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37話 目覚めのキッス

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「じゃあ今日はこれくらいにしときましょうか? 後日改めて話を聞くことになると思うけど。じゃあここにサインお願いね」

 女性の刑事さんが差し出した書類に私は「西宮瀬織」と名前を書いた。

「それにしてもあなた、細かい所まで良く覚えてるわね。こういう事件の時は結構記憶があやふやだったりするんだけど」

「私観察するのが趣味なんです。現役のJKなんで記憶力にも自信があります」

 私がニコリと笑うと刑事さんもニッコリと微笑んだ。

「是非将来は刑事になってほしいわ。でも今回みたいな危険な真似は絶対にダメよ?
次からはちゃんと警察が来るのを待ってね」

「了解しました」

 私がびしっと敬礼をすると刑事さんも笑いながら敬礼を返し去って行った。丁度その時、孔雀さんも事情聴取が終わったらしくこちらへ戻って来た。

「いやぁ、タクシー料金払ってくれって頼んだけど無理って言われちまったよ。その代わりスピード違反は多めに見るってよ」

 孔雀さんはおどけた感じで笑いながら言った。

「料金なら私が払いますよ」

 私が財布を出そうとすると孔雀さんは二本指を立ててブイサインをした。

「二万越えてるぞ?」

「椋木さんに相談します」

 私が即答すると孔雀さんは大きな口を開けて笑った。

「冗談冗談! 金は要らねえから心配するな! 今日はいろいろ面白かったよ。またなんかあったら連絡してくれ」

 そう言って孔雀さんは名刺を一枚渡すとそのまま帰って行った。名刺一面が孔雀の羽の柄の派手な名刺だった。

 不謹慎ではあるが、実は私も孔雀さんと同じように感じていた。犯人が拳銃を所持していたりと危険だったことは確かだ。でも犯人を追跡している時、椋木さんを助けに行った時、不安や恐怖を忘れ気持ちは高揚していたように思う。

 事件を解決した今、得も言われぬ充足感で満たされている。またこんな非日常を味わいたいという欲求が目覚め始めていた。

「もしかしたら――」

 痴漢の冤罪といい、今回の事件といい、もしかしたら彼の近くにいればまた面白いことが起こるのかもしれない。

 そんなことを考えながら、私は返しそびれたナクトをバッグに仕舞った。




 その日は念のため私とコウヤっちは一晩だけ入院することになった。母さんの根回しなのか二人用の個室が用意されていた。私は頭を殴られていたこともあってコウヤっちより少し遅く病室に入った。よっぽど疲れていたのだろう。コウヤっちはすでにぐっすり眠っていた。


 今日は本当に九死に一生を得たと言ってもいいんじゃないだろうか。事件の詳細が分かるにつれ、コウヤっちや協力してくれた人達には感謝してもしきれない。

 コウヤっちも銃で撃たれたと聞いた時には血の気が引いた。少し犯人達を甘くみてしまっていたのは今回の反省点だ。トランクから上手く抜け出せたまではよかったけど、その後犯人を確保しようとしたのが間違いだった。まさか他にも仲間がいるとは思ってなかった。

 
 ベッドに近づくとコウヤっちはスヤスヤと眠っていた。頬っぺたにはまだわずかに銃創の傷跡があった。それほど深くはないので傷が残ることはないだろう。

 今回、危険を顧みずに私を助けにきてくれたことが本当に嬉しかった。沈んでいく車の中で目が覚めた時は、一瞬何が起きてるかわからなかった。でも目の前にあるコウヤっちの顔と抱きしめられている感触ですぐに安心してしまった。

「だってあんなことされたら、ねぇ――」

 私はくすっと笑って彼の頬を撫でた。すると次の瞬間、コウヤっちは文字通り跳ねるように飛び起きた。

「溺れるーーー!!」

「きゃあ!」

 おそらく藁をも掴む夢でも見ていたのだろう。コウヤっちは私の腕をぐいっと掴んでベッドに引き寄せた。私はそのまま倒れ込むようにして彼の胸に抱きつく格好となった。

「あ、あれ? メアリー?」

 このまま気絶したふりでもしてやろうかな。私がしばらくそのまま顔を埋めていると彼はあたふたし始めた。

「ちょっと、メアリー? まさかまた気失った!?」

 ごろんと仰向けにされると、私は片方だけ薄めにしてチラッとコウヤっちを見た。すると私の顔とナースコールのボタンを行き来するように彼の目が泳いでいた。

「またあの時みたいにキスで起こしてもいいんだよ~コウヤっち」

 私はぱっと目を開けていたずらっぽく笑って見せた。

「えっ!? あれ気づいてたの!? あれは水に沈みそうだったから呼吸を確保しようとしてだね。それで思わず――」


 私が狼狽えるコウヤっちにキス顔で近づいてる時だった。突然母さんがドアを開けて入って来た。

「あら? ベッドは一つでよかったのかしら?」

 その声に驚いて私は思わずベッドから飛び降りた。

「ちょっと母さん! ノックくらいしてよ!」

「あらしたわよ? 聞こえなかった?」

 とぼけたような顔で母さんが言った。この顔は絶対にしてない顔だ。

「それよりお二人共随分元気そうねぇ。入院しなくてもよかったかしら?」

 そう言って少しにやつきながらベッドの方までやってきた。突然の訪問にコウヤっちは狼狽えながら乱れた病衣を直していた。

「改めまして椋木さん。メアリーの母の日下部鳳月くさかべほうづきです。この度は娘を助けて頂きありがとうございました」

 コウヤっちは急にかしこまった母さんに驚き、慌ててベッドから降りて立ち上がった。

「こちらこそ! 今回は弟がとんでもない事件を起こしてしまいました。改めて謝罪させてください。本当に申し訳ございませんでした」

「もうそのことはいいのよ光矢さん。さあさあ二人共、とりあえずは安静にしないといけないんだから座って」

 母さんに促されるようにして、私とコウヤっちはベッドに腰を下ろした。

「そういえば母さん。なんでさっきコウヤっちにビンタしたの? コウヤっちがずっと気にしてるみたいなんだけど」

「あああれね……。なんか光矢さんを見てたらなんでかあの人パパを思い出しちゃってね。それでついねぇ。ごめんなさいね光矢さん。えへ」

「えへじゃないわよ! えへじゃ!」

「な~によ? あなただってしょっちゅうテヘテヘ言ってるじゃない」

「あれはうら若き乙女だから許されるんでしょうが!」

「私だってまだまだ通用するわよ~ねぇ光矢さん?」

「えぇと…はい、もちろんです!」

 完全に言わされた格好となったコウヤっちは作り笑顔を浮かべていた。
 
「あっそうそう! 光矢さんにちょっと聞きたいことがあって来たんだったわ」

 母さんはパンパンと手を叩くと改めてコウヤっちに向き直った。

「あなたはタクシーで犯人達のアジトまで行ったのよね?」

「ええ……」

 何を聞かれるのか察しがついたのか、コウヤっちがわずかに動揺した。

「警察の力も借りず、どうやってあの場所を探し出したのか聞かせてもらえるかしら?」


 その時、私には母さんの目が鋭く光ったように見えた。




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