噂があります。
正義の心に満ち溢れお腹を空かせた子どもたちに無限に溢れるパンを提供している青年がいる。

この世界は、希望に満ち溢れています。
でも、絶望にも満ちています。

たとえ胸に大きな穴が空いても。
生きる喜びを忘れても。

みんなに平等にパンを与える。
そんな青年がいるという噂があります。

「耳はいらない」

子どもがひとり泣いています。
子どもが絶望に満ちて泣いています。
青年はそんな少年に声をかけました。

「どうしたんだい?」

青年の顔は希望に満ち溢れていました。

「僕ね、いらない子なんだ」

対して少年の顔は絶望の顔そのものでした。
青年の優しい表情のもと少年は涙を流しながら言葉を続けます。

「僕は、いらないんだ。
不良品なんだ」

「君は立派なんだよ?
すごいんだよ」

「人間に食べられるために産まれたのに。
牛さんや豚さんのご飯になるんだ。
だから切られて捨てられるんだ。
ねぇ、お兄さん。
お兄さんも僕を捨てているんでしょう?」

青年は言葉に困ります。
でも、瞬時にわかりました。
この少年の正体が……

「そんなことないよ。
君たちの中にはラスクにだってなった人もいるじゃないか」

「そうだね。
でも、僕は違う。
ラスクにもなれなかったんだ」

「……大丈夫」

青年は優しい目で少年の隣りに座りました。

「何が大丈夫なの?
お兄さんだって耳を捨てているじゃないか」

「そうだね……」

青年の表情は優しく。
そして、温かい声で言葉を返します。

「君は、その豚さんや牛さんの運命を知っている?」

「え?」

少年は、驚いた顔で青年の方を見ます。

「その豚さんや牛さん。
そして、鶏さんもだね。
みんな人間の食べ物になるんだよ」

「どういうこと?」

「牛さんたちを生かしているのは君たちなんだ。
君たちがいないと人間もお腹が膨れない。
君たちの存在が人間を生かしているんだよ」

「そう……なのかな?」

「うん、だから自信を持って!」

青年の言葉に少年は空を見上げます。

「でも、どうせなら僕……
――いや、これは贅沢だよね」

「言ってもいいんだよ?」

「ありがとう。
僕、食べられるより食べる側になりたかったな」

「そっか、そうだよね」

青年はそういって小さく笑います。
そして、少年は次に放たれる青年の言葉に驚きます。

「なら食べてみる?」

「え?」

「僕を食べていいよ。
僕は、少しくらいなら食べられても死なないんだ」

「そうなんだ。
いいなぁー」

少年は羨ましそうにそう言いました。

「さぁ、食べて」

青年は、そういって顔を少しちぎりました。

「ありがとう」

青年から渡された顔を少年は嬉しそうにかじりました。。
甘かった。
美味しかった。
でも、しょっぱかった。

その味は涙の味なんだと少年にはわかっていました。
少年は嬉しくて嬉しくて青年に感謝しました。
青年は静かに静かに空を見つめます。

「ありがとう」

少年の声が聞こえた気がしました。
青年が次に少年の方を見たとき。
少年の姿はありませんでした。

「行ったんだね……」

青年の心にはぽっかりと穴が空いています。
するとおじいさんが現れます。

「君は……
立派だったよ」

「おじいさん……?
そうかな?」

「ああ、立派だよ」

「救えたのかな?」

「ああ、あの子のあの笑顔をみただろう?
きっとしあわせだったと思うよ」

おじいさんが小さく微笑みます。

「だといいなぁ」

青年が笑います。
そして、ふと思います。

「おじいさん老けましたね」

「そうだね、おじさんからおじいさんと呼ばれるようになったね。
自分では変わっていないつもりなんだけどね」

「僕は、もう子どもじゃありません」

「そうだね、時間は残酷だね」

「はい」

青年は、ゆっくりと空を見ました。
その空は赤くそして暖かかった。

青年には名前がありません。
勇者になれなかったから……

人は彼のことをこう呼んだ。
勇者になれなかったお兄さんと。
勇者にできなかったおじいさん。
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