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ライラック
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こうした場で、どなたに宛てるともない個人的な報告をするのは少々ルール違反でしょうか。私はただ、自分の過去にのこるアザのような、恥ずべき誤りを語り捨てる機会と場所がほしかったのかもしれません。しかし動機はどうあれ、これは私がある日立ち止まり、足元に小さな教訓を見つけた物語です。
真新しい線香皿においた線香から漂うライラックの香り。祖母の好きだった香りが私と従姉妹の家族を包みます。
風は冷たくなってきましたが、私の故郷の木枯らしにくらべればまだ心地よいとさえ感じられる冬の始め。亡くなってから実に20年、ようやく祖母の小さなお墓が建ちました。
昭和40年代。私の生まれ育った東北の町は、当時まだ出稼ぎという言葉がとても現実的なところでした。冬になると男は妻子を残し、仕事を求めて東京に出て、春になる頃に帰ってくるというのは農家やその出身の家ではごく当たり前のことだったのです。
母とともに祖母の家で暗く寒い冬を過ごしている間、ライラックの花が咲けば父さんおみやげいっぱい持って帰ってくるよ、と祖母は繰り返し言っていたものです。
しかし、私が小学生になる頃に父と母の間に大きな亀裂が走り、母は家を出て、父はそれを追いかけた先で傷害事件を起こし、二人とも家には帰ってこなくなりました。
中学を卒業するまでの期間、私は祖母と風呂もない貧乏な長屋で過ごしました。それでも祖母は春から秋まで小さな畑でライラックを育て丹念に世話をしていたのですが、花が何度咲いてもやはり父と母は帰ってきませんでした。
そんなものを植える余裕があるならうまいもん食わせろ!と言ったときの祖母の悲しい顔を私は一生忘れることができないでしょう。
生きていた祖母を最後に見たのは、私が高校入学を機に東京へ出た日。
従姉妹の運転するあの車に乗れば、貧乏な暮らしから抜け出せる。その想いだけがあった私は数年間を過ごした家にもライラックの咲きかけた畑にも祖母の寂しげな笑顔にも全く未練はなく、祖母の見送りに一度も振り返ることはありませんでした。
「あの日おばあちゃんね、車が見えなくなるまで一人でずっと手を振っていたんだよ・・・」
お墓の前から立ち上がった従姉妹もあの日のことを思い出していたようです。
「うん、俺・・・知らなかった・・・」
私は新しい線香に火をつけて、お墓に話しかけました。
「おばあちゃん、俺、今日はいろんなこと報告あるんだ。俺、結婚したよ。それでさ、俺、子供もいるんだ。あそこで走り回ってるのがそう。俺、大学は・・・行かなかったけど、なんとか仕事も就けたしさ。家も・・・それと、俺・・俺・・・あの日・・・ごめん、おばあちゃん・・・」
長い報告は最初のほうで声が詰まり、ただ涙がこぼれました。妻が差し出したハンカチを顔にあて、ずっと下を向いて誰も聞き取れないほど涙に歪んだ声で語り続けました。
自分一人でも苦しくて先の見えない暮らしの中、やっかいな年頃の孫を抱えて生きるのはどれだけ辛いことだったか。そして今わかるのは、それがどれだけ張り合いのある日々であったか・・・。仕事もなかった祖母が育てた花を花屋に納め、僅かな収入を得て生活をつないでいたことに気づいたのは祖母のお通夜でのことでした。
「おばあちゃん、俺、おばあちゃんのお墓に来れてよかったよ。・・・俺、がんばるよ。ありがとう。おばあちゃん」
そういって私は立ち上がり、よく晴れた冬の空を仰ぎ見ました。
一部を公園とした霊園は、私達の他にもお参りする家族がいました。特別な日でもないただの日曜日。それぞれの想いを胸に墓前で手を合わせる姿に何か晴れやかなものを感じて、遠くで従姉妹の息子とはしゃぐ娘を呼びました。
どれだけ走り回ったのか、額に汗をかいて走り寄ってきた娘はフリースを脱いで妻に押し付けるように渡すと「終わった?」と聞いてきました。帰りに寄ると約束した回転寿司に浮かれる現金さに私は少し呆れましたが、子供にとってのお墓参りはむしろそのぐらいが自然なのかもしれません。
後片付けをしてお墓に背を向けて歩き出したとき、私はふと思いついて後ろに向き直りました。
「どうしたの?」
妻が不思議そうな顔をしましたが、私はそれに答えずそのまま後ろ向きに歩いて大きく手を振りました。娘もなんだか面白い遊びを教わったような顔で私の真似をします。
「おばあちゃんバイバーイ」私が言うと
「お父さんのおばあちゃんバイバーイ!」娘は大声で続きました。
そしてお墓が見えなくなるまで・・・私はようやく、あの日見送ってくれた祖母に手を振り返すことができたのです。
・・・という作り話を考えたんですよ!(←ここが個人的な「報告」)
正直我ながら結構うまく収まった話だと思っていたんですが、あとで何気なく調べたらライラックって落葉樹なんですね! 語感からすみれみたいな植物だと思い込んでました。(←ここが恥ずべき「誤り」)
やっぱり人様に読んでもらえるようなお話書くんならきちんと調べておかないとダメだなぁと思いました。(←ここが小さな「教訓」)
私の話、以上です!
(おわり)
追伸:おばあちゃん、俺、いい人たちに囲まれて結構元気にやってるよ。
真新しい線香皿においた線香から漂うライラックの香り。祖母の好きだった香りが私と従姉妹の家族を包みます。
風は冷たくなってきましたが、私の故郷の木枯らしにくらべればまだ心地よいとさえ感じられる冬の始め。亡くなってから実に20年、ようやく祖母の小さなお墓が建ちました。
昭和40年代。私の生まれ育った東北の町は、当時まだ出稼ぎという言葉がとても現実的なところでした。冬になると男は妻子を残し、仕事を求めて東京に出て、春になる頃に帰ってくるというのは農家やその出身の家ではごく当たり前のことだったのです。
母とともに祖母の家で暗く寒い冬を過ごしている間、ライラックの花が咲けば父さんおみやげいっぱい持って帰ってくるよ、と祖母は繰り返し言っていたものです。
しかし、私が小学生になる頃に父と母の間に大きな亀裂が走り、母は家を出て、父はそれを追いかけた先で傷害事件を起こし、二人とも家には帰ってこなくなりました。
中学を卒業するまでの期間、私は祖母と風呂もない貧乏な長屋で過ごしました。それでも祖母は春から秋まで小さな畑でライラックを育て丹念に世話をしていたのですが、花が何度咲いてもやはり父と母は帰ってきませんでした。
そんなものを植える余裕があるならうまいもん食わせろ!と言ったときの祖母の悲しい顔を私は一生忘れることができないでしょう。
生きていた祖母を最後に見たのは、私が高校入学を機に東京へ出た日。
従姉妹の運転するあの車に乗れば、貧乏な暮らしから抜け出せる。その想いだけがあった私は数年間を過ごした家にもライラックの咲きかけた畑にも祖母の寂しげな笑顔にも全く未練はなく、祖母の見送りに一度も振り返ることはありませんでした。
「あの日おばあちゃんね、車が見えなくなるまで一人でずっと手を振っていたんだよ・・・」
お墓の前から立ち上がった従姉妹もあの日のことを思い出していたようです。
「うん、俺・・・知らなかった・・・」
私は新しい線香に火をつけて、お墓に話しかけました。
「おばあちゃん、俺、今日はいろんなこと報告あるんだ。俺、結婚したよ。それでさ、俺、子供もいるんだ。あそこで走り回ってるのがそう。俺、大学は・・・行かなかったけど、なんとか仕事も就けたしさ。家も・・・それと、俺・・俺・・・あの日・・・ごめん、おばあちゃん・・・」
長い報告は最初のほうで声が詰まり、ただ涙がこぼれました。妻が差し出したハンカチを顔にあて、ずっと下を向いて誰も聞き取れないほど涙に歪んだ声で語り続けました。
自分一人でも苦しくて先の見えない暮らしの中、やっかいな年頃の孫を抱えて生きるのはどれだけ辛いことだったか。そして今わかるのは、それがどれだけ張り合いのある日々であったか・・・。仕事もなかった祖母が育てた花を花屋に納め、僅かな収入を得て生活をつないでいたことに気づいたのは祖母のお通夜でのことでした。
「おばあちゃん、俺、おばあちゃんのお墓に来れてよかったよ。・・・俺、がんばるよ。ありがとう。おばあちゃん」
そういって私は立ち上がり、よく晴れた冬の空を仰ぎ見ました。
一部を公園とした霊園は、私達の他にもお参りする家族がいました。特別な日でもないただの日曜日。それぞれの想いを胸に墓前で手を合わせる姿に何か晴れやかなものを感じて、遠くで従姉妹の息子とはしゃぐ娘を呼びました。
どれだけ走り回ったのか、額に汗をかいて走り寄ってきた娘はフリースを脱いで妻に押し付けるように渡すと「終わった?」と聞いてきました。帰りに寄ると約束した回転寿司に浮かれる現金さに私は少し呆れましたが、子供にとってのお墓参りはむしろそのぐらいが自然なのかもしれません。
後片付けをしてお墓に背を向けて歩き出したとき、私はふと思いついて後ろに向き直りました。
「どうしたの?」
妻が不思議そうな顔をしましたが、私はそれに答えずそのまま後ろ向きに歩いて大きく手を振りました。娘もなんだか面白い遊びを教わったような顔で私の真似をします。
「おばあちゃんバイバーイ」私が言うと
「お父さんのおばあちゃんバイバーイ!」娘は大声で続きました。
そしてお墓が見えなくなるまで・・・私はようやく、あの日見送ってくれた祖母に手を振り返すことができたのです。
・・・という作り話を考えたんですよ!(←ここが個人的な「報告」)
正直我ながら結構うまく収まった話だと思っていたんですが、あとで何気なく調べたらライラックって落葉樹なんですね! 語感からすみれみたいな植物だと思い込んでました。(←ここが恥ずべき「誤り」)
やっぱり人様に読んでもらえるようなお話書くんならきちんと調べておかないとダメだなぁと思いました。(←ここが小さな「教訓」)
私の話、以上です!
(おわり)
追伸:おばあちゃん、俺、いい人たちに囲まれて結構元気にやってるよ。
応援ありがとうございます!
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