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第一章 アーウェン幼少期
伯爵夫人は子供時代を思い出す ②
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「……どうしたのかしら?」
こめかみが痛み、目尻が引き攣るような感覚を訝しみながら、ヴィーシャムは暗がりで瞬きをした。
覚えているはずのない産まれた時の景色。
ラウドに会う前から何度もお祖母様に話してもらった『魔力持ちの役目』の始まりの話。
五つ違いの妹が産まれるまで、妻と産まれたばかりの娘を『自分にとって役立たずだ』と言い捨てた父の醜い顔。
強い魔力を持ち、機嫌を損ねると力をコントロールできずに文字通り『空気を凍らせる』妹を恐れて、ほとんど顔も合わさなかった兄たち。
「このような夢を見ていた?あの子が……アーウェンが?もしそうならば……このような夢を見せた者を、私は許さないわ……」
今すぐ起き出して、アーウェンがうなされていないかと確かめに行きたい──が、伯爵夫人が起き出せば、使用人たちも働かざるを得ない。
時刻はわからないが、おそらくまだ朝には程遠いだろうと思って、ヴィーシャムはジェーリーがいつも用意している香りのついた寝起き用の小さな手拭いをそっと手に取って、濡れた目尻が赤くならないように気を付けながら拭った。
微かについた汚れを見逃すことはないだろうが、ヴィーシャムが話さない限り追及されることはないだろう。
それよりも少しでも睡眠時間を削った方を咎められてしまうだろうと、もう一度寝直した。
ああ──また、夢だ。
ヴィーシャムは目の前で言い合う両親を見て、そう気がつく。
父も母も貴族らしく節度を持った婚姻関係を保っているように見えた。
こんなふうに言い合う姿など──いや、幼い頃に一度だけ見たことがある。
「あの子だって、あなたの子供ですのよ?!唯一の娘ですよの?どうして愛せませんの?」
「ハッ!愛する?あんな化け物を?魔力?魔術?何もない所からいきなり氷を作り出し、雪をちらつかせ、兄たちよりも難解な書物を読む女など、この私に何の関係がある?!」
「何の関係……我がガミス家に魔力持ちの子供が生まれるのは稀ではありませんわ。確かにヴィーシャムほど力の強い娘は珍しいでしょうが……それでも、先祖主流ともいえるターランド家に見初められる栄誉を得られるなど、他の子ではあり得ないのですよ?!」
「ターランド?!それがどうした!宮廷貴族の中で派閥も持たず、権力もない伯爵家なぞ、俺の役に立つものか!婚約がどうした?さっさと今すぐにでも嫁に出せばよかろう!年齢なんぞ知ったことか!」
母は確かに娘より魔力を持ってはいない。
それでも冷気と氷の高魔力の娘を授かった身である──自分の周囲の気温を下げ、凍てつく風を夫に叩きつけるぐらいのことはできる。
そして思ったことを行い、宣言した。
「……わかりました。ターランド伯爵家に掛け合い、私ともども、あの子の輿入れまであちらで暮らせるようにいたしましょう。あなたは私の母と共に、この家をお守りなさい」
ガタガタと震える父の顔は恐怖に染まっていた。
そうしてヴィーシャムがターランド伯爵家領地内の別邸に入ったのは、六歳の夏である。
傍にいたのはお腹の大きくなった母──秋と冬の狭間に妹が産まれる予定だった。
レーシャムと名付けられた妹は可愛らしく、エレノアよりもかなり弱かったが癒しの魔力を持って生まれ、結局母はその内包量に極小か大量かの差があろうともすべて魔力持ちの子を産み、逆に夫を魔力無しで子爵家には役立たずだと蔑んだために、両親は公式の場以外では徹底的に無関係な生活を送っている。
「ああ……でも、だから私はラウドに愛されたわ」
魔力を持て余して制御できないヴィーシャムに、慈愛の心で自分を大切にし、周囲を慈しみ、そうして力を役立てる方向で使うことを教えてくれた、十三歳のラウド。
兄たちとは違い、魔力暴走して庭の一角を氷漬けにしてしまった時には、笑ってこう言ってくれた。
「すごいね!こんな真夏にスケートができるなんて、君はまったく素晴らしい!」
そうして冬の遊びだというスケートや氷像を作ることを教えてくれ、ふたりの距離もどんどん近くなった。
何故だか妹が対抗心を持ってラウドを奪おうとしたが、産まれた時から婚姻の約束は決まっていたと言い切って、ヴィーシャムには無い癒しの力を見せつけていたレーシャムを素気無く退けた時、本当の意味でただ唯一の恋をしたのである。
こめかみが痛み、目尻が引き攣るような感覚を訝しみながら、ヴィーシャムは暗がりで瞬きをした。
覚えているはずのない産まれた時の景色。
ラウドに会う前から何度もお祖母様に話してもらった『魔力持ちの役目』の始まりの話。
五つ違いの妹が産まれるまで、妻と産まれたばかりの娘を『自分にとって役立たずだ』と言い捨てた父の醜い顔。
強い魔力を持ち、機嫌を損ねると力をコントロールできずに文字通り『空気を凍らせる』妹を恐れて、ほとんど顔も合わさなかった兄たち。
「このような夢を見ていた?あの子が……アーウェンが?もしそうならば……このような夢を見せた者を、私は許さないわ……」
今すぐ起き出して、アーウェンがうなされていないかと確かめに行きたい──が、伯爵夫人が起き出せば、使用人たちも働かざるを得ない。
時刻はわからないが、おそらくまだ朝には程遠いだろうと思って、ヴィーシャムはジェーリーがいつも用意している香りのついた寝起き用の小さな手拭いをそっと手に取って、濡れた目尻が赤くならないように気を付けながら拭った。
微かについた汚れを見逃すことはないだろうが、ヴィーシャムが話さない限り追及されることはないだろう。
それよりも少しでも睡眠時間を削った方を咎められてしまうだろうと、もう一度寝直した。
ああ──また、夢だ。
ヴィーシャムは目の前で言い合う両親を見て、そう気がつく。
父も母も貴族らしく節度を持った婚姻関係を保っているように見えた。
こんなふうに言い合う姿など──いや、幼い頃に一度だけ見たことがある。
「あの子だって、あなたの子供ですのよ?!唯一の娘ですよの?どうして愛せませんの?」
「ハッ!愛する?あんな化け物を?魔力?魔術?何もない所からいきなり氷を作り出し、雪をちらつかせ、兄たちよりも難解な書物を読む女など、この私に何の関係がある?!」
「何の関係……我がガミス家に魔力持ちの子供が生まれるのは稀ではありませんわ。確かにヴィーシャムほど力の強い娘は珍しいでしょうが……それでも、先祖主流ともいえるターランド家に見初められる栄誉を得られるなど、他の子ではあり得ないのですよ?!」
「ターランド?!それがどうした!宮廷貴族の中で派閥も持たず、権力もない伯爵家なぞ、俺の役に立つものか!婚約がどうした?さっさと今すぐにでも嫁に出せばよかろう!年齢なんぞ知ったことか!」
母は確かに娘より魔力を持ってはいない。
それでも冷気と氷の高魔力の娘を授かった身である──自分の周囲の気温を下げ、凍てつく風を夫に叩きつけるぐらいのことはできる。
そして思ったことを行い、宣言した。
「……わかりました。ターランド伯爵家に掛け合い、私ともども、あの子の輿入れまであちらで暮らせるようにいたしましょう。あなたは私の母と共に、この家をお守りなさい」
ガタガタと震える父の顔は恐怖に染まっていた。
そうしてヴィーシャムがターランド伯爵家領地内の別邸に入ったのは、六歳の夏である。
傍にいたのはお腹の大きくなった母──秋と冬の狭間に妹が産まれる予定だった。
レーシャムと名付けられた妹は可愛らしく、エレノアよりもかなり弱かったが癒しの魔力を持って生まれ、結局母はその内包量に極小か大量かの差があろうともすべて魔力持ちの子を産み、逆に夫を魔力無しで子爵家には役立たずだと蔑んだために、両親は公式の場以外では徹底的に無関係な生活を送っている。
「ああ……でも、だから私はラウドに愛されたわ」
魔力を持て余して制御できないヴィーシャムに、慈愛の心で自分を大切にし、周囲を慈しみ、そうして力を役立てる方向で使うことを教えてくれた、十三歳のラウド。
兄たちとは違い、魔力暴走して庭の一角を氷漬けにしてしまった時には、笑ってこう言ってくれた。
「すごいね!こんな真夏にスケートができるなんて、君はまったく素晴らしい!」
そうして冬の遊びだというスケートや氷像を作ることを教えてくれ、ふたりの距離もどんどん近くなった。
何故だか妹が対抗心を持ってラウドを奪おうとしたが、産まれた時から婚姻の約束は決まっていたと言い切って、ヴィーシャムには無い癒しの力を見せつけていたレーシャムを素気無く退けた時、本当の意味でただ唯一の恋をしたのである。
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