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30話 とっておきの言葉

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 妙な高揚感に包まれながらおれは車を走らせた。この女がいなくなったと知った兄貴はどんな顔をするだろうか。それを考えただけで胸がすかっとする。おれはホルダーのスマホを操作し電話をかけた。

「もしもし、おれだ。極上の女を仕入れたぞ。ああ、金は見てから決めてくれて構わない。それとそろそろ海外に飛びたい。どこかいい所はあるか? カンボジア? タイとかの方がいいんだが……わかった、じゃあいつもの場所に向かう」

 電話を切ったその時、対向車線にパトカーがパトランプを光らせながら走って来た。すれ違い様にちらっと横目でそれを見る。なぁに、びびる必要はない。どこも怪しいとこなんてないんだ。遠くなるサイレンの音を聞きながら、おれは車のスピードを上げた。



「ええっと……」

 孔雀さんにじっと見据えられ僕は目が右へ左へ泳いでしまう。そんな僕を尻目に瀬織ちゃんが周囲を気にする素振りをみせながら話し始めた。

「実はこれ、監視カメラをハッキングする装置なんです。ぎりぎり違法なんですが今は仕方なく使っています。孔雀さんを男と見込んでお願いします。どうかこのことは胸の内に納めてもらって、私たちに協力して頂けませんか?」

 遂に瀬織ちゃんが伝家の宝刀を抜いた。少し潤んだ瞳でウルウルと孔雀さんを見つめている。よもや色仕掛けまで出来るなんて、もう脱帽して白旗を上げるしかない。孔雀さんはしばらく目をつむった後、パンと太ももを叩いた。

「お嬢ちゃんにおとこと見込まれちゃあしょうがねぇ。この孔雀四三、喜んで助太刀しようじゃねぇか!」

「ありがとうございます!」

 僕は思わず孔雀さんの両手をしっかり握って握手をした。瀬織ちゃんは小さくパチパチと手を叩きながら微笑んでいた。

「それでですね――」

 微笑んだのも束の間。瀬織ちゃんはすぐにいつものクールな表情に戻ると、ナクトの画面を孔雀さんに見せた。

「私たちはこの黒い車を追ってます。今から30分程前にここを通過しているようです。あそこの信号を左折して環状線に入ってます。どこに向かうか予測出来たりしますか?」

「この屋根が光ってるのは一体なんだい?」

「蓄光インクが付着しているんです。でも長く持つものではないので、後30分程で消えてしまう可能性も」

孔雀さんは何やら考えながら僕らに乗車するように言った。運転席へと乗り込むと無線機を使って話し始めた。

「あーおれだ。孔雀だ。今ちょっととある車を追っている。黒い車で屋根の上にべっとり蛍光のインクが付いてる。えーとナンバーは――」

「への6910」

 瀬織ちゃんがすばやく答えると孔雀さんがこくこくと頷いた。ナンバーのことなど僕はすっかり忘れていた。捨て目が利くとはこういうことか。

「ナンバーはへの6910。30分くらい前に方南町あたりから環七に入って東に向かってる。そっち方面で見かけたやつがいたら連絡してくれ」

 孔雀さんはそう言い終わると無線のマイクを置いた。そしてシートベルトを締めながら僕らの方へと振り向いた。

「これで全部のタクシーに伝わる訳じゃないがないよりかはましだ。この件はもう警察も捜査してるのかい?」

 瀬織ちゃんはマップを見ながら何か考え事をしていたので僕が孔雀さんに答えた。

「はい、もう通報はしてます。おそらく犯人の車両の特徴も伝わっているかと」

「ところでなんで追っかけてるか聞かせてもらってもいいかい?」

「……僕の知り合い、いえ、僕の大切な人が車の男に攫われました。そしてその犯人は僕の弟です」

 瀬織ちゃんが顔を上げちらりと僕を見た。孔雀さんは一度短く目を閉じるとハンドルに手をかけた。

「よし委細承知した! じゃあおれ達も追いかけるとしよう。シートベルトはしっかり締めてくれ!」

 一際大きな声と共に車は走り出した。それと同時に瀬織ちゃんが運転席の方へと身を乗り出しながら孔雀さんに言った。

「一度246あたりで停まってもらっていいですか? 別のルートに入っていないか確認したいので」

「おうよっ! 合点!」

 瀬織ちゃんはシートに座り直し、ふーっと息を吐いた。そしておもむろに僕の方へと手を差し出した。やはりこういう所は女の子か。きっと不安なんだろう。安心させようと僕が手を伸ばしたその時――

「充電器いいですか? 今のうちに充電しときます」

「あ……はい」

 そそくさと充電器を開封し電池を慌ててはめてから、僕はかしこみかしこみそれを彼女に差し出した。 



 けたたましいサイレンを響かせながらパトカーが到着した。これでもう三台目だ。

「それでその椋木光矢さんの弟である椋木天助という人物が犯人の可能性があると?」

 この質問もすでに三回目だ。おれが知っていることは全て伝えはしたが、はたして犯人追跡はちゃんと始めてるのだろうか? 心配して来てくれたのか、真綸が少し離れた所でこっちを見ていた。

「あっそういえば! 被害者の日下部メアリーさんのお母さんが鑑識に務めていると言ってました。ご存知ですか?」

 鑑識という言葉に、調書を取っていた警察官がピクっと反応した。

「まさか鑑識課の女帝の日下部さん?」

「いやそんな異名までは知りませんが。たぶんそうじゃないでしょうか?」

 警察官の表情が明らかに焦った表情になった。

「おい! 鑑識に連絡! 日下部さんに娘さんがいるか確認しろ!」

 現場は一気に慌ただしくなった。さっきまでおれのことを半信半疑で見ていた警察官も目の色が変わっている。ちょっとだけざまぁと思ってしまった。


 印籠を出した時の格さんもきっとこういう気分だったんだろう。



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